#37 体の変質
鏡の中の目が、金色に光っていた。
宿の洗面台。
朝日が差し込む小さな鏡に映るカイトの瞳は、灰色のはずだ。
だが右目の虹彩が金色に染まっている。
瞬きをすると灰色に戻り、また数秒で金色が滲む。
点滅するように、灰と金が入れ替わっていた。
「……いつからだ」
昨日の地震の後からだ。
暗闘に入ったわけでもない。
暗視を使った覚えもない。
なのに、目が勝手に切り替わっている。
右腕を見た。
石化痕が広がっていた。
昨日は手首から肘の手前までだった。
今朝は肘を越えて、上腕の半ばに達している。
灰色の痕の下で、鱗のような模様が浮き上がっている。
触れると石のように硬い。
扉がノックされた。
「カイト、起きてる?」
「ああ。入れ」
ソフィアが入ってきて、カイトの右腕を見た瞬間に足が止まった。
「……広がってる」
「昨日より5センチくらいな」
「5センチって——」
ソフィアはカイトの前に座り、右腕を両手で包んだ。
水属性の治癒が青い光となって石化痕を覆う。
温かい手だった。
カイトは何も言わず、ソフィアが治癒を流すのを待った。
一分。二分。
石化痕の縁が薄くなった。
広がりは止まったが、元には戻らない。
昨日と同じだ。進行を食い止めるのが精一杯で、回復にまでは至らない。
「……毎日やらないと」
「わかってる」
「あんたの体、昨日の地震から明らかにおかしいわよ。核紋が不安定になってる」
「自覚はある」
カイトは左手で自分の右目を指した。
「目も金色のままの時間が長くなった。暗視を使ってないのに勝手に切り替わる」
ソフィアの眉が寄った。
治癒の手を離さないまま、カイトの顔を覗き込む。
「本当だ……右目だけ、金色に光ってる」
「左は?」
「左は普通の灰色。交互に切り替わってる感じね。気味が悪い、って言ったら怒る?」
「事実だから怒らない」
* * *
ギルドの酒場。
四人がテーブルを囲んでいた。
エルザがカイトの右腕をルーペ越しに観察している。
マルクは椅子の背にもたれて、エールの杯を回していた。
「で、エルザ先生。診断は」
「先生はやめて」
エルザがルーペを下ろし、カイトの腕を離した。
「結論から言う。核紋の容量を圧迫している」
「圧迫?」
「あなたの空の器に入っている核紋を列挙するわ。闇F級、水D級、地E級、炎C級、そして地C級。五つの属性。四つの異なる系統」
エルザは指を折りながら続けた。
「普通の冒険者は一つの属性しか持たない。二つ持っている者でも稀。あなたは五つ——しかもC級が二つ。器の容量が限界に近づいている」
「限界を超えたらどうなる」
「最悪、核紋が崩壊する。つまり——死」
テーブルが静まった。
マルクの杯が止まった。
「核紋喰いの力は無限じゃない。空の器にも容量がある。今の状態で安定しているのは、ソフィアの毎日の治癒があるから。治癒がなくなれば、石化痕は数日で肩を越えて——」
「エルザ、そこまででいい」
ソフィアが遮った。
声が硬い。
「対策は」
「現状維持。毎日の治癒で進行を抑える。そして——これ以上の吸収を控えること」
カイトは黙っていた。
右腕の石化痕を見つめている。
「控えろって言われても——」
「聞いてるの?」
「聞いてる。ただ、控えるかどうかは別だ」
「死ぬわよ」
「そのときはお前が止めてくれるだろ」
エルザが溜息をついた。
マルクが首を振る。
「こいつ、マジで言ってるぞ。ソフィア、何とか言え」
ソフィアはカイトの横顔を見ていた。
それから、カイトの右腕に手を置いた。
「毎日、治癒する。朝と夜。サボったらぶん殴るから」
「了解」
「本当にわかってるの?」
「わかってる」
カイトの声は穏やかだった。
ソフィアの手が腕の上にある。
治癒の青い光が微かに漏れている。
マルクがエールを一口飲み、ぽつりと言った。
「……もう付き合ってるだろ、お前ら」
二人が同時に振り返った。
「違う」
完璧な同時発声だった。
マルクが吹き出した。
エルザが眼鏡の奥で目を細めている。
「息ぴったりじゃん」
「黙れマルク」
「私も黙ってほしいわ」
カイトとソフィアの声がまた重なった。
マルクが腹を抱えて笑い、エルザが小さく咳払いをした。
* * *
夜。
宿の部屋。
ソフィアがカイトの右腕に二度目の治癒を施していた。
窓の外はもう暗い。
ランプの明かりが二人の影を壁に落としている。
カイトの右目が金色に光っていた。
暗い部屋だと切り替わりが頻繁になる。
暗視が勝手に発動しているのだ。
「目、光ってるわよ」
「止められない。勝手に点くんだ」
「……綺麗よ。金色」
「それは前も聞いた」
「何度でも言うわ」
ソフィアの手がカイトの腕を包んでいる。
水属性の治癒は穏やかな光だ。
痛みはない。むしろ心地がいい。
カイトはソフィアの横顔を見た。
プラチナブロンドの髪がランプの光を受けて柔らかく光っている。
集中している時のソフィアは、唇を少し尖らせる。
「……毎日これやってもらって、悪いな」
「悪いと思うなら無茶しないで」
「無茶しないでって言っても——」
「聞かない。だから私がいるんでしょ」
カイトが言おうとした台詞を、ソフィアが先に言った。
カイトは口を閉じた。
「……俺の台詞を取るな」
「あんたが毎回同じこと言うからよ」
治癒の光が石化痕を包んでいる。
灰色の痕が微かに後退した。
朝より状態がいい。
二度目の治癒が効いているのか、それとも。
ソフィアが手を離した。
「今日はここまで。明日もやるから」
「ああ」
ソフィアが立ち上がり、扉に向かった。
振り返らずに言った。
「無茶しないで、カイト」
「聞かないって知ってるだろ」
「知ってる。だから毎日言うの」
扉が閉まった。
カイトは右腕を見つめた。
石化痕はまだある。
だが痛みは引いている。
明日もソフィアが手を当てる。
明後日も。その次の日も。
いつまで続くのかわからない。
だが——悪くないと思った。
その考えを振り払い、カイトは毛布を被った。
右目が金色に光ったまま、闇の中で天井を見つめている。
エルザの声が頭の中で反響した。
——次にC級以上を喰ったら、体の変質が不可逆になるかもしれない。
不可逆。
元に戻れない変化。
カイトは右腕を握った。
石の感触が掌に伝わる。
「……覚悟はある」
誰に答えるでもない言葉が、暗い部屋に落ちた。
金色の目が、闇の中で静かに光り続けていた。




