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核紋が空の最弱冒険者、魔物を喰らって全属性で成り上がる  作者: 景都 (けいと)


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#35 石化の代償

茶色い光が、掌の上で脈動していた。


 結晶竜クリスタの核紋の欠片。

 地B級。

 これまで喰らった中で、最も格が高い。


 ソフィアの治癒で左腕の石化はようやく解除されていた。

 指先は動く。だが感覚が鈍い。

 灰色の変色が手首に薄く残っている。

 完全には戻っていない。


「本当にやるの」


 ソフィアの声が固かった。

 治癒で魔力を使い、額に汗が浮いている。

 それでもカイトの横に立ち続けていた。


「炎C級を取り込んだ時、全身が燃えた。二分間、死にかけた。地B級は、それ以上よ」


 マルクとエルザも黙って立っていた。

 止める言葉が見つからないのだ。

 マルクの手が弓の弦にかかっている。いつでも動けるように。


「やる」


 カイトは茶色い光を見つめた。

 光が掌の上で脈動するたびに、体内の核紋が共鳴する。

 呼ばれている。地の力が、仲間を求めている。


「ここまで来て喰わねぇ理由がねぇだろ」


「理由ならあるわ。死ぬかもしれない」


「死なねぇよ」


「根拠は」


「お前がいる」


 ソフィアが唇を噛んだ。

 水色の瞳が揺れている。

 何か言おうとして、口を閉じた。

 もう一度開いた。


「分かった。吸収が始まったら、私が全力で治癒を流す。絶対に手を離さない」


 カイトは頷いた。


 マルクとエルザが数歩下がった。

 エルザが小声でマルクに言った。


「何かあったら、二人を引き離して。石化が伝染するかもしれない」


「了解。でも多分、あいつは離さないぜ」


「ソフィアの方よ」


 マルクが口の端を上げた。

 だが目は笑っていなかった。


 カイトは地面に座り込んだ。

 結晶の破片が散らばった床に胡坐をかく。

 右手で茶色い光を握る。

 指の間から光が漏れた。


「喰らう」


 光が掌に沈み込んだ瞬間、世界が崩れた。


 炎C級の時とは次元が違った。


 体が石になる。


 右手の指先から変色が始まった。

 灰色ではない。

 暗褐色。岩の色だ。

 皮膚の表面が乾き、硬化し、ひび割れた紋様が浮かぶ。

 指の関節が固まった。

 右手が動かなくなった。


 声が出ない。

 喉まで硬化が迫っている。

 舌が重い。


 暗褐色が右腕を駆け上がった。

 肘。上腕。肩。

 鱗模様の上を覆うように、岩の色が広がっていく。

 右半身が岩に変わっていく。


 カイトの体が横に倒れた。

 右半身が床に叩きつけられる。

 石と石がぶつかる、乾いた音がした。

 結晶の破片が砕けて飛んだ。


「カイト!」


 ソフィアが両手をカイトの胸に押し当てた。

 水色の光が全開で放出される。

 B級の水属性。全魔力を注ぎ込む。


 治癒と石化が、体の中でぶつかった。


 暗褐色の浸食が胸まで達した。

 右の肋骨が硬化する感触。

 骨が岩になっていく。

 肺が圧迫される。

 石の肋骨が肺を締め付けている。

 息が吸えない。


 カイトの意識が明滅した。


 暗転。覚醒。暗転。覚醒。

 光が見えた。消えた。また見えた。

 その繰り返しの中で、掌に触れている柔らかいものだけが分かった。


 ソフィアの手だ。

 温かい。水の治癒が流れ込んでくる。

 細い指が胸を押さえている。震えながら。


「戻ってきなさい!」


 声が聞こえた。

 遠い。水の底から聞こえるように遠い。


「戻ってきなさい、カイト! 死なせない。私が治癒するって言ったでしょう!」


 ソフィアの声が震えていた。

 泣いている。

 涙がカイトの胸に落ちた。

 暗褐色の皮膚の上で、水滴が弾けた。


 水色の光が強まった。

 ソフィアの全魔力が注がれている。

 B級の水属性を絞り出すように。

 手が熱い。ソフィアの手が、魔力の過剰放出で発熱している。


 一分経過。


 暗褐色の浸食が首の手前で止まった。

 ソフィアの治癒が石化の進行を食い止めている。

 水色と暗褐色が、首の境界で押し合っている。


 だが解除はできていない。

 右半身は岩のままだ。

 心臓は左半身にある。まだ動いている。

 だが右肺は潰れた。呼吸が半分しかできない。


「お願い。戻って」


 ソフィアの涙が落ち続けた。

 一滴、二滴。暗褐色の肌に染み込まず、表面を流れ落ちる。

 もう人間の肌ではないから。


 一分三十秒。


 カイトの体内で、何かが動いた。


 地属性の核紋が定着し始めている。

 異物だったものが自分のものになっていく過程。

 それは融合であり、侵食であり、変質だった。


 岩の力が体に馴染んでいく。

 石化ではなく、石化耐性として。

 暗褐色が薄れ始めた。


 右手の指が動いた。

 ぎこちなく。だが確かに。


 声が出た。

 掠れた、小さな声。


「まだ、生きてる」


「カイト!」


 ソフィアの手に力が入った。

 治癒が一段と強まる。


 二分。


 暗褐色が体表から引いていった。

 右半身の硬化が解け、皮膚が肌色に戻る。

 肋骨の圧迫が消え、肺が膨らんだ。


 息を吸い込んだ。

 空気が肺に流れ込む。

 冷たい空気だ。結晶の洞窟の空気。

 生きている。


 カイトは仰向けのまま、天井を見上げた。

 結晶の破片が散らばった空洞の天井。

 光が屈折して虹が見える。


 右手を持ち上げた。

 掌を開く。


 地面が震えた。


 カイトの右手の前方、一メートル先の地面から岩が隆起した。

 床を割って、膝丈ほどの岩壁が生えてきた。

 結晶の床を突き破る。硬い岩だ。


 拳を握ると岩壁が崩れ、開くと隆起する。


「出来た」


 岩壁生成。

 地属性の力。


「地C級」


 エルザの声が震えていた。


「結晶竜から得たのは地C級の核紋。石化耐性と、岩壁生成。B級の核紋からC級の力を引き出した。取り込んだ核紋は、そのまま全部が手に入るわけじゃないのね」


 マルクが口笛を吹いた。


「それでも十分だろ。お前、また一つ上がったな」


 カイトは体を起こそうとした。

 右腕に力を入れる。


 動く。

 だが何かが違う。


 右腕を見た。


 手首から肘にかけて、灰色の痕が残っていた。

 石化の名残。

 皮膚の下に岩の紋様が透けている。

 触れると硬い。人間の肌ではない感触。

 左腕の鱗模様とは違う、ざらついた石の質感だった。


「ソフィア」


「分かってる」


 ソフィアが右腕に手を当てた。

 治癒の水色の光が注がれる。


 灰色の痕は消えなかった。


 何度治癒を流しても、石化痕は消えない。

 治癒で直せない変質。

 傷ではなく、体そのものが変わったのだ。


「消えないわ。これは傷じゃない。体が変わったの」


 ソフィアの声が小さかった。

 自分の治癒が届かない場所がある。その事実がソフィアの表情を曇らせていた。


 カイトは右腕を見つめた。

 灰色の石化痕が、鱗模様の隣に並んでいる。

 右腕に石。左腕に鱗。

 水D級を取り込んだ痕と、地C級を吸収した痕。


 核紋を取り込むたびに、体が人間から遠ざかっている。


「まあ、いい」


 カイトは右腕を下ろした。

 立ち上がろうとして、膝が折れた。

 ソフィアが肩を支える。


「無理しないで。吸収直後に動いたら」


「大丈夫だ。立てる」


 立った。

 ソフィアの肩に手を置いたまま。

 体重をかけすぎないように。

 だが手は離さなかった。


 マルクとエルザが近づいてきた。


「勝ったな」


 マルクが笑った。

 目尻に安堵が滲んでいた。


「15Fボス撃破。鉄級パーティの最短記録じゃねぇか?」


「記録なんかどうでもいい。帰るぞ」


 カイトはソフィアの肩から手を離し、自分の足で歩き出した。

 右腕の灰色の痕が、結晶の光を反射して鈍く光っている。


* * *


 階段を上がる途中、カイトは足を止めた。


 マルクとエルザが先に行っている。

 二人の足音が上の方で反響している。

 ソフィアだけが隣にいた。


「さっき。泣いてただろ」


「泣いてない」


「嘘つけ。涙が落ちてきた」


 ソフィアは前を向いたまま歩いた。


「汗よ」


「胸の上に汗は落ちねぇだろ」


「うるさい」


 しばらく、足音だけが響いた。

 結晶の階段を一段ずつ上がっていく。

 二人の影が壁に伸びて、並んでいた。


「ありがとな」


「何が」


「治癒。お前がいなかったら石になってた」


 ソフィアは答えなかった。

 ただ、歩く速度が少し遅くなった。

 カイトの歩幅に合わせるように。


「次も、頼む」


「次って何よ。まだ喰う気?」


 カイトは答えなかった。


 右腕の灰色の痕を見た。

 左腕の鱗模様を見た。

 二つの変質の痕が、両腕に刻まれている。


 核紋喰いの副作用は、吸収のたびに深刻化している。

 今回は右半身が石になりかけた。

 次は、どこまで変質するのか。


 だが足は止まらなかった。

 止まるつもりもなかった。


 階段の上から、14Fの光が差し込んでいた。

 結晶の壁を通して屈折した、淡い虹色の光。


 カイトは歩き続けた。

 灰色の石化痕が、光の中で冷たく光っていた。

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