#03 暗視
見える。暗闘が、見える。
カイトは蛍光苔の明かりを背にして、1Fの奥へ走り出した。
通路の分岐。左右に枝分かれする道。天井の隙間から垂れる水滴。
全てが灰色の輪郭線で浮かんでいた。
松明も、魔法の灯りも要らない。
貰った蛍光棒は腰のポーチに入れたまま、一度も折っていない。
通路を曲がった先に、ゴブリンが二体。
背を向けてしゃがみ込み、何かを貪り食っている。
大ネズミの死骸だった。
骨を齧る音が通路に反響している。
カイトは足音を殺して近づいた。
スラムの路地裏で身につけた歩き方だ。
踵をつけず、つま先だけで体重を運ぶ。
暗闇の中では、こちらが一方的に見ている。
五歩。三歩。一歩。
短剣が閃いた。
一体目のゴブリンは振り向く前に倒れた。
首筋から喉へ、一文字に。
二体目が悲鳴を上げて飛び退く。
血に濡れた短刀を構え、きょろきょろと辺りを見回していた。
暗闇の中で、敵が見えていないのだ。
カイトは二歩で間合いを詰めた。
背後から首筋に刃を走らせる。
二体。
通路を進む。
次の部屋。
薄暗い広間に、ゴブリンが四体たむろしていた。
壁際の窪みに粗末な焚き火が燃えていて、残り火が床を赤く照らしている。
骨付き肉を焼いている匂い。何の肉かは考えたくなかった。
焚き火の明かりがある場所では、暗視の優位はない。
だが通路は暗い。
カイトは広間の入口に立ち、短剣の柄を壁に打ちつけた。
金属と石がぶつかる高い音が通路に反響する。
「こっちだ」
ゴブリンたちが顔を上げた。
一体が骨付き肉を放り出して通路に走り込んでくる。
焚き火の明かりを離れた瞬間、そいつの目は利かなくなる。
カイトの目は利く。
闇の中で、一方的に狩る。
通路に入ったゴブリンが暗闇で立ち止まり、鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。
血の匂いで索敵しようとしている。
だが、カイトの方が速かった。
横から首を掻き、倒れる体を壁に押しつけて音を殺す。
三体。
二体目を同じ手口で誘い出した。
通路の入口で叫び声を上げて仲間を呼ぼうとした瞬間、喉を潰した。
声が途切れ、ゴブリンが前のめりに倒れる。
四体。
三体目が警戒して広間から出てこなくなった。
残りの一体と焚き火の前で背中合わせに立ち、短刀を構えている。
賢い個体だ。
カイトは迂回した。
別の通路から広間の裏手に回り込む。
暗視があるから、通路の構造は手に取るように分かる。
行き止まりの壁を手で触れながら進み、広間に通じる割れ目を見つけた。
体を横にしてねじ込むと、広間の壁際に出た。
焚き火を蹴り散らす。
炭と火の粉が飛び散り、広間が暗闇に沈んだ。
パニックに陥ったゴブリンが走り回る。
甲高い叫び声が反響して、どこに何がいるか分からないはずだ。
ゴブリンにとっては。
カイトには全てが見えていた。
右に走る影。左に蹲る影。
一体ずつ、仕留める。
六体。
広間の奥にさらに通路が続いていた。
暗視で覗くと、小さな穴蔵にゴブリンが二体。
眠っている。
起きる前に済ませた。
八体。
* * *
合計八体。
カイトは短剣についた血を壁の苔で拭い、迷宮を出た。
外の日差しが眩しかった。
暗視に慣れた目が光を拒んで、しばらく手で庇を作る。
海風が汗ばんだ肌を冷やし、血の匂いを吹き飛ばしてくれた。
脇腹の傷は既にかさぶたになっていた。
肩の切り傷も、動くたびに引きつるが戦闘には支障がない。
頭痛はまだ残っていた。
こめかみの奥が鈍く脈打つ。
核紋を取り込んだ副作用だろう。
だが歩ける。戦える。この程度で済むなら安い。
ギルドに戻り、受付窓口に討伐証明のゴブリンの耳を並べた。
八つ。
血に濡れた耳がカウンターに並ぶ様は、我ながら気味が悪い。
受付嬢が目を見開いた。
昨日の登録時と同じ、栗色の髪の女——アリアだ。
名前は後で知ることになるのだが、この時はまだ「受付嬢」としか認識していなかった。
「ゴブリン8体?」
「依頼は最低一体だったろ。8体で問題あるか」
「い、いえ、問題はありません。ただ——石級の初日で8体は前例がほとんど……」
受付嬢が討伐証明を一つずつ確認し、報酬を数え始める。
カイトはその間にカウンターに肘をついた。
「あの、カイトさん」
「ん」
「念のため、核紋の再鑑定をお勧めします。何か変化があったかもしれません」
変化はあった。
暗闇が見えるようになった。
だが、それを素直に言うべきかどうか。
「……いいぜ。やってくれ」
再び水晶球に手を当てる。
鑑定士が覗き込む。
昨日と同じ白髭の老人が、同じように首を傾げた。
「核紋……空」
変わっていなかった。
「属性なし。適性ランク——測定不能。昨日と同一の結果です」
受付嬢が首を傾げた。
「でも暗闘でゴブリンを狩ったんですよね? 松明も蛍光棒も使わずに?」
「ああ」
「それは暗視の能力がないと不可能では……」
カイトは口を閉ざした。
説明できない。
あの光の欠片を喰った、とは言えない。
言ったところで、信じてもらえるとも思えない。
「運がよかっただけだ」
「8体をですか?」
「運がよかった」
受付嬢は納得していない顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
報酬の銅貨百六十枚をカウンターに置く。
一体につき20枚。8体で160枚。
宿代が一泊銀貨一枚——銅貨百枚だ。
今日の報酬で一泊と、明日の飯二食分。
ギリギリだが、昨日よりはマシだ。
カイトは銅貨を革袋に入れながら考えた。
倒した魔物の核紋を、喰った。
だから暗視が手に入った。
鑑定には映らない。
空の核紋はそのままで、しかし器の中には確かに闇の力が溜まっている。
なら、もっと喰えば——もっと強くなれる。
核紋が空の器なら、何でも入るということだ。
* * *
ギルドロビーの掲示板の前に立つ。
最下段のゴブリン討伐依頼。その一段上。
「オーク討伐。星淵の迷宮2F。推奨ランク銅級。報酬銀貨5枚」
銅級の推奨だ。
石級の自分には早い。
だが暗視があれば、暗闘ならゴブリンには負けない。
オークは体格が違う。力でねじ伏せてくる相手に、短剣と暗視だけで通用するか。
分からない。
だが、ゴブリンばかり狩っていても先がない。
同じ核紋を何体喰っても、得られるものは同じだ。
もっと上を喰わないと、何も変わらない。
カイトは掲示板を見上げた。
ゴブリン討伐の紙の上に、オーク討伐の依頼書。
その上にリザードマン。その上にワイバーン。
見上げるほどに、報酬の桁が増えていく。
「まだ足りねぇ」
呟いて、オーク討伐の依頼書に手を伸ばした。




