#15 怪力の目覚め
9Fの最奥に、そいつはいた。
身長3メートル。
通常のオークの倍近い体躯に、鉄の鎧を纏っている。
両手に持つのは石斧ではない。
鋼の大剣だった。
オークジェネラル。
地E級の核紋を持つ、オーク族の長。
「でかい……」
カイトは水路の陰から、暗視でオークジェネラルを観察した。
巨大な円形の広間の中央に座り、周囲の取り巻きオーク8体を従えている。
「正面は無理だ」
「当然でしょ。あの体格で鋼の大剣よ。一振りでこっちは終わりよ」
ソフィアが小声で言った。
「取り巻きを先に片付ける。そのあとジェネラルを水路に誘い込む」
「水路に?」
「あいつは鉄の鎧を着てる。水中に引きずり込めば重さで沈む。俺は水中呼吸がある。水の中なら有利を取れる」
ソフィアが考え込んだ。
「私の水流で鎧の重さを利用して引き込む……いけるかもしれない」
「頼む」
* * *
取り巻きの排除に一時間かかった。
水路を利用した奇襲と撤退を繰り返し、8体のオークを1体ずつ仕留めていく。
8Fで学んだ戦術の応用だ。
暗視で索敵し、水中から背後を突き、水路に逃れる。
消耗は激しい。
カイトの腕は傷だらけで、短剣の刃は二本とも限界に近い。
ソフィアも治癒と攻撃の両立で魔力を削られていた。
だが取り巻きは全滅した。
広間にはオークジェネラルだけが残っている。
取り巻きの全滅に気づいたジェネラルが、立ち上がった。
地面が揺れた。
咆哮が広間に反響する。
耳を覆いたくなるほどの怒声。
壁の岩が崩れ落ちた。
「来るぞ」
カイトは短剣を構えた。
オークジェネラルが大剣を振り上げ、突進してくる。
重い。
足音だけで分かる。
あの質量が全速力で向かってきている。
「ソフィア、水路へ!」
ソフィアが両手を広げた。
水属性B級の全力。
水路から大量の水が吹き上がり、オークジェネラルの足元を浚った。
鉄の鎧が水を含み、重さが増す。
ジェネラルの足が滑った。
だが倒れない。
踏み止まり、大剣を横薙ぎに振る。
水の壁ごとソフィアを薙ぎ払おうとする一撃。
「伏せろ!」
カイトがソフィアを突き飛ばした。
大剣が頭上を通過し、背後の岩壁を両断した。
岩の破片が降り注ぐ。
「くそ、一撃が重すぎる——!」
カイトは立ち上がり、水路に飛び込んだ。
水中呼吸が発動する。
鱗の防御膜が全身を包み、水が空気になった。
「こっちだ、でかぶつ!」
水面から顔だけ出して叫ぶ。
オークジェネラルが水路に向かって大剣を叩き込んだ。
水柱が噴き上がる。
だが刃はカイトに届かない。
水中に潜ったカイトは底を泳ぎ、ジェネラルの真下に回り込んでいた。
水面を突き破って飛び出す。
怪力を込めた短剣が、鎧の隙間——脇の下を狙う。
刃が肉に食い込んだ。
ジェネラルが悲鳴を上げ、左腕でカイトを殴り飛ばした。
体が宙を舞った。
岩壁に叩きつけられ、背中に衝撃が走る。
口から血が飛んだ。
「カイト!」
「まだだ——」
這い上がる。
短剣は折れた。
ソフィアから渡された銅の短剣だけが残っている。
オークジェネラルが迫る。
大剣が振り下ろされた。
カイトは横に転がった。
刃が地面を砕く。
その隙に懐へ飛び込む。
ソフィアの水流が横から叩きつけ、ジェネラルの足を絡めた。
一瞬だけバランスが崩れる。
カイトは跳んだ。
怪力で跳躍し、ジェネラルの胸の高さまで飛び上がる。
鎧の合わせ目。
首と胸の間の隙間。
銅の短剣を、全力で突き立てた。
刃が肉を貫き、骨に当たり、さらに奥へ沈む。
ジェネラルの動きが止まった。
金色の目が見開かれ、大剣が手から落ちた。
地面が揺れるほどの振動。
オークジェネラルが、膝から崩れ落ちた。
* * *
巨体が倒れた広間に、静寂が降りた。
カイトは地面に膝をつき、荒い息を吐いていた。
全身が痛い。
背中の打撲、脇腹の裂傷、折れた肋骨が呼吸のたびに軋む。
だが目の前に、それはあった。
オークジェネラルの体から、茶色い光の欠片が浮かび上がっている。
地E級の核紋。
密度が違う。
ゴブリンキングの比ではない、重く濃い光だった。
「喰らう」
手を伸ばした。
灰色の瞳が金色に染まる。
核紋の欠片が掌に触れ、体内に流れ込んだ。
筋繊維が灼ける。
全身の筋肉が一斉に収縮し、骨格が軋んだ。
皮膚の下で何かが組み替えられていく感覚。
腕が膨らみ、胸筋が厚くなり、背中が広がる。
視界が茶色に染まった。
「がっ——」
声にならない叫びを上げた。
痛い。
体が作り直されている。
ゴブリンキングの暗視とは次元が違う。
水D級の吸収よりもさらに激しい変容が、全身を貫いていた。
1分間。
カイトは動けなかった。
ソフィアが剣を構えたまま、その1分を守り切った。
広間の入口に別のオークが現れたが、水の壁で押し返し、剣で斬り伏せた。
汗だくの顔で、それでもカイトから目を離さなかった。
「……終わったか?」
カイトが顔を上げた。
吸収は完了していた。
だが体が——おかしい。
腹が減る。
猛烈に腹が減る。
胃が叫んでいるように空腹が全身を支配した。
「腹……減った……」
「副作用?」
「分からない。でも、食わないと死にそうだ」
ソフィアがカイトを支えて宿に戻るまでの道のりは、ほとんど記憶にない。
* * *
ギルドの食堂で、カイトは五人前の食事を平らげた。
パン六個。
肉のシチュー三杯。
焼き魚の盛り合わせ。
チーズの塊。
果物の盛り。
食堂の主人が目を丸くしている。
隣の席の冒険者が口をぽかんと開けていた。
「……まだ足りねぇ」
「6人前目いく気?」
「いや、もういい。腹は……落ち着いてきた」
カイトは腹を押さえて椅子にもたれた。
暴食衝動。
それが地E級の副作用だった。
体を作り替えるために、膨大なエネルギーを必要としたのだろう。
「勘定は……」
「私が払うわ。あんた財布持ってないでしょ」
「……すまん」
ソフィアが苦笑して、銀貨を二枚テーブルに置いた。
「次からは自分で払いなさいよ」
「次も喰う予定はない。しばらくは」
「どうだか」
カイトは食堂を出て、宿の部屋に戻った。
体は重いが、不思議と力が漲っている。
全身の筋肉が別物になった感覚。
寝台に倒れ込み、即座に眠りに落ちた。
* * *
翌朝。
カイトは目を覚まし、寝台から起き上がった。
体が軽い。
昨日の痛みがほとんど消えている。
部屋の小さなテーブルに水差しが置いてあった。
ソフィアが用意したものだろう。
水を飲もうとして、テーブルに手をついた。
ばきっ。
乾いた音が部屋に響いた。
カイトは自分の手を見た。
次にテーブルを見た。
天板に、手のひらの形のヒビが入っていた。
軽く体重をかけただけで、木のテーブルが割れた。
「……怪力」
拳を握り、開く。
指の一本一本に、今までとは違う力が通っている。
地E級の力。
オークジェネラルの膂力が、この細い体に宿っていた。
窓を開けた。
朝の風がカイトの黒髪を揺らす。
ダンジョンの入口が見える。
暗視。
怪力。
水中呼吸。
そして今、もう一段上の怪力。
核紋が四つ。
空の器に、四つの力が収まっている。
まだ足りない。
だが確実に、強くなっている。
テーブルのヒビを指先でなぞった。
拳を握り直す。
怪力。
地E級の力が、確かにこの体に宿っている。




