#10 金級の男
6Fへの通路を降り切った先で、カイトは足を止めた。
溶岩の河が左右に流れ、その間に岩の道が伸びている。
熱気が肌を叩き、革鎧の表面から湯気が立つ。
暗視はここでは役に立たない。溶岩の光が強すぎて、闇がない。
「暗視が使えねぇ。眩しすぎる」
「ここからは別の戦い方が必要ね」
ソフィアが汗を拭い、剣を抜いた。
水属性の光が剣に纏わりつき、周囲の熱気を和らげる。
それでも暑い。革鎧の内側が蒸れて、肌に張りつく。
岩の道を慎重に進む。
溶岩の泡がぱちんと弾けるたびに、火の粉が舞う。
一つがカイトの頬をかすめ、小さな焼け跡を残した。
「くそ、熱い」
「スライムの粘性耐性は熱にも効くの?」
「微妙だな。マシにはなるが、溶岩には焼け石に水だ」
道の脇に砕けた骨が散らばっている。
人間の骨か、魔物の骨か。熱で白く焼けて判別がつかない。
ここまで辿り着いて、帰れなかった冒険者がいたということだ。
道が広くなり、天井の高い空洞に出た。
溶岩の河が二本に分かれ、中央に広い岩盤の台地がある。
その台地に、先客がいた。
* * *
五人のパーティが、台地の中央で休息を取っていた。
一人目。大盾を背負った戦士。鉄級の黒いプレート。
二人目。弓を携えた女の斥候。同じく鉄級。
三人目と四人目。杖を持った双子の魔導士。銀級の輝くプレート。
そして五人目——パーティの中心に座る男。
整った顔立ちに明るい茶髪。
革鎧には金の装飾が施され、腰の剣は宝石が嵌め込まれた一級品。
胸元で揺れるプレートは、金。
カイトの足が止まった。
見覚えがある。
銅級昇格の日に、ギルドのロビーで自分を嘲笑った男。
男もカイトに気づいた。
茶色い瞳がカイトの胸元を見る。銅のプレート。
それから核紋を探るように目を細め、鼻で笑った。
「ほう。核紋なしの銅級か。まさかここまで来るとはね」
声は穏やかだが、侮蔑が隅々まで滲んでいた。
貴族の笑い方だった。口元だけが弧を描き、目は笑っていない。
「あんたは」
「ヴェルナー・グリフォンハート。覚えておきたまえ。もっとも、覚えたところで君と私が言葉を交わす機会は二度とないだろうがね」
ヴェルナーは立ち上がった。
背が高い。
カイトより頭一つ分大きく、装備の質も体格も、全てが上位冒険者のそれだった。
剣の鞘にはグリフォンの紋章が彫り込まれている。
「核紋なしのゴミが銅級? 笑わせるな。中級エリアに来るなんて身の程知らずだ」
カイトの奥歯が軋んだ。
拳が白くなるまで握りしめられる。
だが言い返す前に、隣のソフィアが息を呑んだ。
「グリフォンハート……公爵家の」
ソフィアの声が震えていた。
普段の姉貴分の余裕が消えている。
声のトーンが一段下がり、肩が内側に縮まった。
「あら、知っているのかい。没落騎士の娘が」
ヴェルナーがソフィアを一瞥した。
値踏みするような視線が、ソフィアの装備を上から下まで舐めた。
「ヴァイスリッター。確か裏切り者の家だったかな。まだ冒険者をやっていたとは」
ソフィアの肩が強張る。
裏切り者。その言葉に、彼女の全身が反応していた。
拳を握る手が微かに震えている。
「私の家のことは関係ないでしょう」
「関係ないね。裏切り者の末裔と核紋なしのゴミが組んでいる。お似合いだよ」
カイトが一歩前に出た。
ソフィアが腕を掴んで止める。
「やめなさい。相手は金級よ」
「知るかよ。言いたいことがある」
「カイト」
「身分を理解しろだと?」
カイトの声は低かった。
怒鳴ってはいない。だが洞窟に反響する声には、剥き出しの敵意が乗っていた。
「俺はスラムの孤児だ。核紋も空だ。身分なんか最初からねぇよ。だからどうした」
ヴェルナーが薄く笑った。
「だからどうした、か。面白いことを言うね。では教えてあげよう」
ヴェルナーが右手を掲げた。
掌に赤い炎が灯る。炎属性。
B級の魔力が熱気となって放射され、周囲の空気が歪んだ。
溶岩の熱とは別の、制御された力の熱。
カイトの肌が粟立った。
「これが身分というものだよ。持って生まれた力。君のような空っぽの器には、永遠に手が届かないものだ」
炎が消える。
ヴェルナーは仲間に目配せし、カイトたちに背を向けた。
「行くぞ。時間の無駄だ」
五人のパーティが6Fの奥へ歩き去る。
金の装飾が溶岩の光を反射し、やがて見えなくなった。
* * *
しばらく、二人とも動かなかった。
溶岩の泡が弾ける音だけが、空洞に反響する。
カイトの拳が震えている。
爪が掌に食い込み、血が滲んでいた。
「あいつ……絶対に追い抜いてやる」
低い声で吐き出した言葉に、ソフィアは何も言わなかった。
ただ、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「カイト」
「何だ」
「あの人、金級だけど、実力が伴ってない気がする」
カイトが顔を上げた。
「どういう意味だ」
「装備は最高級品よ。あの剣、あの鎧、全部合わせたら金貨数百枚はする。でも」
ソフィアは言葉を選ぶように目を伏せた。
「剣の柄の握り方が浅かった。あれは実戦で剣を振るい慣れてない人間の握り方よ。没落しても騎士の家で育った私には、わかる」
「つまり」
「装備と身分で金級になった人間。実力で勝ち取ったランクじゃない」
カイトは拳を見下ろした。
血が滲んだ掌。安い短剣。ボロボロの革鎧。
ヴェルナーとは何もかもが違う。
金貨数百枚の装備と、スラムの孤児の素手。
公爵家の三男と、名前すらなかった子供。
だが。
「いつか、あいつの上に立つ。装備じゃなく、身分じゃなく——実力で」
「ええ。私も見届けるわ」
ソフィアが微かに笑った。
その笑みには、嘲りも同情もない。
ただ「信じている」という静かな確信があった。
「あんたなら、できるわよ」
カイトはソフィアを見た。
プラチナブロンドの髪が溶岩の光に照らされて、金色に輝いている。
没落騎士の娘。裏切り者と呼ばれた家の娘。
彼女もまた、身分に縛られている。
「ソフィア」
「何?」
「あんたの家のこと。裏切り者なんかじゃないだろ」
ソフィアが目を見開いた。
それから、少しだけ唇を噛んだ。
「……ありがとう。でも、私にもまだわからないの」
「わからなくても、俺は知ってる。裏切り者の娘が、核紋なしの俺を守ってくれてる。それで充分だ」
ソフィアが何か言いかけて、口を閉じた。
視線を逸らし、溶岩の河を見つめた。
頬が赤いのは、熱気のせいだけではないように見えた。
* * *
6Fの岩盤台地で、カイトは溶岩の河を眺めていた。
赤い光が全身を照らす。
熱気が肌を焼き、汗が止まらない。
ここは初級エリアではない。
ゴブリンの巣窟でもない。
中級エリア——炎蛇、オーク、リザードマン。
もっと強い魔物が、もっと強い核紋を持っている場所。
カイトの核紋が脈動した。
闇の属性が、まだ見ぬ獲物の気配に反応する。
わからない。
だが体の奥底で、器が震えている。
もっと喰え。もっと詰め込め。
空は、まだ空のままだ。
カイトは立ち上がった。
「行くぞ、ソフィア。偵察の続きだ」
「もう少し休みなさいよ」
「休んでる暇はねぇ。あいつに追いつくために——まだ足りねぇんだ」
溶岩の河が赤く脈動する。
その光の中を、二つの影が歩き出した。
カイトの灰色の瞳が、赤い光の奥にまだ見ぬ獲物の気配を捉えていた。




