第9話:現実という名の壁、理想という名の鍵
屋上で夜風に吹かれていたのは、黒いコートを着た青年、レンだった。彼はかつて、理想を追って挫折した元システムエンジニアであり、今は現実の厳しさを誰よりも知る「観測者」だった。
「光の回廊で攻撃をいなす……。アイデアは悪くない。だが、そんなもので現実の『お金』や『法律』、そして『偏見』という壁が壊せると思っているのか?」
レンの言葉は鋭く、少女の胸に突き刺さる。
少女は、自分がまだ茨城の小さな部屋で、物語を紡ぐことしかできていない現実を思い出した。東京への距離、準備のための内職、周囲の理解……。現実は、メタバースのように指先一つで色を変えられるほど甘くはない。
「……分かってる。今はまだ、私には何もない。この場所だって、私の頭の中にある『物語』でしかないのかもしれない」
少女は一歩、レンの方へ歩み寄った。
「でも、物語がなきゃ、設計図は書けない。設計図がなきゃ、ビルは建たない。私は今、一番大事な『一番最初のレンガ』を積んでいる最中なの」
少女の瞳には、迷いながらも消えない強い光があった。
レンは鼻で笑ったが、その目はどこか懐かしむように少女を見ていた。
「面白い。なら、そのレンガが本物かどうか、俺が試してやろう。……現実の壁を壊すには、ただの優しさじゃない、『技術』と『戦略』が必要だ」
少女は気づく。レンのような「現実を知る者」の厳しさこそが、自分の夢をただの妄想で終わらせないための、最後の一色になるのだと。
レンは一枚の古い、けれど緻密に書かれた「未完成の設計図」を少女に差し出した。
「これは、俺がかつて諦めた『理想のシェルター』のデータだ。君の物語と組み合わせれば、このビルはもっと強固なものになる」
少女がそのデータに触れた瞬間、HUGスペースの空気が一変した。
これまでのパステルカラーの光に、銀色の「構造体」が編み込まれていく。
「さゆまる、準備はいいか? 明日は、このビルの『核心部』……つまり、君自身の過去と未来が交差するフロアを解放する」
カイトの言葉に、少女は深く頷いた。
理想を現実に変えるための、本当の戦いがここから始まる。




