003
「今回のオペレーション、どうだったかな?」
スペースシップの消失した真空の宇宙空間を映し出すメインモニターを凝視しながら、ノリコが呟いた。
「良かったとおもいます〜」
「全然、問題ないわ。これなら数日後に予定されている、火星基地から視察にやってくる宇宙軍幹部たちの受け入れ体制も万全ね」
リツコとキョウコが、揃ってノリコの背中に向かって答えた。
庁舎内緊急警報の発令と、特殊スペースシップの緊急発進オペレーションが完全に同時並行で発生したときには流石にどうなることかと思ったが、終わってみればすべては冷徹な数式通りに処理されたようだ。
「よかったあ。火星基地の人たちの訪問、本当に急に決まるんだもの。いい予行練習になったかもしれないわね」
「でもぉ、そもそも何でギルダスさんとガルドさんは指名手配されたんでしょうねぇ?」
「さあ。あの二人のことだから誰も気にしてなかったわ。またどこかの区画を破壊したんじゃない?」
命からがらこの軌道支部から逃げ出した二人の捜査官の末路に一瞬だけ思いを馳せながら、彼女たちは他愛もない言葉を交わし続けた。もっとも、張り詰めた管制業務の合間に挟まれる彼女たちの会話の指向性はいつも目まぐるしく遷移するため、ギルダスとガルドの存在など、またたく間に忘却の彼方へとパージされていったのだが。
「チッ、逃したか」
同じく、空間転移が残した青白い雷光の名残を映す端末のモニターを睨みつけながら、ハリス室長は忌々しげに吐き捨てた。あの野良犬どもの逃げ足の速さだけは、光速に迫る勢いだ。今日という今日は徹底的に社会のルールを叩き込んでやろうと思ったのに。ハリスの狭い脳内インフラには、二人を高圧電磁線で拘束した後に執り行うべき、陰惨な説教のタイムラインがいくつもシミュレートされていた。
「捕まえてどうするんだって話だけどな」
「まあ、我が対策室には他にも有能な捜査官はたくさんいるしね」
その一部始終を極めて客観的に眺めながら、ゴードンとグリフはホログラムディスプレイ上に投影された三次元チェスを打っていた。戦況はまだ第一フェーズが始まったばかりだというのに、早くもゴードンの布陣が微かに優勢であるかのような空気を醸し出している。
「なに、また駒の限定衣装なんて購入したの?」
グリフが、ため息混じりの呆れた声を出す。
よく見れば、ゴードンが操る光の駒たちは、グリフの無機質で機能的な幾何学形状のそれとは異なり、無駄に豪奢な衣装で着飾られていた。
「当然さ。今度のやつは地球の『エド・ジダイ』をテーマにした、サムライの限定スキンなんだぜ」
「君、絶対に知らないでしょ。地球の江戸時代も、侍の定義も」
背後で展開される所属捜査官たちの不毛な会話をBGM代わりに聞き流しながら、ハリスは次にあの馬鹿どもが帰還した際、いかにして法的に追い詰めてやろうかと邪悪な作戦を練っていた。その時、不意に彼のパーソナルコンソールがけたたましい呼出音を鳴らした。
「こちら特異事象対策室、ハリス」
『ハリス君! 一体今の騒ぎは何事だね!』
暗号化された通信回線の先から鼓膜を震わせたのは、連邦警察本部の上層部に座る高官の声だった。フム、庁舎内緊急警報が作動してからこれほどの短時間で本部の重い腰が動くとは、悪くない反応速度だ、とハリスは相手の恐慌をきたした声を冷徹に分析しながら思った。
「ああ、ご安心を。特異事象に対する出動要請を受理いたしましたので、我が室の捜査官の実戦を想定した緊急発進シークエンスの訓練。それと、抜き打ちでの庁舎警備ドローンおよび隔壁閉鎖システムの稼働チェック、さらには発進管制室の緊急オペレーション能力の測定を同時に執り行っていた次第です」
『そうなのかね? てっきり、何者かによって火星基地もムーンベースもいつの間にか突破され、連邦の惑星軌道支部が直接攻撃を受けているのかと思ったよ! 次は地球の本部が狙われるのではないかと、宇宙軍を総動員すべきか大騒ぎになっていたのだからね!』
「こうした防犯措置は、有事の際を想定し、完全に抜き打ちで実行せねば何の意味も成しませんので」
通信の向こうで盛大な安堵の息を漏らす上官を、老練な手つきでなだめるように言葉をかけると、ハリスは無造作に通信を切断した。
我ながら、自らの失態を組織の功績へと変換する言い訳の技術も、なかなか板についてきたではないか。これもすべて、あの二人の制御不能な大馬鹿どもが日常的にトラブルを提供してくれるおかげだ。そこに関しては、あの獣どもに微かな感謝の念を抱かねばなるまい。
あと数分もすれば、この大騒ぎに激怒した惑星軌道支部の他部署の責任者たちが直談判に怒鳴り込んでくるだろうが、今の手札を使えば言い含められるはずだ。たぶん。ついでに言えば、先ほど出動したドローンのうち二機ほど、駆動ジャイロの同調に不具合がある個体を発見した。その事実を逆手にとって、装備管理部に嫌みの一つでも叩きつけてやるのも悪くない。
ハリスは自らの危機管理能力に、胸の内で満足げに冷酷な笑みを浮かべていた。
◇
「人が席についてないのにシフトするやつがあるか……」
ギルダスは床にぼろ雑巾のように体を投げ出しながら、恨めしそうに言った。
船体が発進するギリギリのタイミングでハッチに滑り込めたのは良かった。だが、この船の非情なAIは、操縦席にギルダスがたどり着くのを待つことなく、空間転移のプロセスを冷酷に実行に移した。
時空が不自然に折り曲げられたような不快な重力感覚が網膜を白く染め、その直後に凄まじい衝撃が肉体を襲う。気付けば、身体のあちこちを硬質な床板に強打した状態で投げ出されていた。おそらく、軌道都市の廃棄物処理場へ運ばれるゴミ袋のほうが、これよりも幾分かは丁重に扱ってもらえるはずだ。
「お、時間通り。やっぱ本気出すと間に合うもんだな」
コクピットの隔壁からこちらへ顔を覗かせ、嬉しそうな声を出すガルドの姿が見えた。俺はなにも嬉しくない。今この瞬間に身体の自由が利くならば、今度こそこのエーテルガンであいつの眉間を確実に撃ちぬいてやるのに。ギルダスは床にへばりついたまま、硬い床の感触を呪った。
「もう仕事にならん。お前ひとりで行け」
「大丈夫だって。強化アンダースーツをつけるんだろ? 筋力サポートが受けられるんだから、その程度の打撲は問題なしだ」
「その辺の健康グッズみたいに気楽に言うな」
ガルドはこちらへ歩み寄ってくると、床に寝そべったままのギルダスの両脇を容赦なく抱え、ヒョイと垂直に立たせた。相変わらず、知性を感じさせないほどの馬鹿力だ。
「悪かったって。けどよ、俺がこうしてタイトな目標設定を課してやってるおかげで、身体が常に極限まで鍛えられて、お前のアンダースーツとの親和性も高く維持できてるんだぜ。たぶんな。なんつったっけ、インテリジェンス・スキンだっけか」
「インテグレート・スキンだ! このイカレドッグ! お前の無軌道な脚力に生身で毎回付き合わされたら、そんな装備すら身につけられんほど骨の髄までボロボロになるわ!」
「おー、いいね。調子戻って来た顔してる」
ガルドは満足気にギルダスの背中をバンバンと乱暴に叩くと、そのまま自らの戦闘服に着替えるために、隣のコンパートメントの闇へと消えていった。
やっぱりギルは面白い地球人だ。からかい甲斐があるし、退屈しなくていい。さっき本当にエーテルガンを至近距離でぶっ放された時はさすがに驚いたが、あれもなかなか良いスリルだった。ガルドは顔に邪悪な思い出し笑いを浮かべながら、鼻歌交じりで作戦行動に出るための用意を進める。
『平気ですか、ギルダス』
スピーカーから、アダムの冷徹な電子音声が降りてきた。
「まあな……。あまりガルドの言うことを聞いてやるのもほどほどにしろよ」
『そうします。ただ、彼は物理的に強引な個体ですので』
「はあ……それもそうか。またあいつから、なにか差し入れを貰ったのか?」
『貰いました。今回は、旧時代の映像データカードだそうです』
「あの野郎……。俺のクレジットで勝手にデータカードなんぞ発注しやがって」
ギルダスはこめかみがぴくぴくと痙攣するのを、明確な自覚を伴って感じ取った。
レガシーチャンネルの受信料だけで、今月の請求があれほど物理的な狂気を感じる額に跳ね上がるはずがなかったのだ。まだ何か別の隠蔽工作をやりやがったなと疑ってはいたが、完全に正解だった。
『返品しますか?』
「いや、いい。お前の退屈しのぎになるんだろう? それと、これから先、俺やあいつに答えづらい質問をされたら、無理に答えなくてもいいんだぞ」
『私はAIとして、常にフェアなコミュニケーションを心がけていますので』
「だったら、俺が座席に固定されるまでシフトのトリガーを引くなよな……。まあいい、俺も着替えたい。スキンを展開してくれ」
ギルダスがそう告げると、壁面の一角が滑らかにスライドし、無機質なマニピュレーターに支えられた強化アンダースーツが姿を現した。
インテグレート・スキン。銀河連邦警察の正式規格名は『I.S-Type4』。第一線で命を削る捜査官たちの間では、単に「スキン」と省略されて呼ばれている。これはその最新鋭たる第四世代型だ。もっとも、そのハンガーに吊るされた外見は――ただの黒い、不気味な健康グッズそのものなのだが。
更衣室へ足を踏み入れたギルダスが制服を脱ぎ捨て、大きく割れたスキンの背中側から足を滑り込ませていく。
その瞬間、スキンのナノ結晶素材がギルダスの生体筋繊維の微弱な電気信号に反応し、まるで飢えた原生生物のように自動で全身を這い上がり、その輪郭を覆い尽くしていく。正直に言って、この装着の瞬間は未知の宇宙生物に生きたまま捕食されているような感覚に近く、何度経験してもあまり気持ちの良いものではなかった。
使用者の筋繊維と同化するレベルで超密着する、極薄型の分子強化アンダースーツ――だからこそインテグレート・スキン、というわけだ。
顎のすぐ下、頸椎の極限にまで隙間なくスキンに包まれると、ギルダスは両腕を何度か回して、その分子同化の定着度合いを確かめた。
肉体が動くたびに、超薄型繊維の隙間から、微かにエーテルの赤い光の粒子が、血流のように滑らかに流れては消える。この装備もまた、エーテルエネルギーを触媒駆動させているというわけだ。
とはいえ、光が美しければ美しいほど、それは使用者の肉体へ対する破壊的な負荷の裏返しでもあるのだが。
「いつも通り、装備の状態は悪くないな」
軽く全身の筋肉を伸縮させつつ、ついでに更衣室の鏡でギルダスは自分の容貌を確認した。
客観的に見てもそう悪くない造作だと思うのだが、なぜかモテない。真っ黒で、短くボサボサにツンツンと逆立ったこの頭髪が野生的に過ぎるのだろうか。それともやはり、特異事象対策室という日陰の、かつ生命保険の加入すら拒否される職業のせいか。ギルダスには永遠の謎だった。
「お、あれが目標の惑星か?」
前方メインコクピットの方向からガルドの声が響いた。どうやら彼も、あの黒毛皮の上から特殊戦闘服の装着を完了させたらしい。
「そうです。惑星サクリファ。数時間前に局所的な高エネルギー反応を連邦の警戒網が捕捉しました。また、周辺宙域には銀河連邦からA級指名手配を受けている密輸ブローカーの目撃情報があり、今回のアーティファクト変性事案との因果関係も考慮に入れる必要があります」
「密輸ブローカーか、厄介だな。アーティファクトの性質が何かも理解せず、ただの高価な骨董品として持ち出されたら、それだけで星系が一つ物理的に消失しかねん」
「すでに何回か高エネルギーのパルスがその惑星から放射されてるんだろ? もう現地の誰かがトリガーを引いてっちまってるんじゃねえか?」
ガルドの不吉な指摘に、ギルダスは喉の奥で苦渋に満ちたうなり声を漏らした。悔しいが、こういう局面における奴の野生動物並みの第六感は、大抵の場合において正鵠を射ている。
『密輸ブローカーのプロファイルをフロントモニターに投影します』
「ドクトル・ザイン。出身惑星および所属種族は不詳。合成遺伝子麻薬から星系保護指定動物の密売、果ては超高密度エネルギー資源の強奪まで、罪状は多岐にわたるな」
「なんでも節操なく食い散らかすハイエナ野郎か。反吐が出るぜ」
お前が言うな、とギルダスは胸の内で猛烈に毒づいた。しかし確かに、その「ハイエナ」の手元にアーティファクトが渡っていたとしたら、事態の深刻さは倍加する。
「……実際に重力圏へ突入して、足で稼ぐしかないな。アダム、着陸導入シークエンスを開始してくれ」
『了解。大気圏突入準備に入ります。それと、捜査官諸氏、サクリファの地上では二人とも耳の通信ピアスを絶対に紛失してはいけませんよ』
「わかっている。俺たちの手に対処不能な状況になれば、プライドを捨ててすぐに宇宙軍の巡洋艦部隊を呼び出すさ」
とはいえ、宇宙軍の艦砲射撃で解決するのは敵性生命体が集団で要塞に立てこもっているような軍事案件だけで、位相空間が狂いかけたアーティファクトそのものへの対処は、最終的に対策室の捜査官が泥にまみれて白兵戦で行わねばならないのが連邦警察の悲しい現実なのだが。独立した惑星への局所的な潜入に軍隊の大船団を乗り込ませるわけにもいかないとはいえ、少数精鋭という言葉は便利な責任転嫁だと常々思う。
『いえ。通信回線の維持もさることながら、そのピアスに内蔵されている大気振動式高速翻訳機能が、常に正常稼働していなければならないのです。出力は最大に設定してください。サクリファの現住生命体へ、あなた方の声帯振動がリアルタイムで言語脳へ最適化されるようにする必要があります』
アダムの警告に、ギルダスは無意識に右耳の超小型ピアスに指先を触れさせた。
これは連邦警察の基本装備であり、異星間コミュニケーションを円滑にする量子翻訳機でもある。指向性出力を最高レベルに引き上げれば、翻訳された自分の言葉を、デバイスを持たない原始的な知的生命体の鼓膜へ直接、現地の言語階層として届けることも可能だ。もっとも、互いに電子的な翻訳機を耳腔に埋め込んでいる近代的な惑星が相手であるのが一番望ましいのだが。
「何でそこまで気を使う? サクリファは連邦の監視下にある加盟惑星だろう? 自分たちの標準的な翻訳デバイスくらい都市のインフラとして普及しているはずだ」
『いいえ、違います。サクリファは銀河連邦未加入。文明保護観察レベル指定の惑星です』
「なんだって? ――あの大気の下の住人は、まだ宇宙進出すら遂げていないのか?」
ギルダスはフロントモニターに映し出されたサクリファの球体を睨みつけた。
惑星全体が、異様に分厚い大気と雲に覆われている。そのベールは、淡く不穏な紫色に発光しているように見えた。
『そのように連邦のデータベースへ登録されています。そのため、ギルダス。銀河連邦が規定した文明保護法のリミッターが自動作動し、あなたの装備しているインテグレート・スキンの分子構造強化能力は、通常の三十パーセント以下にまで機械的に制限されます。同時に、携帯しているエーテルガンの高エネルギー射出機能も完全にロックされます』
「ええっ、そんな! そりゃないって、アダム! 連邦のA級指名手配犯が潜伏しているかもしれんのだぞ? 相手は法を無視して近代兵器のレーザーや熱線をバンバン撃ち込んでくるかもしれないんだぞ!」
『相手は宇宙法を破る犯罪者ですが、あなたは銀河連邦の誇り高き警察官です。法は守らねばなりません。フェアなスポーツマン精神で任務を完遂してください。心配せずとも、状況が著しく生存の危機に瀕したと私が判断した場合、段階的にリミッターが解除される可能性があります。可能性ですが』
ギルダスは全身のインテグレート・スキンから、文字通りエネルギーが霧散していくような脱力感を覚えた。
通常の三十パーセント? それこそ、ただの「無駄に風通しの悪い健康タイツ」ではないか。文明発展の過渡期にある惑星に対して、近代テクノロジーという名の不必要な神の火を持ち込んで干渉してはならないという哲学は理解できる。だが、それならばもっと、生身の捜査官が犯罪者の放つプラズマ弾で蒸発しないような、物理的な安全対策を連邦の科学者どもに開発して欲しかった。
ギルダスの切実な願いは、冷酷なAIの処理速度と、どこまでも冷徹な宇宙の闇の中に、音もなく霧散していった。
「はあ、もったいねえ。最新鋭の装備がただの全身タイツになっちまうとは」
ガルドの揶揄に反抗する気力すら振り絞れないほど、ギルダスの身体からは力が抜けていた。今日一日の不条理な出来事による疲労が、怒涛の勢いで押し寄せてきたかのような感覚に襲われていた。
この時ばかりは、軽装のアンダーウェア一枚で事足りるガルドの物理的に頑強な皮膚が、無性に羨ましかった。
『あなたも他人事ではありませんよ、ガルド。その手にしているエーテルショットガンも同様に発射機能がロックされます。さらに、ギルダスのエーテルガンと違ってサイズが大きく視覚的に目立ちますから、携行すること自体が不可能です』
「へっ? ショットガンが撃てない?」
鼻歌交じりに愛用のエーテルショットガンを整備していたガルドは、アダムの無慈悲な宣告に急速に意気消沈し、銃身を胸に抱えたまま、漆黒の耳を力なく垂れ下げてしょげてしまった。まるで玩具を理不尽に取り上げられた子供のようだ。
「うははは! 俺のスキンもエーテルガンも使用禁止なんだ。エーテル兵装そのものが法的に禁止されていることくらい、少しは考えれば分かるだろう、このバカ犬め。いいか、お前に今必要なのはこれだ」
ギルダスはむくむくと暗い気力を取り戻したかのようにガルドを指差すと、コンパートメントの傍らからジャラジャラと不穏な金属音を響かせて、無駄に太い頑丈な鎖を取り出した。
「な、なんだよそれ」
「相手は文明保護指定の惑星なんだぞ。俺はとりあえず現地民に変装して潜入できるとしても、向こうの生態系に獣人が存在するかは不明だ。お前は文字通り、俺の飼い犬として鎖に繋がれてついてくるんだよ」
「おい、冗談じゃねえ! お前、いつの間にそんな不愉快な鎖なんて買い込んでやがったんだっ。獣人の惑星の可能性だってあるだろ!」
「往生際が悪いぞ、この食欲ブラックホールドッグめ!」
ギルダスがガルドに向かって容赦なく飛びかかった。首輪をかけようとするギルダスと、その屈辱から逃れようと暴れるガルド。ギルダスは執拗にその巨体に絡みつき、スペースシップの床で二人は激しく揉み合った。
『二人とも、神聖な機内で何をしているのですか、嘆かわしい! ああ、なぜ最新鋭の超知性であるAIの私が、このような野蛮人の保育をしなければならないのだろう。……おや?』
アダムが己の不幸な境遇を電子的に嘆いていたその時、連邦のメインデータベースの片隅に、奇妙な矛盾をはらんだデータファイルを発見した。
アダムはその全内容を数マイクロ秒で読み取ったが、不可解な点が残るばかりだった。
『二人とも、暴挙を止めて聞いてください。あの惑星サクリファには、過去に何度か連邦の外交官クラスの人間が公に来訪しています』
「なんだって?」
床で揉み合っていた二人は、ほぼ同時に動きを止めて声を上げた。
ガルドの太い首には、あと数センチで鎖がかけられようというところだった。どうしても地球人のギルダスと生身で揉み合うと、ガルドは自らの怪物じみた怪力で相手の骨を砕いてしまわないよう無意識に手加減せざるを得ず、本気で撥ね退けることが難しいのだ。
『メインモニターにその公式記録を投影します』
映し出されたサクリファの歴史的記録を、二人は食い入るように凝視した。
「本当だ……。ステルス偵察艦で密かに未開部族を観察したとかいう性質のものじゃない。定期的に、その時代の指導者クラスと堂々と会談を行っているな。文明保護観察レベルに指定されている惑星のはずなのに、何のためにだ?」
『可能性としては、その惑星が連邦の規定する「選択的文明維持」を選択している特殊なケースが考えられます』
「選択的? つまり、科学技術の発展をあえて一定の段階で自己凍結させている、ということか?」
ギルダスは改めて、フロントモニターに映る惑星サクリファの姿を見つめた。
厚い不気味な雲に覆われたその球体は、さながら不可侵の神秘的なベールに包まれているかのように感じられた。
「ほーん。つまり、壮大なスケールで引きこもりを決めてる惑星ってことか」
ガルドが太い腕を組みながら、極めて率直すぎる感想を漏らした。
「ううん……。過去にそこまでの制限を課すような、致命的な何かが起きたのか? まあ、行ってみるしかないな。アダム、念のため光学・電磁ステルスモードを最大にして惑星に降下するぞ。それと、現地の文明レベルを予測して、原住民たちに馴染む衣服をマテリアル・プリンターで出力しておいてくれ。連邦が何度も接触しているとはいえ、その正確な理由が不明である以上、偽装は完璧にしておきたい」
『了解。これより隠蔽降下および現地仕様の衣服の調達に入ります』
「現住生命体の基本構造データもあるな。ヒューマノイド型……。要するに、地球人と大差ない外見ってことか。連邦の人間が過去に何度も接触しているのなら、ガルドが歩いていても、多少奇妙な異星人枠として処理されるかもしれないな。なるべく人混みは避けるように動くしな」
せっかく、この憎たらしい駄犬の首に物理的な飼い犬の鎖を繋ぐ絶好のチャンスだったというのに。惜しいことをした、とギルダスは心から残念がった。
その隣で、ガルドは首の皮一枚で尊厳を守り抜いた安堵の吐息を、深く漏らしていた。




