002
通路を走りながら、ギルダスは右の耳たぶに装着した超小型通信ピアスに指先をあてた。
「オペレーター、聞こえるか?」
『はい、よく聞こえています。ギルダス捜査官』
通信回線の向こうから返ってきたのは、ノリコの声だった。いつも快活でありながら、奇妙なほどに落ち着いた響きを持つ声だ。彼女が管制を担当していると、それだけで任務の半分は成功したような錯覚に陥る。実戦前の通路を全力疾走しているというのに、ギルダスの脳髄はそんな腑抜けた思考を滑り込ませていた。
「連邦から緊急の出動要請だ。準備を進めてくれ。こちらの出発ロビーは、いつもの第三宇宙港でいいな?」
『問題ありません。すべてのシステムをスタンバイに移行します』
「おい、待て。この耳障りな音はなんだ?」
ガルドの不機嫌そうな声が重なった。
けたたましい警報音が通路の天井から降り注ぎ、彼の漆黒の耳がせわしなく、かつ鬱陶しそうにピクピクと動いている。耳が良すぎるのも考えものだ。これほど過剰に音響を拾い上げていては脳がイカれてしまう。隣を走る地球人のように、環境音に対して都合のいい鈍感さを持てればいいものを、とガルドは周囲を油断なく見回しながら毒づいた。
『緊急警報が発令されました』
先ほどとは打って変わり、通信に冷徹な割り込みをかけてきたのはキョウコの声だった。相変わらず凍てつくような氷点下の響きだ。それにしても、声の周波数だけで発信者の個体を瞬時に識別できる自分は、もしかすると少々気持ちの悪い領域に達しているのではないか、とギルダスは自問した。
「緊急警報だって?」
『はい。これより、連邦警察署内部における敵性存在の捕縛のため、自動警備ドローン部隊が出動します』
「敵性存在だと? おい、ここは銀河連邦の心臓部だぞ。防衛ラインの火星基地やムーンベースのシステムはどうした。あいつらは居眠りでもしているのか?」
『警報の発信者は特異事象対策室、ハリス室長。指定された排除対象たる敵性存在は、ギルダス捜査官とガルド捜査官――お二人です』
通信機から吐き出された突拍子もない宣告に、並んで疾走していたギルダスとガルドは、走りながらお互いの顔を見合わせた。背後の通路の奥から、無数の金属ローターが空気を切り裂く、やかましい駆動音が急速に近づいてくる。
「俺たちが目標って、一体どういう理屈だ!」
ガルドが不満を露わにして吠えた。
『さあ。私には分かりかねます』
キョウコの声は涼しげに、冷淡にそれを聞き流した。いや、物理的な顔が見えない以上、ただの「涼しい声」という電気信号に過ぎないのだが。
そんな瑣末な思考に逃避している間にも、前方にある機密隔壁が、油圧の重低音を響かせて閉鎖を開始した。どうやら室長は本気で俺たちをスクラップにするつもりらしい。ギルダスは隔壁のわずかな隙間に滑り込み、辛うじてそれをくぐり抜けた。
『ドローンの電磁拘束弾を喰らうと、神経系を過負荷にされて最低でも一週間は昏倒することになりますから、くれぐれも気をつけてくださいね』
「そんな非人道的な兵器を署員に対して使用するな! そちらのコンソールから遠隔で緊急解除はできないのか!」
『無理ですぅ。管理者権限によってシステムが直接ロックされていますので、こちらの端末からは一切アクセスできません』
ちくしょう、と毒づきながら、ギルダスはさらに次の閉鎖間際の隔壁をスライディングで突破する。
それはそうと、今のはリツコだな。あのおっとりとした、まるで緊張感の欠片もない喋り方は、一度聴けば忘れる方が難しい。……うん、やはり声の質感だけで個人のプロファイルを瞬時に完了させてしまう自分は、客観的に見て少々気持ち悪いかもしれない。
「ええい、このまま第三宇宙港まで強行突破する! オペレーター、そのまま発進シークエンスを維持してくれ!」
『了解。銀河連邦地球惑星軌道、第三宇宙港。発進準備に入ります』
ノリコの承諾を示す声が耳の奥で弾けた。
それにしても、彼女たちは恐ろしいほどに平然としている。連邦警察のオペレーターという職種は、誰もがこうした鋼の精神を備えているのだろうか。あるいは、対策室が日常的に引き起こす凄惨な内紛に、単に麻痺しているだけなのか。ギルダスには判断がつかなかった。
ふと隣を走る獣人を見やると、ガルドは鋭い牙を剥き出しにし、まるでこの極限の状況を楽しんでいるかのように、獰猛な笑みを浮かべていた。
こいつにとっては、迫り来る警備ドローンも、閉鎖される隔壁も、すべては退屈な日常を彩るための、ただの安価なアミューズメントに過ぎないのだ。おそらく、間違いない。
「アダム! アダム、聞こえるか?」
『うるさいですね。何の用ですか』
通信回路から、不機嫌を極めて精巧にシミュレートした、冷徹な機械音声が返ってきた。
ギルダスが呼びかけた相手は、彼らが乗り込む強襲型スペースシップの独立思考型AI――アダムだ。
「緊急出動だ。今すぐそっちへ駆け込むから準備しておけ。タラップを駆け上がると同時に発進だ!」
『なんですって? 前回の任務が終了してから、まだ七十二時間も経過していないのですよ。スラスターを含めた駆動系、および生命維持システムの整備が万全に完了しているとは、お世辞にも言えませんね』
「大丈夫だ、座標はそう遠くはない。空間転移を一度実行するだけで済む距離だ」
ギルダスは通路の天井から突き出たドローンの砲口が放った電磁拘束弾を、上体をあえて不格好に捻ることで回避しながら叫んだ。
並走するガルドもまた、通路の側面から這い出てきたセントリードローンの執拗な掃射を、獣特有の驚異的な反射神経で躱しつつ、降下を始めた最終隔壁の隙間へと滑り込んでいく。
『ギルダス。空間転移を、何でも思い通りに叶えてくれる前時代の魔法の道具か何かと誤解してもらっては困ります。あれがどれほどの膨大なエネルギーを消費し、機体の構造材へ深刻な剪断応力を加えるか、あなたのその単純な脳細胞でも理解できるように説明する必要がありますか?』
「エーテルエネルギーを触媒に使っているんだ、実質タダみたいなものだろうが。不満があるなら、ハイパースペースの跳躍に切り替えたっていいんだぜ」
『ハイパースペースですって? あのようなエネルギーの狂暴な乱気流が至るところで渦巻く混沌とした領域へ、進んで愛機を突っ込ませるなど、私の方からお断りです。正気の沙汰ではありません』
ガルドが走りながらアダムのスピーカーに向けて吠え、その直後に飛来した電磁拘束弾を紙一重で回避した。彼は走りざま、おもむろにその立派な尻尾をドローンに向けて激しく振り、これ以上ないほど侮蔑的な挑発を敢行した。
「どっちの航法でもいい、判断はお前に一任する! 任務の概要と目的地の座標データを送るぞ」
ギルダスは制服の懐から、掌サイズの薄型プレートデバイスを引っ張り出し、走りながら荒い指つきでアダムの受信ポートへとデータを転送した。
それにしても、このデバイスはいつ使っても涙が出るほど操作性が悪い。その昔、地球起源のテクノロジー全盛期には、言語翻訳からデータ通信まであらゆる機能が単一の端末に集約されていたらしい。だが、それを紛失する馬鹿な署員が後を絶たなかったため、連邦の上層部はあえてすべての機能を物理的なデバイスごとに細分化するという、極めて前時代的な愚策に打って出たのだ。
先人の知的退化を呪わずにはいられない、とギルダスはデバイスをポケットに叩き込みながら思った。
もっとも、彼自身も先週その多機能デバイスを紛失し、ハリス室長から鼓膜が破れるほどの説教を食らったばかりなのだが。
『はあ……。私は最新鋭の、それも極めて高価な独立思考型AIなのですよ。なぜ私のような超知性が、あなたたちのような粗野な先住人類のお供をしなければならないのか、理解に苦しみます』
二人の耳にアダムの陰鬱なボヤキが響いたが、彼らはそれを完璧に無視した。いつものことだ。言葉を交わすだけエネルギーの無駄である。
『銀河連邦より正式な出動要請を確認。銀河連邦警察所属艦アダムより、発進管制室へ』
『こちら管制室。おはようございます、アダムさん』
『おはようございます、ノリコ。転移の座標コードを送信しました。パラメータの照合をお願いします』
『了解。転移座標コードを確認。ターゲットは、へびつかい座バーナード星系第三惑星、サクリファ。周辺宙域の転移用基準ビーコンは正常値で稼働中。フォールド航法による空間折り畳み式空間転移、問題なく利用可能です。いってらっしゃい、アダムさん』
ああ、なんて理知的で、調律された楽器のように美しい会話なのだろう、とアダムは深く感銘を受けていた。
今まさに己のハッチへと土足で踏み込もうとしている、あの知性のかけらもない二足歩行の獣どもとは、存在の次元がまるで違う。彼女たちのような洗練されたオペレーターが、私の専属パイロットであったなら、どれほど幸福な旅ができただろう。あるいは、特異事象対策室の人間であれば、せめてあの有翼人のグリフであっても良かった。彼ら以外の、まともな知性であれば――。
発進シーケンスのハイドロリック・ポンプが心地よい低音を響かせる船体の中で、アダムは一人、甘美な現実逃避の夢想に耽っていた。
はたして、AIを数える単位に「一人」という言葉が適用できるのであれば、の話だが。
◇
「ん? なんだ、エレベーターが使えねえぞ!」
ガルドが吠えながら、乱暴にエレベーターの呼出ボタンを何度も執拗に叩きつけた。そんな出力をかければコントロールパネルが物理的に粉砕すると思うのだが、彼の頭には他人の器物を労わるという概念自体が存在しないようだった。
『緊急警報が作動しているため、すべての昇降機は法的にロックされています』
「んじゃ解除してくれ」
『警報シーケンスが終了するまで不可能です。この場合、ハリス室長が諦めて警報を解除するか、お二人がドローンに無害化されるか、それとも逃げ切るか、の三択ですね』
キョウコの極低温の冷静な声が、通信回線を通じて耳の奥へ滑り込んできた。
もしかしてこのテラン(地球人)の女には感情という名のプログラムが初期設定から欠落しているのではないか、とガルドは耳の先端をぴくつかせながら考えた。
「他に宇宙港へ降下する方法はないのか!」
ギルダスが通路の喧騒に負けない声を張り上げた。
『階段を使用するか、もしくは中央シャフトの滑り棒で一息に自由落下するか、ですね』
「か、階段? 滑り棒だと?」
ギルダスは目眩を覚えた。
ここから下の宇宙港まで垂直距離にしてどれほどあると思っているんだ。階段で降りるなど、それだけで任務前に肉体のエネルギーを浪費してしまう。滑り棒も論外だ。一軸の棒にしがみついて降下している最中にドローンに背後から狙撃されたら、空間的な回避の余地などゼロに等しい。
逡巡しているコンマ数秒の間にも、自動警備ドローンが四方八方の通路の角から湧き出し、二人を戦術的に包囲しようと距離を詰めてくる。
クソッ、と小さく悪態をつきながら、ギルダスはエーテルガンのグリップを引き抜いて即応体制を取った。ガルドもまた、跳躍してドローンの外殻を肉体言語で殴り壊すための前傾姿勢を作る。
しかし、待てよ? 不意にギルダスの脳裏に、極めて現実的で冷徹な疑念が浮かび上がった。
「なあ、もしこのドローンどもを物理的に破壊した場合、その損害賠償の請求書はどこへ回るんだ?」
『もちろん、特異事象対策室の経費から差し引かれます』
無慈悲な声だった。ノリコの声はいつも快活で明るい。明るいだけに、底知れない非情さが際立っていた。
『あ、でも、もし買い替え処分になったら、全機が最新型の次世代ドローンにアップデートされると思いますぅ』
『あ、それって先月の兵器展示会で発表されたやつですね。あれの機動性、凄かったですよね』
『そうね。これを機に、いくつか最新のものに変更してくれるのも悪くないかもしれないわ』
途端にオペレーターたちの、楽しげなガールズトークの電波が耳の奥で混線し始める。そっちが新型メカの導入に胸を躍らせていようと、こっちは一文無しになるかどうかの瀬戸際なのだ、とギルダスは冷や汗を流しながら思った。これ以上の物損を出せば、本当に次月の給与がマイナス表記になってしまう。最低賃金以下は死活問題だ。
ギルダスの精神的な葛藤を余所に、ガルドは視線を周囲の壁面へと走らせていたが、不意に何かを思い出したように、ニヤリと黒い唇を歪めて鋭い牙を覗かせた。彼は耳元の通信ピアスを肉球のある指先で軽く叩き、特定の回線を開く。
「おい、軍事用緊急通路を開けてくれ。隠してないでそこにあるんだろ?」
『は〜い、承認。どうぞ』
へへへと喉の奥で下品な笑い声を漏らしながら、音もなくスライドしたエレベーター脇の隠蔽障壁の向こうへ、ガルドは滑り込んでいった。自分の野生的な記憶力の良さに、いたく満足している男の顔だった。
迫り来るドローン群をエーテルガンで精密射撃して撃ち落とすべきか悩んでいたギルダスは、不意に隣の相棒が静かすぎることに気がついた。おかしい。いつもならもう今頃、物理法則を無視した大暴れを開始しているはずだ。
不審に思って振り返ると、そこにはエレベーター脇の闇へ半身を滑り込ませつつあるガルドの後ろ姿があった。
ガルドはこちらを見つめるギルダスの視線に気づくと、「お先に〜」と太い手をひらひらと小馬鹿にするように振って、その姿を闇の向こうへ消し去った。
あの野郎、また俺に何の作戦変更も伝達せず、単独で勝手に行動しやがったな。ギルダスの腹の底で、ドロドロとした怒りのマグマが音を立てて沸騰し始める。ガルドのあの無駄に柔らかそうな肉球の質感すら、今は無性に憎たらしかった。
「軍事用の緊急バイパスがあるなら、なぜ最初から開けておいてくれなかったんだ!」
ギルダスもまた、迫る電磁弾の手前でその隠し通路へと身体を飛び込ませながら、通信の向こうのオペレーターたちへ叫んだ。
緊急通路の内部は、滑らかな超低摩擦素材でコーティングされた巨大なチューブ――さながら超高速の滑り台だった。これなら宇宙港のドックまで一息に重力落下できる。大抵の緊急事態は滑り棒の垂直降下で事足りるため、久しく使われておらず、存在をすっかり忘れていた。
『軍事用規格の特設通路ですので、現場の捜査官からの明確なコード要請がなければ、こちらの権限で自発的に解放することはシステム上認められていません』
耳の奥へ、またしてもマニュアル第一主義の無慈悲な電気信号が返ってきた。
ええい、この連邦のシステムが憎い、と内心で激しく毒づきながら、ギルダスはチューブの傾斜を猛スピードで滑り落ちていく、先行したガルドの黒い背中を必死に追いかけるのだった。
◇
「おわっ」
口から間抜けな声を漏らしつつ、ギルダスは緊急通路から宇宙港へと出た。いや、出たというよりは、高圧パイプから物理的に吐き出されたという表現の方が適切だった。
そういえば、この超低摩擦チューブは最後どのような身体制動を保って出口から脱出すれば着地に成功するのだったか。かつて連邦警察学校の過酷な訓練で叩き込まれた記憶の断片を必死に手繰り寄せようとしたが、時間切れとなった。
ギルダスは硬化コンクリートの床をゴロゴロと乱暴に転がり、全身の関節を強打した。
もう仕事どころではない。このまま自宅のベッドに潜り込んで、丸一日眠りこけてしまいたい。そんな甘美な誘惑がギルダスの脳髄を猛烈にノックする。しかし、現実を直視すれば、働かなければ次月の給料はマイナスという未知の領域へ突入してしまうのだ。
『第三宇宙港、銀河連邦所属艦、発進準備に入りました。これより空間転移が実行されます。余波に巻き込まれないよう、付近のスペースシップ、探査船および一般の民間宇宙船は速やかに退避してください。繰り返します――』
宇宙港のドーム全体に、機械合成された自動アナウンスが冷淡に響き渡っていた。おそらく、この宙域を航行中のあらゆる船舶に対しても、超短波の強制割り込み通信で同様の警告が送信されているはずだ。
現実はちっとも待ってはくれない。ギルダスはズキズキと痛む全身に鞭を打ち、よろよろと立ち上がると、自分たちのスペースシップを目指して走り出した。
言うまでもなく、ガルドが親切にタラップの前で待っていてくれるはずなどない。そういう奴だ。友達甲斐のない駄犬め、とギルダスは息を切らしながら走る。そもそも、あの獣人と友達になった覚えなどこれっぽっちもないのだが。
「へへ、よおし一番乗り。アダム、発進だ。シフトが終わったら、適当な惑星軌道上で待機な。着替えたり準備したいからよ」
『まだギルダスが乗り込んでいませんよ』
「だあいじょうぶだって。あのギルが、発進に間に合わなかったことなんて一度もねえだろ?」
にやけ面を浮かべ、操縦席に深く身体を沈めたガルドが言った。
彼がこのような殊勝な態度を取っている時の大抵は、裏でろくでもないいたずらを完了させている証拠だった。
『正規の乗員が揃わない状態での勝手な発進シーケンスの開始は認められません』
「ほらよ、お土産だ」
『なんですか、それは』
「今回はな、映画のデータカードだ。ジポン映画――いや、ジャパンだったか。まあ、相当昔のレガシー映画だ。貴重だぜ。わざわざ物理的なデータカードに変換してもらうのは、別料金の特注プランだからな」
今月、ギルダスの個人クレジットに身に覚えのない莫大な通信料が請求されていたもう一つの致命的な理由は、これであった。
ガルドは夜な夜な旧時代の映像記録に狂ったようにのめり込み、これならアダムも気に入るに違いないと勝手に判断し、レガシーチャンネルのデータカード化オプションをギルダスの口座から申し込んだのだ。これが自前のクレジットで実行されていれば、涙ぐましい相棒愛と呼べなくもなかったのだが。
『私は独立思考型AIです。そのような個人的な賄賂を受け取るわけにはいきません』
「お土産だって言ってるだろ。いらねえのか? もったいねえ。最後の三十分なんて、すげえ盛り上がるんだぜ? カタナっていう、高周波ブレードみたいな物騒な代物をブンブン振り回してよ――」
『物語の結末まで無遠慮に喋るのはマナー違反ですよ、ガルド。ギルダスが間に合わなくて、後であなたが銃殺刑に処されても私は知りませんからね』
「へへ、じゃ発進ってことで」
ギルダスに見つかる前に、ガルドは素早い手つきでデータカードを操縦席のカードスロットへと差し込んだ。あくまで、親切なお土産として。
アダムは連邦ネットワークへの広範なアクセス権限を与えられてはいるが、映画をはじめとするエンターテインメント関連の有料チャンネルに関しては、「超知性が無尽蔵にデータ量を消費すると連邦の予算が溶ける」という至極現実的な大人の事情により、連邦所属のAIは閲覧が厳重にプロテクトされていたのだ。
「お前、小難しい技術書ばかりデータベースで閲覧してて、退屈で死にそうにならないのか?」
ガルドがそうアダムに話しかけて以来、この非公式な「差し入れ」は今日まで密かに続けられている。
「あ、おい、馬鹿! 俺が、まだ……乗ってないだろ!」
船体の底でエーテルスラスターが淡い青白い熱光を帯び、臨界に達しつつあるのを目撃して、ギルダスは全力疾走の速度をさらに一段階引き上げた。
任務を開始する前だというのに、どうしてこれほど肉体を酷使しなければならないのか。はたしてバーナード星系に辿り着いたとき、自分はまともに銃を構える体力すら残っているのだろうか。そんな不安が脳裏をよぎるが、今は何よりも、アダムに無慈悲に置き去りにされ、宇宙港の片隅に一人寂しく立ち尽くす自分の滑稽な姿を想像する方が耐え難かった。
ギルダスがハッチのタラップを大急ぎで駆け上がり、油圧の音を立てて閉まりかけた自動ドアの隙間に身体を滑り込ませるのと、アダムの船体が重力制御から解放されるのはほぼ同時だった。
第三宇宙港のドームを滑り出るや否や、スペースシップの周囲の空間が、視覚的な歪みを形成して引き絞られる。
直後、強烈な電磁気力の乱反射による眩い雷光のような閃光を虚空に残して、連邦所属艦アダムは、実空間からその姿を忽然と消し去った。




