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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第四章

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// 0038 - 虚像の追跡



 国道16号線を走る黒いセダンの車内は、冷房の音だけが支配していた。

 瑞希は助手席に深く身を沈め、窓の外を流れるナトリウムランプの橙色を眺めていた。左耳のピアスが、振動に合わせてチリと微かな音を立てる。


「作戦の再確認よ」

 ハンドルを握るレノが、前方を見据えたまま言った。


「ターゲットは佐伯元貴(さえきもとき)。管理局の元情報解析官。一週間前に機密情報を持って失踪。現在は横浜のコンテナヤードに潜伏中。管理局の追跡班が既に周囲を固めている状況よ」


 瑞希は無言で頷いた。

 頭の中ではすでに経路と遮断ポイントが組み上がっていく。感情が遅れて追いつこうとするのを、自分でもどこか他人事のように眺めていた。


「先に管理局の包囲網を確認して、裏ルートで侵入。地図はこれ」


 右手で差し出された地図を受け取る。

 レノの声は一定だった。感情の揺れが混ざる余地はない。仕事の段取りを読み上げるだけの機械に近かった。


 瑞希は、広げた地図を眺め、窓の外へ視線を流した。

 都市の光が途切れ、海へ近付くにつれて街灯の間隔が広がっていく。やがて巨大なクレーンの影が幾つも現れた。無機質な骨組みが夜空に突き刺さり、風に凪いでいる。コンテナヤード。人工の静寂が積み重なった場所。


「管理局より先に佐伯を確保。情報を吐かせたら、消す――出来るわね?」

「問題ない。管理局の追跡パターンは知ってる」


 瑞希の声は、驚くほど平坦だった。

 レノは横目で一瞬だけ瑞希を見た。その瞳に、僅かな毒気が混じる。


「……随分と慣れた口調になったわね。それも“徹底”ってわけ?」

「別に。取り繕う必要が無くなった。それだけだ」


 短い沈黙が落ちる。

 車輪がアスファルトを削る音だけが、間を埋めていく。


「これはあなたの卒業試験の続きよ。相手はかつての仲間かもしれない。それで引き金が重くなるなら、今すぐ降りても良いのよ」

「徹底すると言ったはずだ。異論はない。それに……」


 その先は、言葉になる前にほどけた。

 瑞希は左耳に触れる。銀の冷たさは、もう違和感ではなかった。そこにあることが前提になっている。何かを失ったという感覚は、既に輪郭を持たない。


 やがて車は減速し、道路脇に停まった。

 そこから先は、徒歩だった。

 エンジンが止まると、世界は一気に重くなる。冷房の音が消え、湿った夜気が車内へ流れ込んできた。鉄と海水と油の匂いが混ざっている。


 瑞希は音もなくドアを押し開け、夜の闇へと滑り出した。

 背後でレノが「一時間後に戻らなければ、置いていくわよ」と短く告げる。返事はしなかった。必要がないからだ。


 コンテナヤードの入口付近には、数台の白いワンボックスが停まっている。管理局の追跡班が使用している車。瑞希は彼らの配置を、呼吸の気配と感情の浮き沈みから瞬時に読み取った。正面に二名。フェンス沿いに三名。


 今この場にいる追跡班は、佐伯を追ってきている。

 だがその追跡班も、瑞希の顔を見ればすぐに捕らえようとするだろう。管理局を裏切り、逃亡を図った指名手配犯を。


 瑞希はコンテナの隙間、光の届かない死角を選んで進む。

 管理局の戦術は徹底した合理に基づいている。

 だからこそ、その死角もまた、定型化されている。瑞希はそのパターンを、かつての教科書をなぞるようにして踏み越えていった。


 中央区画。

 積み上げられたコンテナが壁のように聳え立つ場所で、瑞希の脳内に焦燥感が流れ込んだ。強い。焦りに混じり、苛立ちもある。


「……佐伯か」


 独り言のように零し、瑞希は一気に加速した。

 コンクリートを蹴る音さえ、波音に掻き消される。


 視界が開けた先に、男がいた。

 佐伯元貴――必死にタブレットを操作し、何処かへ機密情報を転送しようとしている。だが、管理局の局員が迫っていることに気付いていない。


「動くな。管理局だ」


 局員の鋭い声が響く。佐伯が悲鳴を上げて振り返った。

 局員は、瑞希の知らない若手のようだった。微かに息を吐く。だが、腰のホルスターに手を掛けるその動作には、管理局特有の淀みなさが宿っている。


 瑞希は、その局員の行動を予測する。

 踏み出す右足。僅かに重心が傾いた方向。引き抜かれる拳銃。そのすべての軌道が、瑞希の脳内に描かれる。


 瑞希は影から飛び出した。

 局員が驚愕に目を見開くより早く、その懐へ潜り込む。打撃。鳩尾を正確に突き上げ、呼吸を奪う。傾いた身体の重心を奪うように、局員の手首に手刀を入れる。すぐさま手首を捻り上げ、取り落とした拳銃を空中で掴む。崩れ落ちる局員の悲鳴が上がる中、瑞希はそのまま佐伯の眉間に銃口を突き付ける。


「ひっ、あ……宮原、瑞希……!?」


 佐伯の顔が驚愕に染まる。

 瑞希が何故ここにいるのか、よく分からないといった表情だった。


「情報を出せ。お前が持ち出した“機密情報”に用がある」

「まっ、待て! 君は管理局を裏切ったんじゃなかったのか!?」

「……裏切りも何も、管理局に忠誠を誓った覚えはない」


 瑞希の瞳には、かつての温和な光など欠片も残っていない。

 ただ、深海のような暗さが横たわっているだけだ。


「質問に答えるか、今ここで脳漿を撒き散らすか。どっちが良い」


 無機質な声。瑞希の指が、迷いなくトリガーに掛かる。

 佐伯の感情が、死への恐怖に塗り潰されていくのを瑞希は静かに観察した。逃げ場を失ったネズミの、淀んだ思考。やがて、男は力なく項垂れた。


「……裏帳簿だ」


 その名前が発せられた瞬間、瑞希の胸の奥で冷たい火花が散った。

 左耳の銀が、夜の風を受けて鳴った気がした。


「あの女……管理局の執行部という立場を利用して、マーレボルジェと繋がっている。組織の運用資金を、管理局の予備費から……ロンダリングして流していたんだ。巧妙に隠されていたが……私は偶然見つけてしまった……」


 瑞希は目を細めた。

 佐伯の言葉が、耳の奥で硬質な音を立てて弾ける。


「……管理局が、マーレボルジェと?」


 思わず零れた声は、低く、地を這うような響きを含んでいた。

 管理局。異能犯罪を抑止し、社会の秩序を守るための公的機関。教育される正義の言葉が、瑞希の耳にはいつも何処か空疎に響いていた。その違和感の正体が、今、目の前で最悪な形となって肉付けされていく。


 狩る者と、狩られる者。決して交わることのないはずの両極が、裏側で一本の太い導線によって繋がっていた。


 瑞希の胸の内で、冷めた怒りが静かに燃え上がった。

 自分が管理局で見聞きし、抱いてきたあの中途半端な違和感は正しかった。正義の執行者という看板の裏で、彼らは敵であるはずの犯罪組織を、自らの存続や利権のために飼い慣らしていたということだ。


「管理局の監査システムは厳重だ。個人でどうにかできる規模じゃない」

「だから言ってるんだ、執行部の人間が関わっていると! システムなんていくらでも書き換えられる。管理局はマーレボルジェを狩るポーズをしながら、同時にその肥大化を支えていたんだよ!」


 佐伯の必死な叫びが、瑞希の脳内にパズルの最後のピースをはめていく。

 管理局は悪を滅ぼすための組織ではなく、悪を管理し、利用するための機関に成り果てていた。悪を悪たらしめ、管理するやり方も、人の命を塵屑のように扱う人間性も、瑞希にとってしてみれば、反吐の出る理屈だった。


 左耳のピアスが、瑞希の感情に呼応するように激しく鳴る。


 ――やるなら徹底的にやれ。


 父の声が、これまで以上に鮮明に、呪いのように瑞希の心臓を叩いた。

 もはや、この場所に一欠片の情けを残す必要もない。瑞希は、一瞬の沈黙の後に、これまで以上に冷徹な殺気をその瞳に宿した。

 

「……そうか。よく分かった」


 その時だった。

 積み上げられたコンテナの迷路、その奥から乾いた音が響いた。

 硬いヒールがアスファルトを叩く、一定の律動。先程までの局員たちの荒々しい足音とは明らかに違う。迷いも、焦りも、高揚もない。ただそこに在ることを当然とするような、傲慢なまでに静かな足音だった。



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