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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第三章

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// 0026 - 殺さない者と、殺したい者



 地下寮の夜は、いつも同じ色をしている。

 完全な暗闇ではない。だが、昼と呼ぶには程遠い。天井の常灯は落とされ、机の上に置かれた小さなスタンドライトだけが点いていた。橙色の光が、直径一メートル程の円を描いて、机と壁を鈍く照らしている。


 瑞希は、その光の中に座っていた。

 机の上には、分解された拳銃。

 スライド、フレーム、バレル、スプリング。並べ方に迷いはない。指先が、金属の感触を確かめるように滑っていく。布で拭い、油を薄く引き、余分を落としていく。その一連の動作は、思考を挟まずに進んでいた。


 金属と布が、微かに擦れる音。

 夜の静けさを破るには、あまりに小さい音だった。


 背後で、布が軋む気配がした。

 二段ベッドの上で、身体を起こしたのだと、振り向かなくても分かった。


「……まだ、起きてたんだ」

 肆已の声は低かった。

 昼間の調子より、少しだけ落ちている。眠気とも、疲労ともつかない、曖昧な声音。横目で見ると、肆已は僅かに眉を下げていた。


「眠れなくて、さ。手入れしてる」

「だよね、音してた」


 ベッドから飛び降りた足音が、橙の円に近付く。

 肆已は、瑞希の正面には来なかった。少し斜め後ろ、瑞希のベッドに腰を下ろした。顔の半分だけが光に縁取られ、残りは影に溶けている。


 しばらく、言葉はなかった。

 拳銃の部品が組み上がっていく音だけが、淡々と続く。


「午後の近接訓練さ」

 不意に、肆已が口を開いた。


「その、ありがと。名前呼ばれて、我に返ったっていうか……」

「別に……それより俺は、肆已の異能について訊きたい」


 頬を掻いていた指先が、一瞬だけ止まった。

 肆已は視線を泳がせ、言葉を探す。これまで、肆已は自分の異能を頑なに教えなかった。理由はある程度、想像出来る。入学初日から、卒業を控えた今日まで、二人はずっと一緒にいた。想像出来ないほうがおかしい。


「その、ぼくの異能はさ。快楽固定って言って、()と似た状況が再現されると、そのとき感じた快楽に感情が上書きされるんだよね……」


 感情先読みがなければ、気付かなかったかもしれない。

 瑞希は小さく息を吐く。窺うように零した言葉の端々には、引かれないか、幻滅されないか、といった不安が滲み出ていた。


「ちゃんと使ったの、はじめてだろ。制御、出来てなかった」

「うーん。スイッチがあるわけじゃないし、意図して使ってるわけでもないんだよね。気付いたら、もうそこにある感じ……楽しくて、嬉しくて、痛いとか怖いとか、そういう感情が綺麗に無くなってさ……」


 瑞希は、何も言わなかった。

 拳銃のマガジンを差し込み、カチリと音を立てる。


「名前呼ばれたとき、やっと瑞希の顔を見た気がした。正直、何をしてたのかあんまり覚えてない。捕まえたのは覚えてるけど……他は、抜けてる」


 肆已は、自分の手を見下ろしていた。

 光の中にある指先は、細かく震えている。


「話戻すけどさ。前と似た状況ってことは、肆已は人を殺すとき……快楽を感じたってことで合ってるんだよな」


 その言葉に、肆已の喉が僅かに上下した。

 苦笑した表情には、怯えが混じっている。何処となく、隠していた悪戯が、親にバレたときの子供に近い。反応が、痛々しい。


「めっちゃ、ストレートに訊くじゃん。濁してるの、分かんない?」

「だから訊いてるんだろ……俺は、肆已を否定する気はないから」

「……否定しないって言われるとさ。逆に逃げ場なくなるんだよね」


 肆已は、少しだけ笑った。

 自嘲とも違う。安心とも違う。ただ、肩の力が抜けただけの笑みだった。


 瑞希は、拳銃のスライドを引き、戻す。

 乾いた金属音が、橙の光の中で短く弾けた。


「逃げるつもりで話してるなら、最初から訊かない」

「……だよね」


 肆已は背中を丸め、膝に肘を置いた。

 影に沈んだ表情は見えないが、感情の輪郭だけは、瑞希には分かる。緊張。躊躇。覚悟。そして、何処にも向かわない静かな諦念。


「非合法の殺しは、嫌だったんだ」

 ぽつりと落とされた声は、言い訳ではなかった。


「楽しいから、じゃない。楽しいって分かってたから、嫌だった」


 瑞希の手が止まる。

 だが、視線は上げない。


「最初は、事故みたいなもんだった。でもさ、一回ちゃんと感じちゃったら、もう駄目で。ここがさ、覚えちゃうんだよ。これだって」


 肆已は自分の胸元を、軽く叩いた。

 橙色の光が、肆已の指先を照らす。細く、よく動く手。爆弾の配線を扱う時と同じ、繊細で、器用な指だ。


「だから、異能対策監理局に入局しようと思った。合法ならいいってわけじゃないけどさ……少なくとも、自分で選んだって言い訳が欲しかった」


 瑞希は、静かに撃鉄を掛け、拳銃を机に置いた。

「……それで、今日みたいになる」

「うん。制御出来てない。でも、分かってたよ。こうなるって」


 肆已は即答した。声に、後悔はない。

 あるのは、事実を受け入れている感触だけだった。


「今日の訓練、一番楽しかった。本気で危なくて、本気で痛くて、でも、ぼくの刃先は届かなくて。それでも……最高だった」


 肆已は、そこでようやく瑞希を見た。

 橙の光に照らされた片目が、酷く真っ直ぐだった。


「だからさ。ぼくは、多分――ここを出ても、同じことになる。非合法が嫌で合法を選んだ。でも、合法でも駄目だった。詰んでるよね。割と」

「……詰んでるかどうかを決めるのは、俺達じゃない」


 肆已は、短く息を吐いた。

 視線を泳がせた先は、寮の扉。その先にいる何かを眺めて、再び瑞希の方へ視線を向けた。薄く目を細めた瞳が、ゆらりと揺れる。


「瑞希と初めてあった日、嬉しかったんだ。ぼくたち、似てるから」

「……たしかに、似てる。俺は……人を殺しても、罪悪を感じない」


 瑞希は、薄く目を細めた。

 あの日、似てるねと言った肆已が蘇る。あのとき、瑞希は、肆已の状況に、蓋をした。見ないように、気付かないふりをした。


「あのさ。次も、こうなったら。ぼくのこと、瑞希が殺してよ」

「……なんで、そうなるんだよ」


 橙の光が、二人の影を壁に映す。

 並んでいるのに、影は重ならない。肆已は、視線を下げた。床に散らばる埃を眺めて、唇を噛む。瑞希も、それを見て奥歯を噛み締めた。


「俺は、人を殺さないために、力を付けるためにここに来た。なのに、肆已は俺に殺せって言うのか? 俺は……もう、見たくないんだよ」


 空気が、きしりと音を立てた気がした。


「――でも、」

「でもじゃない」


 瑞希は立ち上がり、肆已の前に立つ。

 橙の光が、二人の間に落ちる。


「俺は、お前を殺さない。絶対に。何があっても」

「……頑なだなぁ」


 肆已は、眩しそうに目を細めて、苦笑した。

 感情が僅かに揺れる。快楽ではない。恐怖でもない。ただの、安堵。

 それが、瑞希には一番辛かった。


「じゃあさ。二人で逃げるって選択肢は、ある?」

「……さあ。俺は、逃げないで一緒に入局できたら、一番良いよ」


 瑞希は、小さく笑った。自然に出せた、久し振りの笑みだった。

 橙の光の中で、時間だけが、静かに進んでいく。この一週間が、何を意味するのか。二人とも、もう薄々分かっていた。


 それでも今は、拳銃の金属音も、号令もない夜だった。

 ただ、壊れかけた二人が、同じ部屋にいるだけの夜だった。



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