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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第三章

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// 0024 - じゃれ合い



 いつからか、瑞希は考えるという余白を挟まなくなっていた。

 号令が掛かるより早く、足が前に出る。視線が動き、距離を測り、重心が定まっていく。自分で決めているという感覚はない。ただ、そうするのが一番手っ取り早く、一番安全だと、身体に叩き込まれていた。


 地下の射撃場は、相変わらず乾いた匂いがしていた。

 油と火薬、掃除しきれなかった金属の粉。防音壁に囲まれた空間は、外から切り離された箱のようで、時間の流れが分かりにくい。


 瑞希は指定された位置に立ち、何も言われないまま拳銃を受け取った。

 重量を確かめる必要はない。グリップを握った瞬間、感覚的に、どれくらい跳ねるのか、どれくらい戻るのかが分かる。


 呼吸を整える、という意識もなかった。

 吸って、吐いて、止める。その一連が、勝手に揃う。


 的が上がる。距離、風向き、照明。すべて、知っている。

 引き金に掛けた指先を絞った。乾いた破裂音が連続して響き、的が細かく震えた。確認の声はない。評価もない。瑞希自身も、結果を見なかった。弾倉が空になるより先に、次の動作へと移っていく。


 銃を下ろし、マガジンを抜き、手首を返す。

 それが訓練なのか、本番なのか、その区別も曖昧になっていた。


 背後で、別の射線が開く気配がした。

 肆已だと分かる。足音の間隔と、立ち位置の取り方で判断が付く。振り向かなくても、どんな姿勢で構えているのかまで想像できた。


 射撃訓練を終え、廊下へ出ると、空気が少しだけ柔らかくなった。

 汗を拭うことはしない。必要がない。身体が勝手に冷やしていく。


「瑞希ぃ〜」

 背後から首に手を回され、冗談混じりに締められる。

 肆已はいつもの調子で笑みを浮かべていた。だが、重心は高く、疲労が少し残っているように見える。


「なんだよ、肆已。引っ付くな」

「えっ、酷くない?! 人を引っ付き虫みたいに……」

「……そこまでは言ってない」


 真面目な顔から一転して、けらけらと笑う肆已。

 いつからか、瑞希と肆已の距離感は近くなっていた。特例は二人だけで、寮も一緒となれば、打ち解けるのは必然だった。


「なぁ、瑞希。午後は近接訓練だよね。楽しみだなぁ」

「訓練に楽しさを求めるなよ」

「え〜楽しいものは仕方ないじゃん……瑞希とやるのは嫌だけど」


 湿り気のある瞳が、瑞希を射抜いた。

 片眉を上げて、問い掛ける。


「なんで?」

「あ~やだやだ。言わなきゃ分かんない? 異能を惜しみなく使ってさ!」

「ああ……要は勝てないから嫌だってことね」

「生意気な!」


 肆已が一歩踏み込み、瑞希の頭に手を伸ばした。

 傷だらけの指先が無造作に髪を掴み、ぐしゃりと搔き回す。力は強くない。ただ、遠慮がなかった。わしゃわしゃと振られるたび、視界の端に肆已のピアスが映り込む。螺旋が、終点のない形で光を反射する。


「やめろって」

「嫌だね。調子に乗ってる同期には、こうだよ」


 そう言って、もう一度、少しだけ強く掻き回した。

 瑞希は小さく息を吐き、肆已の手首を掴んで下ろした。動作は滑らかで、必要以上の力は使っていない。


 ボサボサになった髪を見て笑う肆已。

 その距離は近いまま、だが、以前と同じではなかった。


「……ほら、行くぞ」


 瑞希が言うより早く、肆已の足が一歩引かれた。じゃれ合いの延長のような動きだった。だが、肆已の重心は低く、そのつま先は既に、瑞希の内側を取っている。笑みは消えていないのに、遊びの間合いではない。


「これから近接訓練だしさ」

 肆已が軽く肩を竦める。


「アップ代わりに、丁度いいじゃん」


 言葉とは裏腹に、次の瞬間には肆已の手が伸びていた。

 首元。鎖骨の下。瑞希の体幹を崩すには十分な位置。瑞希は考えなかった。反射的に一歩踏み込み、肆已の肘を内側から叩き落とす。肆已の体勢が僅かに浮いた。そこを逃さず、肩を押し込み、距離を詰める。


「おっ、いいね!」

 肆已が楽しそうに声を上げる。

 拳は振るわれない。代わりに、肘、肩、腰。触れるほど近い距離で、力の流れだけを奪い合う。廊下の壁が近い。


 肆已が一歩下がった瞬間、瑞希は床を蹴った。

 即座に屈み、肆已の足首を払う。だが、肆已は倒れない。体幹で耐え、そのまま瑞希の襟元を掴みに来る。


 掴まれる前に、瑞希は身を捻った。

 肆已の腕が空を切る。


「相変わらず容赦ないなぁ」

「訓練だからな」


 短い応酬。だが、二人とも呼吸は乱れていない。

 肆已の動きは荒い。勢いと感情で押してくる。瑞希の動きは静かだった。過不足なく、肆已の力を受け流し、最短距離で潰しに行く。


 次の瞬間、肆已がわざと大きく踏み込んだ。すぐにフェイントだと分かる。分かっていても、瑞希は避けた。避けたその一瞬を、肆已は逃さなかった。肆已の肩が、瑞希の胸元にぶつかる。壁に押し付けられた。


「ッ……!」

「ほら、今のは取れたでしょ」


 肆已の声は軽い。だが、体重は確かに掛かっている。

 瑞希は、腰に回された肆已の手首を掴んだ。関節の角度を僅かに変える。力点をずらす。ほんの数センチの傾き。肆已の身体が、ぐらりと傾いた。


「……っ」

 息が詰まる音。顔を歪める表情。

 瑞希は押さえ込まず、そのまま一歩引き、距離を取った。


「今の、続けてたら倒れてた」

「はぁ……ほんと、やりにくい」


 肆已が首を鳴らし、苦笑する。

 だが、その目は冴えていた。


 遊びは、もう終わっている。ここから先は、訓練だ。

 チャイムが鳴る。第二訓練区画への移動を告げる、けたたましい音。


「続きは、ちゃんとした場所でやろ」


 瑞希は無言で頷く。否定も、感想もない。

 ただ、身体が覚えている。この距離、この相手、この感触を。じゃれ合いは終わった。だが、境界線は、既に踏み越えていた。



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