表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/41

// 0023 - 特異値侵蝕症



 朝のベルが鳴るより早く、瑞希の身体は動いていた。

 正確には、音を聞いた記憶がない。瞼が開いた瞬間には、もう床に足が着いていた。思考より先に、身体が起き上がっている。反射に近い。条件付けされた反応だと、頭の何処かで理解していたが、止めようとは思わなかった。


 洗面台の前に立つ。

 鏡に映る顔を、瑞希は一瞬だけ眺めた。

 背が伸びている。肩幅も広くなった。頬の線は削げ落ち、顎がはっきりしている。目付きも変わった。以前の自分が、どんな顔をしていたのか、正確には思い出せない。記録としては知っているが、感覚が伴わない。


 別に、嫌ではなかった。蛇口を捻る。冷たい水が掌を打つ。顔を洗い、歯を磨き、着崩したスーツに袖を通す。その一連の動作に迷いはない。考える必要がないという事実が、妙に楽だった。


 食堂では、今日も同じ匂いがしていた。

 管理された食事。油、蛋白質、そして炭水化物。栄養として過不足ない構成だと、頭では理解している。味は、分からない。不味いとも、美味いとも思わなかった。咀嚼して、飲み込み、時間内に皿を空にする。それだけだ。空腹は満たされるが、満足という感覚が何処にあるのかは思い出せない。


 銃を握る感覚の方が、よほど鮮明だった。

 指先に伝わる重さ。反動。照準が合ったときの、僅かな手応え。それらは、身体にきちんと残っている。訓練を重ねるほどに、無駄な動きは削ぎ落とされ思考と行動の距離が縮まっていく。


 強くなっている、と瑞希は理解していた。

 だが、それを誇らしいとも、怖いとも思わなかった。

 ただ、そうなった、という事実があるだけだ。


「瑞希〜、今日の訓練も疲れたね」


 教室前の廊下で、肆已が声を掛けてきた。

 軽い調子。いつもと何ら変わらない。瑞希は「だね」と頷き返し、その横顔に視線を向ける。肆已の左耳には、細い金属製のピアスが光っていた。装飾と呼ぶには簡素で、だが目を離すと、何故か記憶に残る形をしている。光を反射する金属のそれは、ここでは珍しい装身具だった。


 中心にあるのは、真っ直ぐな一本の細い棒。その周囲を、更に細い金属の棒が、緩やかに、だが確かに巻き付いている。等間隔でも、均一でもない。少しずつ角度を変えながら、終点を示さないまま中心を囲い続ける螺旋。どこから始まって、どこで終わるのかが分からない。外側の螺旋は、中心の棒に触れているようで、決して触れていない。その隙間が、妙に不安定だった。


「それ、訓練のとき邪魔じゃない?」

「ん? あぁ、これ?」

 肆已は指先でピアスを軽く弾いた。小さな音がする。


「気に入ってるんだ。失くしたくないしさ」

「……へえ。邪魔じゃないなら、別に良いんだけど」


 そう言いつつ、瑞希は、その形がどうしても引っ掛かった。

 進んでいるのか、戻っているのか分からない。前を進むふりをして、同じ場所を回り続けているだけの螺旋。何故か、不親切な形だと思った。


 やがてチャイムが鳴り、教室に入る。

 室内は、いつもと変わらない。白い壁。無機質に並ぶ二対の机。前方に設えられた教壇。その奥に鎮座する大型モニタ。照明は明るく、影は少ない。余計は装飾は一切なく、集中を妨げるものがない空間だった。


 肆已は隣の席に座り、軽く伸びをした。

 その拍子に、左耳のピアスが揺れる。

 乾いた金属音が、ほんの一瞬だけ鳴った。


 前方の扉が開く。

 南雲榮が、いつも通りの調子で教室に入ってきた。


「はいはい、居るね。今日は異能基礎理論の続きをやるよー」


 間延びした声。軽い足取り。

 だが、教室の空気は一段引き締まる。瑞希は、南雲の方を見た。南雲は教壇に立ち、黒いモニタに向き直った。指を鳴らし、画面を立ち上げる。


 画面には、簡単な図が描かれていた。

 円と数字。前の講義で見た内容。


「前に話した通り、異能っていうのはね、自分より下にしか通らない」

 ペンが画面を擦る音が、一定のリズムで続く。


「ここで言う“下”っていうのは、身体能力とか精神力じゃないよ。特異値ね」


 円の内側に、小さな数字が書き込まれる。

 その外側に少し大きな数字。


「特異値が10の人間は、99までを同格として扱える。だから、その範囲には異能を行使できる。効く、効かないは別としてね」


 瑞希は無意識のうちにその図をなぞる。

 数字の並びは、すっと頭に入ってきた。


「逆に言えば――」

 南雲が、ペンを止めた。


「相手が三桁以上だった場合、一桁や二桁の人間の異能は、届かない」


 その言葉に、瑞希の中で過去の記憶が浮かび上がった。

 異能犯罪組織マーレボルジェの幹部。スティン。触れられなかった感覚。何も起きなかった瞬間。瑞希は、静かに手を挙げた。


「質問、良いですか」

「どーぞ。宮原くん」

「以前、異能犯罪組織の幹部に、異能が行使できない理由を聞いたことがあります。それは、俺の次元と、その幹部の次元が違うからだ……と」


 南雲が振り返り、軽く頷く。

 言葉を選びながら、瑞希は続けた。


「それはつまり、教官の言う桁が違う、という認識で合っていますか?」

「うん。合ってるねぇ。君が接触した幹部は、推定で三桁。だから、一桁の異能じゃ届かない。理屈としては、凄く単純だよ」


 あっさりとした肯定だった。

 推定で三桁。次元が違うと言うのも、頷けた。

 南雲は、滑らかにペンを回しながら、肩を竦めてみせる。


「じゃあ、どうすればいいか。答えも簡単」

 ペンが、モニタに新しい数字を書き足していく。


「特異値を上げる。桁を上げる。それだけ」

「でも、それは……」

「安心していいよ。君たちに、それを強制(・・)するつもりはないから」


 瑞希の背中を、何かが冷たく撫でた。

 その言葉が、何一つ安心にならないことを、瑞希はもう理解していた。


「ただし上を目指すなら、避けては通れない話、ってだけ」


 瑞希は、静かに息を吐いた。

 隣で、肆已が小さく肩を揺らした。笑っているのか、そうではないのか――最近は肆已の心の機敏を見なくなった。いや、見ないようにしていた。


 ふと、肆已が身じろぎした。

 勢い良く挙げた手が、蛍光灯の光に縁取られる。


「南雲教官! ぼくも、質問良いですか?」

「はーい。どーぞ、江東くん」


 振り返った南雲が、切れ長の目を細くさせた。

 軽い調子だが、目が笑っていない。相変わらずだった。


「どうして異能犯罪者は、特異値を上げることに拘っているんですか?」


 瑞希は、たしかにと心中で頷いた。

 特異値を上げるメリットが見当たらない。快楽で殺すのなら、分かる。だが快楽以外で人を殺す理由が、瑞希には思い付かなかった。


「あー、それはね。特異値を上げると、世界が単純に捉えられるようになるんだよ。上げれば上げるほど明晰になる。要は、全能感が得られるってこと」


 ――全能感。

 それを聞いた瞬間、瑞希の喉が震えた。世界が単純に、明晰に捉えられるようになる。理解したと、思い込むように(・・・・・・・)なる。


 肆已の感情が溢れた。

 返答への歓喜、次にする問いの、返答への期待。

 瑞希はその感情の機敏を遮断するように、目を薄く絞った。


「じゃ、じゃあ! 特異値を上げるのは、良いことなんですか?」

「そうでもないよ。痛覚処理も遅延するし、判断は合理になる。でもね、それは単に、錯覚してるだけなんだよ。言ってる意味、分かる?」

「分かりません!」


 肆已の元気な声が耳を撫でた。

 呆れた様子の南雲が、肩を竦めて息を吐く。視線を空中に滑らせ、思案するように顎に手を添える。無精髭のざりざりという音が微かに聞こえた。


「本人はそう感じてるのかもしれないけど、傍から見れば異常ってこと」

「異常……まぁ、そうですよね!」


 返答に僅かに落胆を示した肆已が、机に両腕を乗せた。

 声は変わらず元気だったが、口元がその落胆を隠せていない。


「まぁ、特異値っていうのは、ある種病気かな。異能対策監理局では、特異値を開示した人間は、特異値侵蝕症(・・・・・・)に罹患した人間って呼んでる」


 軽い調子で放たれた言葉に、言葉を失う。

 瑞希は、無意識に、声を落としていた。


「特異値、侵蝕症……ですか」

「何となく、性格が変わったなとか、思うでしょ?」

「はい……前の自分ではないな、とは」

「それ、特異値に侵蝕されてるんだよ。立派な症状」


 南雲のヤニで黄ばんだ歯が、ニヤリと浮かぶ。

 瑞希はただ、言葉に詰まり、閉口した。


 教室に、短い沈黙が落ちた。

 空調の音と、椅子を引く微かな軋みだけが、やけに大きく響く。瑞希は、モニタに描かれた数字から目を離さなかった。


 円の内と外。上と下。届く範囲と、届かない範囲。

 それらは、もう図ではなくなっていた。


 ――特異値侵蝕症。

 その言葉が、胸の奥で静かに反響する。痛みはない。明確な拒絶もない。

 ただ、自分の症状に、名前を与えられただけだった。


 隣で、肆已が小さく息を吸った。

 次の質問を考えているのか、それとも、次の理解を待っているのか。瑞希はそちらを見なかった。黒いモニタの表面に、薄く自分の輪郭が映り込む。それが誰の顔なのか、もう確信は持てなかった。


 チャイムが鳴るまで、まだ少し時間がある。

 だが、その時間が何を区切るものなのかは、分からない。


 教室は明るく、整然としていた。

 影は少なく、逃げ場もない。瑞希は、机の上で静かに手を組んだ。考える必要はなかった。ただ、次に進む準備が、もう整っているだけだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ