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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第三章

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// 0022 - 教育と窃取



 異能対策監理局の執行部は、夜になると別の顔を見せる。

 昼間は人の気配で満たされていた空間も、今は静まり返っている。照明は半分だけ落とされ、残った白い光が机の上を切り取るように照らしている。


 レミリア・クラークは、壁際のデスクに座っていた。

 背筋を伸ばし、モニタに向かう横顔は硬い。瞬きの回数は少なく、指先だけが忙しなく動いている。画面に表示されているのは、報告書だった。


 ――〈特例教育課程における新人適応状況〉

 差出人の名前を、レミリアは見ないようにしていた。見なくとも分かる。精緻な文体も、構成も、数字の使い方も、嫌というほど馴染みがある。


 無駄がない。感情が削ぎ落とされている。

 評価基準は明確で、判断は迅速だ。


 画面をスクロールするたび、胸の奥に小さな引っ掛かりが増えていく。

 成果は出ている。効率も悪くない。論理的には、否定しにくい。


 レミリアは、ほんの一瞬だけ指を止めた。

 モニタに映る文字列が視界の端で霞む。理屈では説明できない違和感が、静かに積もっていく。胸の奥を掠めた思考に、眉を僅かに顰める。考えが別の方向に滑りかけたのを自覚して、改めるように首を振った。

 

 指先が、再び動き出す。

 ――そのときだった。執行部の外で、微かな足音が止まった。続いて、ドアノブが回る音。反射的に、レミリアの左手が動いた。


 Altキーを押し、Tabキーを素早く鳴らす。

 次の瞬間には、画面が切り替わった。


 養成機関の白い報告書は消え、黒い画面が全面に広がった。

 ――コマンドプロンプト。英数字が縦に流れ、一定の間隔で行が更新されていく。IPアドレス。ポート番号。応答時間。文字列が上へと押し上げられていくたび、レミリアの瞳が僅かに細まる。


 指先は止まらない。迷いもない。

 少しして扉が開く音がした。


 レミリアは、画面から視線を外さない。

 誰が入ってきたのか、確認する必要はなかった。足音はゆっくりで、一定のリズムを保っている。軽すぎず、重すぎない。聞き慣れた歩き方。


 数歩分の距離が縮まり、机の横で止まる気配がした。

 カツン、と乾いた音。レミリアは、そこではじめて視線を上げた。黒い画面に映る文字列が、栗色の瞳に残像として残る。


 机の上に置かれていたのは、缶コーヒーだった。

 まだ冷えているらしく、側面に小さな水滴が浮いている。その缶コーヒーを置いた男、オリヴァー・グラントは、何も言わなかった。ただ、レミリアのモニタを一瞬だけ見てから、視線を外す。


 英数字が流れる黒い画面。

 タスクに浮かぶ、PDFのアイコン表示。それが何を意味するか、彼は聞かなかった。代わりに、オリヴァーは小さく息を吐き、椅子の背に体重を預けた。夜の執行部に、換気音とキーボードの微かな打鍵音だけが残る。


「……例の、運送会社の件はどうだ。順調か?」

「見ての通りよ。コーヒー、ありがとう」

 レミリアは肩を竦め、ようやく缶に手を伸ばす。


「本局って、夜の方が仕事が捗るって言うけど、あれ嘘ね」

「集中は出来るだろ」

「そうね。けど、集中しすぎて、考えなくていいことまで考える」


 プルタブを引く音が、小さく弾けた。

 レミリアは一口飲み、視線を再びモニタに戻す。


「……南雲教官らしいわよ。瑞希くんの、教官」


 その名が出た瞬間、空気が僅かに沈んだ。

 オリヴァーはすぐには答えなかった。缶コーヒーを開けようとした指先が、ほんの一瞬だけ止まる。アルミが鳴るほど強く握ることもなく、ただ、力の行き場を失ったように指を離した。


 椅子の背が、微かに軋む。

 オリヴァーは口元を歪め、床でもモニタでもない、何処でもない一点を見つめたまま、小さく吐息を漏らした。


「……まだ、あの課程を任されてるとはな」


 掠れた、低い声だった。

 感情を抑えた声音。だが、完全には隠しきれていない。レミリアは、その変化を聞き逃さなかったが、指摘はしない。代わりに、モニタの端に伸びるスクロールバーを目で追った。上へ、上へと流れていく。


「まぁ、良いんじゃねーか。奴の“教育”を受けて、半人前になる奴はいない。生き残る奴は、な。それに――少なくとも、書類上は結果を出してんだ」

「書類上、ね」


 オリヴァーは短く息を吐き、ようやくレミリアの方を見た。

 その視線は鋭いが、責める色はない。ただ、確認している。


「不服そうだな。レミリア」

「いいえ。効率的で、無駄がない。迷いも、躊躇も削ぎ落とされてるもの」

「建前はよせ。俺はお前の考えを訊きてーんだ」


 問いは簡潔だった。

 意見ではなく、立場でもなく、感想を求める訊き方。


 レミリアはすぐには答えなかった。

 キーボードから手を離し、背もたれに体重を預ける。天井の薄暗さが、栗色の瞳に影を落とした。


()として見るなら、私は好きじゃないやり方」

「……だろうな」


 言葉が、そこで一度切れる。

 レミリアは、無意識のうちに缶コーヒーを指先で叩いていた。水滴が机に滴り落ち、小さな輪を残す。


 オリヴァーは、それ以上は訊かなかった。

 肯定も否定もせず、ただ事実として受け取る。


「奴はな」

 ぽつりと、オリヴァーが独り言のように零した。


「いつも、選択肢を与えてるつもりでいる」

「……えぇ。そうね」

「だが実際は、最初から答えを決めてんのさ……俺達の時のようにな」


 レミリアは黙っていた。

 否定しなかった。肯定もしなかった。ただ、胸の奥に沈んだ違和感が、また一段と深くなる。思考が、別の方向に舵を切りそうになる。


「瑞希くんには、酷かもしれないわね」

「若いからか?」

「それもある。けど、あの子は――いいえ。何でもないわ」


 それ以上は言わなかった。

 言葉にした瞬間、越えてしまう線があると、レミリアには分かっていた。


 視線をモニタに戻す。

 黒い画面に流れる英数字の羅列が、止まった。すかさず背筋を伸ばし、モニタに向かう。青白いモニタの光が、レミリアの頬を照らし出した。


「これからサーバに侵入するけど、オリヴァーも残る?」

「あぁ、ダブルチェックも兼ねる。ログを消し忘れたら、面倒だからな」


 ぶっきらぼうな返答に、ほんの一瞬だけ眉根が寄る。怒りでも、不快でもない。けれど、確かに“むっとした”と呼ぶしかない表情だった。


「面倒って。私、ログ消し忘れたことあった?」

「あ? お前……俺がどれだけ尻拭いしたと思ってんだ」

「あはは……ごめんごめん。じゃあ、見ててね」


 レミリアは椅子を引き寄せ、キーボードに両手を置いた。

 笑みは消えている。冗談の余韻も、軽口の温度も、そこには残っていない。エンターキーが短く叩かれる。黒い画面に、新しい行が生まれた。


 ログイン要求。応答。拒否。次の瞬間、別のポート番号が打ち込まれた。数字の羅列が、一定の速度で流れていく。成功と失敗が、無機質な文字で淡々と並ぶ。そこに感情はない。ただ、結果だけが積み上がっていく。


「相変わらず、遠回りか」

 オリヴァーが低く言った。


「正面突破は嫌いなの。入口は必ず見張られてる。裏口も、もう一枚噛ませてある。だから――」


 レミリアは答えながら、指を止めない。

 画面が一瞬だけ静止した。次の行で、文字色が変わる。アクセス権限解除。オリヴァーは、無言で息を吸った。声には出さない。驚きも、感心も、二人は邪魔だと分かっている。


「入ったわよ」

 レミリアの声も低かった。

 誇示も、達成感もない。ただの事実報告。


 ディレクトリが表示される。

 運送記録。積載量。航路。通関番号。表向きは、どれも合法だ。帳簿の数字も書類の形式も、完璧に整っている。


 レミリアは、一つ上の階層に戻った。

 さらに、もう一つ下へ。見慣れないディレクトリ名。日付でも、地名でもない。意味を持たない英字列。栗色の瞳が僅かに絞られる。


「……そこか」

 オリヴァーが、はじめて声を落とした。

 レミリアは答えない。ディレクトリの中身を確認するコマンドを打ち込む。一拍あけて、黒い画面にフォルダの中身が表示された。


 ===================================

  root@~# ls -la

  > total 56

  mf_ledger_01.dat  20XX-05-XX 18:53

  mf_ledger_02.dat  20XX-05-XX 18:54

  route_cache.bin  20XX-05-XX 21:29

  route_cache.bak  20XX-05-XX 21:30

  manifest.tmp   20XX-05-XX 04:12

  index.rev   20XX-05-XX 02:21

  .

  ..

 ===================================

 

 レミリアは一度、深く息を吐いた。画面に表示された英数字を眺めたまま、指先だけを止める。彼も同じ事を考えていた。ここで中身を覗く意味はない。証拠は、安全に解析できる場所で見るべきだ。


 レミリアはキーボードに手を戻す。

 打鍵音が、先ほどよりも静かになる。コピーコマンドを打ち込んでいく。

 すると、すぐに完了を示す簡潔な応答が返ってくる。余計な表示は出ない。成功したという事実だけが残る。次いで、圧縮を掛ける。


 カーソルが一瞬だけ止まり、また動き出す。

 レミリアの視線は揺れない。


「ローカルに落とすわよ」

「転送ログは」

「勿論消す。二重にね」


 説明するまでもない。

 オリヴァーは、缶コーヒーを一口のみ、静かに見守る。


 転送完了。数字が一つ、確定する。

 レミリアはすぐに後始末に入った。痕跡は残さない。残るのは、向こうが消したつもりでいた履歴だけだ。最後に接続を閉じる。


 黒い画面が、静かに止まった。

 レミリアは背もたれに体重を預け、首を軽く回した。

 肩に溜まっていた緊張が、僅かに抜ける。


「――で、次はどうするつもりだ」

「順番は決まってるわよ」


 オリヴァーの問いに、即答する。

 レミリアは、淡々と指を折った。


「まずは改竄前後のルートを突合する。その後は――誰が、いつ、何を触ったか、確認する」

「――なら、帳簿はどうする」

「それは最後に回すわ……数字は嘘をつかないけど……人の手を通さないと、意味を持たないでしょ?」


 オリヴァーは小さく息を吐いた。

「これで、マーレボルジェの尻尾は掴めそうだな」

「そうね。トカゲの尻尾切りみたいに、ならなきゃ良いけど」


 レミリアはモニタをスリープに落とし、缶コーヒーを手に取った。

 冷え切っているはずなのに、口に含むと妙に苦い。


 ここから先は、作業ではない。検死だ。

 誰が、何を、何処で間違えたのかを、一つずつ剥がしていく。


 レミリアは目を閉じ、報告書の文体を思い出さないようにした。

 無駄のない文章。正しい結論。必要な選択(・・)。そのどれもが、便利すぎる。夜はまだ深く、答えはまだ、誰の口にも乗っていなかった。



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