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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第三章

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// 0019 - 特例者、江東肆已



 地下の廊下は、相変わらず時間感覚を狂わせる造りだった。

 直線のはずなのに距離が掴めず、歩いても歩いても同じ景色が続いているように錯覚する。南雲の背中を見失わないよう、距離を保って追随していた。


「ここが教室だよ。覚えておいてね」


 南雲が振り返り、そう告げる。扉に手を掛け、そのまま横に滑らせる。瑞希は南雲に促され、一歩遅れて足を踏み入れた。


 最初に感じたのは、広さだった。

 地下施設とは思えないほど天井が高く、空間だけが過剰に用意されている。声を出せば反響しそうだが、実際には音が吸われ、妙に静かだった。無音ではない。だが、生活音の一切が削ぎ落とされた静けさだった。


 その静けさに、両親が死んでいたあの静けさを思い出す。

 瑞希は、思わず奥歯を噛んだ。


 照明は白く、均一で、影を作っていなかった。

 壁は淡い灰色で統一され、黒板はない。その代わり、壁一面に埋め込まれた大型モニタが沈黙したまま存在を主張している。暗転した画面が、逆に「いずれ映されるもの」を予感させた。


 床は硬質な素材で、足を踏み入れた瞬間、靴底の感触が変わる。

 先ほどいた広いホールと同じだ。歩行用に作られているのに、走ることも、倒れることも想定されているような床だった。


 机は、少なかった。

 前列に二つ。それだけだった。


 広すぎる空間に対して、あまりに控えめな配置。

 教室というより、二人分だけを想定した舞台だった。

 ――そして、そのうちの一つには、既に人が座っていた。


「あっ、君が宮原瑞希くん? はじめまして!」


 快活な声が、瑞希の耳を撫でた。

 机に両手を付き、前屈みになった笑顔が視界に入り込む。その笑みは、柔らかく親しげで、場違いなほどに明るい笑顔だった。


「……はじめまして、宮原瑞希です。君は?」

「ぼくは、江東(えとう)肆已(しつみ)! よろしく!」


 駆け寄り、差し出してきた手に、ぎこちなく応じる。

 握り返した瞬間、瑞希は僅かに違和感を覚えた。


 肆已は、瑞希と殆ど変わらない背丈だった。

 体格も平均的で、肩幅が広いわけでも、線が細いわけでもない。黒スーツも着こなしていて、皺一つない。訓練生としては、寧ろ模範的に見える。


 だが、近くで見ると、細部が噛み合っていなかった。

 腕がやけに軽い。骨格に対して、筋肉の付き方が不自然で、力を入れている気配がないのに、握力だけが異様に安定している。温度も一定だった。冷たくもなく、温かくもない。生きた人間の体温なのに、記憶に残らない。


 七三に分けられた茶髪。

 顔立ちは整っている。切れ長でも、丸顔でもない。特徴の薄い造形。印象に残りにくいはずなのに、目だけがやけに澄んでいる。その黒い瞳は焦点が合っていて、揺れがない。真っ直ぐにこちらを見据えている。


 その刹那、瑞希の内側で微かなざわめきが立った。

 意識しなくても流れ込んでくるはずの、他者の感情の輪郭。瑞希は本能的に肆已が()だと理解した。肆已の視線と交錯し、その輪郭に触れる。


 緊張。期待。好意。安心。

 どれも、人と会ったときに抱くには、あまりに正常な感情だった。違和感はない。そこに歪みもない。むしろ、教科書通りだった。


 だが、薄い。紙一枚分にも満たない厚み。波立たない水面のように静かで、奥行きがない。触れたはずなのに、手応えだけが抜け落ちている。


 瑞希は、無意識のうちに眉を僅かに顰めていた。

 感情がないわけではない。だが、そこに理由(・・)が見当たらない。


 なぜ期待しているのか。なぜ好意を向けているのか。

 その前提になるはずの感情が、何処にもなかった。


 ――感情が、結果だけになっている。


 瑞希は、ハッとして肆已の手を放した。

 異能が、確かに反応した。その事実だけが、遅れて胸に落ちてくる。


 分からない。

 だが、分からないままにしてはいけない相手だと、身体が先に理解した。


「んー良いねぇ。仲良くなった記念に、寮も一緒にしちゃおうか」

「えっ、良いんですか!? やった! 南雲教官最高――!」


 両手を上に掲げた、無邪気な声が響く。

 南雲は変わらず微笑を浮かべていた。無精髭の生えた顎を擦る。肆已が自分の机に戻ったことを確認して、瑞希はその隣に腰を下ろした。


 肆已は浮き足立った様子だが、話しかけては来ない。

 ただ、ちらりと瑞希を見て微笑み、また前を向く。瑞希はただ目を瞬いて、その仕草に答えるように、視線を前に戻した。


「――今日からここが、君たちの教室ね。ま、見ての通り少人数制。滅多な事がない限り増えないから、安心していいよ」


 冗談めかした声。

 だが、誰も笑わない。


「まずは簡単に、流れだけ説明しとこうか」


 南雲が指を鳴らすと、壁に埋め込まれたモニタが点灯する。

 無機質な文字が、白地に淡々と並んだ。


 =======================

  07:00 - 16:00 戦闘訓練

  16:00 - 21:00 座学

 =======================


 モニタに表示された時間割を、瑞希は黙って見つめていた。

 数字の並び自体は単純だ。だが、その密度が異様だった。戦闘訓練が、朝から夕方までを占めている。体力づくりや基礎訓練という言葉で誤魔化せる量ではない。実戦を想定している。しかも、毎日だ。


「えっ……と、南雲教官。これ、休みあります?」

 肆已が、素朴な疑問を口にした。

 南雲は肩を竦める。


「ご飯休憩はあるよ。それ以外はトイレ休憩以外ないかな。ま、日曜は半日オフにしてるからさ――身体のメンテと、レポート提出日で」

「……半日」

「休憩があるだけ優しいと思うよー? これくらいじゃ死なないしね」


 南雲の目が淡く絞られる。

 冗談めいた口調。だが、瑞希は気付いていた。南雲は一度も安全だとか守るだとか、そういう言葉を使っていない。


「戦闘訓練は、基本的にペア制。君たちは特例だからね。二人で組んでね」

「え、ずっと一緒なんですか?」


 視界の端に、肆已の存在が滑り込んだ。

 肆已の弾んだ声。瑞希の内側に、またあの薄い感情の輪郭が流れ込む。

 期待。好意。安心――理由のない、期待。


「原則ね。ま、途中で変えるかもしれないけど。様子見て」


 様子、という言葉が、妙に重かった。

 何を見るのかは言わない。だが、南雲の評価対象が技量ではないことだけははっきりしていた。瑞希は視線をモニタから外し、机の上に置いた自分の手を見た。先ほどまで肆已の手を握っていた手。感触は、もう思い出せない。


「座学は色々やるけど、最初に適性を確認して君たちの長所を伸ばす形になるかな。例えば、ハッキングとか爆弾処理とか。本当に色々やるよ」


 さらっと爆弾処理と言った南雲に、口元が歪む。

 肆已は目を輝かせていた。温度の違いに眉が寄る。


「一般教育は、普通の学校と大差ないかな。法規、倫理、歴史、あと異能絡みの基礎理論。特異値に関する内容ってだけ。興味出てきたでしょ?」

「めっちゃ出てきました!」


 瑞希は机の下で、指先を絡めた。

 倫理、という単語が、胸の奥で小さく引っ掛かる。


「何か質問は?」

 南雲が、軽く手を挙げてみせる。

 肆已が反応するより早く、瑞希は口を開いていた。


「……落第したら、どうなりますか」


 教室の空気が、僅かに変わった。

 南雲は驚いた様子もなく、少しだけ顎に手を添える。「良い質問だ」と零してから、ヤニで黄ばんだ歯を見せて笑う。


「落第したら、卒業はさせてあげられないかな」

「……それは」

「外には出さない。必要なら、再訓練。矯正。あるいは、配置替え」


 矯正という言葉が、静かに落ちた。

 南雲は、軽口を叩くように続ける。


「安心していいよ。殺しはしない。ちゃんと“使える形”にはするから」


 その瞬間、瑞希の背筋に冷たいものが走った。

 それは恐怖と言うより、理解に近い。ここは、学校ではない。更生施設でもない。ただの――足を踏み外した者の、選別所だ。


 隣で、肆已が小さく息を吸った。

 瑞希の感情先読みが、また反応する。期待。純粋な、期待。この場所で、自分は何者になるのか。この隣の人間と、何が出来るのか。


 瑞希はゆっくりと瞬きをした。

 分からなかった。この会話のどこに、人を殺すことへの抵抗が挟まる余地があるのか。肆已は、この戦闘訓練の目的は理解しているのか。分からない。


「ま、細かいことは追々ね」

 南雲はパン、と手を叩いた。


「今日は顔合わせと軽いオリエンテーションだけ。午後は基礎体力測定ね」

「え、もう戦闘訓練ですか?」

「勿論。初日から何もしないとか、逆に不安でしょ?」


 南雲はそう言って、扉の方へ歩き出した。

 振り返らない。最初から、二人が着いてくる前提の背中。


「着替えたら、第二訓練区画集合ね。遅れたら置いてくよー」


 扉が開き、白い廊下の光が差し込んだ。

 肆已は勢い良く立ち上がり、瑞希の方に振り返った。


「ね、宮原くん! 一緒に頑張ろうね」


 屈託のない笑顔。友達に向けるものと、何一つ変わらない。

 その感情を、瑞希はまた感じ取ってしまう。


 期待。好意。安心。

 ――そして、その奥に、何もない。


「……うん。頑張ろう。えっと、江東くん」


 瑞希は、へらりと笑ってそう答えた。

 この場所では、正しい反応を返すことが、生き残る条件。理由も、意味も、後回しにされる世界。瑞希は、肆已の背中を追いながら、そう理解した。


 まだ、何も起きていない。

 だが確かに、何かが始まっている。

 選ばされるための時間。嫌な予感が、瑞希の脳裏を掠めていった。



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