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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第三章

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// 0018 - 教官、南雲榮



「やあやあ。おはよう、宮原瑞希くん!」


 扉を開けた瞬間、緊張感のない声が飛び込んできた。

 地下寮の静寂を、遠慮という概念ごと踏み潰すような声音。開け放たれた扉の向こうに立っていたのは、一人の男だった。


 縒れた黒色のスーツ。サイズは合っているはずなのに、何処かだらしなく、生活感が染み付いている。黒髪は短く切り揃えられているが、寝癖だけは律儀に残っていて、整えようとした形跡すらなかった。


 切れ長の目は、穏やかに弧を描いている。

 だが、その笑みとは裏腹に、視線の奥は僅かに冷えていた。人を値踏みする温度ではない。長年、そうする必要がなかった者の目だ。


 無精髭が顎のラインを曖昧にしている。

 肌は程よく焼けていて、室内勤務ばかりではないことが窺えた。地下に閉じ込められていた瑞希にとって、その顔立ちは妙に現実的だった。


 ――久しぶりに見る、日本人だ。

 男は右手を軽く上げ、笑顔のまま一歩踏み込んできた。距離感がおかしい。警戒する暇すら与えない自然さ。瑞希が思わず硬直すると、その反応を面白がるように、男は顎に手を添えた。


「んー……」


 男は僅かに膝を折り、中腰になる。

 目線を強引に合わせるように、瑞希の顔を覗き込んだ。乾いた、それでいてじとりとした視線。観察している。だが、調査でもない。尋問でもない。もっと無遠慮で、もっと人間的な目だった。


「ふぅん……思ったより、ちゃんと起きてる顔だねぇ」


 距離が、近い。

 息遣いが分かるほどではないが、心理的には完全に踏み込まれている。瑞希は一歩も引けなかった。男はその反応を見て、満足そうに口角を上げる。


「初日だし、もっと死んだ目をしてるかと思ったんだけどさ」

 言い終わった直後、男の笑みが一瞬だけ消えた。

 中腰を解き、今度は何事もなかったかのように背筋を伸ばす。


「ま、悪くないね」

 独り言のように呟き、男は軽く肩を竦めた。


「私は、南雲(なぐも)(さかえ)――教官だよ。どーぞよろしく」


 名乗りながら、歯を見せてニカッと笑う。

 瑞希は差し出された手に、躊躇いがちに応じた。手触りは硬い。マメが幾つも出来ていて、岩肌のような手触りだった。


「よろしく、お願いします。宮原瑞希です」

「さぁ。早速だけど、養成機関の案内をしようか。朝早くにごめんねぇ」


 南雲は踵を返し、廊下へと歩き出した。

 振り返らない。着いてくる前提。断るという選択肢が、最初から想定されていない歩き方だった。


「ほらほら、置いていくよー」

 軽い声だけが、背中越しに投げられる。


 瑞希は慌てて扉を閉め、その後を追った。

 地下寮の廊下は長く、無駄に広い。天井の照明は等間隔で設置され、白い光が床に落ちている。壁も床も同じ色合いで、距離感が掴みにくい。歩いているはずなのに、前に進んでいる実感が薄かった。


「地下って、落ち着くでしょ」

 唐突に、南雲が言った。


「……そう、でしょうか?」

「空も見えないし、外界の音も届かない。余計な情報がない」


 南雲は歩きながら、軽く指を鳴らす。

「人間、こういう環境だとねぇ――自分が何者か、考えやすくなるんだよ」


 瑞希は、その言葉に返事をしなかった。

 考えやすくなる、という言い方が引っ掛かった。考えさせられる、ではない。まるで、答えが最初から用意されているかのような言い回しだった。


 廊下の突き当たりで、自動扉が音もなく開いた。

 その先には、広いホールがあった。天井は高く、壁一面に設置されたモニターが暗転したまま並んでいる。床には細かな傷が無数に走っていて、使い込まれていることが一目で分かった。


「ここが養成機関の中枢。ま、学校で言えば職員室と、体育館と、裁判所(・・・)を全部混ぜたような場所かな」

「……裁判所、ですか?」

 瑞希が思わず聞き返すと、南雲は楽しそうに笑った。


「ははは。冗談冗談……今はね」


 今は、という言葉だけが、妙に強調されて残る。

 南雲はホールの中央で立ち止まり、振り返った。さっきまでの軽さはそのままなのに、目だけが真っ直ぐ瑞希を捉えている。


「宮原くん。ここではね、君が何を出来るかより、何を選ぶかが見られる」

「……選ぶ?」

「そう。逃げるか、進むか。疑うか、信じるか。守るか、壊すか」


 南雲は肩を竦めた。

「まぁ、大抵は全部同時に起きるんだけどさ」


 瑞希は、胸の奥が僅かに冷えるのを感じた。

 ここは訓練施設だ。教わる場所だ。そう聞いていたはずなのに、南雲の言葉は、評価でも指導でもなく、審査に近かった。


「安心していいよ」

 南雲は、またいつもの調子に戻った。

「最初から死なせたりはしない。少なくとも、今日はね」


 冗談めかした口調。

 だが、その言葉を疑う理由が、瑞希には見つからなかった。


 南雲は歩き出す。瑞希も、黙って後に続いた。

 地下の奥で、何かが静かに動き始めている。


 それが訓練なのか、選別なのか。

 あるいは、もっと別の何かなのか――瑞希にはまだ分からなかった。



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