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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第二章

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// 0015 - 置き土産



 白いセダンは横浜の繁華街を抜け、東京湾沿いを北上していた。

 一定の速度で走る車体。タイヤがアスファルトを噛む低い音が、切れ目なく車内に流れ込んでいる。等間隔に照らす街灯の光が、フロントガラスを滑り、瑞希の視界を刹那的に明滅させていた。


 包帯の下で、側頭部がじくじくと脈打っている。

 思えば、瑞希は人に殴られたことがなかった。小さい頃から人の顔色を窺いながら生きてきたからだ。人の激情に触れることもなく、ましてや、人を激昂させる言葉を吐くなど、前の瑞希には考えられなかった。


 瑞希の中で、何かが確かに変わっている。

 世界が単純化され、余計な工程を省いた結果だけが見えるようになる。そうスティンは言っていた。だが、その実感は湧かない。あるのは、瑞希の人格が最適化されていくような、不気味な侵蝕。それだけだった。


 ここ数日、現実味のない出来事が続いている。

 正当防衛で人を殺し、特異値が開示され、スティンやアルフェといった異能犯罪組織の人間と出会い、また人を殺し、餌の名目で保護された。


 自分が、これからどうなるのか。あるいは、何処へ向かうことになるのか。これから何をさせられるのか。その輪郭だけが、未だに定まらない。


 瑞希は一度、喉を鳴らした。

 渇き切った喉は、乾燥していて、微かに軋んだ。


「レミ、いや……クラーク監理官」

「レミリアで良いわよ。どうかした?」


 運転席のレミリアが、ちらりと横目でこちらを見る。

 その声は穏やかだった。だが、余裕があるというより、状況を把握し切った人間の落ち着きだった。


「――その、レミリアさん。俺は、今後どうなるんでしょうか」


 瑞希の声は、自分でも驚くほど低かった。

 震えはない。焦りも、縋る響きもない。ただ事実を確認するためだけに、必要最低限の音量で吐き出された。質問というより、確認に近かった。


 レミリアは、すぐには答えなかった。

 ハンドルを握る指先に力を込めるでもなく、速度を落とすでもない。「そうねぇ……」と零しながら、ほんの一瞬だけ瞬きをする。その声音は、考えているというより、何かを選んでいるように見えた。


 街灯の光が、彼女の横顔を照らした。

 柔らかな印象の輪郭。優しさはある。だが、それは現実を曲げるためのものではなく、現実をそのまま渡すための優しさだと、瑞希は思った。


「――普通の(・・・)学生なら、ECRAの養成機関に入ることになってるの」

「養成機関、ですか」


 聞き返しながら、瑞希はその言葉を頭の中で転がした。

 学校のようなものだろうか、と首を傾げる。とは言え、ECRAが運営している養成機関であれば、学校の枠に収まらないのは容易に想像できた。


「そう。学生の年齢に合わせた教育と、特異値教育が主ね。あとは、最低限の異能制御訓練を受けて、その後は一般人として社会に戻されるわ」


 瑞希は、すぐには返事をしなかった。

 否定も、驚きもない。ただ、胸の内側で、静かに整理が始まる。


 ――普通の(・・・)学生なら。

 その前置きを、瑞希は聞き逃していなかった。そこに含まれた意図が、何故だか理解出来てしまう。質問するまでもなく、分かってしまった。


「合理的ですね」

 ぽつりと落ちた声は、乾いていた。

 評価であって、そこに感情はない。レミリアが僅かに視線を向ける。


「監視出来る環境に置いて教育を施し、制御だけ教えて、社会に戻す。それ以上は踏み込まない……それが一番、摩擦が少ないですもんね」


 窓の外に視線を向ける。

 目を細め、街灯の明滅を追う。

 レミリアは無言のまま、続きを促していた。


「殺した理由じゃなくて、再発の可能性だけを見る。正義とか反省とか、そういう曖昧なものを基準にしない――よく、出来てます」


 この評価が出てしまう自分自身に、 嫌悪を抱いた。

 客観的な視点。けれど、それが理解出来てしまう。

 だが、理解出来るのと、肯定するのとでは、話が違っていた。


「……でもそれって、正しく殺した人間は、社会に戻していいって判断してるってことですよね――なら、そうじゃない人間は? ECRAは、善が善であることを疑わずに、躊躇いもなく……殺して、いるのでは?」


 その言葉の余韻が、車内に落ちる。

 エンジン音とタイヤの摩擦音だけが、一定のリズムで続いていた。


 レミリアが、ほんの僅かに目を細めた。

 鼻から短い息が零れる。それは溜息と言うには軽く、笑うにはあまりに静かな吐息だった。口元が、僅かに歪む。苦笑だが、感情は抑えられていた。


 レミリアは一瞬だけ、瑞希へと視線を向けた。

 驚きでも、警戒でもない。値踏みとも違う。

 その視線はすぐに前方へと戻された。

 ハンドルを握る手は変わらず安定していて、車速も落ちない。


「頭の回転が早いのね。瑞希くんは」

「前はそれほど……今はもう、二人も殺してますから」


 その言葉に、レミリアが間の抜けた声を出した。

 瞬いた睫毛に、街灯の光が淡く乗る。


「それは初耳ね。二度目はいつ?」

「さっきですよ。グラント監理官に会う前に、スティンさんとアルフェさんの前で……俺が、選択しました。異能が使われてたとしても、俺の判断です」


 言葉が落ちた直後、車内の空気が、はっきりと変わった。

 今まで漂っていた緩やかな緊張ではない。もっと実務的で、妙に切迫したものだった。レミリアは何も言わない。だが、次の瞬間にはウィンカーを点灯させていた。橙色の光が、規則正しく闇を刻んでいく。


 速度が落ちる。

 タイヤの音が低くなり、車体が緩やかに減速していく。


「レミリア、さん?」


 瑞希は僅かに眉を顰めた。行動の理由が分からない。

 話の途中で、会話を切る必要があるようには思えなかった。


 白いセダンは路肩へと寄せられ、街灯の下で静かに停止する。

 エンジンは切られない。ただ、アイドリング音だけが残った。


「……急に、どうしたんですか?」


 問いかける声に、レミリアはすぐには答えなかった。

 代わりに、深くも浅くもない呼吸を一つ置く。そして、声量を落とした。


「降りて。今すぐに」

「え、それはどういう……」

「――静かに。いいから、早く」


 レミリアはシートベルトを外し、ドアノブに手を掛けた。

 その動作に、一切の迷いがない。声音も、先ほどまでの柔らかさを完全に失っていた。優しいが、逆らう余地のない声だ。


 瑞希はそれ以上、口を開かなかった。

 ただ、言われるままにドアを開け、夜の空気の中はと足を踏み出す。背後で、ドアが閉まる音がした。次の瞬間、助手席側に回り込んでいたレミリアが、腰に手を当てて、瑞希を上から下まで滑るように眺めた。


「ちょっとごめんね」

 レミリアは、瑞希の袖口に手を伸ばした。

 指先が、慎重に布地を裏返していく。左の袖口を見る。何もない。右の袖口をなぞる。そこで、レミリアの手が止まった。


 袖口から何かを摘み上げる。

 親指と人差し指で、抜き取ったそれを注意深く見つめた。


「……やっぱりね……」


 小さく、吐息混じりの声。

 それは安堵でも、驚きでもなかった。確認が取れたことに対する、納得の色があった。瑞希は、それが何か分からない。


 レミリアは、それに力を込めた。

 パキという乾いた音とともに、破片が飛び散る。


「――あの、それ。何ですか」

「盗聴器。それも、発信機能付きのね」


 レミリアは視線を上げないまま即答した。

 潰れた部品を一瞥し、興味を失ったように靴先で路肩へ弾いた。


「そんなものが――どうして、俺の服に?」

「マーレボルジェの幹部が接触してたのなら、そのときに仕掛けられたんでしょうね……身に覚え、あるんじゃない?」


 瑞希は、すぐに納得した。

 思い当たる節が、ひとつしかない。メールで会おうと言われ、東京駅に降り立ったとき。はじめてスティンと顔を合わせ、瑞希は握手をした。


「スティンさんと、握手をしました。そのとき、かもしれません」

「そう。一応、他のところも確認するけど、いいわね?」


 淡々とした口調だった。怒りも、焦りもない。

 瑞希の首元やズボンの裾、靴裏。レミリアの指先が、淡々と確認作業に入っていく。居た堪れなくなり、瑞希は口元を歪めた。


「……すみません。俺、全然……気が付かなくて」

「良いのよ。会話の内容自体は、既に外部に出ている情報だから。けど、本局に着く前で本当に良かったわ……本局の場所はね、秘匿されているの」


 そう言ってから、レミリアは瑞希を見る。

 責める視線ではない。評価でもなかった。


「マーレボルジェに本局の位置が漏れていたら……」

「最悪の事態になってたでしょうね」


 即答だった。

 瑞希は言葉を失い、ただただ、閉口する。

 背筋を氷の爪で撫でられたような感覚に、肩を震わせた。


 人を信用し過ぎていたかもしれない。

 瑞希は、これまでの人生で、人を疑ったことがなかった。無意識のうちに、危害を加える人間はいないと高を括っていた。普通の学生だった少し前までの瑞希なら、それでも良かったかもしれない。


 だが、今の瑞希には、それが危うい。

 無防備で、命取りになる。自分だけなら、まだ良い。だが、自分の信用し切った行動で、自分以外の誰かが死ぬかもしれない。


 考えを改めなければならなかった。

 そうしなければ、この世界では生きていけない。

 瑞希は、そう、理解した。


「……これも、養成機関で学べますか」

「えぇ。座学と実地、両方を満遍なく。戦闘訓練と一緒にね」


 瑞希はその返答に、小さく頷いた。

 レミリアは一瞬だけ目を細め、それから小さく笑う。


「瑞希くんは、自分より他人を優先するのね。本当は自分のことも気に掛けてほしいけど……その気持ち、大事にしてね」


 レミリアはそう言って立ち上がり、踵を返した。

 運転席側に回り、ドアを開ける。


「さぁ、行きましょ。もう大丈夫」

「はい」


 白いセダンに再び乗り込み、車は静かに発進する。

 街灯が、再び線になって後ろへ流れていく。

 瑞希は、窓の外を見つめながら思った。


 これは置き土産(・・・・)だ。

 盗聴器だけではない。

 疑念も、警戒も、そして――自分がもう安全ではないという事実も。


 瑞希は静かに目を伏せた。

 その夜は、何事もなかったかのように流れ続けていた。



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