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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第二章

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// 0013 - 正当化された正義



 倉庫の外は、異様なほど静かだった。

 遠くを走る車の音も、港の警笛も、まるで、世界の裏側に置き去りにされたように、酷く遠い。月明かりだけが、ひび割れたアスファルトを白く照らしている。瑞希は、夜気を肺に吸い込みながら、オリヴァーの背を見ていた。


「……さっき、膿は切除以外にないって、言ってましたけど」


 背中越しに、声を投げる。

 だが、オリヴァーは振り返らなかった。


「あぁ。それが何だ?」

「異能対策監理(・・)局なら、捕らえて牢屋に入れて然るべきでは?」


 潮風が瑞希の黒髪を攫い、静かに揺らしていく。

 一瞬、場の空気が止まった。

 次の瞬間、オリヴァーが溜息とともに振り向いた。


「いいかぁ、坊主」

 低く、抑えた声だった。


「異能者ってのは、殺人を犯した人間っていう前提がある。その上で、常習的に人を殺す奴なんて、世界には要らねーんだよ。異端者なんだ」


 その言葉は、断定だった。

 迷いも、少しの逡巡もない。オリヴァーには、それが正義なのだろう。だが正義が正義であると疑わずに、盲信するのは、間違っている。


「そう、かもしれません。けど――それでも。殺すのは、間違ってます」


 瑞希の声は、震えてはいなかった。

 視線を逸らさず、オリヴァーを見据える。だが、オリヴァーは二度目の溜息をついた。面倒だとでも言うように、柔らかな金の髪を掻く。


「お前はまだ子供だ。だから分からねーのかもしれないが、間違ってるとか、おかしいとか、そういう次元の話じゃねーんだよ」

「いいえ。そういう次元の話です」


 瑞希は、間合いを詰めるように半歩近付いた。

 間近で、翡翠色の瞳と視線が交錯する。


「それを正当化すれば、あなたは彼らと同じになるんですよ……立場なんて、関係ない。あなたは、何も、分かってない」


 その言葉が落ちた瞬間、オリヴァーの瞳から光が消えた。

 怒り、拒絶。そして、何かが決定的に断ち切られた色だった。


 次の瞬間だった。

 距離を詰める気配すらなく、オリヴァーの手が伸びる。掴まれたのは、瑞希の胸元――服の襟だった。布地が、短く嫌な音を立てて引き攣れる。身体が浮くほどの力ではない。だが、逃げる余地もない。正確な力加減だった。


 瑞希は、その距離で悟る。

 やはりこの人は、本当に、それが正しいと思っているのだ――と。


「てめぇ――子供の癖に、俺に説教垂れんのか?」

「……ええ、垂れますよ……間違っているんですから」


 至近距離で、翡翠色の瞳が燃えている。

 だが、瑞希は視線を逸らさなかった。

 長くも、短い沈黙の間。交錯した視線が、夜を区切るように冷たい。


「ちょ、ちょっと〜?! 何してるのよ、二人とも!」


 突如、場違いなほど軽い声が割り込んだ。

 同時に車のエンジン音が近付き、タイヤがアスファルトを噛んで止まる。横目で見ると、停車した車から降り立ち、女性が駆け寄ってきていた。


 赤茶色のふわりとしたロングヘアが、潮風に靡いている。その色合いに似た栗色の瞳。穏やかでありつつも、気丈さを兼ね備えた顔立ち。灰色のスーツに身を包んでいる。スラリとした輪郭が、街灯の明かりに縁取られた。


「話に割り込まないでください。誰ですか、あなたは」

「えぇ……私はグラント監理官の同僚――レミリア・クラーク。無線を聞いて応援に来たのだけど……」

 レミリアは、瑞希とオリヴァーを見比べ、溜息を付いた。


「胸ぐらを掴むなんて、一体なにごと?」

「――チッ」


 盛大な舌打ちが落ちる。

 オリヴァーは掴んでいた手を離した。瑞希の身体が突き飛ばされ、半歩後退してよろける。そしてその直後、布と金属が擦れる音が響いた。


 視線を上げると、そこには――黒い拳銃があった。

 銃口が、瑞希の脳天を、正確に捉えていた。


 それを前にしても、瑞希は恐怖を感じなかった。

 気付いた瞬間、微かな違和感を覚える。心拍は上がらない。それに、思考も澄んでいる。知覚の変質を、肌で感じ取る。ゆっくりと、両手を上げた。


「宮原瑞希。お前に選択肢をやるよ……今ここで、俺に危険分子として殺されるか、異能対策監理局に入局し、忠誠とともに、職務に準ずるかをな」


 オリヴァーの声は、冷え切っていた。

 瑞希は眉を顰め、目を細める。


「俺は学生なんですけど……で、それは脅しですか」

「あぁ、脅しだ。だが、俺は選択を委ねる。お前が、選べ」


 沈黙が、落ちた。

 倉庫街の音が消えたわけではない。風も、遠くの波音も、確かにある。それなのに、瑞希の意識は、それらを一切拾わなかった。


 視界の中心にあるのは、オリヴァーだけだった。

 翡翠色の瞳。握られた拳。僅かに前傾した重心。呼吸の深さ。指先に掛かる力の配分。すべては――来るか、来ないかを測っていた。


 瑞希は、無意識のうちに数えていた。

 距離。角度。踏み込みに必要な時間。

 殺意の濃度を、言葉ではなく、感覚として測っていた。


 怖い、とは思わなかった。

 代わりに浮かんだのは、理解だった。


 この人は、本気だ。

 今ここで、瑞希を殺す選択を、躊躇いなく取れる。

 そして、その判断を――正しいと信じている。


 瑞希は、ただ小さく、吐息を漏らした。

「分かりました、入局します。でも、あなたのやり方には賛同できません」


 その返答の代わりに、オリヴァーが動いた。

 引き金に掛かっていた指が外れ、手首が返る。次の瞬間、鈍い衝撃が瑞希の側頭部を叩いた。殴られたのではない。硬いものを、正確に、躊躇なく振り下ろされた。そう理解したときには、視界が傾いていた。


「――ぐあッ!?」


 頭の中で、何かが弾ける音がした。

 膝から力が抜け、アスファルトに叩きつけられる。片手で地面を掴み、体勢を立て直す。遅れて、熱が来た。じわりとした感触が、指先に触れる。血だと理解するより先に、それは頬を伝い、顎へと滴り落ちた。


 見上げると、冷え切った翡翠色の瞳がそこにあった。


「これから俺が、お前の上司だ。グラント監理官と呼べ」

「……ッ、はい。グラント、監理官」


 奥歯を噛み締め、瑞希は目を細めた。

 血が目に入り、視界が滲む。オリヴァーはその従順な返答に鼻を鳴らした。視線をレミリアへ向け、拳銃をホルスターに仕舞い込む。


「――おい、レミリア。お前の車にコイツを乗せて、本局に向かえ」

「はいはい……分かりましたよ、グラント監理官(・・・・・・・)


 呆れたように肩を竦め、レミリアは瑞希の方に向き直った。

 差し出された靭やかな手は、女性にしては傷だらけだった。


「瑞希くん。立てる?」

「は、はい……俺は、大丈夫です」


 手を取り、立ち上がる。

 視線は、自然とオリヴァーの背中を追っていた。白いセダンの運転席に乗り込む、その背中。瑞希の口元は、無意識に、歪んでいた。



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