弟子入り】プライドを捨てて、傘貼りの内職を始めた。
投稿者:肥後の侍
朝、路地の奥から声が聞こえた。
「なっとう、なっとう、糸引き納豆はいらんかね」
売り声というものは、不思議なものだ。眠っていた食欲を、外から叩き起こしてくる。気づいたときには、私は戸口に立っていた。
「一つくれ」
納豆売りの少年が、藁苞をひとつ渡してくれた。二文だった。
三畳間に戻り、藁を解く。糸を引く、江戸の納豆だ。熊本ではあまり食べなかったが、米に乗せてかき混ぜると、これがなかなか悪くない。朝の腹に、じんわりと力が湧いてくる気がした。
箸を動かしながら、私はぼんやりと天井を眺めた。
給金日まで、あと十二日ある。
財布の中身と、残り十二日を見比べる。どう計算しても、数字が合わない。武士の面目とか、そういうことを言っている場合ではなくなってきた。
壁の向こうから、いつもの音が聞こえた。カタ、カタ。シャッ、シャッ。
半次郎が、今朝も傘を貼っている。
私は茶碗を置いた。
「頼みがある」
引き戸を開けると、半次郎は振り返りもせずに傘を貼り続けていた。
「なんだ」
「内職を、教えてくれ」
しばらく、シャッ、シャッという音だけが続いた。
半次郎がようやく手を止め、こちらを見た。値踏みするような目ではなく、ただ、静かに確かめるような目だった。
「武士が傘貼りをするのか」
「武士が飢えるよりはましだ」
また少しの間があった。
「不器用でも知らんぞ」
「覚悟の上だ」
半次郎は小さく息をついて、脇に積んであった傘の骨をひとつ、無言で私の前に置いた。
最初の一本に、二刻かかった。
骨に糊を塗る。和紙を当てる。シャッと伸ばして貼る。それだけの作業のはずが、糊が多すぎて紙がよれる。少なすぎると端が浮く。骨の角度を間違えると、傘を広げたとき歪む。
半次郎は口で教えない。ただ、私が失敗するたびに、黙って自分の手元を見せる。糊のつけ方、紙の引き方、骨への当て方。すべて、目で盗むしかなかった。
「これでどうだ」
三本目を差し出すと、半次郎は傘を広げて光に透かした。
「まあ、売れる」
最大限の褒め言葉だと思うことにした。
夜、日記を書く。
傘一本貼って、四文。私が今日仕上げたのは三本だから、十二文。半次郎は同じ時間で八本貼っていた。
腕の差は歴然だが、十二文は十二文だ。明日の納豆代くらいにはなる。
熊本にいた頃の私が聞いたら、腰を抜かすだろう。武士が、傘を貼って飯を食っている、と。
だが今の私は、それほど惨めな気持ちがない。なぜかと考えて、すぐにわかった。
今日初めて、自分の手で稼いだからだ。
給金とは違う。藩から渡される銭ではなく、自分の指先で、一文一文を積み上げた。
……江戸というところは、妙なところだ。武士の私に、そんなことを教える。




