熊本の辛子蓮根が夢に出た。もう無理、帰りたい。
投稿者:肥後の侍
昨夜、夢を見た。
場所は熊本の我が家。縁側に腰を下ろした私の前に、侍女がにこにこと笑いながら、揚げたての辛子蓮根を運んでくる夢だ。
黄色い衣をまとった厚切りのレンコン。シャキッとした歯ごたえのあと、ツーンと鼻に抜ける和辛子の刺激。
「美味い、美味いよ」
涙を流して喜ぶ自分の声で、目が覚めた。
……涙は、本当に出ていた。
目を開ければ、慣れない江戸の、狭くて薄暗い長屋の天井だ。
私は限界だった。
江戸に来てから、ずっと気を張っていた。黒い蕎麦、聞き取れない江戸弁、理不尽な物価。火を起こせば水をぶっかけられ、隣に突撃すれば傘の注文と間違われ、診察では足がピョコンと跳ねた。
何より、故郷の味が恋しくてたまらない。
「……よし、作ろう」
気づいたら、飛び起きていた。辛子蓮根が食べたいなら、自分で作ればいいのだ。私は武士だ。思い立ったら即行動である。
小銭を握りしめ、近所の八百屋へ走った。
「親父さん、レンコンをくれ。穴の空いたやつだ」
「おう、お侍さん。威勢がいいねえ。はいよ、泥付きのいいやつだ」
意気揚々と長屋に戻り、七輪に火を熾す。麦飯を炊きながら、レンコンの泥を洗い落とす。ここまでは完璧だった。
問題は、ここからだ。
……辛子蓮根とは、どうやって作るのだったか。
レンコンの穴に、味噌と和辛子を混ぜたものを詰める。それは知っている。だが、肝心の和辛子が、手元にない。江戸では粉末のものを水で練って使うと聞いたが、分量も練り方もわからない。そもそも、そんな高級品を買う金がない。
「……辛子がなければ、ただのレンコンだな」
さらに、麦粉をまぶして油で揚げる工程がある。だが、油とは貴重品だ。下級武士がホイホイ買えるものではない。
揚げる油もない。詰める辛子もない。
手元にあるのは、泥を落としただけの、ただの白いレンコンだった。
私は無言で包丁を握り、レンコンを薄切りにした。
醤油と、少しの酒で炒めた。
できあがったのは、何の変哲もないレンコンのきんぴらである。
サクサクと、虚しい音が三畳間に響く。
美味しい。確かに美味しいのだ。レンコンに罪はない。
だけど、私が食べたかったのは、鼻がツーンとする、あの黄色くて、泥臭くて、温かい、熊本の辛子蓮根なのだ。
きんぴらをつまみながら、国元に残してきた皆の顔を思い出した。
今頃、みんなで夕飯を食べているだろうか。私がいない食卓は、寂しくないだろうか。
……もう無理だ。帰りたい。
江戸なんて、大嫌いだ。
明日、お城に「体調不良につき熊本へ帰ります」と申し出たら、やはり切腹なのだろうか。
この日記の更新が途絶えたら、察してほしい。
【本日の出費】 レンコン 四文
【今日の一句】 辛子なき 蓮根噛めば 涙味
【今日のひとこと】 武士たるもの、ホームシックなどという軟弱な心は捨てるべし。……誰か、私を箱に詰めて熊本に送り返してくれないか。




