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肥後の侍、江戸詰め候  作者: 水前寺鯉太郎


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7/30

熊本の辛子蓮根が夢に出た。もう無理、帰りたい。

投稿者:肥後の侍

 昨夜、夢を見た。

 場所は熊本の我が家。縁側に腰を下ろした私の前に、侍女がにこにこと笑いながら、揚げたての辛子蓮根を運んでくる夢だ。

 黄色い衣をまとった厚切りのレンコン。シャキッとした歯ごたえのあと、ツーンと鼻に抜ける和辛子の刺激。

 「美味い、美味いよ」

 涙を流して喜ぶ自分の声で、目が覚めた。

 ……涙は、本当に出ていた。

 目を開ければ、慣れない江戸の、狭くて薄暗い長屋の天井だ。

 私は限界だった。

 江戸に来てから、ずっと気を張っていた。黒い蕎麦、聞き取れない江戸弁、理不尽な物価。火を起こせば水をぶっかけられ、隣に突撃すれば傘の注文と間違われ、診察では足がピョコンと跳ねた。

 何より、故郷の味が恋しくてたまらない。

 「……よし、作ろう」

 気づいたら、飛び起きていた。辛子蓮根が食べたいなら、自分で作ればいいのだ。私は武士だ。思い立ったら即行動である。

 小銭を握りしめ、近所の八百屋へ走った。

 「親父さん、レンコンをくれ。穴の空いたやつだ」

 「おう、お侍さん。威勢がいいねえ。はいよ、泥付きのいいやつだ」

 意気揚々と長屋に戻り、七輪に火を熾す。麦飯を炊きながら、レンコンの泥を洗い落とす。ここまでは完璧だった。

 問題は、ここからだ。

 ……辛子蓮根とは、どうやって作るのだったか。

 レンコンの穴に、味噌と和辛子を混ぜたものを詰める。それは知っている。だが、肝心の和辛子が、手元にない。江戸では粉末のものを水で練って使うと聞いたが、分量も練り方もわからない。そもそも、そんな高級品を買う金がない。

 「……辛子がなければ、ただのレンコンだな」

 さらに、麦粉をまぶして油で揚げる工程がある。だが、油とは貴重品だ。下級武士がホイホイ買えるものではない。

 揚げる油もない。詰める辛子もない。

 手元にあるのは、泥を落としただけの、ただの白いレンコンだった。

 私は無言で包丁を握り、レンコンを薄切りにした。

 醤油と、少しの酒で炒めた。

 できあがったのは、何の変哲もないレンコンのきんぴらである。

 サクサクと、虚しい音が三畳間に響く。

 美味しい。確かに美味しいのだ。レンコンに罪はない。

 だけど、私が食べたかったのは、鼻がツーンとする、あの黄色くて、泥臭くて、温かい、熊本の辛子蓮根なのだ。

 きんぴらをつまみながら、国元に残してきた皆の顔を思い出した。

 今頃、みんなで夕飯を食べているだろうか。私がいない食卓は、寂しくないだろうか。

 ……もう無理だ。帰りたい。

 江戸なんて、大嫌いだ。

 明日、お城に「体調不良につき熊本へ帰ります」と申し出たら、やはり切腹なのだろうか。

 この日記の更新が途絶えたら、察してほしい。

【本日の出費】 レンコン 四文

【今日の一句】 辛子なき 蓮根噛めば 涙味

【今日のひとこと】 武士たるもの、ホームシックなどという軟弱な心は捨てるべし。……誰か、私を箱に詰めて熊本に送り返してくれないか。

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