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肥後の侍、江戸詰め候  作者: 水前寺鯉太郎


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29/30

【別れ】長屋の仲間たちと、最後の大宴会。

投稿者:肥後の侍


 「おうい、侍! 荷造りは進んでるか! 手が止まってんなら、酒でも飲もうじゃねえか!」


 私の狭い長屋の部屋に、半次郎殿を筆頭に、大家のおかみさん、魚屋の三太、そして長屋の住人たちが雪崩れ込んできた。


 めいめいが、手に手に酒や重箱を持っている。


 「これ、うちのじいさんが揚げた江戸前の天ぷらだよ!」


 「あっしは、朝獲れのイキのいい刺身を持ってきたぜ!」


 「私は、大根とがんもどきの煮付けだよ。侍さん、熊本に帰ったら、こんな美味い煮付けは食えないからね!」


 江戸の長屋の、温かい惣菜が、私の小さな机の上に所狭しと並べられた。


 負けてはいられない。私はお糸殿と共に、台所で腕を振るった。


 熊本から取り寄せた一文字わけぎを茹でてぐるぐると巻き、お糸殿特製のからし味噌を添える。さらに、熊本の甘い醤油を使った「鶏の煮物(筑前煮のようなもの)」を大鉢に盛った。


 「さあ、皆さん! うたげの始まりにござる!」


 私の掛け声と共に、狭い部屋で乾杯が響いた。


 「美味い! この緑のぐるぐる、やっぱり酒が進むな!」


 「侍の作った煮物、甘くて濃くて、最初はびっくりしたけど、癖になる味だわ!」


 江戸のキリッとした天ぷらと、熊本の甘い煮物。


 相反する二つの味が、一つの食卓の上で、まるでもう何年も前からそこにあったかのように調和している。それは、私がこの江戸で過ごした、泥臭くも愛おしい日々の縮図であった。


 「……侍」


 宴もたけなわ、半次郎殿が、私の肩をぽんと叩いた。


 「寂しくなるな。……お前が来たばかりの頃、黒い蕎麦つゆに半べそをかいていたのが、昨日のことのようだ」


 「半次郎殿。……私は、貴殿に救われました。刀を捨てても、飯は美味い。その言葉があったから、私は、この江戸で、一人の人間として生きることができたのでござる」


 私は、お酒を一口煽った。


 視界が、じわりと滲む。


 「泣くんじゃねえ、侍! 笑顔で送り出すのが、江戸っ子の粋ってやつだ!」


 魚屋の三太が、私の背中をバシバシと叩く。


 お糸殿も、涙を堪えながら、長屋の仲間たちと笑い合っている。


 言葉は違えど、生まれは違えど、同じ飯を食えば、私たちは「友」なのだ。


 この温かい部屋の熱気と、美味しい匂い。私はこれを、一生忘れないだろう。


 国元のみんな。私は明日、この愛すべき江戸の長屋を旅立ちます。


 ……最高の友に見送られながら、私は、胸を張って熊本へと帰ります。


【本日の出費】 〇文(みんなの持ち寄り)。江戸の情けは、プライスレス(値札なし)なり。


【今日の一句】 箸の先 江戸と肥後の 味が舞う


【今日のひとこと】 武士たるもの、笑顔で別れを告げるべし。……半次郎殿、あなたが最後にくれた「またな」という言葉、胸に刻みました。

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