難問】江戸家老から、極秘の「美食接待」を命じられる。
投稿者:肥後の侍
「……他藩の要人を、密かに唸らせる美味い店、か」
お城の奥底で、江戸家老の松田様から直々に下された極秘任務。それは、お隣の肥前(佐賀)藩の重役を招き、腹を割って交渉するための「隠れ家的な美味い店」を探し出せ、というものであった。
公式な高級料亭では、お互いに身構えて本音が言えぬ。かといって、品のない店では失礼にあたる。
「瀬戸口。お前のあの、生き生きとした食の記録の眼力を見込んでのことだ。成否は、我が藩の今後の交易に関わる。頼んだぞ」
大抜擢である。だが、私の胸中は複雑であった。
真っ先に思い浮かんだのは、お糸殿の小料理屋だ。あそこなら、味も雰囲気も申し分ない。しかし、あそこに政治の泥臭い駆け引きを持ち込みたくはなかった。もし、お糸殿が他藩の権力者に目を付けられでもしたら……そう思うと、胸が騒いだ。
私は悩んだ末、別の「隠れた名店」を推薦することにした。
深川の裏路地にひっそりと佇む、一見さんお断りの小さな寿司屋である。松田様と他藩の要人をそこに案内し、私は記録方として、給仕の末席に控えた。
「ほう、これは見事な……」
差し出されたのは、江戸前の技が光る「握り寿司」であった。
艶やかなマグロの漬け、酢で締められた小肌、そして、じっくりと煮込まれた穴子。
家老様たちの会話を記録する傍ら、私も余り物の寿司を、そっと口に運ぶ。
……なんと、潔い味だ。
酢飯のキリッとした酸味と、ネタの旨味が、口の中で一瞬にして合体し、そして潔く消えていく。小肌の皮目が美しく光り、穴子は舌の上でふわりと解ける。甘い醤油(熊本の味)に慣れた私にとって、江戸の寿司の「キレ」は、まさに武士の抜刀のような鋭さがあった。
「美味いな、松田殿。江戸の奥深さを知った。……良かろう、交易の件、前向きに考えようではないか」
他藩の要人の顔が綻び、お酒が進む。
政治の緊張が、寿司の一握りによって、ゆっくりと解けていく。食には、剣や言葉よりも、人と人を繋ぐ確かな力があるのだ。私は暗がりで、その光景を克明に手帳に記した。
任務は、大成功であった。
だが、家老様たちが笑顔で寿司を頬張る姿を見ながら、私はふと、お糸殿の「卵焼き」や、半次郎殿の「ねぎま鍋」を思い出していた。
贅を尽くした寿司も美味い。だが、今の私にとって本当に落ち着く場所は、やはりあの、泥臭くて温かい長屋の近くにあるのだ、と。
私は今日、江戸の政治の最前線で、寿司を記録しました。
……出世は嬉しい。ですが、私はやはり、気楽な「一介の侍」でありたいと思ってしまいました。
【本日の出費】 〇文(接待費より)。高級寿司の味を知る、記録方の特権なり。
【今日の一句】 握り飯(寿司) 政治を動かす 江戸の夜
【今日のひとこと】 武士たるもの、公私混同を慎むべし。……お糸殿、私は貴殿の店を、汚れた政治の場にはいたしませぬ。それが、私の愛(?)にござる。




