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肥後の侍、江戸詰め候  作者: 水前寺鯉太郎


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【友情】半次郎の過去。刀を捨てた男の、男の料理。

投稿者:肥後の侍

 その夜、私は半次郎殿の部屋にいた。先日のお礼とお詫びを兼ねて、一文字わけぎを手に訪ねたのだ。半次郎殿は「おう」と短く応じると、長屋の狭い部屋の中央に、古びた土鍋を据えた。

 「今日はいいマグロの端材(脂身)が安く手に入った。これとネギで、ねぎま鍋にするぞ」

 ねぎま鍋。今でこそ江戸の庶民に愛されているが、元々は身分の高い者が食べないマグロの脂身トロを、下級武士や職人がネギと共に安く煮て食べる、いわば「労働者の鍋」である。

 土鍋の中に、醤油と酒、そして出汁が注がれ、火にかけられる。

 ふつふつと煮え立ったつゆの中に、ぶつ切りにされたネギと、マグロの脂身が沈められた。醤油の香ばしい匂いと、ネギの甘い香りが狭い部屋に充満する。

 「よし、食え。マグロは煮すぎると硬くなる。半生くらいが一番美味い」

 半次郎殿に促され、私は箸を伸ばした。

 熱々のマグロを口に運ぶ。

 じゅわり。

 口に含んだ瞬間、マグロの脂が熱いつゆと共に溶け出した。醤油の塩気が、マグロの濃厚な脂の甘みをこれでもかと引き立てている。そして、その脂をたっぷりと吸い込んだネギが、シャキッとした歯ごたえと共に、口の中をさっぱりと洗い流してくれる。

 「美味い……! なんという力強い味だ。江戸の黒い醤油が、このマグロの脂に完璧に勝っている……!」

 私が感動していると、半次郎殿は安酒をちびりと煽り、ぽつりと言った。

 「……昔はな。私も、お前と同じように刀を差し、お城に上がっていたんだ」

 箸が止まった。

 半次郎殿の視線は、鍋の湯気の向こう、遠い過去を見つめているようだった。

 「だが、上役の不正を正そうとしてな。逆に嵌められ、禄を解かれた。刀を捨て、この長屋に流れ着いた時は、世のすべてを呪ったものさ。だがな、侍。人間、腹が減るんだ。どんなに絶望していても、腹だけは減る」

 半次郎殿は、鍋の中のマグロを私の小皿に放り込んだ。

 「そんな時、このねぎま鍋を食った。安くて、泥臭くて、だけど驚くほど美味かった。その時、思ったのさ。刀を捨てても、飯は美味い。なら、生きていけるってな」

 私は、胸が詰まる思いがした。

 武士にとって、禄を失い刀を捨てることは、死に等しい。それを乗り越え、今こうして傘を貼りながら、笑って美味い鍋を食っている。この男の背負ってきたものの重さに、私はただ圧倒されるしかなかった。

 「半次郎殿。私は……」

 「能書きはいい。冷めちまうだろ。食え、そして飲め」

 私たちは、夜が更けるまでねぎま鍋をつつき、安酒を酌み交わした。

 江戸の夜は寒かった。だが、半次郎殿の部屋は、私の心と同じように、ねぎま鍋の熱気でどこまでも温かかった。

私は今日、江戸で本当の「友」を得ました。

 ……ねぎま鍋のマグロのように、私も泥臭く、力強く、この江戸で生きていこうと思います。

【本日の出費】 割り勘で、十二文。安くて美味い、これぞ江戸の知恵。

【今日の一句】 鍋囲み 湯気の向こうに 友の過去

【今日のひとこと】 武士たるもの、他人の過去を詮索するべからず。……ただ、半次郎殿。あなたの握ったねぎま鍋の味、私は一生忘れませぬ。

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