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肥後の侍、江戸詰め候  作者: 水前寺鯉太郎


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11/30

熊本から、ついに「あの黒い液体」が届いた!!

投稿者:肥後の侍

 その日の朝、長屋の前に息を切らした飛脚が立っていた。

 「肥後の瀬戸口様! お届け物でございます!」

 私は胸の高鳴りを抑えきれず、草履も履かずに飛び出した。国元の家族や友人たちが、金を出し合って送ってくれた荷物。竹筒に入れられ、厳重に封をされたそれこそが、私が三ヶ月間待ち焦がれた「黒い液体」であった。

 そう、熊本の甘い醤油である。

 私は震える手で封を解き、醤油壺を取り出し中身を小皿に注いだ。

 とろりとした深みのある黒。江戸の醤油のようにサラサラとしておらず、どこか艶がある。

 指先につけて、そっと舐めてみる。

 「……ああ。これだ、これなのだ」

 口の中に広がる、大豆の旨味と、黒糖にも似た濃厚な甘み。

 鼻に抜ける大豆の香りが、一瞬にして私を熊本の我が家の食卓へと引き戻した。ふと懐かしくなって涙がこぼれそうになるのを、私は必死に堪えた。

 「なんだなんだ、侍。えらい宝物でも届いたのか?」

 騒ぎを聞きつけて、隣の半次郎殿や長屋の住人たちが顔を覗かせた。

 「半次郎殿、大家のおかみさん! 見てくだされ、これが我が故郷、肥後の醤油にござる!」

 私は誇らしげに、小皿の醤油を差し出した。

 「へえ、醤油かい。どれどれ……」

 おかみさんが指につけて舐め、続いて半次郎殿が舐めた。

 二人の顔が、一瞬にして奇妙に歪んだ。

 「……甘っ! なんだいこれ、黒蜜かい!?」

 おかみさんが目を丸くして叫んだ。

 「おいおい侍、これは醤油じゃねえ。菓子か何かの間違いだろ。こんなもん、魚にかけたら台無しになっちまうぞ」

 半次郎殿も、信じられないものを見るような目で私を見ている。

 長屋の連中からは「甘すぎる」「江戸の醤油の方が粋だ」と大不評の嵐であった。

 だが、それでいい。彼らには彼らの「粋」があり、私には私の「故郷」があるのだから。

 私は井戸端で冷やしておいた豆腐を切り、長屋の小さな机に置いた。

 真っ白な冷奴の上に、届いたばかりの甘い醤油を、たらり、と垂らす。

 箸で豆腐を崩し、口へと運ぶ。

 冷たい豆腐のさっぱりとした味わいに、甘く、濃い醤油が絡み合う。大豆と大豆の出会い。そこには、江戸の醤油では決して辿り着けない、まろやかで優しい世界が広がっていた。

 「美味い……。本当に、美味い……」

 長屋の連中がなんと言おうと、私にとってこの醤油は、江戸のどんな山海の珍味よりも価値のある、最高のご馳走であった。

 醤油、確かに受け取りました。

 私は今日も、江戸の片隅で、肥後の味に生かされています。

【本日の出費】 豆腐 四文。

【今日の一句】 故郷の 黒き一滴 豆腐咲く

【今日のひとこと】 武士たるもの、他人の評価に惑わされず、己の「美味い」を信じ抜くべし。……でも半次郎殿、そんなに嫌な顔をしなくてもよいではないか。

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