番外編:病める時も……
薄暗い部屋は暖かく、時折咳が聞こえる他は、とても静かだった。
そこへ、レイラは小さな桶を手に滑り込んだ。
中には、外の雪を放り込んで冷たく冷やした水が入っている。
そっとベッドへと近づくと、そこには赤い顔のマリオンが横になっていた。
眉間にしわを寄せ、いつもより荒い呼吸を吐く様子は、とても苦しそうだった。
「……まだ、熱が高いわね」
額に乗せられた布を取り去って、そっと手で触れる。
雪を掬ってきたレイラの手は冷たく冷やされていて、気持ちよかったのか、少しだけマリオンの眉間のしわが薄れた。
その様子に少し笑うと、レイラは手にした布を桶に浸して固く絞り、マリオンの額へと戻した。
「もう。いくら鍛えているからって無茶をするんだから」
川辺で足を滑らせて落ちた子供をたまたま見つけたマリオンは、助けるために躊躇なく飛びこんだ。
季節は冬の初めで、王都より北寄りにある領地には、すでに雪が降り積もり始めていた。
水は冷たく、急いで子供を親元まで運びこんだのは良かったのだが、青い顔で震える子供の意識が戻らない。困ったマリオンはどうしたら良いかと、レイラに救いを求めて家まで濡れた体のまま駆け戻ってきたのだ。
結果、体を冷やしたマリオンは、見事に風邪をひいたというわけである。
「いろいろ忙しかったし、本人も気がつかぬままに疲労をためていたんでしょうね」
小さくため息を落として、レイラはそっと首筋に浮かぶ汗をぬぐう。
戦後処理に加えて、王族としてはありえないほどのスピード婚。
その後も、王都でいろいろな人に顔をつないだ後は、戦勝の褒美として与えられた領地の視察旅行だ。
いくら騎士として体を鍛えているマリオンでも、疲れをためるのは当然だった。
レイラも結婚準備で忙しかったとはいえ、周囲が随分と気を遣ってくれたため、だいぶ楽だった。
なによりマリオンがいろいろと手を回して、レイラの仕事までこっそりと抱え込んでいたのだ。
「守ってもらったせいであなたが苦しい思いをするなら、それはちっとも嬉しくないって分からないのかしら?」
真面目で優しいマリオンは、非常に心配症で過保護だった。
レイラだって、真綿で包むように大切にされて、嬉しくないわけではない。
だけど、もともと自立心が強いレイラは、一方的に守られるのは少々居心地が悪かった。
「まあ、そこら辺も含めて、これから話し合っていけばいいわよね」
レイラの囁きは、優しく薄闇に溶けていった。
薄暗い部屋の中、少年が赤い顔でベッドに横になっていた。
暖炉は火が消えてしばらくたつようで、部屋の空気は冷えきっている。
誰もいない部屋はひどく静かで、少年のつく荒い息の音だけが響いていた。
(あれは、子供の頃の俺か? ……そうか、夢を見ているんだな)
その様子を、マリオンはどこか遠くから眺めていた。
母親が亡くなって、最初の冬に、マリオンはひどい風邪をひいた。
保護者をなくした子供を気にかける大人は周りにいなかった。
メイドはいたけれど、通り一遍の世話をするだけで、孤独に震えて弱みを見せまいと隠した少年の不調に気がつく事はなく、結果的に悪化させて生死をさ迷う事になったのだ。
『お母さん、苦しいよ。側にいてよ……』
熱にうなされながら幼い少年が、小さな手を宙に伸ばす。
目はしっかりと閉じられていて、意識はないのだろう。だけど、その眦からはポロポロと涙がこぼれていた。
『お母さん……。か……さ……』
静かな部屋に、母を探す哀れな少年の声だけが響く。
(呼んだって無駄だ。母は死んだんだ。誰も、助けてなんてくれない)
その声を聞きながら、マリオンは苦い思いを噛みしめる。
頭が割れる様に痛くて、体が燃えるように熱くて、咳が止まらなくて怖かった。
だけど、一番怖かったのは、孤独だった。
部屋の外にはたくさんの人がいるはずなのに、誰もそばにはいてくれない。
このまま、誰にも気がつかれずに、闇に溶けていきそうで。幼いマリオンはとても怖かった。
(平気だ。人は孤独では死なない。このときだって、大丈夫だった)
うなされながら涙をこぼしている幼い自分に言い聞かすようにつぶやいた時、ふいにひやりとした何かが触れるのを感じて、マリオンの意識はどこかへと吸い込まれていった。
「あら? 目が覚めた?」
「……レイラ」
目を開けた途端に飛び込んできた菫色に、マリオンはかすれる声でその名前を呼んだ。
「だいぶ熱は下がってきたみたいだけど、気分はどう?」
穏やかな声と共に、額に置かれていた手が離れていく。
マリオンは、とっさにその手を捕まえると、頬を擦り寄せた。
「どうしたの?」
マリオンの珍しく甘えるようなしぐさに、レイラが少し驚いたように目を丸くする。そんなレイラに気づく余裕もなく、マリオンはかすれた声で訴えた。
「……昔の夢を見たんだ。誰もいなくて……、独りぼっちで寂しかった」
どこか幼気な目でつぶやくマリオンに、レイラは柔らかにほほ笑んだ。
「そう……。大丈夫。私は側にいるわ。いつだって、マリオンと一緒よ」
自由な方の手で額や首筋に浮かぶ汗を優しくぬぐいながらささやくレイラを、マリオンはじっと見つめた。
あの時と同じように薄暗い部屋は、暖炉に火が灯り、温かく保たれていた。
「そうだな。レイラがいるから……もう怖くない」
ジワリと滲むように笑顔になったマリオンの額に、レイラが口づけを落とす。
「さあ。まだ朝は遠いわ。もうひと眠りしたら薬が効いて、元気になってるはずよ」
「……レイ……ラ……は?」
安心した途端に襲ってきた眠気にうつらうつらとしながらも、マリオンは握った手にもう一度キュッと力を込めた。
「約束したでしょう? ここにいるわ」
優しい声に安心したように、マリオンの手から力が抜けていく。
静寂は、もう怖くなかった。
お読みくださり、ありがとうございました。
幼い頃のマリオンを王妃様は気にかけていたけれど、公務もあるし、自分の子供達もまだ小さかったためなかなか目が届かない事もありました。
マリオンは我慢強い子供だったため、黙り込んでしまって、ずいぶん寂しい思いもしていたと思います。
レイラは贅沢はできなくとも、愛情はあふれるほどに注いでもらっていたので、きっとその分をたくさんマリオンに分け与えて満たしてくれるでしょう。
な、お話でした。




