【過去3.辰詠と消えた笑顔】(1925)
武義の母であり珠詠の娘である辰詠の話をちょこっと。
「ねえ、珠詠母さん。」
「ん、どうしたんじゃ辰詠?」
二人は鳥の囀りのみが聴こえる閑静な山の中を手を繋いで歩いていた。
「これから何処に行くの? いつもより長く歩いてるけど。」
「儂の生まれた村に行くんじゃ、今度から其処で暮らすんじゃよ…もうあそこにはいる理由が無い…。」
辰義は辰詠が生まれて数年後病で床に伏し、珠詠が救うこと叶わずこの世からいなくなってしまった。辰義と珠詠で成り立っていたあの生活はもうできない。
こうなっては自分の故郷へ戻るしかないと判断し、珠詠は辰義の忘れ形見である辰詠を連れて妖狐の山村に向かっているのだ。
・(1924~)
『辰義…? 辰義!? 嘘じゃ…こんなこと嘘じゃッ!! 目を開けておくれッ!!』
幼い辰詠でも理解できた母の悲痛な声、動かなくなった父。冷たくなった父の手を握り続ける母。
『お母さん…お父さん、死んじゃったの…?』
『辰詠…。そうじゃよ、お前のお父さんは…死んでしまったのじゃ。お前のお父さんを救えなかった儂も、お前を残して死んでしまった辰義も無責任な親だったのじゃ…。
しかし辰義を救えぬまま儂だけのうのうと生きているのが儂自身許せぬッ…こんな母を嫌っておくれ、憎んでおくれ…。』
母に抱き寄せられる辰詠、視界が母で埋まり上を見上げると口元しか見えなかったが、母は静かに泣いていた。涙がポツリポツリと辰詠の頭に落ちる。
『お母さん、泣かないで? 私がいるから、泣かないで…珠詠母さん。私がお父さんの代わりにお母さんの名前を呼ぶから…。』
辰詠の言葉に感極まったのか、母から嗚咽が聴こえてくる。さっきよりも強く抱き締められ、零距離で母の体の震えが感じ取れて、母の感情が犇々と伝わってくる。
『ありがとう…すまぬ…すまぬな……っ!』
『珠詠母さん、そんなに泣いたら…私まで泣きそうに…なるよ…』
父の、辰義の亡骸の前で珠詠と辰詠は泣き続けた。
・(~1925)
「さぁ、着いたぞ辰詠。此処が儂の生まれ故郷、お前の新しい故郷となる場所じゃ。」
粗末な柵を通り抜けると田園が、畑が、藁葺屋根の家がたくさんあった。私や母と同じ耳と尻尾の生えた人たちがたくさんいる。
「珠詠、帰って来たのかえ。」
「情けないが、此処に戻る必要があったのじゃ、母さん。」
父と母以外で初めて見る大人、辰詠はそのまま珠詠の後ろに隠れた。
「ふふ、儂の珠詠が子供をなぁ…めでたいのう。勿論帰ってきても儂らは受け入れるとも、大事な家族じゃからな。とはいえ事情は事情、後で聞かせるがよい。」
「母さん…かたじけない。」
「珠詠、娘の名前は?」
「辰詠じゃ。」
母の後ろに隠れる辰詠の前にしゃがむ祖母。母より少し老けているがとても若々しい外見だった。
「珠詠に似てツリ目気味じゃなぁ…小さい頃の珠詠を思い出す、可愛らしいのう。儂が柧珠、お前のお婆ちゃんじゃよ。」
辰詠の山村での生活が始まった。
・
村に住み始め早数日経つが、村での生活に何ら支障は無かった、有るとすれば、後ろ、裏、陰から聴こえる声。
『掟破りで作られた擬きめ。』
『脆く愚かな人間の血で作られた偽物が。』
『人間の種を受け入れるとは、あの恥知らずめが。』
母すらも巻き込むその罵詈雑言は辰詠に怒りを湧きたたせる、でも表立って怒る事なんて無く、必要も無かった。
何故なら前を向けばあんな醜悪なヤジなんかよりも多くの暖かな言葉が迎えてくれるからだ。
『珠詠とそっくりで働き者やな、ほらおいで…沢山採れたから大根一本あげる、私の主人には秘密やで♪』
『頭の固い俺ら村民に代わって、人間と手をとりあい出来た愛の申し子だな。』
『珠詠も人間を信じ直せるとは大したものだ、見直したぞ!』
母すらも巻き込むその称賛の言葉に辰詠は救われていた。
・
「喜べ辰詠、今年は豊作じゃぞ。食料には困らぬのう、豊穣の神に感謝せねばな。」
ある時、母はいつになく喜んでいた、母の無邪気なその笑顔は……笑顔?
母を見ていた辰詠は異変に気付いた。
「珠詠母さん?」
生まれたころからいつも母の顔を見ていた、母の顔にあったあの笑顔が、
「んん? どうしたんじゃ辰詠。」
当たり前のように思っていたことが目を凝らして見ると、
「どうしてそんなに嬉しそうなのに…無表情なの?」
この時初めて母が笑顔になれなくなっていることに気付く。
きっと父が死んだとき既に笑顔は失われていたのだろう。
・(1927)
「辰詠、ただいま。」
ある日出掛けた母が帰ってきたが、毛色が変わっていた。
「珠詠母さん毛真っ白だよ…どうしたの?」
「む? ああ、儂はどうやら白狐に任命されたらしいのじゃ、それに伴い善仙狐組合で働かなければならん。お前がいるというのに、儂はつくづく酷い親じゃな…。
そして九尾様から与えられた命じゃから逆らうこともできぬのじゃ…。」
母はそういって辰詠の頭を撫でる。あの時以来、母は殆ど無表情になってしまった。しかし辰詠の頭を撫でるその手から母の優しい感情が伝わってきた。
「…仕方ないよ、珠詠母さん。それより大事な仕事なんでしょ? だから頑張って。」
「すまぬな…きっと何日も帰らぬ日が暫く続くじゃろう、その間は儂の母さん…柧珠お婆ちゃんと一緒にいてあげておくれ…。」
娘を想う母の腕が辰詠を抱き締める、彼女も辰詠といられる時間が短くなるのを恐れているのだ。
「うん、分かったよ。だから安心して仕事をして、一生懸命な珠詠母さんが大好きだから…。」
「良い子じゃ、お陰で儂は頑張れる…愛しておるぞ。」
母は相変わらず無表情、だが声色からしっかりと感情が読み取れた。
・
それからの母は長い間いなかったり、短い間しか家にいれなかったりと大変そうだった。
帰って来る度に何か術を覚えていたり、体に傷を負っていたり、疲労困憊していたり。その度に辰詠は自分が母を支えれるようにしっかりしなければならないと思った。
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