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ALSを解除した途端、わずかに足下がふらついた。人為的に反応速度を高めたせいで、感覚がおかしくなっている。
ALSを使用したことによる影響というより、人の身で超高速を得られる加速アビリティの反動だろう。
加速しているときに感じた世界は今までに感じたことのないものだった。宇宙や量子の世界では通常考えられないような物理法則が存在するのに似ていて、時間や空間の尺度がデタラメに変化する。
当然、アビリティが強力であればあるほど、脳にかかる負担は大きくなる。ALSによる戦闘はこれまでの人間の常識を覆す超感覚の戦いになるだろう。俺は正常な感覚を取り戻すために2,3秒、地面を見つめた。
「少し酔うな。声が遠くに聞こえる」
「あれだけ異常な速度で動いていれば、当然です」
やはり、傍から見ても人外の速度で動いているように映ったらしい。
俺はホロキーボードを呼び出し、圧縮した戦闘ログを開発ギルドへ送った。
「まだ日は高い。できれば今日中にブリュージュまで行きたい。先へ進もう」
「そうですね。早く次の街へ行かないと」
交易都市ブリュージュはこの先の岩場エリアを抜けた先にある小規模な都市だ。
ヴァネサリアはいつ敵に呑み込まれるか緊張状態にあるため、すぐにでも拠点を確保し、プレイヤーを移住させたい。
ここで狩りをしてレベルを上げておけば、一時の安心感は得られるだろうが、レベリングによる優位がいつまでも続くとは思えないし、キラービーから得られる経験値自体、微々たるもので時間の無駄だ。
慎重さや安全策という言葉は今の俺たちにとって甘い罠だ。それに騙されると、街が滅びる直前まで誰もそこを離れない気がする。
南エリアは奥へ進むにつれて、糸杉と肩を並べる高さの岩柱がいくつも立ち並ぶ砂岩の迷宮のようなフィールドに変わっていく。
それを越えた先にあるのが交易都市ブリュージュだ。
風に抉られてできた巨岩群はどれも歪な形状にうねり、大地が裂けて立体的に入り組んだ地形はマップには表示されないいくつもの抜け道ができていて、見通しが効かない。
地形的にバックアタックやサイドアタックを受けやすく、自然とPTは密集して戦うことが多くなる。
そうして一丸となって進んでいくうち、どこからともなく虫の羽音が聞こえてきた。
「どこから・・・消えた?」
前方のボーリングピン状の岩の影から一瞬だけ敵影が見えた。探索レーダーでもギリギリの位置に引っかかっているのが見える。
レーダーの表示は警戒状態を表す赤色になっている。
ぞわり、と背筋が粟立つ。見えない敵がすぐ近くまで迫っているような気がする。
「群れを呼ばれる前に片付ける!」
逃げた蜂を仕留めるために前へ飛び出すと、キラービーはさらに後ろに下がった。釣られて俺も一歩先へ踏み込んでしまう。
加速アビリティによって距離が一瞬で零になり、弾丸のように迫る巨岩群を身を反らすようにしてかわしていく。
刹那、岩と岩の間に潜んでいたもう一匹の蜂がタイミングを計っていたかのように俺の背後をすり抜けた。
気づいたときには相対的に恐ろしい速さで遠ざかっていた。振り返ったときには、すでに正面からオレアリアに襲いかかろうとしていた。
「まずいっ、届くか!?」
とっさに加速状態で踵を返し斬りつけたが、キラービーはさっきまでと違い、ゾッとするほど滑らかな動きで剣をかわす。
雑な機動が修正されている。一個体の戦闘データを組織全体で共有しているかのようだ。
かすることもできないまま、キラービーの即死攻撃がオレアリアの腹部を刺し貫いた。即死耐性がかかっているため、一撃で殺される心配はないが、HPは確実に削られる。ALSを起動させて五分の状態に持ち込むしかない。
「アヤカ、撃てっ!」
「後ろからも来てますっ」
ホットスポットに誘い込まれたということか、四方八方から湧き出してきたキラービーに挟撃を受ける。オレアリアとアヤカも反撃を試みるが、敵の数が多すぎる。その上、こちらの動きを読んでいるかのように、岩陰に潜んでは別の死角から別個体が襲ってきて、的を絞らせない。訓練されたように戦略的な機動。状況は不利だ。
ALSは人間の処理能力に依存している。だから、必ず反動がくる。
加速している時間が長くなればなるほどノイズが蓄積し、脳にかかる負担が増していく。結果、脳の奥に突き刺さるような痛みとともに強烈な酔いが回ってくる。
身体的異常を感知したVR機がエラー警告を発し、画面中央に赤い半透明のホロウィンドウが表示される。視界を塞ぐ警告表示を目を振って追い払い、攻撃回避に意識を集中する。
「レオン、一旦退くぞ!」
今の状況ではヒールも唱えられないと見て、オレアリアが撤退を叫ぶ。加速中でも地の利を活かせるキラービーとは違って、俺たちはこの岩場に慣れていない。まずは死地を抜けることが最優先だ。
そう思った矢先、一条の閃光がまとめて蜂を貫いた。
「なに!?」
それは輝くような緑色をした長さ2mほどの一本の槍だった。
これまでに多くのプレイヤーの命を奪ってきた、緑色の凶槍。俺のいる限り、この場に現れそうなのは魔槍士と呼ばれる男唯一人だ。
「ホント、危なっかしいんだからよぉ! 俺がいなきゃどうなってたと思うよ?」
槍を手にしたレジアーネがニヤついた笑みで岩の上にしゃがみこんでいる。だが、悠長に会話している余裕はない。
「とにかく、ここを抜けるぞ。二人を守って後退しろ。有利な地形まで敵を誘い込む」
「言われなくてもやってるだろ」
狭い地形にも関わらず、レジアーネは槍をうまく使って敵の追撃を防いでいた。
加速アビリティのおかげで、PTの移動速度も上がっている。囲いを突破し、岩場を走り抜けるとキラービーの群れは追ってくるのを止め、岩場の向こうに引っ込んでしまった。
「引き返した? エリア常駐型か」
フィールドMobの行動パターンは一見ランダムに見えるが、その行動範囲は限られている。一度タゲられると、執拗に追ってくるMobは多いが、引き返していったということはキラービーの行動半径が特定のエリアに縛られていることを示している。
考えがまとまると、次に俺はレジアーネにここへ来た理由を尋ねた。
あまりにも良いタイミングで現れたのを偶然で済ませられるほど、大雑把な性格でもない。
「後をつけてたのか?」
「ンなコソコソするわきゃねーだろ。聞いたんだよ」
現在フィールドに出ているPTは俺たちだけだ。開かれている門も一つしかないし、確かに後を追うのは難しくない。
それにレジアーネはALSを使ってキラービーに対抗していた。ギルドが俺たちに合流させるためにレジアーネを送り出したのかもしれない。もともとPTに加わる予定だったのだから、それに関しては納得できる。最後に残る疑問はなぜ俺たちを助けたかだ。一人でここへ来るのには危険が伴う。レジアーネが理由もなくそうするとは考えにくい。
「俺がいなけりゃやばかったろ?」
レジアーネがしつこく繰り返すように聞いてくる。
恩着せがましい言い方にカチンときたのか、オレアリアが険のある目つきでレジアーネを睨んだ。
「切り抜けるさ。あれくらいは」
「嘘つくなよ、やばかったろ!」
正直、レジアーネの言うとおりではあったが、あのままPTが全滅していたかといわれると、そうも思えない。
俺とアヤカが口を挟まないでいると、仲の悪い二人の言い合いはだんだんとヒートアップしてきた。
そしてとうとう、レジアーネが我慢できなくなったように叫ぶ。
「姉ちゃんはなんでそんな冷たいんだよ!」
思わぬセリフに俺とアヤカは反射的にオレアリアへ視線を向ける。すると、彼女は小さく舌打ちをして言った。
「・・・チッ、この馬鹿」
「あの、どういうことですか。二人は姉弟なんですか?」
アヤカからの問いかけに、しばらくの間、沈黙を守っていたオレアリアだが、やがて諦めたように肩を落とし、仲違いの理由を話し始めた。
「レオンにはもう気づかれているかもしれないが、クリムゾン・クロイツは・・・」
「PKギルドか」
「そうだ。やはり知っていたか」
オレアリアはもともと治癒術士を集めて構成されたギルド【クリムゾン・クロイツ】のトップだ。だとしたらPKを指示する立場にいたということになる。
「レジアーネもクリムゾンの一員か?」
「逆だ。私はこいつをギルドに近寄らせたことなど、ただの一度もない。それをこの馬鹿は・・・」
オレアリアはレジアーネを冷たく一瞥する。態度こそ厳しいが、そこには自分のしたことに対する後悔や、怒りが含まれているようにも見える。
「PKを組織できれば、身近な人間が襲われる可能性を減らすことができる。最善の方法を選んだつもりだった」
「治癒術士がどうやって・・・」
「瀕死のプレイヤーに一番接近しやすいのがどの職業か、簡単に想像はつくだろう? あの当時は回復アイテムも手に入らなかったし、皆死ぬことに怯えていた。心理的な落とし穴だよ。最低だろう?」
初めのうちは俺たちに秘密を打ち明けるように順を追って喋っていたオレアリアだが、それは次第に熱を失って、虚ろに響く声に変わっていった。
「あの当時たった一つの救いは、皮肉だが運営の悪意を信じることだった」
人は後ろめたい行いをするとき、どこか外部にその原因を求めようとする。だが、それは自分の心にのみ作用する慰めでしかない。
「VRとはいえ、自分の姉が殺人行為に手を染めるのを見て、なんとも思わないわけがない。私は自分がしていることを知られたくなかった」
だが、必要以上に遠ざければ、かえってその原因を知られてしまう。デスゲームが行われている空間のなかで、それまで普通に接していた相手が急に自分を避けるようになれば、その理由に思い至るのはそう難しいことではないはずだ。
そして避けられるくらいなら、共犯になってしまえばいいとレジアーネは考えたのかもしれない。
無論、そんな短絡的な行いをオレアリアが許すはずがない。そうして互いに相手を思いながら、だんだんと溝は深まっていったのだろう。
「アヤカ、このメンバーでPKに手を染めてないのは、お前だけだな」
「ふぇっ!?」
意味ありげに華奢な肩に手を回して囁いてやると、それまで神妙な面持ちでオレアリアの話に耳を傾けていたアヤカは、素っ頓狂な声をあげて戸惑った。
「ふむ、言われてみればそうだな」
「アヤカ、お前は今でも俺のことが怖いか? 人として信用できないか?」
問いかけると、アヤカはきっぱりと前を向いて答えた。
「信用できなかったら、今この場にはいません。たとえ、誰かがあなたのしたことを責めたとしても、街を救ってくれた恩人は紛れもなく、あなたがたです。私はどんなに正しい理屈よりも、あなたの言葉を信じます」
「だそうだぜ、オレアリア。アヤカでさえ、こう言ってくれてるんだ。お前たちも仲直りしたらどうだ」
「やれやれ、その娘にそこまで言わせるとは・・・。君は悪い男だな」
オレアリアは肩を竦め、レジアーネと向かい合った。
「あまり無茶をするなよ。HPに気を遣うのは私なんだからな」
レジアーネの顔に途端に笑みが広がる。捻くれた印象ばかりが目立っていたが、意外と素直な奴なのかもしれない。
とにかくこれで貴重な槍使いが戦力に加わった。目指すは次の街ブリュージュだ。




