6.
建国記念夜会当日。
王城は一年で最も華やかな夜を迎えていた。
無数のシャンデリアが広間を照らす。
磨き上げられた大理石の床。
色鮮やかなドレス。
正装に身を包んだ貴族たち。
楽団が奏でる優雅な音楽。
笑い声と談笑があちこちから聞こえてくる。
王国中の有力貴族が集まる一大行事。
それが建国記念夜会だった。
「緊張してます?」
隣でミリアが小声で聞いてくる。
私は首を傾げた。
「別に?」
「でしょうね」
なぜか納得された。
会場を見渡す。
王族。
貴族。
教会関係者。
文官たち。
見知った顔も多い。
その中には私が開発した魔道計算機を使っている文官の姿もあった。
魔道翻訳機の利用者もいる。
自動書記魔道具を愛用している部署もある。
思ったより広まっていたらしい。
少しだけ嬉しくなった。
「リディア様」
離れた場所からルークが軽く会釈する。
準備はできている。
そんな合図だった。
私は小さく頷き返した。
そして、会場の奥へ視線を向ける。
ルイス殿下。
その隣にはエミリア。
まるで最初から婚約者同士だったかのように寄り添っている。
二人とも妙に機嫌が良さそうだった。
おそらく今日が成功すると信じているのだろう。
私は少しだけ肩をすくめた。
まあ。
私も成功すると思っている。
ただし意味は違うけれど。
やがて、楽団の演奏が止まった。
ざわめきが静まっていく。
ルイス殿下が一歩前へ出た。
その表情には自信が満ちている。
私はふと数日前のことを思い出した。
『次の建国記念夜会で婚約を解消しよう』
録画魔道具が記録していた言葉。
いよいよその時が来たらしい。
私は静かにグラスを置いた。
そして——
「リディア・ローゼン。貴様との婚約を破棄する!」
王太子ルイスの声が大広間に響いた。
集まった貴族たちがざわめく。
隣には白いドレスを纏った聖女エミリア。
王太子は彼女の肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように笑っている。
「私は真実の愛を見つけたのだ!」
「そうですか」
私は頷いた。
それだけだった。
会場の空気が妙なものになる。
王太子は眉をひそめた。
「……何だ、その反応は」
「何だと言われましても」
私は首を傾げる。
婚約者が浮気していたことは知っている。
だから証拠も集めた。
逃亡準備も終わっている。
荷物は昨日すべて運び出した。
研究資料も特許権も契約書も。
ついでに王宮に貸与していた魔道具の停止設定も済ませてある。
だから今さら何も思わない。
むしろ。
——やっと言ってくれた
という気持ちの方が強かった。
だが、ルイス殿下はそう受け取らなかったらしい。
「強がる必要はない」
なぜか得意げな顔をしている。
「君が私を愛していたことは知っている」
知らない。
初耳だ。
「だが私はエミリアを選んだ」
「はあ」
「彼女こそ私の運命の相手だ」
「そうですか」
私は頷く。
本日二度目だ。
エミリア様が少し眉をひそめた。
どうやら期待した反応ではなかったらしい。
「悔しくないのですか?」
「何がです?」
「ルイス様を奪われたのですよ!」
私は少し考えた。
そして正直に答える。
「別に」
会場が静まり返った。
エミリア様まで固まる。
なぜだろう。
質問されたから答えただけなのに。
「ふ、ふざけるな!」
ルイス殿下が顔を赤くする。
「君は私の婚約者だったのだぞ!」
「そうですね」
「ならもっとこう……あるだろう!」
残念ながらよく分からない。
私はそっとため息を吐いた。
そろそろ本題へ入ろう。
「ルイス殿下」
「何だ」
「婚約解消については異論ありません」
そう言うと、殿下は満足そうに頷いた。
だが、次の瞬間。
「では契約終了ということでよろしいですね?」
その笑顔が固まった。
「……契約?」
「はい」
私は書類を取り出す。
「婚約に伴う研究契約です」
「な、何を言っている」
「そもそも婚約の理由は研究環境でしたし」
「け、研究環境だと?」
「はい」
私は当然のように答えた。
「王家が研究費や設備を提供する。その代わりに私が研究成果を提供する」
契約書を取り出す。
「こちらですね」
会場が再びざわつく。
「契約?」
「そんなものがあったのか」
「当然でしょう」
私は首を傾げた。
研究者なのだから。
契約は大事だ。
「ですが」
私はページをめくる。
「研究費が削減されました」
ルイス殿下の表情が僅かに変わる。
私は見逃さなかった。
「三割ほど」
「それは……」
「理由は聖女様です」
視線がエミリアへ向く。
エミリアがびくりと肩を震わせた。
「研究予算からドレス代が支払われています」
一枚。
「宝石代」
二枚。
「高級レストラン」
三枚。
「馬車代」
四枚。
机代わりに使われた長机へ書類を並べる。
証拠は十分だった。
会場の空気が変わる。
今度は困惑ではない。
疑念だった。
「まさか……」
「本当に研究費なのか?」
「領収印があるぞ」
文官たちがざわめき始める。
私は満足して頷いた。
良い反応である。
「それだけではありません」
私は小箱を取り出した。
会場の視線が集まる。
「新作魔道具です」
一部の文官が嫌な予感を覚えた顔をした。
研究発表が始まる時の顔だ。
正しい。
「映像と音声を記録できます」
「なんだと?」
「映像を?」
「音声まで?」
私は魔力を流した。
次の瞬間。
壁に映像が映し出される。
庭園。
ルイス殿下。
エミリア。
そして。
『最近リディアが静かだな』
『きっと諦めたんですわ』
会場が静まり返る。
映像は続く。
『次の建国記念夜会で婚約を解消しよう』
『まあ!』
『皆の前で正式に宣言する』
『素敵ですわ!』
映像が終わる。
今度こそ完全な沈黙だった。
誰も何も言えない。
ルイス殿下の顔色が真っ青になっている。
エミリアは今にも泣きそうだった。
私はそんな二人を見て首を傾げた。
なぜそんな顔をしているのだろう。
証拠を出しただけなのに。
「さて」
私は契約書を閉じる。
「王家が契約を履行できないのであれば、私も契約を終了します」
そこで初めて。
国王陛下の顔色が変わった。
私は続ける。
「結界関連技術」
「魔道計算機」
「魔道翻訳機」
「自動書記魔道具」
会場のあちこちから息を呑む音が聞こえた。
「それらの権利は全て私にあります」
文官たちが固まる。
財務官が顔を引きつらせる。
宰相は額を押さえた。
どうしたのだろう。
私は契約内容を確認しただけだ。
「契約終了に伴い、研究資料および権利を回収します」
そこでようやく。
会場の人々は理解した。
問題は婚約破棄ではない。
王国の中枢を支えていた技術が失われることなのだと。
そして。
ルイス殿下もまた。
ようやく自分が何を失おうとしているのかを理解し始めていた。




