3.
今度こそ最高の研究環境を手に入れた。
私はそう思っていた。
だが、思わぬ落とし穴があった。
「リディア、これも頼む」
「これも」
「あとこれもだ」
机の上に次々と書類が積まれていく。
私は無言になった。
書類。
書類。
また書類。
山のような書類。
犯人はもちろん婚約者である。
私は遠い目をした。
「あの顔だけ王子……」
「聞こえてますよ」
隣から呆れた声が飛んできた。
研究補助員のミリアだ。
優秀で真面目な人材である。
ちなみに苦労人でもある。
「だって本当じゃない」
「婚約者ですよね?」
「残念ながら」
ルイス殿下は政務が嫌いだった。
その結果どうなるか。
面倒な仕事がこちらへ流れてくる。
王太子妃教育の一環だとか何とか言われたが、実態は丸投げだった。
おかげで研究時間はどんどん削られていく。
そしてある日。
私は予算案作成まで任されていた。
「……多い」
数字だらけの書類を見て頭を抱える。
足し算。
引き算。
掛け算。
割り算。
計算。
計算。
また計算。
私はふと思った。
「なんで電卓ないんだろう」
「でんたく?」
「前世の便利道具」
そこまで言って私は固まる。
待て。
なんで無い前提で考えているんだ。
作ればいいじゃないか。
私は勢いよく立ち上がった。
「ミリア!」
「はい?」
「研究する!」
「今ですか!?」
「今でしょ!」
そうして私は研究室へ引きこもった。
三日後。
完成した。
魔力を流すだけで計算を行う魔道具。
複雑な計算も一瞬で終わる。
私は満足げにそれを持ち上げた。
「魔道計算機ー!」
高々と掲げる。
沈黙。
研究室が静まり返る。
補助員たちが微妙な顔をしていた。
ミリアがそっと口を開く。
「……お疲れですか?」
「失礼な」
私は真顔で答えた。
「今とても楽しい」
「そうですか」
ミリアは諦めたようにため息を吐いた。
その後、魔道計算機は王宮中に広まった。
財務部門は歓喜した。
文官たちは泣いて喜んだ。
そして私は味をしめた。
面倒な仕事は自分でやるものではない。
魔道具にやらせればいいのだ。
こうして私は次々と便利魔道具を開発していくことになる。
◇◇◇
便利魔道具の開発は順調だった。
魔道計算機。
魔道翻訳機。
自動書記魔道具。
書類整理魔道具。
最初は自分の仕事を減らすために作っただけだったのだが、気付けば王宮中で使われるようになっていた。
おかげで私も研究時間を確保できる。
移動ゲート研究も少しずつ進んでいた。
そんなある日のことだった。
「ミリア」
「何ですか?」
「最近、王宮の様子変じゃない?」
机に向かったまま尋ねる。
ミリアは呆れたような顔をした。
「今さらですか?」
「今さら?」
「何を聞いていたんですか」
聞いていたも何も、最近は転移座標固定の研究で忙しかった。
三日ほど研究室から出ていない。
「聖女様が誕生したんですよ」
「ああ」
そこでようやく思い出した。
確か少し前からそんな話を聞いていた気がする。
治癒能力が覚醒した伯爵令嬢。
教会が認定した新たな聖女。
王都では大騒ぎらしい。
「それで王宮が浮かれてるの?」
「浮かれてます」
「へぇ」
私は頷いた。
それだけだった。
「反応薄いですね」
「だって私には関係ないし」
聖女が誕生しようがしまいが、移動ゲート研究には関係ない。
重要なのは転移理論である。
私は再び設計図へ視線を落とした。
ミリアは何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言わなかった。
数日後。
研究資料を届けるため王宮の廊下を歩いていた私は、その聖女を初めて見た。
淡い金髪。
愛らしい顔立ち。
いかにも守ってあげたくなるような雰囲気の少女だった。
そして隣にはルイス殿下。
二人は楽しそうに話している。
いや……楽しそうというより。
「……頭の中に花が咲いてるな」
思わず呟いた。
あれは恋愛中の顔だ。
隣でミリアが頭を抱えた。
「声が大きいです」
「聞こえないでしょ」
「聞こえたらどうするんですか」
「別に?」
事実だし。
二人ともこちらには気付いていない。
それどころか周囲も微笑ましそうに見守っている。
私は少しだけ納得した。
なるほど。
最近の王宮が浮ついている原因はこれか。
まあ、若い男女が恋愛するのは自由だ。
好きにすればいい。
私には関係ない。
そう思っていた。
……思っていたのだが。
なぜか時々、二人はこちらへ絡んでくるようになった。
「リディア様」
ある日は聖女エミリアに呼び止められた。
「何?」
「ルイス様は優しい方なんです」
「そうだね」
「とても素敵な方なんです」
「そうだね」
「私たち、とても仲が良いんです」
「そうだね」
私は頷いた。
エミリア様は何故か少し不満そうな顔をした。
よく分からない。
また別の日。
「リディア」
ルイス殿下に呼び止められる。
「エミリアは本当に心の優しい女性なんだ」
「そうだね」
「彼女は特別なんだ」
「そうだね」
「もっと何かないのか?」
「お幸せに?」
なぜか殿下は微妙な顔をした。
本当に意味が分からない。
恋愛ならどうぞご自由に。
私には関係ない。
そう思っていた。
そう、あの日までは……
◇◇◇
文官から予算三割削減を告げられた私は、そのままの足で研究室の扉を勢いよく開けた。
「信じられない!」
私は机を叩いた。
補助員たちがびくりと肩を震わせる。
その中でも真っ先に近付いてきたのはミリアだった。
「どうしたんですか?」
「予算を削られた」
「は?」
ミリアが固まる。
「三割」
「なっ……」
さすがのミリアも絶句した。
「ど、どうしてですか?」
「聖女様を着飾るためだって」
沈黙。
数秒後。
ミリアのこめかみに青筋が浮かんだ。
「王子殿下は何を考えて――」
「ああ、これじゃ研究が遅れる」
私も同時に声を上げた。
ミリアがじっとこちらを見る。
その目はとても冷たかった。
「そこなんですね」
「そこだよ?」
研究費が減る。
つまり研究が遅れる。
大問題である。
「婚約者が聖女様に夢中なんですよ?」
「別に恋愛は自由でしょ」
「そういう話じゃありません」
よく分からない。
私は研究室をうろうろ歩き回った。
移動ゲート。
希少素材。
実験計画。
予算。
頭の中で様々な計算が巡る。
そしてふと足を止めた。
「そもそも婚約だって……」
そこで気付く。
「あれ?」
私は勢いよく立ち上がった。
「リディア様?」
返事もせず研究室の奥へ向かう。
金庫を開ける。
書類を引っ張り出す。
婚約契約書。
研究契約。
権利関係の資料。
次々と確認する。
数分後、私は確信した。
「ふふ」
笑みが漏れる。
「ふふふふ……」
「怖すぎです」
ミリアが真顔で言った。
気にしない。
だって面白いことになっている。
「ミリア」
「はい」
私は勢いよくミリアの両手を掴んだ。
「ひっ」
「ミリア、あなた研究は好きよね?」
「好きですけど」
「私といると面白いでしょう?」
「否定はできません」
「他ではできない体験もできるでしょう?」
「それは間違いないですね」
なぜか遠い目をされた。
心外である。
「なら質問」
私はにっこり笑う。
「国外に興味はある?」
「はい?」
ミリアが瞬きをした。
私はさらに笑みを深める。
「予算を出せないなら、ここにいる理由はないよね」
王家は研究環境を提供する。
私は成果を提供する。
それが契約だった。
ならば。
契約が守られないのなら。
こちらも付き合う必要はない。
私は書類を抱えたまま考える。
どこへ行くか。
誰を頼るか。
何を持ち出すか。
やるべきことは山ほどあった。
「さて」
私は新しい紙を取り出した。
まずは協力者探しだ。
ふと脳裏に、数年前の祝賀会で会った人物が浮かぶ。
結界の理論を理解してくれた数少ない相手。
隣国の王弟。
「手紙を書こうかな」
そう呟いた瞬間。
私の王国脱出計画が始まった。




