2.
王都は大騒ぎだった。
国境を覆う結界など前代未聞だったらしい。
そんなものを作った本人として、私は王宮へ案内されていた。
そして初めて王太子ルイスを見た。
金髪をなびかせ、白い歯を見せて笑う青年。
整った顔立ち。
堂々とした立ち振る舞い。
なるほど。
あれは確かに王子だ。
顔がいい。
それは認める。
ただ、それだけだった。
私の興味は王子よりも王宮の設備の方に向いていた。
王宮の工房。
保管庫。
研究施設。
希少素材。
見てみたいものが山ほどある。
そんなことを考えているうちに、私は国王陛下との謁見へ案内された。
結界の報告を終えると、国王陛下が満足そうに頷く。
「リディア嬢。見事な功績であった」
「ありがとうございます」
「褒賞を与えよう。望みはあるか?」
私は少し考えた。
そして答える。
「研究費をください」
部屋が静まり返った。
「研究費?」
「はい」
「他には?」
「研究施設」
「他には?」
「希少素材」
「他には?」
「優秀な補助員」
国王陛下が頭を抱えた。
隣にいた宰相閣下も何とも言えない顔をしている。
「爵位はいらぬのか?」
「研究の邪魔にならないなら」
「金貨は?」
「研究費で構いません」
「宝石は?」
「魔石なら欲しいです」
国王陛下は深いため息を吐いた。
その後、正式な契約が交わされた。
王家は研究施設と研究資金を提供する。
私は研究成果を優先的に王国へ提供する。
そんな内容だった。
なお、開発した魔道具の権利は私個人に帰属すると定められた。
私は研究以外に興味がなかったので深く考えなかったが、宰相閣下がその部分をやたら念入りに確認していたことだけは覚えている。
その夜、盛大な祝賀会が開かれた。
大勢の貴族が話しかけてきたが、正直ほとんど覚えていない。
ただ一人だけ。
結界の理論について熱心に質問してきた隣国の王弟がいたことだけは、なぜか記憶に残っていた。
そして私は研究者として最高の日々を手に入れた。
そう思っていた。
けれど、移動ゲート研究が本格化したことで、その認識は変わることになる。
◇◇◇
研究者としての日々は充実していた。
王家から与えられた研究施設。
以前では手も出なかった素材。
優秀な補助員たち。
おかげで研究は順調に進んだ。
……結界関連だけは。
問題は移動ゲートだった。
「足りないなぁ……」
私は机に突っ伏した。
設計図の上には大量の計算式が並んでいる。
転移そのものは理論上可能だった。
だが必要となる魔力が大きすぎる。
魔力効率を上げても限界があった。
さらに希少素材も必要になる。
転移座標の固定。
空間の安定化。
魔力暴走の防止。
どれも高価な素材ばかりだった。
試算を終えた私はそっと紙を伏せた。
見なかったことにしたい。
見積額が恐ろしい。
現在の研究費では到底足りなかった。
「お金が欲しい……」
研究者としてあるまじき発言だが事実だった。
そんなある日のこと。
私は再び王宮へ呼び出された。
今度は何だろう。
新しい研究予算だろうか。
そんな期待を抱きながら向かった私を待っていたのは、予想外の話だった。
「婚約?」
思わず聞き返す。
「そうだ」
国王陛下は満足そうに頷いた。
「リディア嬢。そなたにはルイスの婚約者になってもらいたい」
視線を向ける。
当の本人は自信満々の笑みを浮かべていた。
相変わらず顔はいい。
王子様そのものだ。
だが私の頭に浮かんだのは恋愛ではなかった。
前世で読んだ物語。
ガラスの靴で有名なあの話。
王子と結ばれた少女は、その後本当に幸せだったのだろうか。
私は少し疑問だった。
王族なんて面倒事しかなさそうである。
できれば研究室に籠もっていたい。
だから最初は断ろうと思った。
しかし。
「王太子妃となれば王家直轄研究所を与えよう」
ぴくり。
耳が反応した。
「研究予算も増額する」
ほう。
「希少素材の優先使用権も付ける」
なんと。
「必要な人員も揃えよう」
私は真顔になった。
待ってほしい。
それは……かなり良い話ではないだろうか。
頭の中に様々なものが浮かぶ。
最高品質の魔石。
最新設備。
広大な実験場。
山積みの研究資材。
そして何より移動ゲート研究。
今まで予算不足で諦めていた実験も可能になるかもしれない。
考えれば考えるほど魅力的だった。
私はルイス殿下を見た。
殿下もこちらを見ていた。
たぶん何か勘違いしている。
だが問題ない。
私も別の意味で勘違いしているかもしれない。
少なくとも見ているものはお互い違う。
殿下は婚約を見ている。
私は研究環境を見ている。
「お受けします」
そう答えると、国王陛下は満面の笑みを浮かべた。
ルイス殿下も嬉しそうだった。
たぶん勘違いしている。
私は殿下を選んだのではない。
王家の研究費を選んだのだ。
そしてその選択が、数年後に大きな問題を生むことになる。
もっとも、この時の私はまだ知らなかった。
未来の王太子が、研究費を削ってまで聖女に貢ぐ男になることを。




