1.
「リディア・ローゼン。貴様との婚約を破棄する!」
王太子ルイスの声が大広間に響いた。
集まった貴族たちがざわめく。
隣には白いドレスを纏った聖女エミリア。
王太子は彼女の肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように笑っている。
「私は真実の愛を見つけたのだ!」
「そうですか」
私は頷いた。
それだけだった。
会場の空気が妙なものになる。
王太子は眉をひそめた。
「……何だ、その反応は」
「何だと言われましても」
私は首を傾げる。
婚約者が浮気していたことは知っている。
だから証拠も集めた。
逃亡準備も終わっている。
荷物は昨日、気付かれぬようすべて運び出した。
研究資料も特許権も契約書も。
ついでに王宮に貸与していた魔道具の停止設定も済ませてある。
だから今さら何も思わない。
むしろ、『やっと言ってくれた』という気持ちの方が強かった。
◇◇◇
——三ヶ月前。
「却下、ですか?」
リディアは提出した申請書を見つめた。
見間違いではない。
希少鉱石購入申請。
却下。
高純度魔石購入申請。
却下。
転移実験用触媒購入申請。
却下。
見事なまでに全滅だった。
「どうしてです?」
向かいに座る文官は困ったような顔をした。
「私に聞かれましても……」
「困ります。私は聞きたいのです」
「そう言われても……」
文官は周囲を見回し、誰もいないことを確認してから小声になった。
「王太子殿下のご指示です」
「ルイス殿下の?」
「はい」
リディアは首を傾げた。
意味が分からない。
研究予算は王家が管理している。
だが、これまで削られたことなど一度もなかった。
そもそも彼女が婚約者になった理由そのものが、この研究予算にあるのだから。
「理由は?」
「それが……」
文官はさらに声を潜めた。
「聖女様関連の支出が増えまして」
「へえ」
「離宮の改装や専属侍女の増員、宝飾品の購入などで予算が不足しておりまして……」
リディアは無言になった。
文官も黙った。
数秒後。
「それ、私の研究より大事なんですか?」
「私に聞かないでください」
即答だった。
リディアもそう思う。
文官に罪はない。
悪いのは予算を削った人物だ。
「ちなみに削減額は?」
「三割です」
「三割!?」
さすがのリディアも声を上げた。
三割。
三割である。
研究者にとって予算三割削減とは、片腕をもがれるようなものだ。
いや、場合によっては両腕かもしれない。
少なくとも移動ゲート計画は大幅な見直しを迫られる。
「……本気ですか」
「本気らしいです」
「なるほど」
リディアは申請書を受け取った。
研究室へ戻る道中も頭の中では計算が続いていた。
予算三割減。
素材不足。
実験回数減少。
完成予定の大幅な遅延。
最悪の場合、計画そのものが停止する。
研究室の扉を開ける。
机の上には設計図が広げられていた。
彼女が何年も追い続けている夢。
『移動ゲート』
前世で憧れた『どこへでも行ける扉』を再現するための研究だった。
リディアは設計図を見つめる。
そしてぽつりと呟いた。
「……逃げようかな」
その言葉を聞く者はいなかった。
だが、その瞬間。
王国最大の損失となる計画が静かに始まったのである。
そもそも、リディアが王太子ルイスの婚約者になった理由は恋愛などではなかった。
すべては研究のためだった。
◇◇◇
私が前世の記憶を思い出したのは十四歳の時だった。
きっかけはよく覚えていない。
熱を出して寝込んだ時だったか。
階段から落ちた時だったか。
気付いたら前世の記憶が頭の中に流れ込んできた。
そして私が最初に思い出したのは……あの青い猫型のアレだった。
『テレレレッテレー!』
頭の中で妙に軽快な音楽が流れる。
そして現れる数々の夢の道具。
空を飛ぶ道具。
未来の道具。
便利な道具。
その中でも私の心を掴んだのは一つだった。
「どこでも○ア……!」
行きたい場所へ一瞬で移動できる夢の道具。
前世では漫画やアニメの中にしか存在しなかった。
でも……私は窓の外へ視線を向けた。
この世界には魔法がある。
魔石がある。
魔力がある。
そして魔道具がある。
「え?」
胸がどくんと鳴る。
「もしかして作れるんじゃない?」
その瞬間だった。
私の人生の目標が決まったのは。
作りたい。
どうしても作りたい。
どこへでも行ける扉を。
世界中を一瞬で繋ぐ魔道具を。
そうして私は研究を始めた。
なお、その結果。
なぜか最初に完成したのは国境を覆う巨大結界だった。
どこでも○アを作る。
そんな壮大な目標を立てた私だったが、現実は甘くなかった。
まず分かったのは、転移には膨大な魔力が必要だということだ。
人一人を数メートル移動させるだけでも大仕事。
国を跨ぐ移動など夢物語だった。
「うーん……」
私は悩んだ。
魔力が足りない。
いや、正確には使い方が悪い。
魔道具は魔力を流して動かす。
だが多くの魔力は途中で失われていた。
漏れているのだ。
ならば、漏れなければいい。
そう考えた私は魔力の流れそのものを研究し始めた。
効率良く循環させる方法。
魔力を一定範囲に留める方法。
外へ逃がさない方法。
来る日も来る日も研究を続けた。
そして二年後。
私は一つの理論へ辿り着く。
——魔力循環理論。
魔力を絶えず循環させることで、少ない消費で大きな効果を維持する技術だった。
「できた!」
私は大喜びした。
これなら転移に必要な魔力も大幅に削減できる。
早速実験だ。
そう思った私は広い土地を借りて魔法陣を展開した。
結果。
なぜか巨大な結界が完成した。
「なんで?」
私は首を傾げた。
理論は成功している。
魔力も循環している。
外部からの干渉も遮断している。
完璧だ。
ただし転移はしない。
代わりに結界としては異常な性能を発揮していた。
「まあいいか」
良くはない。
私は移動ゲートを作りたかったのだ。
しかし国のお偉い人たちは違ったらしい。
完成から一ヶ月後。
私は王宮へ呼び出されることになった。




