閑話1-2
side:クロード・ナハルド(諜報部長官)
困った、では済まない。
いや――
そんな軽い言葉で片づけられる状況ではなかった。
レネオス国王が倒れ、
アリア王女が実権を握ったあの日。
反対した前長官は、即座に処分された。
そして――
空いた席が、なぜか俺に回ってきた。
(俺はただ……)
(誰よりも早く、忠誠を誓っただけなのに)
諜報部など、名前しか知らない。
その長官など、務まるはずがない。
今回のイリア王女失踪の件も――
本来なら、最優先で報告が上がるべき案件だ。
だが。
俺のもとには、何も来なかった。
長官室へ向かうと、
机の上に一枚の書面が置かれていただけだった。
(……なんで俺に直接報告しない)
慌てて部下を呼び出し、捜索を命じる。
だが返ってきたのは――
「もう城にはいないかもですね〜」
軽い。
あまりにも軽すぎる。
「城外も探せ!」
そう命じても、
「はーい、了解でーす」
やる気のない返事だけを残して出ていく。
(……完全に舐められている)
前長官に忠義を尽くしていた連中が、
俺を“傀儡”扱いしているのはわかっていた。
だが――
どうにもならない。
何もできないまま、時間だけが過ぎていく。
気づけば、夕方になっていた。
戻ってきた部下は、あっさりと言った。
「やっぱり見つかりませんでした」
それだけ。
怒鳴りつけた。
だが――
効いているのかすら分からない。
(終わった……)
そう思った瞬間。
アリア王女からの呼び出しが来た。
(……処刑か)
そんな感覚のまま、執務室へ向かう。
扉を開けた瞬間。
視界に入ったのは――
アリア王女と、
見知らぬ黒衣の神官。
(カイトリア教……? なぜここに)
「で?」
アリアの声が響く。
「見つかったのかしら?」
視線が突き刺さる。
「報告がないということは、どういうこと?」
喉が渇く。
必死に言葉を絞り出す。
「城内外を捜索させておりますが……未だ発見には至っておりません。
捜索範囲を――」
「もういいわ」
遮られる。
その一言で、すべてが終わった。
アリアの瞳が、氷のように冷たく光る。
そして――
ゆっくりと、笑った。
「あなたには、双子の娘がいましたわね」
(……なにを言っている)
「リナとルナがいますが……」
震える声で答える。
「イリアの代わりに、勇者へ差し出しなさい」
思考が、止まった。
「……娘、を……?」
「明日、昼」
淡々と告げられる。
「勇者へ差し出します」
一拍。
「それがイリアになるか――あなたの娘になるか」
冷たい視線。
「あなた次第よ」
手で下がるように合図される。
俺は、何も言えなかった。
ただ震える足で頭を下げ、
そのまま執務室を後にした。
気づけば、走っていた。
自宅へ。
(リナ……ルナ……)
(どうすればいい……)
夜の城下町を駆け抜けながら、
俺は初めて――
この地位を、心の底から後悔した。
家の前で、足が止まる。
(……なんて言えばいい)
答えなど、出ないまま。
俺はふらつく足取りで書斎へ入った。
どれくらい経っただろうか。
扉が、静かに開く。
「あなた……入りますよ」
妻だった。
「どうしたのですか?」
俺は机に手をつき、
震える声で言った。
「……実は――」
すべて話した。
アリアの狂気。
黒衣の神官。
そして――
“娘を差し出せ”という命令。
妻は黙って聞いていた。
話し終えた後。
静かに扉の方を向き、声をかける。
「あなたたち、聞いていたのでしょう」
扉が開く。
リナとルナが、静かに入ってきた。
リナが先に口を開く。
「……逃げるのは、無理だよね」
ルナが唇を噛む。
「私たちはまだいいけど……レナは小さいし」
震える声。
「捕まったら……殺される」
妻が二人を見つめる。
「全員で逃げる覚悟もあるわ」
強い声だった。
「死ぬことになっても」
(……俺は……)
決断できない。
何も言えない。
その時。
リナが、静かに息を吐いた。
「……ルナ」
横を見る。
「一緒に行こう」
「姉さま……」
「レナを守るために」
ルナは、涙をこらえながら頷いた。
「……わかった」
「とうさま」
まっすぐに見つめてくる。
「明日の朝、一緒に城に行きます」
膝が崩れそうになる。
「……すまない……」
それしか言えなかった。
二人は静かに言った。
「レナのところに行ってくる」
そうして、部屋を出ていった。
残されたのは、
俺と妻。
妻がそっと近づき、俺を抱きしめる。
その瞬間。
張りつめていたものが、崩れた。
声を殺して泣く。
ただ、泣くことしかできなかった。
やがて。
俺は震える声で言った。
「……明日、帰れなかったら」
言葉が詰まる。
「レナを連れて……実家に帰ってくれ」
妻は強く頷いた。
「ええ」
「必ず、守るわ」
その言葉だけが。
今の俺を、かろうじて支えていた。




