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初めての休暇⑥

 サイネケンからは、「必要な分はリストニアに持ち込みましたので、部屋に物はないはずです」と言われていた。

 ——嘘だった。

 相変わらずの、魔境だった。


(な、なんか今柔らかい物踏んだ……!黴(か)びた下着か……。……黴びた下着、踏んじゃった〜!)


 最悪である。

 リュシアンなどは速攻で「閉会の宣言とは言っても、時間は決まってないから適当にゆっくり来て。魔導院の職員にだけは、君が挨拶に来ることを伝えておくから!」と爽やかな笑顔とともに逃げていった。魔境よりも雑用の方を取ったらしい。

「アルベルト、ここに変な形の虫がいる。コレクションにしていいか?」

「……っ!だ、駄目だ」

 いくらカルナヴァスの頼みでも、聞けないことはある。

 黴びた下着を踏み越え、タイトルのない、白い本を探す。ヴォルフガングが虫も黴(かび)も一切気にせず探してくれているのが、非常に頼もしい。

 サイネケンの部屋は、居間と寝室の二部屋構造になっている。おそらく扉を開けてすぐの部屋が、居間だろう。だろう、と付くのは、続き間となっている部屋も物が溢れていて、ベッドがあるかどうかもわからないからだ。

「城の部屋は、まだマシだったのですね」

 何かの山から何かを引っ張り出したヴォルフガングが、びよーんと伸びた何かを見て、そっと足元に下ろしている。何一つわからないのが、すごい。

「……帰ったら、城の方のサイネケンの部屋に虫が湧いてしまう前に、一度掃除に入るとしよう」

 それに答えて立ち止まり、部屋中に洗浄魔法をかけた。虫には効果がないが、黴による黒ずみは軽減されたはずだ。

 こんな状態で魔導書や文献を放置するなんて、と思われるかもしれないが、必要な物にはすべて保管魔法がかけられている。その辺りは、さすが大魔導師だと言えた。


(この間から、散らかった部屋で物を探してばかりな気がする)


 カラトワの屋敷でのことを思い出し、汚れ方ではこちらの方がひどいなと汚部屋勝負の軍配をサイネケン側に上げた。

 ここから一冊の本を探すのかと思うと、すでに気が重い。

「アルベルト!めちゃくちゃでっかいゴキブリだ!」

「……私に見せないように、窓から逃がしてやってくれ。私に、見せない、ように」

「わかった!すっげー!オレの顔くらいある!」

 絶対に、カルナヴァスの方を見たくない。


(虫系の魔物とは普通に戦えるのに……、人間って不思議だなぁ)


 カサカサ、という音を聞きたくなさすぎて、意識を逸らす。

 白い本、白い本、と呟きながら、アルベルトは何かわからない物でできた山に手を突っ込む係をヴォルフガングに任せ、かろうじて一部だけ見えている本棚へと向かった。




 ようやく目的の本を見つけた時には、かなりの時間が経過していた。サイネケンの部屋の窓から、橙に染まった雲が流れていくのが見える。

 白い本は、物で埋もれたベッドらしき家具の下にあった。

 わかるわけない、である。


(エロ本の隠し場所じゃないんだからさぁ!)


 見つけたのは、虫探索をしていたカルナヴァスで、「あった!」と満面の笑みで持ってきてくれた。

 保管魔法のおかげか、真っ白な装丁には汚れ一つついていない。簡単には読めないように、魔法による鍵がかけられている。サイネケンからは「閣下なら、数分もあれば解析して開錠できるでしょう」と言われていたが、必要な内容なら本人から知らせるだろうと、読むつもりはなかった。


(そうだ、解析と言えば……)


 埃を出すために開けていた窓を閉めながら、ジャケットに入れて持ってきた飾り紐のことを考える。

 もしヴォルフガングに渡せなかったとしても、リュシアンに石を見せて調べてもらおうと思い、紙袋ごと持参していた。


(純粋に何の石か気になるしね。変な物だったら、ヴォルフガング様に渡せないし……!)


 いっそ変な物の方が、「渡せない」理由ができてよいのかもしれないが。

 やや複雑な気持ちで、飾り紐が入っているポケットを見下ろした。


 カルナヴァスが、クン、と鼻を鳴らしたのは、魔境と化したサイネケンの部屋から出て、ちょうど鍵を閉めた時だった。

「アルベルト、なんか嫌な感じがする」

「嫌な感じ?」

「うん、あっちの方から」

 カルナヴァスは希少な魔法と術の使い手ではあるが、探知に優れているというわけではない。その彼が察知して、アルベルトやヴォルフガングには感じられない何か。

 あっち、とカルナヴァスが指した方へと移動する。廊下の先にある、小さなバルコニーだった。塔の先端に近く地上から遠いバルコニーに出ると、強い風が吹いていた。

 目の前には、太陽塔が聳えている。少し下の方には、二つの塔を繋ぐ、石でできたアーチ状の橋が見えた。

「カルナヴァス、どの辺りかわかるか?」

「えっと、あのでっかい建物の真ん中の下」

「大ホールか」

「首輪をつけてた時の感じと似てるんだ。暗くて、冷たくて、胸がザワザワする感じ」

「——……」

 アルベルトは、カルナヴァスの髪を撫でてから、持っていた本を彼へと手渡した。

「先にホールへ行く。カルナヴァスを頼む」

「閣下……!」

 ヴォルフガングが止める前に、バルコニーから眼下の橋へと飛び降りる。一度着地してから、助走をつけ、風魔法を使って太陽塔まで飛んだ。


(カルナヴァスの首輪は、隷属の魔道具に呪いを重ねがけしていたものだった。それと同じものを感じるということは……)


 悲鳴が、聞こえた。

 太陽塔の一階部分からだった。

 同時にアルベルトにも、感じることができた。


 ——魔物が発する、瘴気だ。


 鋭角な面が続く屋根を走り、表へと回る。

 大ホールの出入り口から、どんどん人が出てくる。一体何がと考える前に、それは現れた。

 民家ほどの大きさはありそうな、巨大な蜘蛛の魔物だった。

 鋭い二本の鉤爪の片方に、ドレス姿の女性を引っ掛けている。

 あれは——。


(ロキシアさん!?)


 蜘蛛の前には、剣を構えたライズと杖を持つリュシアンがいた。

 考える前に、足が屋根を蹴る。

 剣を抜いた。





 

 リュシアン・ウィーバーは、少し前まで大ホールの中にいた。なかなか来ない友人に、「あの部屋、魔境だからなぁ」と思いながら忙しく裏方をやっていた。

 同窓会は、立食式の茶会だ。

 姉のロキシアは緊張とは無縁の顔で代表挨拶を済ませ、友人たちと談笑している。兄のライズも騎士科の知り合いを見つけて楽しそうに話をしていた。


 突然。

 鋭い棘を刺されたような感覚が、全身を襲った。

 辺りの空気が、一瞬にして濁りを帯びる。

 本当に何の脈絡もなく、その魔物はホールの中央に現れた。


 真っ黒な体に、赤い複眼。ギチギチと歯を鳴らす、大きな口。胴体から生えた、八本の脚。

 巨大な。

 あまりにも巨大な、蜘蛛の魔物だった。


 貴族院の女性たちが悲鳴を上げて逃げ出した。魔導院の職員たちは呆気に取られたが、それでも各々杖を構えた。リュシアンの兄を含め、貴族院の騎士科の者たちも剣を抜いた。

 だがその魔物は、まるで暴風だった。

 脚の一振りで、何人も吹き飛んだ。魔導師の杖が砕け、騎士たちの剣が折れた。リュシアンは兄を見た。彼は吹き飛ばされてはいなかった。だがアルベルトが贈った剣ではない、いつもの剣を手にしていた。

 蜘蛛は何かを探しているようだった。キョロキョロと辺りを見て、そしてロキシアを見つけると周りを弾き飛ばしながら走り寄り鉤爪に引っ掛けた。

「姉さん!」

「ロキシア!」

 リュシアンとライズの声が同時に上がった。

 吊り上げられたロキシアは、悲鳴を上げたら蜘蛛を刺激すると思ったのか、両手で口を塞ぎ必死に声を押さえていた。

 蜘蛛の前にライズが飛び出す。前脚が振り下ろされ、それを剣で受ける。硬い音がホール中に響く。数度打ち合い、力で押し負けたライズの身体が壁に叩きつけられた。

「兄さん!」

「大丈夫だ……!」

 リュシアンは震える身体を抑え込み、自身の杖を構えた。

 だが蜘蛛は、目的は達成したと言わんばかりに、リュシアンには目もくれずホールの外に向かって走り出した。

 なぜロキシアを?

 わからない。

 考えるのは後だ。

 助けなければ。

 ライズと二人で追った。

 魔導師が蜘蛛の背中に向かって火炎魔法を放つのが見えた。ボウッと一瞬燃えた炎が、硬い毛と外殻に弾かれて消える。見た目だけなら巨大な虫であるのに、火炎が効かない。吹き飛ばされずにすんだ者たちの間に、大きな動揺が走った。

 大ホールから外に出る。

 先回りしたライズが、蜘蛛の足に剣を振り下ろす。また硬い音がして、今度は攻撃を避けたライズが後退した。

 鉤爪の先にぶら下げられているロキシアは、口元を押さえたまま顔色を失い、目に涙を溜めている。

 リュシアンは思った。


 誰がこんな化け物に勝てるんだよ、と。


 そして、その瞬間。

 降ってくる光を、見た。


 

 ——リュシアンには、かけがえのない友人がいた。

 見た目以上に中身が美しく、優しく、温かい心を持った親友だ。

 とても真面目なのに少しばかり天然で、可愛らしい一面もあり、近頃はどうやら初めての恋を知ったらしく、様々な表情を見せてくれる。

 アルベルト・リストニアは、リュシアン・ウィーバーにとって唯一無二の存在だった。

 

 だから、忘れていたのだ。


 そして今、リュシアンは思い出した。

 アルベルト・リストニアは大切な親友ではあるけれど。

 同時に、恐ろしい魔物と戦い続けてきた、ファンケンラートの英雄でもあるということを。


 天から、光を纏った鎖が蜘蛛に向かって降り注ぐ。

 硬い外殻を貫通し、地面に縫い止める。

 悲鳴を上げた蜘蛛が原因を探し、頭上で輝く黄金を見つける。だが剣の方が速い。

 ふとリュシアンの耳に、先日交わした会話が蘇った。


『速さに関しては、私もそれなりにある方だが』


 リュシアンには、何も見えなかった。

 気付いた時には、蜘蛛の頭と鉤爪のついた脚が地面に落ちていて、姉のロキシアはアルベルトの腕の中にいた。


 ふわり、と。

 風魔法を纏ったアルベルトが、ロキシアを抱いて音もなく着地した。

 実に紳士的にロキシアを下ろし、「怪我はありませんか?」と声をかけている。

 それから動かなくなった魔物を振り返り、それを覆うように淡く光る紫紺色のドーム状の結界を作り上げた。

 今のリュシアンでも解析できそうにない複雑な魔法の中に魔物が閉じ込められると、ビリビリと肌を刺すような禍々しい空気が消える。

 静まり返った周囲の中、アルベルト・リストニアは、驚くほど普段通りの彼のままでリュシアンを見て口を開いた。


「何があったんだ、リュシアン」と。

次回「初めての休暇⑦」は10月11日17時更新です。

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