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第十四話 蓋が割れた

 ステルビアの調査と城下の住民たちの移動には、上弦だった月が下弦になるほどの時間を必要とした。

 リストニアから派遣された二十名の騎士と、その後王都から到着した百名の衛兵。合わせて百二十の兵が城下を含めステルビアの各地を回り、グリズリに加担していたと見られる者たちを捕縛していった。

 あっさりと事が進んだのは、皮肉にもステルビア公爵ことグリズリの保身によるものだ。計画が頓挫した時に備えて、代わりに差し出す者たちを用意していたのだろう。彼は律儀に共謀者の名簿を作成していた。

 寄子となる下位貴族、ステルビア領における上級平民、手駒としての平民など。年齢や性別、職業も多岐にわたるその名簿は調査時点で実働していた者たちだけでも五十名にも及び、ファンケンラート全土を震撼させた。

 その中でも人々の関心を集めたのは、アルベルト・リストニア侯爵の功績だった。侯爵はグローリア・フォン・ステルビアを逃したとは言え、首謀者であったグリズリ・フォン・ステルビアと交戦し、これを討ち倒した。

 その功労への褒美を王から問われた侯爵は、「叶うのであれば」と前置きした上で、公爵家というステルビアの地位に従わざるを得なかった者への寛大な措置を求めた。

 それによりいくつかの家が、処刑ではなく取り潰しの上で労役となり、いく人かの平民が同じように労役となった。

 ダルド子爵と、人々の誘拐に直接関与していた者たちは、あらゆる情報を吐かせたのちに審議を待たずに処刑された。明らかに、自ら率先してステルビアのために働いていたと思われる動きが多々あったためだ。今はグシュタールにいるテオを騙して攫った夫婦も、これに並んだ。

 船の停泊所で第一王子クリストフを襲った少年は、運河近くの町の検問所に母親が抑留されていたことが判明。アルベルト・リストニア侯爵の強い要望と第一王子からの恩赦もあり、無罪となった。なお、少年を脅していた近衛兵のギリは、あの場での死亡が確認されている。彼の生家である男爵家は取り潰しの上、血縁者全てが労役となった。ステルビア家の手駒となるために作られた哀れな一家の末路が、浮き彫りになる形となった。


 調べるべきことは多く残ってはいるものの、第一王子によって資料となる一つ目の報告書が作られ国王へと奏上された。

 そこには、王家に次ぐ序列となるステルビアに権力が集中した結果、一族全体の腐敗と隠蔽工作を招いたこと。

 自領の運河を利用し、人を奴隷として国外へ運んでいたこと。

 さらには集めた人間を利用し、ステルビア家当主とその娘が、災厄の復活に加担していたことなどが記されていた。

 また、ステルビア派と呼ばれていた一派は、この事件によりほぼ消滅し——。

 ファンケンラートの貴族名鑑は、大幅に書き換えられることとなった。





 アルベルトは、リストニア領にある宿の一室で写し鏡の魔道具を見つめていた。

 あの夜、騎士たちをステルビアまで派遣する指示を出す際に起動したきり、一度も通信機能を利用していない。

 ともに行動しているサイネケンはともかくとして、リュシアンやグウィンからは何の音沙汰もなかった。


 ——二人は今、ヴォルフガングの治療をしてくれている。


 何かあれば知らせがあるはずだと、自分に言い聞かせる。無駄な連絡をして、二人の時間を割くほうが迷惑だ。

 何度も通信に手を伸ばしかけ、その度に微かに震える手を胸元に引き寄せた。


 閣下、と。

 扉の向こうから声がした。


 断りを入れて扉を開けた副団長が、出発の時間を告げる。

 事後処理の目処がようやく付き、アルベルトは派遣したリストニア騎士団の二十名とともに帰城する途中だった。

 魔道具を懐にしまい、副団長とともに部屋を出る。宿の前には出立の支度を済ませた騎士たちと話をしているクリストフの姿があった。

「殿下、お待たせしてしまい申し訳ございません」

 声をかけると、柔らかな青い瞳がアルベルトへと向けられた。

「いや、俺が早くに来すぎただけだ。彼らの話が聞きたくてな」

 彼ら、のところでクリストフが騎士たちを見る。

 さすがに相手が第一王子となると緊張するのか、騎士たちは直立不動のまま「お声をかけていただいておりました」と答えた。

 クリストフはアルベルトとともに一度リストニアへと行き、レナードを連れて再びステルビア領へと入る予定だ。そのため、リストニア城までの行程には近衛隊も随行している。事態がここまで深刻にならなければ、リストニアの大森林を視察できただろうが。今の段階でそれを実行するのは不可能だ。こちらはまた改めて、ということになるだろう。

 突然領主が消えてしまったステルビアの民の生活を安定させるためにも、しばらくはクリストフが指揮を取るらしい。その前準備として、今は王都から兵士と必要な物資をステルビアの城に運んでいる最中だった。

 クリストフが王家の紋章付きの馬車に乗り、アルベルトが馬でその横につく。同乗を断ったのは、アルベルトの意思だ。防御壁を張れるものが馬車の外にいた方がよいことを伝えると、クリストフは「そうだな」と少しだけ切なそうに笑った。


 リストニア騎士団と近衛兵の合同隊が、宿を出発する。

 特に何事もなければ、夕刻までにはリストニア城に着く予定だ。

 

 アルベルトは、真っ直ぐ前を見た。

 今はただ、クリストフを護衛する。

 そう、自分に言い聞かせた。




 予定通り、アルベルトたちは、まだ日の明るいうちにリストニア城下の街へと到着することができた。

 クリストフがいるため、城の者には早馬を飛ばして到着予定時刻を伝えてある。

 隊列を組んだまま街へ入ると、風の噂で自分たちの領主の功績を知ったのか、皆が輝く目で馬上のアルベルトを見つめていた。年齢も性別も関係なく、「お帰りなさい!黄金侯爵様!」「私たちの英雄!」と誇らしげに口にする。

 アルベルトは、微笑みを浮かべ彼らに手を振った。

 冬のリストニアに、陽だまりのような暖かさが生まれる。

 歓声を上げる乙女たち、笑顔で走って付いてくる子どもたち。彼らとともに、一団は入城した。

 執事長が、使用人たちの先頭に立って隊を出迎える。

「ありがとう、皆。ここまでで充分だ。日が暮れる前に帰りなさい」

 優しくアルベルトが告げると、付いてきていた住民は深く頭を下げ、子どもたちは大きく手を振りながら城下の街へと戻っていった。騎士や近衛兵たちも、彼らを笑顔で見送る。

「すごい人気だな」

 馬から降りて馬車の傍で待っていたアルベルトに、扉を開けたクリストフが開口一番そう口にした。

「そなたは、良い領主だ」

「光栄に存じます」

 少し微笑んだアルベルトが、賛辞に頭を下げる。周囲では近衛兵たちが、運搬用の馬車に積まれていた荷を下ろしていた。

「出立は明日の朝になさいますか?」

「……そうだな。それから、もしできるのなら剣聖の様子を」

「アルベルトッ!!」

 叫びにも似た呼び声が、辺りに響いた。

 振り返ったアルベルトの視線の先に、リュシアンがいる。

 治療用の白い衣服を着た彼の上半身は、真っ赤に染まっていた。眼鏡にも、血が散っている。

 よほど急いできたのか、肩で大きく息をしながら、空気を求めて何度かあえぐ。よろよろとアルベルトの前までやってくると、倒れるようにしてその腕を掴んだ。

「……さっき、やっと容体が安定した。……行ってあげて」

「——…………」

 さっきやっと、ということは、それまではずっと予断を許さない状態だったのだろう。

 アルベルトは自身よりも低い位置にあるリュシアンを見つめた。目の下に、濃いくまができている。服に付いた血は新しく、独特のにおいをさせていた。

「……ありがとう、リュシアン。すまない、つらかっただろう」

「アル、ベルト……?」

「後で見舞いに行こう」

 静かに告げてから、アルベルトは部下たちへと声をかけた。

「騎士団各位。報告がある者は各自副団長へ。ない者は、そのまま解散だ。執事長、殿下を貴賓の間へご案内してくれ」

「アルベルト……、俺も見舞いに行く」

「……かしこまりました。リュシアン、彼は自室か?」

「へ、部屋が、血で汚れないよう、……治療室を専用に作って、そこで休んでる……」

 驚愕と困惑を滲ませた目で、リュシアンが、アルベルトを見上げた。

「ね、ねぇ、アルベルト……、きみ……」

「彼には同魂の魔法の効果がある。死ぬことはない。アレクシアも、そこにいるのか?」

「う、うん……第二王子殿下とともに、看てくれているけど……」

「なら、安心だ。私は用事を済ませてから行く。すまないが先に殿下を連れて——」

「駄目だッ!!」

 絞り出すように、リュシアンが叫んだ。

「駄目だ、アルベルト!今すぐ行くんだ!会わなくちゃいけない、確かめなきゃいけない!……君が、壊れてしまう前に……っ!」

 強引に、腕を取られた。

 本来負けるはずのない自身が、リュシアンの腕力に抗うことができない。

 適温に保たれた城の回廊を、何度も強く引かれながら歩く。少し後ろを、クリストフがついてきていた。

「リュシアン、私は平気だ」

「数えただけで、七回死んでる」

「……っ」

 アルベルトは、裂かれたような痛みを感じ、喉を詰まらせた。

「でも完全に死ぬ前に、肉体が再生した。三回目くらいからは、僕らも内臓を腹に詰め直すのを諦めて、魔力を枯渇させることだけを考えた」

「……、やめてくれ」

「いいや、やめない。肋骨もバラバラに砕けて部屋中に散った。顔も、原型がわからないくらい潰れたりした。……でも、それでも」

 前を見て歩いていたリュシアンが振り返る。

 その顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに崩れていた。

「彼は一度も、一言も、苦痛を訴えなかった。自分のことはいいから、……君の力になってやってくれ、と」

 リュシアンが、歩みを止めた。

 閉められた扉の前に、アレクシアとレナードがいる。足元には、小さな虎の姿を保ったカルナヴァスもいた。

 アレクシアとレナードは、リュシアンと同じ白い服を着て、同じように上半身を赤く染めていた。

「お兄様!」

「……アレクシア」

 涙で目を腫らしたアレクシアが、腕の中に飛び込んでくる。

「ま、まだ、歩けはしませんが、起きて会話できるくらいには、なりました。お顔を拭いてあげて、着替えを取りに行こうと……」 

 そのまましゃくりあげて、泣き始める。レナードが扉を一度見てから、兄であるクリストフに「エルフ王と治療師の女性が看てくれています」と伝えていた。

 アルベルトはアレクシアの小さな背中を優しく撫でてから、そっと身体を離した。

 扉の前に立ち、ゆっくりと開く。

 僅かな寒さも感じないようにと、暖められた空気。

 血のにおいを誤魔化す、香草のかおり。

 部屋の中央に、ベッドがある。

 周囲は、血で濡れていた。シーツも、マットも、枕も、床も。傍にいる、グウィンも、治療師長も。

 

 ——ヴォルフガングも。


 アレクシアが拭いたと言っていた顔以外は、べったりとした血で染まっていた。

 アルベルトを見て、「……閣下」とヴォルフガングが呟く。その声は、喉ごとすり潰されたようにざらつき、掠れていた。

 

 ……ほら、生きてるじゃないか。

 ちゃんと意識も、正常なままある。


 アルベルトは、そう思った。

 長く苦しんだだろうが、彼は生還した。生還すると思っていた。死ぬはずがないと。

 だから、「痛むところはないか」と声をかけて、彼の苦痛に寄り添うべきだ。

 しっかり回復するまでは非番にして、栄養のあるものを食べさせて。

 ああ、それを伝える前に、彼の傍まで行って。


「…………?」


 アルベルトは、自分の目線が急に低くなったことに疑問を抱き、首を傾げた。

 手のひらに、床の感触がある。

 いつの間に、座り込んだのだろう。

 立とうとして、全く力が入らないことに気がついた。


「…………あれ?」


 言葉にして、何を言っているんだ、と思った。原作のアルベルトなら「あれ?」なんて言わないはずなのに。

 心の声が、うっかり出てしまったのだろうか。

 運河から上がって、リュシアンとの通信を終えた時から厚く厚く塗り固めていた蓋に、小さなヒビが入る。

「閣下……?」

 ヴォルフガングが呼んでいる。

 つらく苦しい思いをしていたのは、自分ではない、彼だ。その働きを労わなければならないのに。


 心が叫んでいる。

 悲鳴をあげている。

 そうだ、と気付く。

 本当は。

 ずっと、泣いていた。


(——ルフ……!)

「——ルフ……!」


「アルベルト様っ……」

 ベッドから転がり落ちるようにして、よろめきながらヴォルフガングが駆けてくる。

 その身体を支えたいのに。

 起き上がれない。

 だから、両腕を差し出す。

 背が反るほどに強く抱き締められ、腕の中に閉じ込められる。

「……、っ、ぁ……ぁ」

 声にならない嗚咽が、こぼれ落ちる。

「……ルフ、っ、ルフ……」

 

(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ)


 心の中の自分が、地に爪を立て頭を擦り付けて懺悔の言葉を吐き続ける。

 あってはならない、感情。冗談混じりで誤魔化していた時とは、在り方そのものが違う、それ。

 報われてはいけない想いだとわかっているのに。


(……私は、この人の……傍にいたい……)


 血に濡れた背に腕を回し、しがみつく。

 全ての想いを絞り出すように、アルベルトは世界で最も近くて遠い腕の中で泣いた。

次回第十五話は9月8日17時更新です。

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