第十三話 グローリア
レースと刺繍をふんだんにあしらった真紅のドレスに、白い肌を飾る煌びやかな宝石。黒の総レースの手袋。
今から舞踏会と言われてもおかしくないほど着飾った姿のグローリアが、冷たく父親を見下ろしている。
【……グ、グロー……リア】
「ご安心なさって。お父様の首から下は、わたくしが大切に使って差し上げる」
黒いレースの手袋をはめた手を、美しく掲げる。その先に、グリズリを噛んだものと同じ蛇が生まれた。
グローリアの手から飛び降りた蛇が地を滑り、切断されたグリズリの胴体の首元から内部へと潜り込んでいく。肉の下で蠢いていた蛇が心臓の上辺りに来た瞬間、首のない巨体が跳ねるように揺れた。
「お父様の身体に、二百人分の兵の魂。わたくしを守るのに相応しい騎士が生まれるはず」
どろりとグリズリの胴体が溶ける。腐臭と血のにおい。黒い液体となった胴体が同じ色の靄に包まれ、再び形を作っていく。
背に大剣を二本、背負っている。頭蓋骨に似た形のヘルムには、山羊のような捻れた角が二本。全身を包む鎧の表面に、時折苦悶に満ちた人間の顔が浮かんでは消えていく。
それは、巨躯の騎士だった。
その身も、鎧も、全てが影のように黒い。
闇色の騎士だった。
「まぁ、素敵。後であの方にお願いして、お前を腐死の騎士にしてもらいましょう。こちらにいらっしゃい」
【グローリア……!】
「あら、わたくしの毒を受けて、まだ生きていらしたの?」
首だけになり、眼球も破裂したグリズリが口から血泡を吹きこぼしながら娘の名を呼ぶ。
【な、なぜだ……!お前はネイシャとともにあの方に捧げたはず!】
文字通り血を吐きながらの問いに、グローリアは心底おかしいとでも言いたげに鈴の音のように軽やかに笑った。
「お父様は、根本的に勘違いをなさっておいでですわ。……あの方に選ばれたのは、わたくし。ステルビアの変化魔法も、お母様の毒魔法も、わたくしに相応しいからと優しいあの方が使えるようにしてくださったのよ?お父様に与えられた力は、ついででオマケなの。おわかり?」
【そ、そんな……!そんな!】
「ねぇ、お父様。わたくしの毒魔法を散々利用しておきながら、殺そうとするだなんて酷いわ……。わたくし、とっても悲しい。——だから、苦しみなさいな」
【おっ、ごっ……ぁ!】
ぼこぼこと、グリズリの頭部が弾け始める。
「なんて惨めなお姿。アルベルトに負けなければ、こんなに苦しい思いをせずに済んだのに」
グローリアの目が、そこで初めてアルベルトたちへと向けられた。
クリストフと同じ色味だった青い瞳は、先程までのグリズリと同じく白目さえもなく黒く染まっている。
グローリアの前までやってきた闇色の騎士が、恭しく礼をした後、彼女を掬い上げ、肩に乗せた。
自然、グローリアはアルベルトたちを見下ろす形となる。
「ご機嫌よう、アルベルト・リストニア。相変わらず剣を振り回しているのね。男の人って、野蛮だこと」
自分が何をしているのかを完全に棚に上げて、扇を広げ口元を隠して微笑む。闇色の騎士の足元では、虫の息だがまだ生きているグリズリが苦痛の声を上げていた。
「……ご機嫌よう、ステルビア公爵令嬢。すまないが、君の父君を眠らせてあげても良いだろうか?」
「あら?大勢の人間を殺めたコレに慈悲をかけるの?……どうぞ、お好きになさって?」
「……感謝する」
詠唱とともに天から穿たれた紫紺の鎖が、グリズリの頭部を貫く。割れた頭蓋から中身が溢れ、グリズリは静かになった。
「あなたもステルビア公爵に殺されそうになったのか」
「お父様は、そのつもりだったご様子。お母様は、わたくしの隣で醜い腐死人になってしまわれたわ」
死んだ父親を一瞥だけして、グローリアは再びアルベルトを見た。
「父親を止めようとは、思わなかったのか?」
「わたくしが?なぜ?」
「……街が一つ、腐死に飲み込まれた。何人死んだと思っている?」
感情を抑え込んだアルベルトの言葉に、グローリアは瞬きを一つした。
「平民でしょう?宝石にならない屑石よりもさらに価値のない者たちがあの方のお役に立てたのなら、それはむしろ光栄に思うべきだわ」
「……そうか。やはりあなたとは、意見が合わないようだ」
アルベルトの視線が鋭さを帯びる。それを受け止めたグローリアが、傲慢に嗤った。
「先程お父様も仰ってたでしょう?平民がたくさん死んだのは、お前があの方を傷付けたからなのよ?元凶が悲壮感たっぷりに人の死を語るだなんて、滑稽だわ」
「……っ、……」
それは、アルベルトの胸を深く突く言葉の棘だった。
あの鉱山の戦いでアルベルトは、解呪と消滅の魔法の重ねがけにより、腐死の軍勢を呪いから解放した。もう一度、腐死の王が同じ戦力を揃えるつもりなら、同じだけの人が死ぬことになる。
「ねぇ、アルベルト。わたくしに教えてちょうだい?悪いのは、わたくしのお父様なのかしら?お前が何もしなければ、平民は死なずに済んだのに。お前が、何の罪もない者を殺したのよ」
「——戯言を、毒婦が」
サイネケンの低く怒りを孕んだ声が、会話を断ち切った。その杖が、炎を溢れさせながら構えられる。副団長もグローリアへと剣を向けていた。
まぁ、と少し驚いたようにグローリアが扇の向こうで小さく声を上げる。
「わたくしに向かって、なんて無礼な」
重圧にも似たグローリアの怒りが、辺りに立ち込める。
「……ステルビア公爵令嬢。あなたの言うことも、あながち的外れではないのだろう。私が腐死の軍勢を呪いから解放したことにより、腐死の王は新たな眷属を作る必要に迫られた」
「ええ、そうね。お前は愚かだけど、話はわかる男だわ」
アルベルトの言葉にグローリアは、つい、と顎を上げた。
「お前によって力を奪われたあの方は、お父様より先にわたくしに声をかけてくださった。少しもったいなかったけど、気に入っていた騎士を差し上げたら、喜んでいただけたわ。それからお父様にお伝えして、色々と準備をしてから、カラトワおじさまをお呼びしたの」
「大魔導師カラトワの肉体なら、グウィン陛下ほどでなくても充分な器となると?」
「わたくしも、そう思ったのだけれど。あの方は本当にお強くて尊き方だから、カラトワおじさまの、人間の器に馴染むまでにたくさんの血と魂を必要としておられるのよ」
グローリアの手が、闇色の騎士の頭を撫でた。
音もなく、騎士が一歩下がる。
その後ろに、黒い亀裂が入った。
「しばらく忙しくなるから、今は遊んであげられないの。また会いましょう、アルベルト」
「……社交界とドレスが何よりも好きなあなたが、腐死の軍勢の中で満足できるとは思えないが」
「誰もファンケンラートに留まるとは言ってなくてよ?少し前に滅んだ、小さな辺境国を見つけたの。ご存知?ヴォルフガングの生まれ故郷——」
グローリアの髪が、ひと束宙を舞った。
アルベルトの剣を受けた闇色の騎士の腕が、斬撃の衝撃に負けて千切れ飛ぶ。
振り抜いた剣を返し、そのまま斬り上げる。グローリアの上半身が、扇の奥にあった顔ごと袈裟斬りに裂かれた。
「キャアアァァァァッッ!!」
傷口から煙が上がり、泡を立て再生していく。その姿は、腐死の竜とよく似ていた。
闇色の騎士がグローリアを抱えて下がる。
「わた、わたくしの顔がッ!」
叫びとともにグローリアの姿が滲み、美しい顔から骨と皮だけの腐死の顔へと変わる。白くほっそりとした手が干からびて骨に張り付いた皮となる。
「は、早く変化魔法を!!」
顔を手のひらで隠したグローリアが、粘土を捏ねるように干からびた手で顔を揉む。
少しして、その手も顔も、元の美しい姿へと戻った。
「よくも!よくも美しいわたくしに傷をつけたわね!アルベルトッ!!」
アルベルトは、グローリアの言葉には答えない。ただ手にした剣に、消滅魔法を付与した。
「……っ!お前!必ず殺してやるわ!その顔をぐちゃぐちゃにして、目玉をくり抜いて、舌を抜いて、生きながら全身の肉を削いでやる!!」
引きなさい!と闇色の騎士に叫ぶ。
グローリアを抱いた騎士の身体が、夜に溶けていく。
二体の魔物の姿が、憎悪の感情だけ残してかき消えた。
広場には、割れたグリズリの頭部だけが転がっている。
時間が巻き戻ったかのように、周囲に篝火が灯り始めた。
「……サイネケン」
「周囲に気配はありません。完全に撤退したようですな」
「そうか……」
アルベルトは剣を鞘に収めた。
城に灯りが戻っても、兵士たちは帰ってこない。彼らは、グローリアを守る一体の闇色の騎士へと作り変えられてしまった。
——だが。
城門から街を眺めていた副団長が、慌てたように走ってきた。
「ひ、人の姿があります!通りで倒れておりますが、起き上がる者もいます!」
「……!すぐに向かう!跳ね橋を下ろしてくれ!」
「はっ!」
門楼へと走る後ろ姿を逸る気持ちで見つめながら、アルベルトはグリズリの言葉を思い出していた。
『……あとほんの少し、遅く来てくれれば満願成就であったのだが』
『兵士が二百と、住民が八百。兵士たちより後に取り込んだ住民たちは、まだ生きているかもしれないが、時間の問題だ』
……間に合った。
カラトワの屋敷で会った兵士たちの近道を通ってきたことで、住民たちは取り戻すことができた。
良かったという思いと、救えなかった二百名の兵士たちへの後悔の念がどうしても湧き上がる。
「住民は救えましたか……」
隣に、サイネケンがやってくる。それから長く生きた瞳が、アルベルトを静かに見た。
「もしや二百名の犠牲を、ご自分のせいだと思われてはおらぬでしょうな?」
その問いに、アルベルトは答えることができなかった。
八百名は救えたとは言え。
喪われた数は二百名。
あまりにも、多すぎる。
彼らにもそれぞれに人生があり、未来があった。
それを一瞬にして奪われた。
どんな任務かと、考えていた者もいただろう。
周りの同僚と雑談していた者もいただろう。
彼らはただ、日々を生きていただけだ。
ステルビアの思惑など、何の関係もなく。
リストニアと腐死の間の因縁など、知るはずもなかった。
ずっと……、と。アルベルトは消え入りそうな声で呟いた。
「ずっと、同じことを……繰り返している。……やっと救えたと思っても、次の瞬間にはさらに多く奪われる。……それの、繰り返しだ」
戦って、戦って。
ささやかな平和を手にして。
あっさりと、崩される。
「……私が、『私』でなければ、もっと多くの人を救え——」
「アルベルト」
サイネケンが、師の声でアルベルトを呼んだ。
「その考えは、敵を喜ばせるだけでしかない。死んだ者は、お前の言葉など聞いてはおらぬ」
「……、はい……」
「儂は……」
サイネケンの瞳が、師の強い眼差しから、柔らかな身内のような温もりに変わった。
「あなただからこそ、ここにおります。あなたの『救いたい』心を守るために、戦うのです。もし仮に、明日の朝挨拶を交わしたあなたが見た目だけが同じの別人になっていたとしたら。儂は必ず気付き、そのまま中央魔導院へと帰るでしょうな」
「サイネケン……」
「参りましょう、閣下。灯りがついたことで、殿下たちがやってくるかもしれません。住民の状態も確認しなければ」
副団長が下ろした跳ね橋へと、サイネケンが向かう。どうやら馬も逃げることなく、近くで待っていたようだ。
アルベルトは、師の背中を見つめながら「ありがとう」と呟き——。
静かに、目を伏せた。
住民たちは皆、街の一番大きな通りにいた。魔力切れのような状態を起こしており、立ち上がれない者もいたが、命に別状はない様子だった。
住民に混じって、城で働いていたらしき使用人や下働きの者たちも同じ場所から発見された。全員が自分の身に何が起きたのかを理解しておらず、口を揃えて「気付いたら通りに倒れていた」と話した。
だが、それが逆によかったのかもしれない。
街も明るく、普段と変わらないことが、彼らの混乱を抑え恐怖から遠ざけていた。
彼らの今後については、クリストフの方針に従うべきだろう。
住民の安全確保のためにサイネケンと副団長を街に残し、アルベルトは馬で街道を下った。
灯りがついたことで、向こうも状況の変化に気付いたらしい。
アルベルトが街道を下るのと同じくして、クリストフも街への上り口まで戻ってきていた。この場に留まっていたのは、近衛隊長の判断だろう。
「アルベルト!」
その近衛隊長が制止するよりも先に、クリストフの馬が駆けてくる。
アルベルトは城の中で何が起きていたのかを報告し、二百名の兵士の犠牲と、約八百名の生還者の存在を伝えた。
クリストフだけでなく近衛隊も全員が絶句し、再び灯りに照らされた街を見上げる。
「ステルビアが……そこまで堕ちていたとは……」
手綱を握るクリストフの手が、細かく震えている。感じられたのは恐怖ではなく、純粋な怒りだった。
「城の広場に、公爵の首があります。腐死の存在に力を与えられたと言っていました。調べたら何かわかるかもしれません」
アルベルトの報告を受け、短く思案したクリストフが口を開く。
「……そうだな。アルベルト、ここからならリストニアの方が近い。王都からの兵が来るまでの間、騎士団の者を二十名ほど貸してくれないか?」
「かしこまりました」
魔道具を起動したアルベルトが、通信をリュシアンへと繋げる。応答したのは、アレクシアだった。騎士を二十名ステルビア城下へ派遣するように頼み、通話を終える。
「役に立つ情報がどれほど出てくれるかはわからぬが、ステルビアの城をくまなく調べよう。近衛兵一名、分隊へ合流し報告後、さらに隊を分けて保護した十二名を王都へ移送する班と、早馬で父上に知らせる班に分かれよ」
「御意」
短く答えた近衛隊長が、すぐさま行動を開始する。指示を受けた兵が月明かりの下、駆け出して行った。
アルベルトの視線が、ステルビア城下へと移される。それを追い、クリストフも灯りが戻った街を見上げた。
「グローリアは、剣聖の生まれ故郷へ向かうと言っていたそうだな」
「えぇ。『少し前に滅んだ辺境国』と申しておりましたが、私もヴォルフガングの故郷については、あまり詳しくはありません。……回復を待ってから話を聞くつもりです」
「そこで力をつけるつもりなら、今しばらくは静かになるだろう」
グローリアについては、現状カラトワの肉体を得た腐死の王に次ぐ危険な存在となった。
可能であれば、すぐにでも討伐隊を編成すべきだ。
だがこれから貴族たちの混乱が待ち受けるファンケンラート王家には、行動に移すだけの力はなく、リストニアの戦力も大きく欠けている。
グローリアたちにとって優位にことが運ぶとわかっていても、今は静観するしか方法がなかった。
「……これが、ステルビアの終焉か」
溜息をこぼすように、クリストフが呟く。
今回の一件は、家一つの沙汰で済む話ではない。どこまで関わっていたかによっては、ステルビアの寄子、その縁者、使用人など。多くの者が連座となる。私利私欲のためではなく、単に命令だからと従っただけの者もいただろう。ひょっとすると、助かった八百名の中にもいるかもしれない。
「どれほどの首が、並ぶことになるのか」
ファンケンラートの歴史において、血塗られた一頁になることは間違いない。そうしなければ、身内ゆえに甘い裁定をしたと、王家が侮られる。ただでさえ極一部の者は、王妃の件で王家が身内を庇う裁定を下したことを知っている。
最低でも、家の取り潰し。場合によっては、幼子を含めての処刑となる。
「……馬鹿だな、グリズリ。俺への嫌味で満足しておけば良かったものを」
クリストフの言葉は、もうこの世にいない男へと向けられていた。
次回第十四話は9月7日17時更新です。




