第七話 初陣が勝ち確で何より
「お帰りなさいませ、お兄様」
アルベルトがクリストフと共に広間に戻ると、アレクシアとレナードは広間の隅にある小さなテーブルでお茶を楽しんでいるところだった。傍にはヴォルフガングが控え、無骨でありながら意外にも繊細な動きをする指で器用に菓子を取り分けている。
「僭越ながら給仕は全て私が。紅茶の渋み以外は問題ないかと」
分かるものが聞けば、言葉の裏に隠された意味が分かるのだが。そのまま受け取ったらしいアレクシアが、コロコロと鈴を転がすように愛らしく笑った。
「ヴォルフガングの紅茶の味も、悪くはなくてよ。けれど、メイドたちは日々『お茶を美味しく淹れる為』の訓練をしているから。騎士たちの剣と同じように」
それを聞き、アルベルトも「私も一杯いただこうかな」とヴォルフガングに顔を向けた。
「閣下に……?いや、しかし…」
(おぉ…ヴォルフガング様がお困りでらっしゃる…!お前に飲ませる茶はねぇ!て事かな!?悲しッ!)
「私が淹れようか、アルベルト」
不意に背後から声がかけられる。
ぽん、と気安く肩にかかる手にアレクシアが目を丸くし、慌てて立ち上がると礼の形をとった。隣の席にいたレナードも、同じように目を丸くしている。
「リストニア侯爵令嬢、楽にしてくれ。ここにいる俺は、アルベルトの単なる友人だ」
「…ゆ、…ご友人でいらっしゃいますの?」
「ああ。しばしの語らいで意気投合してね。本当はアルベルトからも気兼ねなく“クリストフ”と呼んでもらいたいのだが」
「それはご容赦くださいと申し上げました」
(不敬罪で断頭台待ったなしすぎる!)
心の中でまたクリストフをスパンと叩く。よく叩かれる王族である。心の中で叩く分にはいいのか。
「まぁそんなわけで、そなたとも仲良くしていきたい。レナードも文句ないだろう?」
「そ、それはもちろんです、兄上…!」
わかりやすく頬を染めたレナードが力強く頷く。その様子からは、アルベルトが最初に感じた通り兄に対する敬愛の心が滲んでいた。
(とりあえず、クリストフが独自で調べた分も含めて、情報の共有は出来た。途中から急に名前呼びになったのはアレとして……。私、好かれる要素あった?好感度メーターがあったら、マイナスにまでぶん投げた自覚しかない)
魔道具を使用したアルベルトからの情報が届いた後、クリストフは自身が信を置く者を使い、カミラペタルとカーサスとの関連性を裏から調べさせたのだと言う。バルコニーでの会話の内容だ。
蛇の道は蛇。クリストフの個人予算がいくらか消えたが、詳しく知る者を見つけることができた。
曰く
『カミラペタルは、カーサスの術師が使って初めて意味を持つ』
『だがカーサスと接触出来た者はおらず、カミラペタルは無意味な毒薬として廃れていった』
『カーサスの術師は、カミラペタルを摂取した者に対して〈呪い〉を発現させることが出来る』
これをレナードの身に起きたことに当てはめると。
何者かが。
レナードにカミラペタルを摂取させて。
カーサスの術師を使い、呪いを発現させようとしている。
という可能性に行き着くのである。カミラペタルだけでは無意味だと知らずに行動しているだけの、かつての貴族たちのような愚か者が相手でない限りは。
茶会での一件以降、クリストフは極力レナードと飲食を共にし自ら用意したカップに手製のハーブティーを注いだりするなどして弟の安全に努めてきたと告げた。「俺にはアルベルト程の魔力感知能力はないのでね」と拗ねる様子を見せながら。
アルベルトにとって、クリストフからの情報は素直にありがたいものだった。
だが同時に、疑問も湧く。
調べれば調べるほど、レナードを狙う理由が分からない。
彼の王位継承権は第二位。よくない響きを用いれば、あくまで『スペア』である。
一方で第一位であるクリストフの地盤は盤石だ。彼は先の王妃の子であり、能力も申し分ない。本来の性格は別として、周囲の人間には快活で人当たりのよい人物に見えているだろう。仮にレナードを神輿に担ぎ上げようと考える者がいたとしても、あるいは王国を混乱に陥れようとしている者がいたとしても。まず狙われるのはクリストフであるはずだ。
であるならば、レナードに個人的な恨みでもあるのか。
たった十四の子供に。
(事態が事態だから、クリストフには私が偶然使えるようになった『ある魔法』について話してある。使わずに解決出来るのが一番だけど……)
「アルベルト、甘いものは好きか?」
(……なんか急にフレンドリーになったな。人が真面目に考え事をしてるっていうのに)
「いえ、私は……」
答えようとした、次の瞬間。
広間に、悲鳴が響き渡った。
「お、王妃殿下……!!」
王妃を囲んで談笑していた夫人の一人が、思わずといった様子で後ずさる。
王妃の唇から血が一筋溢れ、その身体が苦しげに折り曲げられていた。
「母上!」
慌てて立ち上がったレナードだったが、そのまま糸が切れたように頽れる。ぐったりとした意識のない身体が、側にいたヴォルフガングによって支えられた。
(そっち!?えっ、こっちも!?)
口元から溢れる血を手のひらで受け止めながら、王妃が喘ぐように言う。
「…クリ、ストフ……。そなたが…近頃……レナードに手ずから…飲ませていたハーブティーを……わたくしも…念の為……口にして…おりました」
その言葉に、広間中の者の目がクリストフに集中する。
クリストフの視線がレナードを気遣うように向けられ、そして王妃を鋭く睨みつけた。
「そういうことか…!回りくどいことを…!」
(そういうことかー!!!)
吐き捨てるようなクリストフの言葉と、アルベルトの心の叫びが重なる。
つまり。
この一件が王妃の謀だと仮定した場合。
致死には至らぬ毒でクリストフの疑心を煽り、自らレナードに給仕をするように仕向ける。その様子は、従者や侍女、メイドたちも見ていたはずだ。
もちろん何も入っていないただのハーブティーなのだが、それを高位貴族たちが集まる舞踏会で自身の体を使って毒だと暗に告げた上で
(レナード殿下に『呪い』を発現させる。そうすれば、クリストフがレナード殿下に手をかけようとしていたように見える。……って、これ紅茶に毒が入ってる、って知らせちゃった私のせいなのでは!?)
「クリストフ……」
玉座の王が、信じがたいものを見る眼差しで息子をとらえる。
「そこの性悪女に嵌められた、…と言っても信じてはもらえないのでしょうね。今頃は私の部屋に毒入りの瓶でも仕込ませている頃かな?」
「クリストフッ…!」
ガタリと音を立てて、王が玉座から立ち上がる。
「治療師を呼べ!王妃とレナードを白廉の間へ!……クリストフ、抵抗する気はあるか?」
「いえ。逆効果でしょう。……それよりも」
クリストフの表情は、常日頃彼が臣下に見せているものとは違う、本来の彼のものだった。
貴族たちの探るような視線を一身に集めながらも、堂々と立つ。
その手が、アルベルトの金の髪にそっと触れた。
「今この場で、我が友、アルベルト・リストニアによる解呪魔法使用の許可をいただきたい」
「解呪……?…っ、呪い、だと?」
(めちゃくちゃすぐバラされたー!いや、教えたのは私だし、必要ならいつでも使うとは言ったけどさぁ!)
王の視線が、今度はアルベルトに向けられる。王妃の表情が歪んだように見えた。
(そもそもこうなったのは私のせいですね!本当にすみません!王妃には謝らないけど!)
発言を許しを得て、アルベルトが一歩前に進む。
「おそれながら……、お許しをいただけるのであれば、私は女神エルシオラより授かりし『解呪の魔法』をこの場にて使用することが可能です」
その言葉に、広間にどよめきが走る。
解呪の魔法。それは女神エルシオラが、世を浄化する為に英雄イグニスに授けたとされる古の魔法だ。
現在では使用者はおろか、詳細な文献さえ残っていない。
驚く王に、クリストフが言葉を重ねる。
「我が友アルベルトは、リストニアにおける魔物との日々の戦いの中で、かの凶鳥バジリスクに左手を石化されました。そしてさらに騎士団からも引き離された挙句、地下深くに埋もれた古代神殿に落下したのです」
広間の壁に寄っていた貴族たちの目が、驚愕の色を伴いアルベルトに向けられた。
(さっき軽く伝えただけの話を、見てきたように語るなこの人…)
「だが彼の心は決して折れず、石化の呪いを受けた状態で、たった一人で古代神殿を踏破した。そうだな、我が友よ」
「……ええ。石化が首まで来た時はさすがに心が折れそうになりましたが。実際、右足は折れてましたし」
アルベルトの補足に、貴族令嬢たちが悲鳴をあげる。ふと強い気配を感じて目を向けると、レナードを支えているヴォルフガングが、視線を下げたまま拳を握っているのが見えた。
(ヴォルフガング様のトラウマを刺激してしまったー!あの時、一番最初に見つけてくれたのもヴォルフガング様だったけど、背骨折れるかと思うくらい抱きしめられたもんね。すぐ意識がなくなったから、あんまり覚えてないんだけど)
彼の為にも、この辺は掘り下げない方がいいだろう。
「しかし、良い巡り合わせもございました。神殿の最奥に祀られていたエルシオラ様の像から、私は力を授かりました。解呪の魔法です」
「……なんと」
この世界では、傷付いた者を癒す手段は二つ。
治療師による薬を用いる方法と、聖都にのみ存在する神官による治癒魔法だ。
だがそれらはあくまで傷を癒したり毒を中和するためのもの。バジリスクの石化のような『呪い』には効果がない。カミラを崇める者たちがかつて討伐された理由の一つでもある。それほどに強力なのだ、『呪い』という力は。
バジリスクの石化も、同じだ。一度始まった石化は、その部位を切り落としても止まらない。確実な死を意味していた。
そんな呪いから身を守れる魔法があるとしたら、それはまさに女神の奇跡だ。
(だから偶然とは言え解呪魔法が使えるようになったって分かった時、『これでどれだけ石化しても大丈夫だな!ちょっと別個体を倒してくる!』って浮かれて走り出そうとしたら、ヴォルフガング様にめっっっっちゃくちゃ説教されたっていう。あのヴォルフガング様に。アルベルトの命令には絶対服従のあの忠犬ヴォルフガング様に)
「父上もリストニア侯の武勇はご存知のはず。治療師に預ける前に、一度試していただけませんでしょうか」
クリストフの声は真摯な色味を帯びていた。
侍女たちに支えられていた王妃が、その美貌を歪めている。当然ながら、それを見逃すほどクリストフの目は節穴ではなかった。
「義母上のお身体も心配だ。父上、どうか解呪の使用許可を」
「……わかった、認めよう」
「陛下ッ…!」
「ただし…、クリストフ。そなたの提案により治療が遅れた時は、……相応の沙汰が降るであろう」
「御意」
ぎょっとする王妃とは逆に丁寧に一礼したクリストフが、アルベルトを見る。
アルベルトも頷くとさらに一歩前に出た。
(衆人環視すぎるー!!やりますけどーー!!こうなったら、派手にやったれーー!!)
深く息を吸い、滔々と言葉を紡ぐ。
解呪の魔法は途絶えて久しい古代魔法だ。故に古いままの詠唱が残っている。
アルベルトの身体から可視化された魔力が風の渦となり立ち上がる。無数の魔法陣が描かれては消え、また描かれる。
そして宣言される、発動の言葉。
「女神エルシオラの名において、この呪いを解き放て」
光が、広間を白く染める。
次の瞬間、矢のように形を変えた光が、王妃の胸を真っ直ぐ貫いた。
「ギャァアアァァッーー!」
(ぎゃーー!薄々分かってはいたけどガチで王妃に行ったーー!!私が王族殺しで捕まったら弁護しろよクリストフーー!!)
アルベルトとクリストフ、そしてヴォルフガング以外の者が驚愕に彩られる中で、王妃の身体が激しくのたうつ。
彼女の苦しみ方は、呪いが消滅する際に発する痛みの類ではなかった。
あれは、そう。
「……呪返し」
アルベルトの言葉に、固唾を飲んで見守っていた周囲が悲鳴を上げる。
人を呪わば穴二つ。呪いは呪った者に還る。それは呪いに関係した者に均等に。そして呪いを発動させた者に最も強く。
王妃の美貌がみるみる衰えていく。長く美しかった金褐色の髪が抜け落ち、卵の殻が剥がれ落ちるように顔が崩れていく。
新しく出現した皮膚に浮かぶ、黒い紋様。前世でのトライバル柄に似た、それは。
「カーサスの黒紋……!?」
「、ぎっ、さまっ!何故、ッ、ソれを知っているッ!」
もはや王妃としての見た目はドレス程度しか残っていない何者かが、アルベルトの言葉に憎々しげに吐き捨てる。そして崩れかけた胸元から泥で出来た小さなヒトガタを取り出すと、天井高くまでそれを放り投げた。
「我が神カミラ!御身ノ使徒の力!お貸シくだサい!」
ヒトガタが大きく膨らみ、天井を覆いつくさんばかりに巨大化する。腹の辺りに亀裂が入り、中から黒い獣が溢れ出す。
喰らいつかれた近衛兵が二人、地に伏した。
華やかな舞踏会会場は、一瞬にして恐怖の場にとってかわった。
「ヴォルフガング!陛下たちをお守りせよ!アレクシアはヴォルフガングから離れるな!」
「御意…!」
「お兄様!」
次々と降ってくる魔獣に恐慌が広がっていく。
護衛として控えていたヴォルフガングはともかく、アルベルトは帯刀していない。
「すまない、借りるぞ!」
先に襲われ倒れた近衛兵が抜こうとしていた剣を拾い、襲いかかってきた一頭の首を斬り飛ばす。
悲鳴と絶叫が広間を支配していた。
「二人ともまだ息がある。運んでやってくれ!」
「は、…」
「しっかりしろ!君は王家を守る精鋭ではないのか!?」
「は、…ハッ!承知いたしました!」
アルベルトの叱咤で我に返った兵の一人が、別の者に声をかけ倒れた仲間を共に抱え上げる。
アルベルトは運ばれていく二人の近衛兵の内のもう一人が腰に帯びていた剣を鞘ごと抜き取った。そうして、さすがに動けずにいるクリストフの前に立つと、鞘に収まったままの剣を彼の胸に押し付ける。
(正念場!初陣だよ、王子様!実戦経験がないだけで、あなたの実力が本物だってことは分かってるから!)
「アル、ベルト……」
「参りましょう、殿下。たとえ相手が何であれ、王国の平和はあなたが掴み取らなければなりません」
「そなたも……戦ってくれるのか?」
(何言ってんの、今更。……そんなの)
「愚問です。私の剣は、ファンケンラート王国に捧げたもの。いかようにもお使いください」
その瞬間、アルベルトは見た。
クリストフの瞳が感極まったように、それでいて泣き出す前の幼子のように熱く潤む様を。




