第六話 売られた喧嘩は買う主義なので
王城の大広間は、黄金のシャンデリアが降り注ぐ光の海のようだった。 天井高く響く弦楽の調べが、夜の空気を優しく包み込む。 ファンケンラート王が、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
「今宵の舞踏会の開催を宣言する。王妃と共に、最初のワルツを踊ろう」
王妃が、優雅に王の手を取る。ゆったりとしたワルツの旋律が流れ始め、広間にいる者たちが絢爛な灯りの下でステップを踏む二人を敬意と共に見守った。
音楽が本格的に流れ出すと、広間はそれぞれの役割に分かれ始めた。 身分が高い者から順に、王の元へ挨拶に向かっている。 一方で、隅で歓談する老臣たち。 手を取り、踊り出す年若い貴族。 シャンパンのグラスを傾け、笑みを交わす夫人たち。 華やかな広間の中で、それぞれが複雑な人間模様を織りなしていた。
王都の有力貴族が王への挨拶を終えるのを、アルベルトは静かに待っていた。 その佇まいは、どこまでも優美で。彼が日々魔物と戦っているなど、誰も想像しないだろう。
やがて、主な貴族たちが玉座から離れていくのを確認したアルベルトは二人を伴い、王の前へと進み出た。
「王国の永遠なる光にご挨拶申し上げます。アルベルト・リストニア、並びに妹アレクシア、謹んで参上申し上げます」
澱みのない口上に王は頷き、「そなたを歓迎する」と答えた。 ふと第二王子レナードの瞳が、アレクシアに留まった。 十四歳の少年の頰が、ほのかに染まる。
「……リストニア侯爵令嬢。もしよろしければ、一曲を共に過ごしていただけませんか?」
レナードの声は少し上ずっていたが、笑顔は明るく誠実だった。 アレクシアは兄を一度見上げ、それからすぐに優雅に微笑んだ。
「光栄ですわ、殿下」
二人は手を重ね、フロアの中央へと進んでいく。 アルベルトは妹の後ろ姿を見つめながら、心の中で波立つ想いを抑えていた。
(私の可愛いアレクシアちゃんが…!!やだー!やだー!美少女と美少年で絵になってるけど、でもやだーー!!)
むろん、そんな内心を玉座の国王は知るよしもなく、若い二人を優しく見送る侯爵に満足気に頷く。
「レナードは、若き姫に心を奪われたようだ。リストニア侯、実はクリストフからも、そなたと話がしたいとねだられていてな。先日の茶会が、よほど楽しめたと見える」
国王の言葉に、隣にいた王妃が微笑みを添えた。
「クリストフから侯爵のお話を聞いて、私からも陛下に願い出ましたの。授与式では、お話できませんでしたでしょう?こうして改めてお会いして、…なんと麗しいこと」
王妃の声は柔らかかったが、笑みに宿る感情には温かみを感じられなかった。 アルベルトはそつなく答えながらも、心の中で設定を思い浮かべていた。
(王妃様って原作だと、実子のレナード殿下を贔屓してる描写があったよね。その辺は変わりない感じなのかな)
侯爵の仮面を保ち、穏やかに会話を続ける。
「王国の至宝と謳われる王妃殿下より賛辞を賜り、光栄に存じます」
アルベルトの返答を受け、王妃が笑みを深める。
クリストフが、場を継ぐように明るく口を開いた。
「父上、リストニア侯と交流を深めてもよろしいですか?」
茶会で見せたものとはまるで違う、快活な印象。
国王は快諾し、軽く手を振った。
「構わん。楽しむが良い」
「ありがとうございます。侯爵、シャンパンは好きか?」
「頂戴いたします」
アルベルトは深く一礼し、控えていたヴォルフガングに視線を向けた。
「アレクシアを頼む」
「…御心のままに」
(ほんと、よろしく!レナード殿下は狙われてるっぽいから、その辺一まとめで護衛をお願いします剣聖!)
未だかつてなく、外と中の気持ちが一致する。
ヴォルフガングがアルベルトの期待に応えなかったことなど、一度もない。それはアルベルトとして彼に出会ってから、変わらぬ事実。
クリストフの後に続いて座を辞す。場に残るヴォルフガングがすれ違い際、アルベルトだけに囁いた。「必ず、“お二人”をお守りします」と。
クリストフに案内されたのは、広間から直接出られる、アーチに囲まれたバルコニーだった。
パーティの熱気を覚ますにはちょうどよく、夜風に身を浸すほどではない。半屋外の小さなスペースだ。広間の外壁に沿って造られてはいるが、扉があるおかげで会話が漏れることはない。
「今年も、申し分ない出来のようだ」
フルートグラスを二つ手にしたクリストフが先に入り、明るい笑顔で振り返る。
一つを手渡され勧められ、アルベルトはシルクのような泡を立てるシャンパンを口に含んだ。
その瞬間、クリストフの印象が再び冷たいものへと変化する。
「毒が入っているとは疑わないのか?あのカップのように」
原作通り、こちらが本来の彼なのだろう。
だがアルベルトは、ここで押し問答をする気はなかった。
「私の魔力感知については、先に申し上げた通りです」
「王族が使う隠匿魔法なら、そなたを騙し通せるかもしれないぞ?……もっとも、そなたが“本当に”ワイバーンを一人で拘束出来るほどの実力があるのなら別だがな。……こうして見ると、俺一人でも簡単に押さえ込めそうだ」
ふ、と。クリストフの口の端が引き上げられる。どうやら彼は、この話を終わらせる気はないようだ。
アルベルトは心の中で、目の前の男の頭を思い切りスパンと叩いた。
(裏表ある知略家って実際いたらムカつくな〜!挑発して私の反応見てんのか、この都会っ子は。おっしゃ、その喧嘩買いますわ。私は慈愛系主人公みたいに、『殿下はそのような事はなさらないでしょう(微笑み)』とか言ってやらねぇからな)
「……私を一人で押さえ込めるとは、大きく出られましたね。…殿下は実戦経験が豊富でいらっしゃるご様子」
アルベルトからの返答に、クリストフが虚をつかれたような顔をした。
「王都の地に立った時、最初に感じるのは瘴気の薄さです。ここは魔物の脅威からは程遠い。……リストニアでは日々、皆が生きる為に行動します。小さな子どもであっても。そうしなければ、命を落とします……私が最初に死を覚悟したのは十三の春でした。私を守る為に、四人の騎士が、…死にました」
クリストフには、クリストフの事情がある。それは理解している。
だが助けを申し出た相手に対して、こちらが試す側だと言わんばかりに挑発してくるのは、協力者に対する態度としていかがなものか。
(なーにが『俺一人で押さえ込めそうだ』、だ。こちとらね、魔物との戦いで通算十回は死にかけてんのよ。バジリスクに左腕石化された挙句、地下に埋もれた古代神殿に落ちた時は、ガチで目の前に『完』の文字が出たわけよ。まぁあれは結果が良い方に転んだからギリセーフとして。…だけどね)
「先の殿下のお言葉は、私の力が嘘偽りのものである、と。そう仰られたも同じ。事実、そうではあるのでしょう。私は多くの者を守れなかった。……殿下は、ご覧になられたことはございますか?『まだ助かる』と信じて背負い励ましていた者の目が、光を失い虚となる瞬間を。我が子を喰われた母親が、棒切れ一つで魔物に殴りかかり肉片になる姿を」
「——……っ」
「……私は、見てきました。そして、今ここにいます。これ以上、この手から命が溢れないように。そのためなら何だってします。相手がワイバーンであろうとなかろうと、立ち向かいます。それは私だけではなく、リストニア騎士団の総意」
(気付いてる?クリストフ。あなたが疑い、からかったのは、私だけじゃない)
「……殿下。将来、国を導く光であられるあなたが」
ここで決裂するようなら、クリストフとは別行動でレナードを守る方法を探さなければならない。
だが、たとえそうなったとしても。
「王子というお立場から、リストニアに生きる者を疑われるのであれば、私との関係はここまでです」
アルベルトはクリストフから視線を逸らさなかった。この時間の無意味さに、わずかな失望が混ざる。
「レナード殿下の件につきましては、気取られぬよう私の方でも動きます。必要なら、剣聖をお貸しするのもやぶさかではございません。無礼を働いた罰は、レナード殿下のご無事を確認出来た後で、いかようにも」
(原作のアルベルトなら怒ったりしないのかもしれない。……だけど、心の狭い短気な奴だと思われたとしても、我慢なんてしない。魔物によって命を落とす人たち、殉職する騎士たちをたくさん見てきた。チートなんて、物量で攻められたら意味なかった。私がもっとちゃんと強ければ、助けられた命があった。クリストフは軽い気持ちで言ったのかもしれない。でも、……っ、あなたは知らないでしょう!?私を守れたことに安堵して事切れた騎士たちの、最期の笑顔を…っ…。騎士団の到着を信じて最期まで子どもを庇った父親が、駆けつけた騎士を見て『頼む!』と叫んで首を飛ばしたのを……!魔物と戦った経験さえない人に、バカにされる筋合いはない!)
「……御前、失礼いたします」
フルートグラスを脇のテーブルに置き、浅く頭を下げ踵を返す。
その肩が、強く引き止められた。
クリストフの手が、アルベルトの肩を沈む程に強く掴んでいる。
「……、……」
何度も言い淀み、口を開きかけては閉ざす。
そうして時間をかけてから、クリストフは長く細い息を吐いた。
「……、すまな…かった。弟の件で気が立つあまり、酷いやり方でそなたを侮辱した」
「…………あなたが侮辱したのは、私だけではありません。リストニアの地に生きる者たちもだと、先程申し上げました」
「そんなことは……!……っ、そうだな…、そうとられても仕方がない」
(そうですね。軟弱そうなアルベルト・リストニアが剣聖や騎士団の力を使ってワイバーン討伐の手柄を独り占めしたのかもしれない、とかちょっとでも思ってたから言ったんでしょ?あいにくね、騎士たちはそんなふうに上に胡麻擦って生きてなんていない。父さんと母さんが残してくれた騎士団を馬鹿にするな)
「……王子として、一個人として、リストニアに対する侮辱を謝罪する」
視線を向けたまま何も返さないアルベルトに、クリストフもそれ以上何か口にすることはしなかった。ただ、その視線が少しずつ下がっていく。
仕方がない、とアルベルトは再びクリストフに向き直った。
本当は。
分からなくもないのだ、クリストフの気持ちも。
「私こそ臣下としてあるまじき態度でした。謝罪申し上げます。誰がレナード殿下を狙っているのか分からない状況で、確実な味方を得る為に挑発してでも相手を試すやり方を選んだのでございましょう」
万が一にもこの一件がアルベルトの策略であるのなら、ボロが出るのを期待して。
(身も蓋もない言い方をすると、多分ピリピリしてたんだよね彼は。……あ〜、でもそれを言ったら私も一緒か。まんまと策に乗ってキレ散らかしてしまった。アルベルトらしい行動を心がけないといけないって時に……。これはちょっと本当に反省しよう。レナード殿下の生存ルートに入れなかったら大変だよ。……よーし!気持ちを切り替えて!)
「殿下、今のあなたになら届くと信じて申し上げます。……私は、味方です。あなたと、レナード殿下の」
「……侯爵」
「情報を共有いたしましょう。ヴォルフガングは優秀ですが、危険は少ない方がいい」
今度こそ、安心してもらえるように微笑む。
クリストフはそんなアルベルトを見て大きく目を見張った後、
「……ああ、そうしよう」
今まで見てきたどの彼とも違う、切なく柔らかな笑みを浮かべた。




