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第十一話 それが役目であるならば

 全員兵装を整えて、城の中央広場にて待機。

 その指示は昼に出され、そして半日ほどが過ぎていた。

 兵の数は二百ほどだろうか。そのほとんどは平民だが、稀に下位貴族の末子なども混ざっている。

 数としては、ステルビア公爵の爵位から考えると、かなり少ない。

 年齢に上限があるせいだ。

 ステルビアでは、兵は三十歳になると同時に任を解かれる。領主曰く、体力が落ちた者を養う予算はないのだそうだ。

 そんな馬鹿なと思いながらも、身分が低い者にはどうしようもない、ステルビアの決まりだった。

 平民の男はそれなりに長い間、兵士をしていた。年齢で言うなら、そろそろ定年だ。ステルビアでは、どれだけ剣に優れていても、平民は一般兵以上には決して上がれない。隣のリストニアでは平民でも騎士団に入り、さらには侯爵から気安く声をかけられる立場になれるとの噂があるが、真偽のほどはわからなかった。とは言え、魔物が多く生息するリストニアで暮らしたいかと聞かれれば、答えは否なのだが。

 リストニアは、ファンケンラートの防波堤だ。

 大森林から生み出される魔物たちを食い止めるために、リストニア家が存在している。

 代々、長生きのできない家系だ。先代も、スタンピードで命を落としたと聞いている。その前の世代も、その前も。侯爵という地位にありながら、リストニアの貴族たちは皆、戦いの中で散っていく運命(さだめ)を負っている。

 それを思うと、やはり生まれた場所がステルビアで良かったと感じた。

 男が兵士になったのは、それがこの地では一般的だったからだ。

 商業はステルビアの寄子となる下位貴族や、平民の中でも一部の上級領民に独占され、他は畑を耕すか魚を獲るか、あるいは男のように兵になるしか道がない。だが下っ端兵士の暮らしは、それなりに快適だった。

 毎日適当に訓練していれば、最低限の給金が配られ、味さえ気にしなければ食事にもありつける。

 昨年の秋にリストニア側と小競り合いがあったらしく公爵が何か言っていたが、男はまともに聞いてもいなかった。

 松明の灯りが、城の広場を照らしている。

 いったいいつまで待機していなければならないのか。楽なのはいいが、そろそろ飽きてきたなと考える。周りの兵も、同じく気の抜けた顔をしていた。

 兵を辞めた後のことを、ぼんやりと考えた。薄給だが、貯金もできた。運河近くの町にある実家に帰って、魚でも獲って暮らそうか。

 取り留めなく思考を巡らせていた男の目に、ステルビア公爵が映ったのは、そんな時だった。

「二百か。少ないが、まぁ良いだろう」

 城の入口、その上部にあるバルコニーから、兵たちを見下ろしている。一般兵だけを集めて何をするのだろうとざわつく広場を一瞥し、公爵が両腕を広げた。

「おめでとう。今宵、お前たちには特別な役目が与えられる」

 ふ、と。広場にある全ての篝火が消えた。

 突然周囲が暗闇に包まれ、兵たちの間に混乱が起きる。誰かが「おい!あれ!」と空を指さした。

 白い月明かりと、星の満ちる空。

 その中に、じわりと真っ黒な染みが広がった。






 街そのものが、闇に飲み込まれていた。

 ステルビアの城と、その周辺が黒く、黒く、塗りつぶされている。

 街の明かりも、魔除けの意味もある篝火も。僅かな光さえも、見えない。

「……案内は、ここまでで良い。ありがとう、助かった」

 彼らが案内してくれたのは、確かに近道だった。おかげで予定よりも二割ほど時間を短縮できた。

 アルベルトの声に、泣きながら震えていた二人の男が、何度も頷きながら馬首を返して来た道を戻っていく。

 それを確認してから、馬を進めた。


 ステルビア城下は、小高い丘の上にある。つい先日、丘への上り口で鼓笛隊の音楽とともに歓迎を受けたばかりだ。

「あれは……」

 その道の手前で、クリストフが驚きを滲ませながら呟いた。

 運河にある町にいるはずの近衛隊。その半数ほどが、明かりもつけずに馬上から城下を見上げていた。

「……殿下!」

 こちらに気付いた近衛隊長が慌てて手綱を操り、馬で駆けてくる。

「なぜここにいる?」

 クリストフが問いかけた。近衛隊は保護された十二名を引き取った後は、『主君の不在を隠して運河を捜索する』という役をしているはずだ。

 疑問に、近衛隊長が敬礼をしてから答えた。

「ステルビア公爵から、城に来るようにと命じられました。『川に落ちた殿下をお救いした』と。隊の半数はそのまま運河上流の町に待機させ、我々も今こちらに着いたところです」

「……つまり、やはりあの場を見ていた者がいたというわけか」

「隠しながら必死で探している様子を見て、死んだと確信したのでしょう。我々を呼んだのは、単に始末するためか。それとも殿下の死の責を負わせ、護送の名目で兵を王都に入れようとしていたのかはわかりかねますが」

「……アル、どう思う?」

 クリストフの視線が、アルベルトに向けられる。

「目的が王位簒奪であるなら、後者の可能性は充分にあります」

 ……しかし、と。少し考えてからアルベルトは続けた。

「ただでさえ実戦経験に乏しいステルビア兵を動員して王都を攻めたとしても、すぐに鎮圧されるだけかと」

「確かにな……」

 ステルビア家の強さは武力ではなく、王家の威光によるものだ。兵の数は少なく、その質も良いものではない。

 兵の底上げ自体ができれば別だが。


 ——そこまで考え、アルベルトは黒く染まった城を見上げた。


「到着した時には、すでにあのように街全体が黒く染まっていました」

 同じように、近衛隊長が城に目をやる。

「今から斥候を——」

「それはやめた方がいい」

 続く言葉を、アルベルトが強い口調で止めた。

「それより、殿下を安全な場所へお連れしてくれないか?街へは、我々が行く」

「アルベルト!?」

 今度はクリストフがアルベルトの言葉を遮った。

「俺も行く」

「なりません。付いてくると言うのであれば、サイネケンの魔法で眠らせます」

 瞳の奥の訴えを短く切り捨て、二人の部下に「行くぞ」と声をかける。近衛隊長の馬が前に出て、手を伸ばすクリストフを止めていた。

「アルベルト……!」

 だがそれでもなお、クリストフが叫ぶ。

「俺が、……俺がもっと強ければ、そなたと並んで立てたのか……!?」

 焦燥を滲ませる声に、アルベルトが振り返る。そして柔らかく微笑むと、首を緩く横に振った。

「……いいえ、殿下。あなたが今より強くとも、弱くとも。王家であろうと、なかろうと。私は、こうしたでしょう」

 その答えに、クリストフの眉根が苦しげに寄せられた。

 アルベルトは「行ってまいります」と頭を下げ、前を向いた。

 三頭の馬が、丘を駆け上がる。

 もう振り返ることは、なかった。






 アルベルトを見送ったクリストフは、城が見える離れた場所まで近衛兵たちを下がらせていた。

 先程までは城下へと続く街道を移動していた小さな灯りが、街に入ったことで建物に隠れて見えなくなった。

「……殿下、お下がりください」

 やや強い口調で近衛隊長に諫められ、喉まで出かかった否定の言葉を飲み込み、数歩分だけ下がった。

「リストニアは……、ステルビアがいなければ序列最上位の大貴族だ。その当主に戦わせて、一人だけ安全な場所にいろと言うのか……っ」

「あなたは、ファンケンラートそのものです。失うわけには、いきません」

 近衛隊長の言い分も、痛いほど理解できた。近衛隊の任務は、命を捨ててでもクリストフを守ることにある。ここがすでに戦場であるのなら、彼らは何を差し置いてもクリストフを逃がす道を選んだだろう。

 離れた場所までの撤退に留めているのは、ギリギリの状況下にあっても、クリストフの想いを尊重したからに他ならない。

「……それに、リストニア侯爵閣下の力は、ファンケンラートの歴史の中でも類を見ないほど強いものです。——信じましょう。我が国の、英雄を」

「……っ……」

 ぐっ、とクリストフが息を詰まらせた。

 昨日までなら、と考える。

 昨日までなら、おそらく自分も近衛隊長と同じ言葉を言っただろうと。

 しかし、クリストフはもう知っていた。

 アルベルト・リストニアは最初から英雄だったわけではない。

 そして、英雄になりたかったわけでもない。

 傷付き、血を流し、肉を抉り。

 ただ、彼は戦い続けた。

 人々を守るために。

 アルベルトの中では、クリストフでさえも、守る対象なのだ。

「……この距離こそが、俺とそなたの力の差か」

 今はいないあの黒き騎士ならば、黄金の隣に並び立ち、その背を預けられたのだろう。

 クリストフは、近衛隊長の名を呼んだ。近衛兵の中で、最も古くからクリストフに仕えてきた者だ。剣の師でもある。多忙な父王に代わり、親のように思っていた時期もあった。

 呼ばれた近衛隊長が、返事の代わりに頭を下げた。

「俺の中にある、国を愛し、民を愛する気持ちに変わりはない。ファンケンラートのためなら、喜んで命を捧げよう。……だが」

 言いながら、クリストフは無意識に自身の唇に触れていた。運河に落ちた後、意識を取り戻した時に最初に見えた光景が浮かび上がる。


 太陽の光を反射し、水面のように輝く濡れた金の髪。

 じっとこちらを覗き込んでくる、薄紫の瞳。

 ……まだ微かに触れていた、唇。


 あの瞬間クリストフは、自分が何者であるのかを完全に忘れ去っていた。


「ファンケンラートではない、ただの男の俺が、子どものように泣き喚くのだ。アルベルトが欲しい、想われたい、と。今この瞬間も、彼の盾になれるのなら本望だと叫んでいる。国を優先しなければならない、俺が」

「殿下、それは……っ」

「わかっている」

 何か言おうとした近衛隊長を制し、続けた。

「アルベルトを追ったりはしない。今の話も、この状況下だからこそ漏れたものだと、忘れてくれ」

 それきり口を閉ざし、前を向く。

 近衛隊長は唇を震わせ何かを伝えようとしたが、結局固く口を結ぶとクリストフの意思を尊重するかのように深く頭を下げた。





 魔力を消費しないよう、リストニア騎士団では松明を使用することが多い。だがさすがにこの場では用意はできないため、サイネケンが魔法で前方に小さな灯りを浮かべていた。

 灯りが届かない部分を、白い月光がほのかに照らしている。

 蹄の音が、石畳に響いていた。


 丘を上がり街へと入った三人を迎えたのは、物音一つしない静寂に満ちた夜の街だった。


 深夜とは言え、あれだけ賑わっていた大通りに、人の気配がまったくしない。

 かと言って、何かに襲われ荒れているといった様子もなかった。

 まるで人々だけが切り取られ、忽然と姿を消してしまったかのようだ。

「閣下、向こうの通りも見てきましたが同じです。民家がいくつかありましたが、そちらにも人がいる様子はありませんでした」

「……城に向かう。兵士が集められていたはずだ」

 アルベルトは過去形でそれを口にした。

 大通りの一番奥に見える巨大な城にも、明かりの類が一切見えなかったからだ。

 通りを抜けても、建物の隙間を抜けていく風の音しかしなかった。リストニアよりは柔らかいはずのステルビアの冬の風が、刃の鋭さで石畳を掠っていく。

 堀にかかる橋の手前で馬を降りる。橋を上げられてもアルベルトたちは何とかなるが、馬はそうはいかない。

 アルベルトは、橋の下に見える堀を流れる川を見下ろした。

 ツンとした異臭が立ち上る。

「……っ、血の川……ですか」

 手の甲で鼻を押さえた副団長が、短く呻く。

 元より澄んでいるとは言い難い流れではあったが、今やそこは赤く濁った流れへと変貌していた。

 三人が橋を渡り切ると、門楼の巻き上げ機がガラガラとひとりでに回り始めた。

 跳ね橋の鎖が巻き取られ、地響きのような音とともに、門が閉ざされた。

次回第十二話は9月5日17時更新です。

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