第十話 手紙と記録
しばらくの間、無言で作業を続けていた。
何冊目かわからない書物の中身を確認し終えたアルベルトの目に、裏返しにされた四角い小さな額が見えた。隅の方に『愛娘リリーナと』と書かれている。
カラトワの愛娘。二十年前に死亡届が出された人物だ。カラトワが、自身の後継者にしたいと考えるほどの魔導の才があったらしいが。
表を見ると、黒髪の壮年の男と赤い髪の若い女の似姿が描かれていた。
「——……」
似ている、と思った。
その燃えるような、赤い髪が。
似姿をはめ込んだ額は、後ろの押さえの板部分が僅かに膨らんでいた。
中に何か入っている。
金具を外して額を分解すると、絵と板の間から角が擦り切れた手紙の束が出てきた。どれも、長くはない。だが数は多かった。
一枚ずつ、目を通していく。
“予定通り、故郷を追われた哀れな娘を装い、カーサスの里に入り込みました。必ず秘術を持ち帰ります”
“長の息子が、私に好意を持ったようです。我々が呼ぶカーサスという名称が、彼らの言葉で『呪の末裔』を意味するのだと教えられました。呪い、呪術。やはりここにはお父様が探されていた秘術がありそうです”
“長の息子が、よく私の元にやってきます。私が秘術を手に入れるためにここにいるとも知らずに、花など持ってきて。聞いたところによると、彼らにも血族魔法に似た継承術があるようです。今度見せてもらう約束をしました。単純な者は、扱いやすくて助かります”
“魔物に襲われましたが、長の息子に助けられました。ひどい怪我をしているのに、私の心配ばかり。なんて馬鹿な男”
“お父様は、お母様のことを愛していましたか?”
“里の者に私の目的と正体が知られました。長の息子が、私を守るために里の者を手にかけました。ともに逃げるために、馬に姿を変え彼を乗せました。誰にも見せるなと言われていた、ステルビアの血族魔法を使用しましたこと、お許しください。カーサスの里、呪の末裔の歴史の中には、お父様が探されていた秘術がありました。ですが私からの手紙は、これが最後となるでしょう。お腹に、子がいます。黒紋を入れていない者が呪の末裔の子を産むと死ぬそうです。だから薬を飲んで堕胎するようにと、泣いて言われました。いやよ。私とあの人の間にできた、大切な子。絶対に死なせない。だから、お別れです。ごめんなさい、お父様。私はあの人と、このお腹の子……カルナヴァスを愛しているの”
最後の一文を目にして、アルベルトは僅かに目を見開いた。
『彼』は、この事実を知るべきか否か。
迷いはしたが、それを決めるのはアルベルトではない。絵を再び額に戻し、手紙だけ畳んでジャケットにしまった。
「アル、こちらに来てくれないか」
本の山に埋もれていたクリストフが、アルベルトを呼んだ。手に小さな帳面を持っている。
「治療の記録だ。どうやら重い病気だったらしい。屋敷を焼こうとしたのは、カラトワの死期が近かった事実を隠すためか」
帳面を受け取り、中を読む。日々の症状や投薬の状況などが、細かく記されている。昨年の春頃から始まっていた。
「一番最後のページを見てくれ」
言われて、該当するページまで捲る。そこには、『ステルビアに呼ばれ、城へ治療に行く。向こうも私に死なれると王家に強く出られないから必死だ』と書かれていた。
日付は、冬の初め。ダルド子爵が、カラトワと連絡が取れなくなったと言っていた頃だった。
「……ダルド子爵がカラトワの不在をステルビアに知らせた時、捜索の指示はなかったとのことでしたね」
「自分たちで呼んでいたのなら、納得だ。そこからどうしたのかは、あまり知りたくはないが」
言いながら、クリストフが膝の埃を払いつつ立ち上がる。
知りたくはないが、知らなければならない。そしてこの屋敷で得るべき情報は、もうなかった。
「ステルビア城へ向かいましょう」
アルベルトはサイネケンへ連絡を取るべく、写し鏡の魔道具を取り出した。昨夜、こちらに向かうと言っていた。行き違いは、避けなければ。
起動しようとし、微かに木が焦げる臭いを感じた。扉の向こうからだ。
少し遅れて気付いたクリストフが、反射的に扉を開けた。
「殿下!」
暗い通路の向こうから赤い光が走ってくる。ふいごで送り出されたように、凄まじい速さで部屋に炎が吸い込まれた。
一瞬で室内が火の海に変わる。
だが同時に展開された防御壁が、二人を守っていた。
「アル……!」
「殿下、頭を低くしてください。熱と煙からは守れても、酸素はどうにもなりません」
室内は熱で真っ赤に染まっていた。二人がいる場所以外は、壁も床も炎に飲まれている。閉じた地下空間では、すぐに意識を失ってしまう。
水魔法を使えば火は消せるが、ここは地下。屋敷全体を消火するだけの水魔法を使えば、全てが水に沈む。あの狭い穴から上に戻るなら、防御壁は一度解除しなければならない。そうなれば、クリストフが手に入れた帳面や、アルベルトが持つ手紙は滲んで二度と読めなくなるだろう。
だがそれでも、優先すべきは命だ。
「……水魔法を使用します」
告げたアルベルトの胸元で、写し鏡の魔道具が通信を知らせた。
〈今、中におられますか?〉
相手はサイネケンだった。
「奥の部屋から行ける地下室にいる。ここも火の海だ」
〈濡れるとまずいものは?〉
「カラトワが行方不明になる前に、ステルビアへ向かうと自身で記していた帳面がある」
〈かしこまりました。ではグウィン陛下より賜りし、氷の秘術にいたします。少々冷えますので、しっかり防御をなさってください〉
言葉と同時に、今度は穴の向こうから真っ白い風が吹き込んできた。燃え上がっていた炎がかき消され、代わりに辺り一面が白く凍りつく。
「防御壁の中にいても、寒いな」
〈力加減が少々難しく。ですがこれを『寒い』だけで防げるのは、グウィン陛下や儂を除けば、閣下くらいでしょう〉
「……すぐに上に戻る」
ほんの少し嫉妬が混ざったような言い方のサイネケンに、苦笑を返してから通信を切り防御壁を解除した。
屋敷の外に出ると、辺りはすでに暗闇に包まれていた。
門のところに、魔法で灯りをつけたサイネケンと副団長の姿がある。副団長の足元には、縄で縛られた男が二名転がっていた。
「屋敷に火矢をかけた者です。ステルビアの指示で屋敷の確認に来て、遠目から焼けていないことに気付き火矢をかけたそうです」
副団長のブーツが、片方の男の肩を軽く小突いた。
「……見えるか?貴様らが誰に火をかけたか。今すぐにここで首を刎ねられたくなければ、命乞い以外の言葉を全て吐け。なぜステルビアがカラトワの屋敷を焼く必要がある?」
男の耳のすぐ横に、剣を突き立てる。馬の嘶きのような悲鳴を上げた男たちが、震えながら口を開いた。
「……し、知らねえよ。ほ、本当だ……!オレら下っ端の平民に、そんなことわかるもんか!あんたらみてぇに、お偉い立場の騎士様じゃねえんだ!」
「……二人も生かしておく必要はないか」
「ヒィッ!」
「待ってくれ」
剣を振り上げた副団長を、アルベルトが止める。恐怖に震えていた男がアルベルトの姿を上から下まで眺め、「……黄金侯爵」と呆然と呟いた。
「何も知らないというのは、本当だろう。ステルビアは、自軍の兵士さえ大事にしていない。城での彼らの食事を見れば、わかる」
転がされている男たちの側に片膝をつき、「殺しはしない」と声をかける。
「貴族の屋敷に火をかける行為は重罪だが、その罪は指示した者が負うべきだ。それに彼らは、中に私や殿下がいたと知るはずもない」
殿下、とアルベルトが口にしたことで、二人の男がクリストフを見て大きく震え始めた。
この瞬間、彼らはようやく理解したらしかった。
自分たちがリストニア侯爵と、ファンケンラート王国第一王子に火矢をかけた事実を。
アルベルトは二人の様子を見てから、再び声をかけた。
「ステルビアには、王位簒奪の容疑がかけられている」
「おうい……さんだつ……?」
「ファンケンラート王家から、国を奪おうとしているという意味だ」
実際には、その懸念をクリストフが口にしている段階だ。だが二人の男には、充分すぎるほどの効果があったようだった。その顔から、血の気が引いていく。
神代から続くとも言われる、長い歴史を持つファンケンラート。それを断とうとする者に与していると言われたのだ。
「あ、あ、あの、オレ、オレらは……そ、そんなつもりじゃ……」
もう一人の男が、震える舌で必死に言葉を紡ぐ。
「わかっている。だから、もし気付いたことがあれば教えてほしい。君たちが命令を受けた時、ステルビアの城で何か変わった様子はなかったか?……例えば、いつもはない号令や指示が聞こえたりなどは」
「あ、ありました!」
アルベルトが問いかけると、二人が揃って声を上げた。
「城に勤める全ての兵は、兵装を整え、城の広場で待機するようにと」
「……それは、いつ?」
「今日の、ひ、昼間です。日付が変わる頃に指示があるから、それまで待てと言われたと知り合いの兵が、も、申しておりました」
アルベルトは、視線をサイネケンへと向けた。
「馬に補助魔法を最大付与し走らせたとしても、到着は深夜を過ぎるかと」
「だがそれでも、行くしかない」
「承知いたしました」
礼をしたサイネケンが、門の外に繋がれている馬の準備に向かう。
「副団長、彼らの縄を解いてやってくれ」
「閣下……!?しかし彼らは——」
「……君たちは、火矢をかけた後の命令はされていたか?」
反対する副団長に、静かな声が重ねられた。問われた男たちが、「特には……」と顔を見合わせる。
「屋敷に火をかけた後は、その場で待機するようにと、言われていました」
返答に、副団長が小さく舌打ちをする。役目を終えた兵の末路に気付いたからだ。
「……あそこに横たわる二人が見えるだろうか」
男たちが、アルベルトが指し示した先を見る。血に濡れた、二つの遺体がある。どちらも『何かに喰われたように』、体の一部が欠損していた。
「彼らは腐死人に襲われ、命を奪われた。……ステルビアが君たちの口封じに、腐死人を送ってくる可能性は高い。ここから、逃げるんだ。——副団長、縄を」
「……かしこまりました」
副団長が、後ろ手に縛っていた男たちの縄を解いていく。立ち上がった二人が、戸惑うように視線を彷徨わせている。
後ろで見ていたクリストフが、小さく自嘲した。
「王家がステルビアの増長を放置した結果が、これか……」
どこかで歯止めをかけられたはずだと言われれば、そうなのだろう。
——だが。
「まともな者なら多少の増長はあれど、ここまでにはなりません。彼らの本質の問題かと。……私に他人の罪を背負うなと仰ってくださったのは、あなたです」
「……そうだったな」
アルベルトの視線は前を向いたままだったが、背後のクリストフが息を吐き、力を抜いたのがわかった。
「閣下、準備ができました」
繋いでいた馬の元から、サイネケンが戻ってくる。補助魔法を使用し、馬の速度と体力を底上げしてある。普段の遠征から使用しているが、サイネケンのそれは最大値に近いものだ。馬への負担は少なく、けれども最高速度のまま走り続けることができる。
「すぐに出発しよう」
クリストフを囲むようにして、列を組む。
「……あ、あ、あのっ!」
出立の合図をしようとしたアルベルトの耳に、自由になったはずの男たちの声が届いた。
自分たちの馬を引いて、走ってくる。
「し、城までの近道を知っています!オレら二人とも、この辺の出身で……!」
「だ、だから、この任務を任されたっていうか……!」
「おいおい。それの信憑性はともかく、ステルビア城に戻れば命の保証はできないぞ」
副団長が諌めるように言う。ぶっきらぼうな口調だが、純粋に二人の心配をしているのだろう。確かに目の前の二人は、騎士団や近衛隊のような訓練を積んでいるようには見えない。
しかし二人は追い払う仕草をした副団長に、なおも食い下がっていた。
「し、城の近くまで来たら逃げます!案内させてください!」
「——わかった」
答えたのは、クリストフだった。
「アルベルト、彼らを列に入れてやってくれ」
「承知いたしました。サイネケン、彼らの馬にも補助魔法を」
クリストフ本人の命には関わることでない限り、決定権はクリストフにある。ここで時間を取るくらいなら、素直に彼らに案内を任せた方がいい。
礼を言った二人が、補助魔法が付与された馬に乗る。
ステルビア兵二名を加えた六名の隊で、夜の森を走り始めた。
次回第十一話は9月3日17時更新です。




