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第九話 屋敷探索

 夜明けを待って、釣り小屋を出発した。

 小屋があるのなら、遠くない場所に民家がある。その予想は正しく、そして運が良いことに、しばらく歩いた先で農場を見つけた。馬も複数頭、のんびりと草を食んでいる。

 幻影魔法を使い顔を例のグシュタール兵に変えたアルベルトは、近衛服のジャケットを脱ぐと、農場主らしき男に、近くで待つ連れの分と合わせて馬を二頭譲ってもらえないかと頼んだ。もちろん、言い値でだ。

 男はお人よしではなかったが悪人でもなかったらしく、ふっかけてはきたものの健康な馬を二頭用意してくれた。さらに色をつけて周辺の地理を教わると、「半年分の稼ぎになったから」と携帯用の水をタダでくれた。


 手に入れた馬に乗って、カラトワの屋敷へと向かう。

 屋敷は、ダルド子爵の本邸がある町に程近い森の奥だった。道は研究用の荷の運搬のために整備されており、迷うことはないらしい。

 農場主の男に聞いた地理を頼りに、屋敷に通じる森の入り口を探す。

 西に傾いた太陽が赤くなる頃になり、ようやくそれらしき道を見つけることができた。


「殿下、ここからは念のため隠匿魔法をお願いしてもよろしいでしょうか」

 幻影を解いたアルベルトが、馬上から振り返る。

「あぁ。もちろんだ」

 クリストフが小さく唱えると、二人の存在が大河に落ちた一筋の雨滴のように淡く薄く希釈された。

「物理的に隠しているわけではないのに、認識できなくなる。不思議な魔法ですね」

「今の俺たちは、風に揺れるそこの草のようなものだ。見えてはいるが『気にならなくなる』」

 さすがは王家の血族魔法といったところだろう。この魔法はクリストフとレナードが使用できるが、現王は制御力が足りず発動できないらしかった。

「その分、父上は剣に優れておいでだが。グリズリにしてみれば、それも気に食わなかったのかもしれないな。妻を迎えるのに相当選別したと耳にしていたが、……毒の血族魔法を持つ一族を選んでいたとは」

「人を死に至らしめるほどの毒など、莫大な魔力と高度な制御力がなければ発動しません。グローリアが男好き——……失礼、恋多き婦人との噂は有名でしたが、魔導に長けていたとは知りませんでした」

 アルベルトの失言に「構わん」と声を抑えて笑ってから、クリストフが思案するように風に揺れる草を見た。

「確かにあれの男遊びは有名だ。それでもあの美貌と地位に惹かれて寄っていく者は多い。俺は、まっったく好みではないが」

 やけに力強く『まったく』の部分を強調してくる。

「能力に関しても、まだ貴族院を終学していなかったはず。そなたよりは一つ二つ、年上であるだろうに」

 貴族が通う院は魔導院とは違い、貴族としての進路を決めるためのものでもある。下位貴族の三男以下の男子は騎士を選ぶ者が多く、同じく女子は高位貴族や王城での側仕えを選ぶ者が多い。

 必ずしも終学する必要はなく、進路が決まれば途中で院を出ることもある。

 だがグローリアは、まともに学を修めず貴族院に在籍を続けている。

 若く美しい、騎士希望の貴族たちが次々と入ってくるからだ。

「しかし、それも終わりだ。……公爵家に生まれ、何不自由なく育てられただろうに」

 行こう、とクリストフが森の奥へと馬首を向ける。アルベルトも、充分な注意を払いながら隣に並んだ。





 ——その兵士は、ステルビア公爵家からダルド子爵家へと派遣されていた者の中の一人だった。

 ダルド子爵家の警備をする傍ら、子爵の様子をステルビア公爵家へと流すことを任務としていた。

 ダルド子爵が王家の書状を持った騎士と魔導師に捕縛された後、兵士はすぐに雇い主であるステルビア公爵家へと報告した。

 すると、新たな命令が下された。

 カラトワの屋敷に、火をつけることだ。

 男は、平民出のただの兵士だ。下位貴族出の同僚の中には公爵を崇拝している者もいたが、男はステルビアの一族が平民に対して砂の一粒ほどの興味も抱いていないことを知っていたため、金さえもらえればどうでも良いと思っていた。ステルビア領に生まれてしまったのだから、仕方がない。

 魔物に喰い殺されて死ぬリストニアよりは、まだマシだ。

 カラトワの屋敷に着き、壁を一周するように油を撒く。ステルビア直系の大魔導師という肩書きからは考えられないほど、小さな屋敷だ。ここに移ってきたのは、娘の死の直後らしかったが、やはり男はどうでも良いと思っていた。

 油を撒き終わり、火種を用意するべく持参した小さな手荷物から火打石と縄を取り出す。男は魔法を使えない。ファンケンラートには火を出す魔道具もあるが、平民が使うには高価で、支給などされるはずもなかった。

 屋敷の中から物音が聞こえたのは、縄をほぐしている時だった。

 ここは森の中にある屋敷だ。小さな獣でも迷い込んだかと最初は考えたが、耳を澄ませてみると人の足音のように聞こえた。どうやら一人のようだ。これはまずいと男は思った。カラトワは不在だと教えられたが、何か事情があって戻ってきているのなら火をつければ大変なことになる。

 確認しなければならない。

 そう考え、屋敷の扉を開けた。

 まだ陽は高かったが、中は薄暗かった。

 誰かがこちらに向かって歩いてくる。覚束ない足取りだ。

 ふらふら、ふらふらと。

 その誰かは、カラトワではなかった。平民服を着た、女だ。腕に蔓で編んだ籠を引っ掛け、上半身が真っ赤に染まっている。よく見ると肩から鎖骨までがごっそり抉れていた。

 その目はぐるりと上を向き、舌は顎に垂れるほどに伸びている。

 男は悲鳴を上げた。

 上げたと思った。

 だが実際には、天井に向かって噴き出す自身の血を、大きく口を開けて眺めていただけだった。

 男が最期に目にしたものは、男の片方の目玉を咀嚼する、女の血に染まった口元だった。





 アルベルトは、森の中で感じていた腐臭と油の臭いの原因を知った。

 土を固めて作られた道の突き当たりにある、柵に囲まれた小さな屋敷。油が撒かれたその壁の周りを、二体の腐死人が歩いている。一人は平民がよく着る飾り気のないワンピースを血で赤く染めた女で、もう一人は兵士服を着た、こちらも血だらけの男だった。

 命令が与えられているわけではないのか、目的もなく彷徨っているように見える。

 隠匿魔法により気配を限りなく薄めたアルベルトたちに、気付く様子はない。

 

 ——ゆらゆらと揺れるその身体を、魔力の鎖が地に縫い止めた。


「……女神エルシオラよ、彼らを呪いから解放してやってくれ」

 アルベルトの言葉とともに、鎖がより強い光を帯びた。

 本来、腐死人になった者は、二度と人であった頃の姿には戻れない。原型を留めぬほどに潰すか、灰になるまで燃やすかしない限り、動き続けて生者を憎み続けるからだ。

 だが腐死人となってまだ間もない状態であれば、解呪の魔法の効果で腐死の力から解放してやれる。

 二つの身体が、糸の切れた人形のように地に倒れた。

 彼らは、もう二度と目を覚まさない。

 けれども、身体だけでも弔ってやることができる。

 アルベルトは馬から降りると先に女の方を抱き上げ、油で汚れていない場所に静かに寝かせた。

 ふと見ると、クリストフが同じようにして男を寝かせている。

 アルベルトが礼を伝えると、クリストフは緩く首を横に振り「礼を言うのは、俺の方だ」と答えた。

「……屋敷を焼きに来た兵士が腐死人の女に喰われた、と言ったところだろうか」

「おそらくは」

 仰向けにした遺体の衣服を整え、胸の上で手を組ませてからアルベルトが立ち上がる。

「女性の籠の中に、割れた卵が入っていました。何も知らずに、カラトワに届けに来て、別の腐死人に襲われたのかもしれません」

 そしてその別の腐死人が、サイネケンたちを追っていた者である可能性は高かった。

 なぜならこの屋敷は、少人数の腐死人を隠しておくのに最適の場所だからだ。

 だがそうなるとカラトワが、腐死の魔導師(腐死の王)の新しい憑代になっている線がいっそう濃くなる。

「とにかく、中に入ってみましょう」

 少しでも手がかりがあることを祈りつつ、アルベルトはクリストフとともに屋敷の中へと足を踏み入れた。



 屋敷は、貴族の家とは思えないほどこぢんまりとしていた。

 入ってすぐに廊下があり、左右と突き当たりに扉が一枚ずつ見えた。まずは左右の扉を開けて確認する。台所と浴室だった。

 アルベルトが先に立ち、奥へと進む。

 突き当たりの扉の先は、私室になっていた。窓際にベッドが一つ置かれ、壁には本棚が並んでいる。

「部屋は……ここだけか?」

 後から入ってきたクリストフが、室内を見回しながら聞いてくる。アルベルトは注意深く本棚を調べながら答えた。

「隠し部屋があるかもしれません。大魔導師の部屋にしては、物がなさすぎます」

 リストニア城に構えられているサイネケンの居室などは、足の踏み場もないほど書物が積まれている。王都から持参したもの、新しく買い集めたもの、そしてアルベルトの書庫からこっそり持ってきたものなど。種類は様々だが、魔導師としての知識も持つアルベルトには、それらが単なる収集癖ではなく全て必要な資料であることは理解できた。

 大魔導師にまで上り詰めた男の居室がこれだけであるはずがなく、研究室を別で用意するのなら、わざわざ森の中に館を置く意味がない。

 必ずどこかに、専用の部屋がある。


 最も可能性が高いのは、……地下だ。


 三つある本棚のうち、二つは動かすことができた。移動させて壁を調べたが、特におかしな点はない。壁に固定されている本棚の本を床に下ろし、棚を全て外す。壁に張り付いている側面の板を、場所を変えながら叩いていく。これも気になる箇所はない。

 ——他よりも軽い音がしたのは、棚の底を叩いた時だった。

 どうやら板が、スライド式になっている。

 ずらすと、一人なら何とか通れそうな穴が出てきた。

「見つけました」

 クリストフに声をかけてから、魔法の灯りで穴を照らす。穴の入り口から下に向けて、木製の梯子がかかっているのが見えた。

 見た限りで、底は土になっていた。書物のページを一枚取り、捻って細い棒状にしてから火をつけると土の上に向かって放り投げる。

 紙はしばらく燃えた後、白い灰となった。

「……大丈夫そうです。先に降りますので、私が合図をしたら続いてください」

 空気の状態を確認してから、梯子を使い降りていく。下に着くと、大人で充分通れる大きさの横穴を見つけた。

 合図を受けて降りてきたクリストフの視線が、魔法の灯りに照らされたそれを見て鋭さを増す。

 横穴の突き当たりは、木製の扉をつけた煉瓦壁になっていた。

 中に何かがいる気配も感じない。

 ゆっくりと扉を開けた。


「これは……すごいな……」

 クリストフが、驚きの声を上げる。

 そこは上の私室と同程度の広さの部屋だった。

 ただし、天井まで書物が積まれ、床には紙束や何に使うかわからない道具が散乱している。唯一腰を下ろせそうなのは、部屋の中央にあるテーブルの周りくらいだった。

 アルベルトは近くにあった本を手に取った。魔導院の研究員たちによる、魔術論文を集めたものだ。年に一度、夏に発刊されており、アルベルトも毎年入手している。

 手の中の本は、一昨年のものだった。

 別の本を手に取りパラパラと捲っていたクリストフが、顔を上げる。

「この中から、カラトワ自身についての資料を探すのは骨が折れそうだ」

「手分けしましょう。私は奥を探しますので、殿下は手前をお願いします」

 床に散乱しているものを寄せながら、奥へと進んでいく。

 ここで見つけたいのは、彼が腐死の存在の憑代であるかの確証と、彼自身の能力についてだ。

 腐死の魔導師(腐死の王)は、グウィンを憑代にして消滅魔法を使用していた。つまり肉体を奪ってしまえば、憑代の力も使えると考えられる。そうなった時に、カラトワがどんな術を使えるのかの知識の有無は、戦いの優劣を大きく左右するだろう。

 山積みにされた本を確認していく。

 どんな魔導師でも、得手不得手がある。アルベルトもサイネケンも全属性を使用できるが、その中でもサイネケンは得意とする血族魔法が炎に由来することもあり、火炎魔法を得意としていた。一方でアルベルトの得意分野は、強化魔法や防御魔法といった補助系だ。サイネケンからは、魔導師と騎士を両立させるべく能力を伸ばしたからではないかと言われている。

 部屋に溢れている書物は、土属性のものが多いように見受けられた。

 この地下室も、魔法を使って作られたのかもしれない。

 ごそごそと、掘るようにして他に何か情報はないかと探す。クリストフの姿は、本に隠れて頭の上の方しか見えなかった。

次回第十話は9月3日17時更新です。

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