第八話 蓋をした
乾いた服を着直している最中に、写し鏡の魔道具が着信を知らせた。
傍にクリストフがいるが、通信内容を隠す必要もない。ジャケットを羽織り、ボタンは留めずに「アルベルトだ」と答える。
通信の相手は、リュシアンだった。
大丈夫だ。もし決定的な何かがあれば、同魂の魔法に影響が出る。だから大丈夫なはずだ、と動揺を押し隠しながら、アルベルトは先に今回の作戦の概要と、内通者の発覚から運河への飛び込み、そしてクリストフの死を偽装しているという流れを伝えた。
その上で、リュシアンからの言葉を待つ。
通話の向こうで、リュシアンは何かを思案した後に、重く口を開いた。
〈まず剣聖の状況だけど、グウィン陛下が来てくださったよ。剣聖の中にある魔力をできるだけ抑えて、毒の症状が強く出ないようにしてくださってる。それと僕と治療師長が作った解毒剤をグウィン陛下の処置と併せて追加で投与した。こっちは体外に魔力を放出させて、強制的に魔力切れを起こさせる仕組みだ〉
それは、アルベルトが想像していた通りの方法だった。
「魔力を抑えながら、魔力を放出させるのか?」
問いながら、思ったよりも冷静に声を出せたなと、どこか他人事のように感じていた。
〈時間はかかるけど、現状一番安全な方法だ。剣聖は魔法制御が苦手ってだけで、内包する魔力量自体は莫大なものだからね。彼の肉体が強いから即死してないってだけで、毒の性質と剣聖の力の相性が、そもそも最悪なんだ。抑えておかないと、体外に放出する時に毒の効果と合わさって身体が内側から破裂してしまう〉
「……したのか?」
〈今は、聞かない方がいい。でも、大丈夫。必ず助ける。絶対に。僕は天才だ。約束する。だから、君は君がやるべきことに集中して〉
普段リュシアンが使わない、強い言葉が聞こえてくる。だが、だからこそ気が付いた。
彼の声が、震えていることに。
アルベルトは一度深呼吸をしてから、返事をした。
「わかった、聞かない。……他に報告は?」
それに対して、向こうも同じように深く呼吸したのだとわかった。
〈剣聖の中に流れる毒を解析して、術者が特定できた。——……グローリアだ。彼女の母親の家系を遡ると、似たような死因の記録が出てきた。多分、血族魔法〉
ステルビアへの出立前、リュシアンの部屋でカルナヴァスについて説明をしていた時に出てきた、血族魔法についての話を思い出す。
血族魔法目当てに子どもを産ませるケースもあれば、それを強みにして、政略結婚を優位に進める家系もある。
〈ただ彼女の性格を考えると、こんなに恐ろしい毒を使えたら、行き当たりばったりで使用してとっくに問題を起こしていそうだから……。最近やっと制御が追いついて、使えるようになったのかもしれない〉
なるほど、とアルベルトは考えた。リュシアンはグローリアには一度しか会っていないはずなのに、よく理解している。
〈魔力の残滓、つまり魔力痕については近年、証拠能力があると認められつつある。その内通者だった近衛兵と、刺客として利用された子どもが狙っていたのが第一王子殿下であると君からの証言もあれば、まず間違いなくステルビアは終わりだ。……おとなしく、お縄についてくれればね〉
「……大魔導師カラトワの存在か」
〈どうしても、そこがネックにはなる。カラトワの所在を知りたい。大魔導師様たちから連絡は?〉
サイネケンたちからは、追っ手がかけられていると連絡があったきりだ。
グループ通話の機能が必要だなと考えながら、カラトワに関する連絡はきていないと伝えた。
「……アル。俺たちでカラトワの行方を追うことは可能か?」
通話を聞いていたクリストフが、会話に入ってくる。少し考えてから、アルベルトが答えた。
「カラトワの屋敷は、運河の下流の町にあるダルド子爵家の本邸から近い場所と聞いています。我々がいる現在地は不明ですが、遠くないのは間違いないでしょう」
「どうせ今は身を隠さねばならぬ身だ。カラトワを探したい。……力を、貸してくれるか?」
使命と責任感。そして少しの不安が綯い交ぜになったような顔で、真っ直ぐに見つめてくる。
アルベルトはその場で片膝をつき、騎士の礼をとった。
「……ありがとう。——ウィーバー子爵令息、聞いた通りだ。俺たちでカラトワを追う」
〈近衛隊は、近衛隊長の班と合流して作戦を聞いた後、『第一王子殿下の不在を隠して必死で捜索する演技』をする予定でしたね〉
「あぁ。彼らが必死で隠して探すほど、ステルビア側は運河に落ちた俺の死を確信するはずだ。そこまですれば奴も、巣穴から出てくる。次の一手……、そうだな、王都急襲の段取りでも始めるだろう。その時までには、カラトワ本人、もしくはその代わりとなる奴を押さえておく必要がある」
〈委細承知いたしました。それでは我々は——〉
不意に、リュシアンがいるだろう場所の後方から叫ぶ声がした。「ウィーバー卿!団長の容態が!」と。
いつもよりも甲高い、悲鳴のような響きだったが、間違いなく治療師長の声だった。
〈……っ、……〉
魔道具越しに、リュシアンの動揺が伝わってくる。
——アルベルトは。
心の中の声を上から完全に塞いで、厚く塗り固めた。
静かに、僅かな震えもなく、リュシアンの名を呼ぶ。
「大丈夫だ。……彼は、死なない」
〈っ、わ、わかった……!しばらくは連絡できないけど、僕を、剣聖を信じて、アルベルト!〉
途切れるように、慌ただしく通話が終わった。
静けさが戻った小屋の中で、焚火の小さな灯りだけが見える。
アルベルトは息を一つ吸うと、サイネケンへと通話を繋げた。
同じように説明をした後、カラトワを追う旨も告げる。事前にサイネケンがダルド子爵に問いただしていたらしく、カラトワの屋敷の場所を詳しく知ることができた。
「ありがとう。どこかで馬を調達して、向かうとしよう。そちらの様子は?」
礼を伝えてから、サイネケンに問いかける。リュシアンほど重くはなかったが、それでも老齢の大魔導師の声は巨大な氷柱のような鋭さと冷たさを滲ませていた。
〈……腐死人と、交戦いたしました〉
それは雇われた使い捨てと思われていた、あの追っ手のことだった。
開けた場所にて追っ手を待ち伏せていた二人は、近づいてくる者たちの様子が明らかにおかしいことに気が付いた。
兵士服を身につけてはいたが、その目は濁り、身体からは死臭が漂っていた。馬も同様で、首が折れた状態で走っているものもいた。
〈儂は無論のこと、副団長の剣にもエルフの魔鉱石による『火炎』の付与がされておりますので、対処は問題なくできました〉
「腐死人は、腐死の魔導師の召喚による眷属。……憑代を失い大幅に弱体化した『奴』が復活するには、しばらくの猶予があるとグウィン陛下は仰っていたが……」
腐死の魔導師との交戦は、記憶に新しい。リストニアの総力戦とも言うべき戦いだった。
全ての戦力を用い、エルフの王グウィンの力を借りた上で、ようやく得た結果が敵の弱体化と撤退。グウィンがいなければ、確実に敗北していただろう。
あの結果が最善であったことは、疑いようがない。
……だが。
以前、サイネケンも話していた。
腐死の魔導師は、呼称ではない。腐死人を召喚する術を持つ、人ならざる者。それらを総称した呼び名が『腐死の魔導師』であると。
「……まさか別の個体が」
〈その可能性を考え、先にグウィン陛下に連絡しお聞きしたところ、新たな災厄は生まれていないとのことです。ご安心ください〉
浮かんだ考えは、幸いにもすぐにサイネケンに否定された。
だがすぐに、より硬い声で「ですが」と続けられる。
〈腐死の魔導師から『先へ』と進んだ者がいる、と聞かされました〉
「先へと……進んだ者」
嫌な予感という言葉は、こういう時に使うのかと思考の隅でアルベルトは考えた。聞かずに済めばどれだけ楽だろう、とも。
けれど当然、サイネケンが口を閉ざすはずもなく。
〈我らが戦った、腐死の魔導師。……あれが、長い月日の中でその身に数多の命を取り込み、魂がさらに穢れた結果、腐死の魔導師の上位存在、『腐死の王』へと成り果てているとのことです〉
「——……っ」
隣で聞いていたクリストフの、息を呑む音が聞こえた。
同じくして、アルベルトの記憶の中に、あの時の戦いの一幕が蘇る。
憑代となっていた骸を解呪し、グウィンが腐死の呪いから解放され復活した際に腐死の魔導師に向けて放った言葉を。
『腐死王よ。よくぞこのリストニアの地を、ここまで穢せたものだ』
あの時は状況が状況だけに、グウィンの言葉一つを深く考えている暇はなかった。
だが、
「腐死の魔導師の行き着く先が……腐死の王、なのか……」
アルベルトの前世が持つ原作小説の知識の中において、腐死の王は世界七大災厄の中で『腐死なる者』に次ぐ災厄として設定されていた。
この世界でも可能な限り文献や伝承を集めて、調べを続けている。そこでも、腐死の王は腐死の魔導師よりも危険な存在として記されていた。
だがその脅威は神話でのみ語られて、人の歴史に登場したことはない。
〈……そうなりますな。通常の腐死の魔導師が腐死人を眷属として生み出せるように、腐死の王は他の腐死の存在を生み出せるそうです。あの場に腐死竜がいたことにも、合点がいきます。エルフの王の身体を奪えるほどの力なら、さもありなんと言ったところですか〉
それは、アルベルトでも知らない情報だった。おそらく神代から生きているエルフだからこその、記憶と知識なのだろう。
〈其奴なら憑代がなく弱体化していても、腐死人程度なら造作もなく作れるはず〉
サイネケンの話を聞き、アルベルトの胸に一つの予感がよぎった。
なぜなら、あまりにも時期がピタリと重なっていたからだ。
「あの腐死の魔導師……腐死の王が、憑代を見つけたら、どうなる?」
〈憑代を見つけたとしても、馴染ませるには相応の力が必要です。そもそも生半可な者では、馴染ませる前に器が保たずに塵となるでしょう〉
「——憑代が、大魔導師カラトワなら?」
通話の向こうで、サイネケンの魔力による重圧が増した感覚があった。
〈……憑代に移れるだけの力を取り戻せば、グウィン陛下を憑代にしていた時ほどの強さはないにせよ、恐るべき脅威にはなるのは間違いないかと〉
力を取り戻すまでの時間。それがどのくらいなのかは、わからない。
せめてもの救いは、復活したとしても、人の身体ではあの時ほどの強さにはならないという点か。
「子爵がカラトワと連絡が取れなくなったのが、冬の始め頃と言っていたな。辻褄は合う。……根拠はないが」
〈いえ、充分な根拠です。少なくとも、確実な判断が必要なくらいには。……それでも行くと仰せですか、カラトワの屋敷へ〉
「カラトワが憑代になっていると仮定するのならば、彼の能力を知っておく必要がある。できれば殿下には安全な場所にいていただきたいが……」
「それはできない。……足手纏いになることは、わかっている。だが、行かせてくれ」
頼む、と頭を下げられる。
〈殿下がどうなされるかは、お二人でお決めください。我らもダルド子爵を中央魔導院の者に預けた後、すぐにカラトワの屋敷へ向かいます〉
サイネケンが通話を切り、小さな小屋の中は沈黙に包まれた。
クリストフの頼みに、アルベルトはすぐには頷けない。単にカラトワを追うと決めた時とは、状況が変わった。災厄の中でも、最上位に近い存在との戦いになる可能性がある。
クリストフの安全を考えるのであれば、第一王子の死を偽装してグリズリに行動を起こさせるという作戦を中止して、今すぐに近衛兵たちの元へと送り届けるべきだ。
「……怖くは、ありませんか?」
「怖い」
問いかけると、アルベルトの目を見ながらクリストフがはっきりと答えた。
「そなただから、言う。怖くてたまらない。災厄など、書の中で学んだくらいだ。本当は、……逃げたい」
クリストフの視線が、自身の両の手に落とされる。カタカタと、小さく震えていた。
「だが……ここで逃げれば、いつかまたファンケンラートを左右する出来事が起きた時に、同じ選択をする。それでは、駄目だ。次代の王として逃げるわけにはいかない」
「……王だから、逃げてはいけないのですか?」
「……っ……」
静かな問いに、クリストフが虚を突かれたような顔をした。
両手を見ていた視線を左右に彷徨わせ、それからゆっくりとアルベルトを見る。
「……違う……。視察の時、俺を見て笑顔で手を振る者がいる。式典に詰めかけ、輝く目で王家を讃える者がいる。ただファンケンラートに生まれたというだけで、俺を慕い敬ってくれる者たちが、いる。……彼らを、戦火に巻き込みたくない。苦しめたくない。だから、俺は……」
逃げるわけにはいかない、と。そう呟くクリストフを、アルベルトは包み込むように抱き寄せた。
「アルベルト……」
「震えが治まるまで、こうしています」
トントンと優しく背中を叩く。
喉を震わせるように息を吸ったクリストフが、その手を恐る恐る背中に回した。
次回第九話は9月2日17時更新です。




