第七話 小屋の夜
死なない。
死ぬはずがない。
同魂の魔法で繋がっている限り、ヴォルフガングに肉体的な死は訪れない。
リストニア城に行けば、リュシアンたちが解毒剤の研究をしてくれている。試作品段階とは言っていたが、状況を見て、的確に判断してくれるだろう。
だから大丈夫だ。
ヴォルフガングを、助けられる。
——けれど。
意識が正常なままでいられるかは、わからない。
普通の者なら即死するほどの苦痛を、死ねないからこそ味わい続けなければならない。
何度でも、何度でも。
毒が、体内から消えるまで。
アルベルトは、濁った水の中で歯を食いしばった。空気が小さな泡となって、口から押し出される。
今はヴォルフガングの無事を祈ることしかできない。
抱えたクリストフとともに、運河の流れが速い部分に巻き込まれていた。ぐるぐると回転するように水がうねっている。上下左右、何もわからない。クリストフは、気絶しているようだ。複数の爆炎による衝撃は、戦い慣れていない者から意識を刈りとるには充分な威力を持っていた。
幻影を解き防御壁を展開すると、風船を膨らませたように水中に空洞ができた。大型の船が通る運河は、水深もかなりある。水底に降り立ったアルベルトは、クリストフを背負うとできるだけ流れに逆らわず下流を目指した。
深い場所から少しずつ移動して、浅瀬に到着する。水面から顔を出すと、真昼の色だった空に朱が混ざりつつあった。
いったい、どこに辿り着いたのか。周囲を見ても町どころか家さえなかった。
水を吸ってずっしりと重いマントを脱ぎ捨て、クリストフを抱えたまま岸に上がる。全方位に展開していた防御壁で、魔力を大きく消費した。身体を休める必要がある。
途中から河川が合流していたのだろう。森を割るようにして、大きく深い川が流れていた。
乾いた場所まで来て、まずはクリストフの状態を確認した。すぐに防御壁を展開できたからか、水を飲んでいる様子はない。だが冬の川に落ち濡れたまま長く背負っていたせいか脈も呼吸も細く、体温の低下も著しかった。
覆い被さり、自身の口で相手の口を塞ぐと強化魔法と空気を送り込む。
何度か繰り返すと、脈が強くなり紙のようだったクリストフの顔色が少しばかりだが良くなった。
(あともう一回、かな)
再び口を塞ぎ、送り込む。少し口をずらすとゆっくりと瞼が上がり、青い瞳が見えた。
「……ここ、は……天上か?」
「河岸です。痛むところはございませんか?」
身体を起こし、念の為脈を診る。受け応えもできているし、問題はなさそうだ。
上半身を起こしたクリストフは、こちらをぼんやりと見つめていた。不思議に思ったアルベルトが「殿下?」と問いかける。すると我に返ったように、いつもの彼の表情に戻った。
「……随分と流されたな」
「かなり下流かと」
「少々予定は狂ったが、作戦通りではある」
立ち上がったクリストフの身体が、大きくよろめく。それをアルベルトが支えると、足元に二人分の水たまりができた。
「釣り小屋を探してみましょう。どこかで身体を温めなければ」
リストニアよりはマシとは言え、季節は冬。アルベルトは多少慣れてはいるが、さすがに体力を消耗しているクリストフに対して全身ずぶ濡れで過ごせというのはあまりに酷である。
「アルベルト」
だが肩を支えて歩き出そうとしたアルベルトを、クリストフが呼び止めた。
「……すまない。俺の油断のせいで剣聖が……」
それ以上は言わない。
クリストフは報告を受けて、あの毒がどのようなものであるかを知っている。
アルベルトは自身の気持ちに無理やり蓋をして、「いいえ」と首を横に振った。
「あなたをお守りすることは、我々の役目です。それに今のヴォルフガングは、肉体的には不死。毒では死にません」
同魂の魔法に関しては、発動条件を伏せた上で王家にも報告している。そうした開示の積み重ねがあるからこそ、王家はアルベルト・リストニアに対して絶大な信頼を置いていた。
アルベルトの返答を聞き、クリストフはそれ以上は何も言わなかった。ただもう一度「すまない」とだけ告げた。
朽ちかけてはいたが、窓のある釣り人用の小屋を見つけることができた。広さにして一室ほどの木造のそれは、やや傾き、壁や屋根に穴が空いているものの、床に板が敷かれており、中央には火を熾せる土の窪みがあった。
「木を集めて参りますので、ここでお待ちください」
「アル、俺も行く」
「まだ顔色がよくありません。ここにいてください」
有無を言わさず座らせて、枯れ枝を探しに出る。そう時間をかけず、一晩分ほどの乾いた木を集めることができた。
(ついでに魚も獲っていこう。こういう血族魔法の使い方、サイネケンお爺ちゃんに知られたら怒られそうだけど)
アルベルトは、一食どころか一日や二日食事を抜いても問題はない。だが体力を消耗したクリストフには、何か食べさせた方がいい。
魔力でできた鎖を使い、魚を刺して引き上げていく。リストニアの血族魔法で魚を獲るなど、ご先祖様にも叱られそうだなとは少し思った。
(全部川魚か……。ってことは、河口までは流されていない)
ここまでは、おおよそ作戦通りだ。
ステルビア側に、クリストフが死んだと思わせる。
元々、情報の漏れを感じていたクリストフは、近衛兵の中に内通者がいると考えていた。
今回ギリが内通者である疑いは、近衛隊長が話していたように、あの地下室での一言により芽生えた。
近衛兵を二つに分け片方にクリストフがいるように偽装したのも、ギリが動きやすいようにするためだ。彼が情報を流すためだけに近衛兵隊にいるのか、それとも何か別の目的があるのか。
そしてその予想は、最悪の形で実現された。
空を見上げると、高い位置を鳥が飛んでいた。西の空が、赤くなりつつある。
冬の陽は短い。
アルベルトは木と魚を抱えて、小屋へと戻った。
「お待たせいたしました」
木を組んで魔法を使用し火を熾してから、細い枝に魚を刺して周囲に並べていく。カラカラに乾いていた木は煙を出すことなく、部屋を明るく照らした。
「干しますので、服をお脱ぎください」
言いながら、アルベルトは胸元に入れていた通信用の魔道具を確認した。故障はしていないようだ。すぐにでもリュシアンに連絡を取りたい思いを強く押さえ込み、床にそれを置いてから、近衛服のジャケットを脱いだ。
「えっ?いや、その……」
「濡れた服のままでは体温が奪われます。せめて上半身だけでも」
シャツも脱ぐと、一瞬視線を外しかけたクリストフが驚いたように目を見開いた。
「……傷が、多いな……」
「そうですね。お見苦しく、申し訳ございません」
「いや、見苦しくなどない。……決して」
クリストフがジャケットとシャツを脱ぐ。それを受け取り固く絞ると、火から少し離れた場所に干した。
「……戦いを……」
赤い炎を見つめながら、クリストフが口を開く。
「戦いを、恐れたことはないのか?俺は、そなたと共に魔獣と戦ったあの初陣が、人生で最も恐ろしい瞬間だった」
王城で、呪の末裔が召喚した魔獣たちと戦った時の話だ。原作では、クリストフは初陣を迎えぬまま話が進んでいく。平和な強国の王子とは、本来そうしたものだ。
だが彼は呪の末裔の陰謀により、戦わなければならなくなった。人を喰い殺す、魔獣を相手に。
アルベルトには、クリストフの気持ちがよくわかった。
初陣の恐怖は、忘れようとしても忘れられるものではない。
「私も初陣は、怖かったですよ。……足が震えて、持っていたはずの剣を何度も落としました」
「そなたが……?」
「えぇ。喉の皮膚は張り付き、唱えるべき魔法は口から出てきませんでした。巨大な魔蟻が私の脇腹を捕らえ、噛みつき、振り回しました」
話しながら、自身の脇腹にそっと手を当てた。前と後ろ、両方に穴が空いていたような痕がある。
「痛みで叫ぼうとしても、出てきたのは血泡ばかりで。大勢の仲間を死なせて……。……本当に情けない、初陣でした」
浮かぶのは、自嘲だった。
「……近くで見ても、良いか?」
「え、えぇ。あまり気分の良いものではないと思いますが」
近くにやってきたクリストフが、アルベルトと向かい合わせに座る。その手がそっと傷口に触れた。
それから、静かにアルベルトの手を捧げ持ち、その指先に口付けを落とす。
「……そなたが、リストニアが。これほどに身を捧げて人々を守っている。だがその上で胡座をかき、王位簒奪を企てる愚かな者がいる」
身を離したクリストフが、「身内の恥だが」と苦笑を浮かべて話し始めた。
ステルビアの興りは、クリストフの曽祖父の代であり歴史としては新しい。
当時王家には、二人の王子がいた。どちらも優秀ではあったが、兄は武に特に優れ、弟は魔導に秀でていた。
王太子を決めるとなった時に、貴族たちは二つに割れた。
なぜなら王子は——双子だったからだ。
「最終的には、古い慣習通り兄が王太子となった。王となった兄は、弟のために王家の直轄領から広大で肥沃な土地を切り分け、城を建て、ステルビアの名と公爵位を与えた」
「……大魔導師カラトワの魔力は、王家ゆかりのものだったのですね」
「そういうことだ。何の因果か、グリズリには引き継がれなかったようだがな」
カラトワの兄の血統となるグリズリには、魔導の才能は全くないらしい。
「だからこそ、拗らせた可能性はある。小さい頃は会うたびに、父には気付かれぬように言われてな。カラトワを輩出したステルビアの血筋こそが、王に相応しかったと」
「……根拠のない持論かと」
思わず突っ込むと、クリストフが小さく笑った。
「俺もそう思う。だから気にしてはいなかった。……気にしておけば、良かったのだろうな」
広大で肥沃な土地、国に二人しかいない大魔導師の存在、ファンケンラート唯一の公爵位。
ステルビアが増長するには、充分すぎるほどの材料が揃っている。
「おそらく死んだだろう、あの近衛兵だが。ステルビアを讃えて、ファンケンラートを貶めていただろう?表立っては出てきていなかったが、あれも俺の耳には入っていた」
クリストフが言うには、ステルビアは困窮している下位貴族に施しをして、派閥に組み込むことをしていたらしい。だがよくよく調べると、困窮するように追い込んでいたのもステルビアであることがわかる。要はマッチポンプの手駒作りだった。
だが何も気付かなければ、家存続の危機に現れた救世主に見えるだろう。ましてやその相手から、王家の失政の結果、生活が困窮する下位貴族が増えていると聞かされれば。
「相手を騙して崇拝させて、命さえ使い捨てにするのですか……」
「グリズリは姑息で卑怯な男だが、中身は小悪党止まりだった。手駒についても、今までなら議会での発言権を増やす程度のものだっただろう。……だが、今の奴はそうではない。俺の代でステルビアとの禍根を断ち切らねば、将来ファンケンラートに大きな影を落とすことになる」
焚き火がクリストフの顔を照らす。
魚の脂が落ち、ジュワリと小さな炎が上がった。
室内に香ばしい香りが満ちる。クリストフの腹から、空腹を知らせる音がした。
「……す、すまない。こんな時でも腹は減るようだ」
気まずそうに視線を逸らすクリストフに、アルベルトは瞳を和らげた。
「腹が減っては何とやら、です。あなたの身体が、戦いを恐れていない証拠ですよ」
串に刺さったままの魚を差し出すと、クリストフは苦笑しながら受け取った。
「……生涯忘れぬ夕食になるだろう」
「焼き魚、そんなにお好きでしたか?」
アルベルトの問いかけに、クリストフは焼き色の付いた魚を眺め、少しの間思案してから「そうだな。……好きだ」と微笑んだ。
次回第八話は9月1日17時更新です。




