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第六話 毒の刃

 慌ただしくは見えない程度の手際で荷を纏め、一団は運河に向けてステルビアの城を出発した。

 あの手この手でグローリアがついてこようとしていたが、クリストフが「必要ない」と断った。

 運河までは、そう遠い道のりではない。馬車でも数時間ほどの距離だ。遅くとも昼頃には、着くだろう。

 保護された十二人は、運河沿いの上流の町に滞在している。当初見られた脱水症状も改善しているとのことだった。


 空は雲一つない快晴だった。リストニアよりも南に位置し、竜骨山脈からの風もないステルビアの冬は穏やかだ。何より、魔物の脅威がほとんどない。

 同じファンケンラート内でこうまで環境が違うとなると、リストニアに対する優越感を抱いてしまうのも自然なことなのかもしれなかった。


(城下の様子に関しても、私と同じ疑問を感じてたクリストフが聞いてくれてたんだよね)


 前世の世界でのハイブランド通りのような街並みについてだ。

 賑わいはあるが生活感がなく、どこかちぐはぐな印象があった。

 クリストフは昨夜の晩餐会の席で、それとなく話題を出し尋ねてみたという。

 答えたのはグローリアで、長い自慢と無駄な形容詞を除いて要約すると、ステルビア城下に住めるのは『ステルビア家が認めた富裕層、あるいは一定レベルの名声がある者』のみであるらしかった。ちなみにこの場合の富裕層とは、ステルビアへの貢献度、つまり納税額で決定される。

 ステルビアの領民にとっては城下に住むことが最大の名誉となり、ステルビア領内での地位が向上するのだという。

 もっとも、そうした領民に対してさえグローリアは「城下に平民を住まわせるだなんて、わたくしは反対でしたのよ。土のにおいが、こちらにまで移ってきそうで……」と、まるで自身が被害者であるかのようにこぼしていたと、クリストフは話していた。


(それを食事の席で言うんだもんね。目の前の料理が、空から降ってきてるとでも思ってるのかな)


 彼女に関しては、もう何を言っても無駄だろう。ファンケンラートを背負う次期王の前で口に出せる時点で、根本的な価値観が違うのだ。

 

(あの顔思い出したら、また色々腹立ってきた……。別のことを考えよう)

 

 スライドさせるように、思考を切り替える。

 昨夜クリストフの部屋で話し合った、今後についてだ。

 サイネケンとリュシアンの報告を受け、アルベルトたちは当初の予定を変更した。保護した十二人を、迎えに行くのはクリストフではない。ただし、この予定はステルビアへは伝えていなかった。

 そしてもう一つ、この視察について。


「視察の開始場所って、上流から下流に変更になったんだよな?」

 アルベルトの隣にいたギリが、手綱を持ち、前を向いたまま問いかけてくる。

「昨日の夜遅くに、殿下が剣聖と話をされていたらしいが、そのことか?お前もいたんだろ?」

 聞かれて、アルベルトは首を横に振った。

「部屋に同行しただけだ。中の扉の横で見張りをしていたから、お二人の会話までは聞いていない」

「そうか。例の十二人が上流の詰所にいるから、てっきり先に引き取ってから視察に行くかと思ってたんだが」

「……何かお考えがあるのだろう」

 返答に、「ふーん」とだけ答えたギリは、それ以上は話しかけてこなかった。





 運河は、大型の帆船も通行できるだけの幅がある大きなものだった。

 流れは穏やかに見えるが、一部速い箇所がある。泥が多く含まれているのか、水は濁っていた。


 予定時刻よりも少し早めに、アルベルトたちは下流の町の手前に到着した。

 商業地と宿場町が一体化したような造りの建物が並んでいる。ステルビアの城下に比べると雑多な印象はあるが、こちらの方が人々の営みを感じることができた。


 クリストフの指示により、馬車が停められる。

 近衛隊長が、皆を集めた。

「これより、二班に分かれて行動する。名を呼ばれた者は、馬車と馬を率いて上流へ向かえ」

 ざわり、と隊が揺れた。

 何人かが反対の声を上げたが、近衛隊長が「納得しろ」と告げ、名前を読み上げていく。

 クリストフの周囲に残ったのは、ヴォルフガングとアルベルト、そして近衛隊長と近衛兵三名だった。ヴォルフガングの腕の中には、カルナヴァスが抱かれている。

「上流組は、馬車に殿下が乗っておられるように振る舞い、馬から降りずに視察せよ。我々はこのまま、下流の町へ徒歩で移動する」

「な、なぜです、隊長!?」

「役人の目がない環境で視察をしたいと、殿下が仰せだ。すぐに行動を開始せよ」

 納得できずとも、それが指示なら従うしかない。

 近衛兵たちは隊を二つに分け、クリストフと護衛六名を残し、彼らの馬も連れて上流へと向かっていった。

「では俺たちも行くとするか」

 馬車の中で着替えていたのだろう、クリストフは近衛兵と同じ服を着ていた。その上でフード付きの焦茶色のマントを羽織っている。

「全員、マントを付けろ」

 近衛隊長に言われ、事前に支給されていたものを身に付ける。同じ色の集団は目立つため、色は各々バラバラだ。アルベルトは砂色で、ヴォルフガングは黒だった。

「……なんか妙なことになったな」

 アルベルトの近くで、声がした。ギリだ。

「無駄口を叩くな」

「はっ!申し訳ございません」

 近衛隊長に注意され、頭を下げている。

「まずはこの町の詰所で船の出入りの記録を見たい。誰か先に行って、『殿下の視察の前に確認に来た』と知らせに行ってくれ」

「自分が行ってまいります!」

 手を挙げたのは、ギリだった。濃い灰色のフードを被って走っていく。

 その背を見送ってから、振り返ったクリストフがマントを脱ぎ、ヴォルフガングへと差し出した。

 カルナヴァスが、騎士の腕から飛び降りる。

「……では剣聖、作戦開始だ」






 結論から言ってしまえば、詰所へ行くという話は嘘だった。

 先触れを出しておけば、視察のために用意された者たちが詰所に集まると考えての方便である。クリストフは初めから、詰所に用などない。


 ——運河の視察すら、目的ではなかった。


「詰所に人が押しかけている間に、停泊している船を調べる。殿下の護衛は私と剣聖殿で行う。他の者は分かれて、それぞれ船の内部まで調べるように」

「かしこまりました」

 近衛隊長の側に、黒いマントと焦茶色のマントの者が残る。黒いマントの胸辺りの隙間から、赤い虎が顔を出していた。

 停泊所にある船については、すでに調べは終わっている。そのためクリストフの視察は、対外的には形式上のものだ。停泊者には何人かの釣り人と、様子を見に来た船の所有者らしき者たちがいた。何人かで固まって、いつになったら運行できるのかと愚痴をこぼしている。彼らは、何も知らされてはいない。だからこそ、その怒りは停止命令を出している王家にも向いているようだった。

 アルベルトは船を見るふりをしながら、他の近衛兵の様子を窺った。

 一人は熱心に船の外壁を見た後、周囲の目に止まらぬように船内へと入っていった。

 別の一人は、その近くの船を調べている。

 もう一人、ギリは釣り人に声をかけていた。船が動いていないから、よく釣れると老人が答えている。近くには、アレクシアと変わらないくらいの年齢の少年が釣り糸を垂らしていた。

 

(……昨日の夜、クリストフが提案した作戦。クリストフ自身の安全が保証できないから、私としては反対なんだけど)

 

 視線を釣りをしている少年から、フードとマントで全身を覆った三つの影に向けた。

 作戦を実行するにあたり、クリストフが信頼できると断言した近衛隊長には、応援のリストニア兵がアルベルトであることは伝えてある。相当驚いたらしく「タ、タメ口で話してしまったんですが……」と震え出し、「そんなこともある」とクリストフによくわからない慰め方をされていた。

 そのクリストフの、今回の視察における役目。

 それは、囮だ。


『——俺としては』


 作戦を告げた際のクリストフの言葉が、耳に残っている。


『ステルビアによる、王位簒奪も視野に入れている』


(レナードくんのお母さんの一件があった後で、元から味方じゃなかったとは言え、また身内を疑わなきゃいけない。クリストフは、ずっとそういう道を歩んできたんだ)


 原作でのクリストフの二面性も、そうした経験から生まれたものなのだろう。

 今まで、どれだけ心を擦り減らしてきたのか。そしてこれから、どれだけ擦り減らしていくのか。


「——……」

 思考の中に、小さなノイズを感じてアルベルトは周囲を注意深く見た。

 魔力を使った探知に、何かが引っかかった。

 殺気だ。

 クリストフは、囮としてここにいる。

 通常なら、馬車で移動していると思われている。クリストフの居場所を知っているのは、……近衛隊だけだ。

 矢が真っ直ぐに、焦茶色のマントに向かっていく。

 アルベルトはその場から動くことなく防御壁を展開し、それを弾いた。

「な、なんだ!?」

 驚いた釣り人たちが逃げていく。老人も、あたふたと逃げ出していた。

 固まって話していた者たちが、ナイフを手にしている。


(あれも敵か……!予想通り、殺気に混ざって毒の有無がわからない……!)


 近接戦はヴォルフガングに任せて、矢の出所を探す。同じ方角から、また飛んでくる。帆船の上だ。梯子はかかっていない。

 アルベルトは二本目の矢を弾いてから、風魔法を使い船の上へと飛び上がった。

 足場もなく突然船に乗ってきたアルベルトに、平民の服を着た男が驚愕の顔を向ける。だがすぐに弓を捨て短剣に持ち替えると、襲いかかってきた。

 素人ではない。訓練された兵の動きだ。

 二度三度剣を空振りした男が、攻撃を突きに変える。それを避け、身を反転させると、男の顎を蹴り上げた。

 短く呻いた男が倒れ、動かなくなる。死んではいない。意識を失っただけだ。

 甲板の上にあったロープで男を縛り、マストの根元に括り付ける。クリストフたちの方を見ると、すでにナイフを持った者たちは鎮圧されていた。

「ご無事ですか!?」

 船を調べていた近衛兵たちが慌てて集まってくる。

 その中の一人の手元が、太陽の光を反射している。

 刃物だ。手が焦茶色のマントに伸びる。だが届く寸前で、手首ごと近衛隊長に斬り飛ばされた。

「グゥッ……!」

 悲鳴を噛み殺した近衛兵が——ギリが、踵を返して逃げ出す。その後ろを、二人の近衛兵が追う。彼らの前には、逃げ遅れた釣りの少年がいた。

 アルベルトが船から飛び降りる。だが距離的にギリが少年を捕まえる方が早い。

 逃げる少年の腕を掴んだギリが身を翻し、手首のない方の腕で小さな体を押さえ込み、もう一方の手で喉元を締め付ける。

「……無駄な抵抗はやめろ。その出血では、すぐに手当をしなければ手遅れになるぞ」

 追いついた近衛隊長が、静かに言う。事実、ギリの足元には手首から流れた血が広がっていた。

「俺が……裏切るって、わかってた、顔……だな」

「昨夜、そこのウィドというリストニア兵に、兵舎の地下室を見て『あの辺なら座れたはずだ』と言ったそうだな。……私は今回、殿下の指示によりステルビアに来たことがない者だけを選別したはずだが」

「は……?そんな、ことで……?」

「決め手は、刺客が焦茶色のマントを狙ったことだ」

 ぽかんと口を開けたギリに、近衛隊長とは別の声がかけられた。

 声の主の胸元から顔を出していたカルナヴァスが、その足元に着地した。

「お前以外の者は、俺が黒のマントだと知っている」

 ばさりと、黒いマントのフードが外される。

 そこには、ギリが知る限りでは焦茶色のマントを身につけていたはずのクリストフの姿があった。

「なっ、あ、……」

 驚きと失血により、ギリの身体が大きく揺れた。

「逃げるのは無理だ。子どもを離せ。そうすれば、手当をしてやる」

「……っ、クソ、がぁッ!!」

 ギリの足が、子どもの背を蹴りつけた。小さな身体が吹き飛ばされる。反射的に、クリストフが受け止めるべく手を伸ばした。


 その子どもの手にも、小さな刃物が握られている。


「殿下!」

 割って入ろうとするアルベルトの肩が、強い力で引き戻される。

 黒い騎士服が見えた。

 アルベルトは、止まったような時間の中でそれを見ていた。

 子どもが手にした刃物が、クリストフの前に立つヴォルフガングの腹部に吸い込まれていく様を。

「ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!でもやらないと母ちゃんがぁッ……!」

「役に立たねぇガキがッ!!」

 子どもの悲鳴と、ギリの絶叫が重なる。

 ヴォルフガングの口元から、大量の血が滴り落ちた。


 ——あの、毒だ。


「滅びろ、ファンケンラート!!ステルビアに栄光あれ!!」

 ギリの胸元から、複数の紙が舞い上がった。描かれている陣を見て、近衛隊長が顔色を変える。子どもから刃物を奪い、その身体を抱え上げた。

「火炎魔法の『爆炎』だ!!全員!水に飛び込め!!……侯爵閣下!頼みます!!」

 その言葉を受けアルベルトは、ヴォルフガングに伸ばしかけていた手を——クリストフへと向けた。抱え込むようにして引き寄せ、地を蹴る。同時に、両膝をつくヴォルフガングに必死で呼びかけているカルナヴァスへ向かって叫んだ。

「カルナヴァス!!ヴォルフガングを連れてリストニア城へ転移しろ!!」

「わ、わかった!!」

 一瞬でカルナヴァスとヴォルフガングの姿がかき消える。

 同時に上がった巨大な火柱が、辺り一帯を灼熱へと変えた。

次回第七話は8月30日17時更新です。


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