第四話 嫉妬
「ファンケンラート王国の尊き血筋、若き獅子であられるクリストフ第一王子殿下のご訪問を、心より歓迎いたします」
クリストフが馬車から降り、「出迎えご苦労」と声をかけると、ステルビア一家の真ん中にいた当主のグリズリが、にこやかに挨拶を返した。
カブのような丸い体型をした、ちょび髭の男だ。ヒラヒラとした絹のシャツに細かい宝石を縫い付けたジャケットを着ている。指輪の数も多い。やや白髪混じりだが髪は黒く、その目は青い。クリストフやグローリアと同じ色をしていた。
グリズリが頭を下げ、左右にいた二人が淑女の礼をとる。クリストフに「楽にしてくれ」と告げられたグローリアが、パッと顔を上げて「お待ちしておりましたわ、クリストフ様」と、名で呼んだ。
(お、おぉ……。すでに婚約者気取りだ。ついこの間、アルベルトに対して『この婚約は決定事項』とか言ってたのに)
しかし彼女の男好きは、社交界では有名だ。さすがに今日は例の愛人騎士は侍らせていないようだが、噂がクリストフの耳に入っていることも知っているだろうに。
(その上でこの態度なんだから、敵ながらあっぱれなメンタル)
「それに、……ヴォルフガングも。ファンケンラートで唯一の剣聖ですもの。田舎で燻っているよりはクリストフ様のお側で功績を立てるのが正しいと、ようやく気付いたようで、何より」
(ぐぬ〜!!前言撤回〜!!やっぱりこの女、腹立つ〜!!)
必死で無表情を保ちながら、隊列の前方で会話を見守る。
「先日は、王家の命により近海に出た魔物を討伐したとか。未開の森に怯えて暮らすリストニアとは違い、ステルビアは運河により他国との交流も多くある地。その地を守ったこと、誇りに思うと良いでしょう」
(リストニアの兵たちが運河を利用した件は、そういう話になってたのか。……って、いちいち棘がある言い方をするなぁ)
グローリアの視線は、クリストフとヴォルフガングの間を行ったり来たりしていた。心情としては、ヴォルフガングに手を出したいがクリストフとの縁を優先したい、といったところだろう。
ここで仮に、クリストフがグローリアに嘘でもその気がある素振りを見せれば彼女はころりとクリストフに傾くのだろうが。残念ながら敵の巣でそれをやるのは悪手であると出立前の作戦会議で結論が出ている。ステルビアに対して、言質を取られる真似は一切できない。
「それにしても、此度の運河の件は誠に遺憾でありますな」
一方でグリズリは、白々しく眉を下げていた。
「奴隷用の人間を運ぶなど……。ダルドの商船は、今までそのような恐ろしい犯罪に手を染めたことはありません」
「……報告では、リストニアとの境界で野盗に襲われたとか」
クリストフが尋ねると、グリズリは悲壮感たっぷりに「そうなのです」と答えた。
「ステルビアは安全な地ですから、危険な領地もあることを失念しておりました。殿下がリストニアに赴かれていたのも、それが理由ですかな?」
(わざとらしく探りを入れてきたな。でも残念、探り合いでクリストフに勝とうなんて百年早い)
ステルビアとしては、今回のクリストフの訪問で王家の把握状況を掴みたいと考えていることだろう。今後、何を切り捨てるかを決めるためにも。
「リストニアは、別件だ。元々、レナードがリストニア侯爵令嬢に誘われていてな」
「あの危険な地に、尊き殿下をお誘いに?」
「俺としても、かの大森林なる魔境を一度見てみたかった。だがそれの準備中に、船の荷が妙だと密告が入ったものでな。禁製品かと調べたら、人が出てきたというわけだ」
密告が入った、のところで、グリズリの片眉がわずかに吊り上がる。だがそれを聞くと怪しまれると考えたのか、「そうでしたか」と、引き下がった。
「保護された者たちの健康状態は?」
「問題ありません」
「そうか。明日、迎えに行く。それまで、しっかり保護してやってくれ」
「……かしこまりました」
(相手が気になる情報を出してから、釘を刺す形で話を終わらせた。……勉強になるなぁ)
駆け引きが生まれる環境で育ったのだと考えると複雑な気持ちにはなるが、グリズリとのやり取りに関してはクリストフに一任しておいた方が良いだろう。
挨拶がてらの会話が終わったことを察したグリズリが、「さぁ、中へ」とクリストフを促した。
「ねぇ、あなた。そこな剣聖は、伯爵位であるとか。でしたら、我が家の晩餐へ招待してやってはいかが?」
そこへ、グリズリの妻ネイシャが、開いた扇で口元を隠しながら提案する。ステルビアの遠縁にあたる女だ。黒に近い茶の髪に、薄い鳶色の瞳をしている。レースをふんだんに使用した臙脂色のドレスを着た娘のグローリアよりはまだ地味だが、それでも身に付けた宝飾品はそれ一つで平民なら一生暮らせそうなほどのものに見えた。
「とても良い案だわ。そうしましょうよ、お父様」
「さて、殿下にお伺いしなくてはな」
「……異論はないよ」
同意したクリストフに、グローリアとネイシャが妖しく微笑む。
クリストフとしては、護衛を近くに置けるという意味では、ヴォルフガングの出席は歓迎できるものだ。
「まずは応接の間へどうぞ。お茶を用意いたします」
グリズリの言葉を聞いて、近くにいた執事が使用人に指示を出す。
そしてこのタイミングで、クリストフが馬車の中にいたカルナヴァスを呼んだ。
「異国の珍しい動物でな。よく懐いていて、毛色が美しいから連れてきた。部屋は俺と同じでいい」
小さな赤い虎が馬車から降りてくる。反応は三者三様だった。
珍しい生き物を興味深そうに見るグリズリ。
何の興味もなく、一瞥だけしたネイシャ。
そしてグローリアは「いやだわ、汚い」と眉を顰めた。
動物が苦手というよりも、単に本気で「汚い」と思っているのだろう。毛皮が欲しいと言われるよりはマシだが、やはり気分がよいものではない。
「それをわたくしの前に出さないでくださいませ」
「……わかった。近衛隊長、俺の部屋まで先に連れて行ってやってくれ」
「かしこまりました」
控えていた近衛隊長がカルナヴァスを抱き上げ、使用人の案内で城の奥へと歩いていく。
「さて、どちらかにわたくしのエスコートをお願いできますかしら?」
グローリアが、扇以上の重さのある物など持ったことがないだろう白く美しい手を優雅に持ち上げた。
この世界では女性をエスコートするのは、男性のマナーの一つだ。この習わしは異性間に限らず、同性間でも当たり前のように存在している。妻側となる者がエスコートを受けることで、親密な仲であると知らせる意味もあった。
この場合のエスコートは、グローリアとしてはクリストフとヴォルフガングどちらでも良い。だが新年の祝賀会でレナードがアレクシアをエスコートして披露したことを考えると、クリストフがグローリアをエスコートするのはリスクが大きい。
つまり必然的に、
「……ツェベルク伯爵、ステルビア公爵令嬢のエスコートを」
「——かしこまりました」
その役目は、ヴォルフガングへと回ってくる。
クリストフに言われ差し出された手を取ったヴォルフガングに、グローリアが満足気に微笑む。
「まるで絵物語の姫君と騎士のようだな、グローリアよ」
「お父様ったら。でも確かに、彼ほど美しく逞しい騎士がわたくしの隣にいないのは、大きな損失だわ」
(な〜にが損失だ!さっきからヴォルフガング様の手をにぎにぎ、にぎにぎと!エスコートって、そんなんじゃないし!)
これが現状の最善だとは理解している。クリストフとて、ヴォルフガングに押し付けたわけではなく、立場上そうしなければならなかった。
(それもわかってるんだけど、グローリアの目が嫌だ〜!絶対あわよくばを狙ってるだろ〜!)
心の中だけで頭をぶんぶんと振りながら叫び、ふと考える。
(……あれ?私って、こんなにグローリアに苛々してたっけ……。確かに腹は立ててたけど、こんなに……ヴォルフガング様を見るな触るな、って気持ち——)
嫉妬だ、と。
唐突に気が付いた。
グリズリの案内を受けて、クリストフが城内へと入っていく。護衛はヴォルフガングのみ、他は荷解きを命じられた。
アルベルトは、たった今気付いた衝撃の事実に驚きと戸惑いを感じながら、それでも顔には出さずに無心でひたすら荷を下ろし運ぶのを手伝った。
「よぉ、ウィド。お疲れさん」
ギリと名乗っていた兵士に肩を叩かれ、顔を上げた。
まだ消えない戸惑いを隠して、笑みを作る。
「お疲れ様、ギリ」
「荷運びが終わったら、一旦ここで待機だと」
「わかった、ありがとう」
おそらく近衛兵たちの部屋と食事についての説明などだろう。
リストニア城に彼らが滞在していた時は、一人一部屋制だった。食堂も専用の部屋を用意し、一日三食提供していた。ここでも、そう変わりはないはずだ。
(……そう思っていた私が馬鹿でした)
アルベルトは、案内された部屋で乾いた笑みを浮かべていた。
ちなみにアルベルトだけでなく、その場にいた者全員が似たような顔をしていた。
(まさかの、大部屋。そして、雑魚寝。しかも地下)
そんな馬鹿な、の三拍子である。
よっぽど安い宿屋でも、今時これはないと断言できる。
そこは城の敷地内にある兵舎の地下、広さにしてアルベルトの前世の感覚で三十畳ほどの湿っぽい地下室だった。
かろうじて魔法灯による明かりはあるが、それだけだ。地下なので窓がないのはわかるがベッドもないというのはどういうことだ、と中を見て回っていた兵が呆れたように愚痴をこぼしている。
床は当然絨毯などではなく、剥き出しの石だった。牢じゃないよな……、と先程とは別の兵が呟く。
近衛兵は皆貴族だが、そのほとんどが子爵や男爵の三男より下の生まれだ。以前グローリアが、リュシアンが子爵だと知り挨拶を途中で切るという普通ならありえない振る舞いをしていたが、なるほどこういう土壌が育んだ思想かと納得する。
(野営よりひどいな。床とか濡れてるし……。どこに荷物置こう)
「あの辺なら、座れたはずだ」
肩に荷物を担いだギリが、隣でうんざりとした口調で言う。
不衛生な場所で過ごした経験はあるが、これはちょっとドン引きだ。しかしここで寝ろと言われているのなら、仕方がない。
ステルビア城では、クリストフの希望により、護衛のヴォルフガングを隣室にしている。加えて近衛兵を扉の前に常時二名、バルコニーに二名置いて、こちらは交代制で見張りを行う予定だった。
この見張りのシフトに入れれば、いるだけで体調を崩しそうな地下室から一時的でも離れられるのだが。
あいにく、アルベルトはその数には入っていない。
(……とりあえず洗浄の魔法かけておこう)
遠征や野営の強い味方、洗浄魔法。泥汚れが落ちたり、破れた服が繕われたりというものではないが、目に見えない雑菌を除去できる。治療師長が編み出したオリジナル魔法だ。
こっそりと部屋全体に魔法をかける。見た目に変化はないが、カビ臭かった空気がスッキリしたように感じた。
これで荷物が置けると濡れていない場所を探していると、近衛隊長が「見つけた」とアルベルトのもとにやってきた。
「君の部屋は、こちらだ」
ついてきてくれと言われ、不思議に思いながらも返事をする。ギリに「行ってくるよ」と告げ、階段を上がり一階へと戻った。
一階は、ステルビア兵士たちの食堂になっていた。メニューがちらりと見える。具が見えないスープに、パンが二つ、薄いハムと豆が乗った皿が一つ。
兵士の食事にしては量が少なく、栄養の配分も悪い。
似たような感想を抱いたのか、同じものを見ていた近衛隊長が「なんだかなぁ……」とぼやいた。
「君は応援の兵とは言え、リストニアからの客人だ。殿下に部屋のことを報告したら、君をツェベルク伯爵と同室にするようにと命じられてね」
「第一王子殿下が、ですか?」
「あぁ。後ろにツェベルク伯爵もいたから、一緒に聞いている。君も自領の騎士団長と同室は緊張するだろうが、あの地下室よりはマシだろう」
それはまぁ、そうではある。
ヴォルフガングと同室と言われても、今更緊張する仲でもない。
「お気遣い、ありがとうございます」
「我々がリストニアから受けた恩に比べれば些細なことだ」
ふ、と、近衛隊長が笑った。
次回第五話は8月29日17時更新です。




