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第三話 ステルビア到着

 夜になると、やはり気温が一気に下がる。

 今日は一日、女神の微睡みと呼ばれる暖かい日だったが、明日からはまたいつもの冬に戻るだろう。


 上弦の月が、町を照らしている。

 アルベルトは、宿の屋根の上から空を見上げていた。


 ちょうど真下が、クリストフの部屋だった。障害物はなく吹きさらしとなっているが、持参しているのは毛布一枚のみ。だが肉体強化の魔法により、それほど寒さは感じていなかった。

 幻影魔法も、今は解いている。


「……お待たせいたしました」


 音もなく、近くにヴォルフガングが着地した。風魔法を使っていないのに、なぜ足音がしないのかアルベルトにはわからない。わからないが、それがヴォルフガングという男だ。

「カルナヴァスは?」

「閣下の指示通り、獣用の寝床を偽装してから人に戻り、私の振りをして寝ています。同じくらいの体格ですので、毛布で包んでおけば気付かれないでしょう。……全裸でしたが」

「服も一緒に変化できるように、練習が必要かな。とりあえず私の方も、幻影魔法をかけてきた。人数を確かめる程度なら、充分ごまかせるだろう」

 アルベルトとヴォルフガングは、立場的にはリストニアからの助っ人だ。そのため、夜の見張り要員には組み込まれていない。だが深夜に一度、確認があると聞かされていた。寝ている者を起こしたりはしないが、扉を開けて部屋にいるか程度は見るらしい。

 というわけで、現在アルベルトの部屋では魔法で作られたアルベルトが寝ており、ヴォルフガングの部屋では頭まですっぽり毛布で巻かれたカルナヴァスが全裸で寝ていた。


 本物の二人がここにいるのは、クリストフの護衛のためだ。

 このことは、クリストフ本人にも事前に伝えてある。


「さて、では交代で仮眠を取ろう。……ヴォルフガング、先に寝てくれ」

 アルベルトが手にしていた毛布を渡そうとする。だがヴォルフガングはそれを受け取らずに首を横に振った。

「いえ、閣下からお先に——」

「駄目だ。私が先に寝たら、君は絶対に起こさないだろうからな」

「そのようなことは……」

「しないと、目を見て約束できるか?」

「…………」

 スッ、とヴォルフガングの視線が逸らされた。


(ほら〜!アルベルトに関するヴォルフガング様の行動なんて、お見通しなんだぞ〜!)


「ちゃんと半分ずつ睡眠を取ろう。ステルビアに着く前に体力を消耗する必要はない」

「……かしこまりました」

 渋々と、本当に渋々と騎士が毛布を受け取った。

 アルベルトもそうだが、ヴォルフガングも『眠るため』の訓練はしている。野営などで睡眠が交代制となった際に、眠れずに交代の時間がきてしまうのを防ぐためだ。

 肉体強化を使えばある程度は睡眠不足を補えるが、今はそこまでの緊急時ではない。

 真面目な騎士が横になるのを確認してから、アルベルトは屋根から見える夜の町に目を向けた。

 さすがにリストニア城下ほどではないが、充分な賑わいが温かな光とともに存在している。

 今この瞬間も、灯りの下で誰かが生きていると感じられた。


(ステルビアは、リストニアに比べると魔物の出現率はかなり低い。広大な領地と肥沃な土壌を持つ、ファンケンラート唯一の公爵家。……他に何が欲しいんだろう。何を求めて、人の命をあんなにも軽く扱っているんだろう)


 灯りの数だけある人々の生活を思いながら、ステルビアの目的について考える。

 贅の限りを尽くしても使いきれないほどの資産もあるはずなのに、魔鉱石の件といい、なぜあそこまで貪欲にたくさんのものを手に入れようとするのか。


(お金を手に入れた人が次に欲しがるのが権力で、その次が不老不死、っていうのは割と定番だけど……。この世界でもさすがに人間が永遠の命を手に入れるのは無理だし……。無理だよね?)


 エルフたちはかなりの長寿だが、彼らは人と神の間のような存在だ。ファンケンラートの長い歴史の中でも、不老不死を手に入れた者などいない。

 

(クリストフが言うように、ステルビアの目的は人身売買じゃなく、他の何かの可能性はある。そこを押さえない限り、ステルビアはしらを切り続ける)


 原作小説では、ステルビア家はとにかく面倒事を起こす一族として多少なりともコミカルに描かれている部分があった。

 だがこの世界では、違う。

 魔鉱石を手に入れようとして他領に押し入り、軽率な行動で腐死の魔導師を復活させたばかりか、その場で何十名もの兵士を無駄死にさせた。リストニア側にも、ステルビア兵を止めようとして犠牲になった者がいる。

 さらには、自領の運河を利用した、人間の輸送。グシュタールに売り渡すための人々を集め、運搬し、指示役の一人を口封じとして躊躇いなく始末した。

 それはアルベルトの中では、人として、またファンケンラートの貴族としての道からも完全に逸脱した行為だった。

 今回王家は、クリストフに陣頭指揮を任せ、大鉈を振り下ろそうとしている。

 結果によっては彼の王位を揺るがすかもしれないと、理解していながら。


(だったらファンケンラートの貴族として、私がやるべきことは一つ。——クリストフの露払いをする。……たとえ、人に剣を向けることになったとしても)


 多くの魔物を討伐してきた。

 多くの死を見てきた。

 だが自身の剣の切っ先を、誰かに向けたことはなかった。


(私にそれができる?原作のアルベルトなら、どうする?……わからない。だって私も原作のアルベルトも、人を斬ったことなんて——)


 ない、と。

 そう考えて。

 心の中で泡が弾けるように、一つの言葉が浮かんだ。


『嘘だ』


「……っ」

 反射的に、確かめなければならないような気がして、アルベルトは自身の手を見た。

 

 赤い。

 赤い。

 赤い。


「……手が、血に」

「——大丈夫です」

 背後から、大きな温もりに包まれた。

 騎士の厚い手のひらが、アルベルトの目を覆うように被せられる。

 ひどい目眩に襲われた。視界に映っていた赤が、まるで自身から流れ落ちた血であったかのように。

「ル、フ……」

 彼の名を呼べたのかどうかも、わからない。

 ただ耳元で「お眠りください」と聞こえた。


 泣きそうな、声で。

 





 ……ヴォルフガングに毛布を渡した後、見張りを始めた瞬間からの記憶が全くない。

 気付いたら、朝になっていて。

 アルベルトは朝日が昇る前の屋根の上で、ヴォルフガングに謝り倒すこととなった。


(先に見張りに立とうとしたヴォルフガング様にあれだけ偉そうに『駄目だ』なんて言っておいて、自分が速攻で寝るとかどういうことだ〜!穴があったら入りたい〜!)


 心の中の腐女子軍団も、申し訳なさと恥ずかしさで七転八倒している。上司として、本当にアレだ。口だけすぎる。地の底まで落ち込んでしまいそうになる。

 ヴォルフガングが言うには、アルベルトはきちんと交代の時間にヴォルフガングを起こしすぐに眠ってしまった、とのことだったが。

 何しろ、アルベルトのためなら何でもしてしまいそうな男であるので、その点に関してだけはあまり信用できなかった。

「……ほ、本当にすまない。次からは気をつける」

 討伐遠征での野営で見張りには慣れているはずだった、とか。肉体強化である程度の睡眠不足は問題ないから眠気はなかった、とか。色々浮かんだが、何を口にしても言い訳にしかならないので、いたたまれない。ヴォルフガングが本気で欠片も気にしていないと伝わってくるから、余計に。

 むしろ「よく眠れましたか?」と聞かれてしまい、呆れられるのを覚悟で「夢も見ずに寝ていたよ」と答えた。

 アルベルトの返答に、ヴォルフガングはどこかホッとしたように、


「……そうですか」


 と、微笑んだ。






 ステルビアまでの残りの行程は、大きな問題もなく進んだ。

 二日目の夜は、アルベルトもしっかり起きて途中でヴォルフガングと交代し、屋根の上からクリストフの護衛をした。

 三日目の朝には、リュシアンとサイネケンそれぞれから連絡が入った。


 リュシアンからは、解毒剤についての話だった。結論から言えば、理論上は解毒が可能という返答だった。

 解析がさらに進み、死に至るまでの構造が明らかとなった。通常の毒のように臓器や血液を破壊するものではなく、身体を巡っている魔力の中で増殖し、意図的に暴発を起こす仕組みだという。つまり身体の中で、自分に向かって攻撃魔法を撃ち込んでいるようなものだと説明された。施設長の周辺にあった血液は、それによって内臓が損傷した際に、口から溢れたものであるとのこと。

 施設長が暗殺された当日、誰も悲鳴や苦痛の声を聞いていない。即死であればまだ苦しみは短かっただろうが、もしも喉が血や肉で塞がれていただけであったなら、その苦痛は筆舌に尽くし難かったことだろう。

 そしてリュシアンは、施設長の壮絶な死を前にして、冷静に解毒法を導き出した。

 ただしその方法は、現段階では解毒というよりは対症療法に分類される類のものらしい。その上、あくまでまだ理論上であり、これから治療師長とともに試作品を作っていくのだという。

 また毒を生成した者についても、解析を進めているとのこと。

 アルベルトは毒の取り扱いに注意する旨を伝え、リュシアンとの連絡を終えた。

 

 サイネケンからは、ダルド子爵家への訪問を、予定通りアルベルトたちのステルビア城入りに合わせられそうだという連絡だった。

 リストニアの大森林を含めないのであれば、ステルビアの領地面積は王家の直轄領の次に広大だ。領内を移動するだけでも、何日もかかる。

 ダルド子爵家が管理している町とステルビア領主が城を構える街の間も、かなりの距離がある。だがサイネケンの魔法により、馬の脚力を高め、道程を縮めることで、今回同じタイミングで到着するようにしていた。

 理由はもちろん、二つの家の間の報せを遅らせるためだ。

 クリストフのステルビア訪問は事前に知らされてはいるが、その中にはダルド子爵家に対する内容は含まれていない。あくまで運河を利用する船の問題として捉えているように見せ、実際は実力行使も可能な二人を向かわせる。

 目的は、当主、あるいは大魔導師カラトワを王都へ連れていくこと。特に当主に関しては、多少無理やりでも良いと王家からの承認も得ていた。

 年齢から考えるとかなり厳しい行程にも関わらず、溌剌とした様子で報告してくるサイネケンに、諸々気をつけるようにだけ告げて、アルベルトは通信を終えた。

 



 そうして三日目の夕暮れ。

 第一王子を護衛しながら進む一団は、ようやく目的地へと到着した。

 小高い丘の上に聳える城と、その周囲に広がる賑やかな街。


 ステルビア城下だ。


 街に入る手前で、クリストフがカルナヴァスを馬車の中に入れた。彼の供獣という設定にしておけば、ステルビア家も粗末には扱えない。逆に言えば、そうしておかなければどんな目に遭うかわからないという意味でもある。カルナヴァスは不服そうだったが、アルベルトは賛成だった。なぜならクリストフという後ろ盾がないと、ステルビア家に毛色が珍しいからと殺され皮を剥がれてしまいかねないからだ。これに関しては、近衛兵たちも同意見だった。


 丘へと繋がる街道までやってくる。

 ステルビア兵たちが規則正しく並び、クリストフの到着を待っていた。

 ずらりと並ぶ白馬に跨った騎兵が、ステルビアの紋章旗を掲げている。鼓笛隊が華やかな音楽を奏でていた。

 何とも派手な出迎えである。

 

(クリストフが言ってた通り、グリズリはともかく、グローリアの方は視察を建前にした婚約の打診、くらいに思ってそうだなぁ……)


 つい先日も、グローリアはクリストフとレナードに招待されて王都を訪れている。あの時は、ステルビアが腐死の魔導師討伐の邪魔をしないようにと、二人が気を回してくれたからなのだが。彼女の中で「自分が選ばれた」という誤解が生まれていてもおかしくはない。たとえクリストフが、そう思われないように細心の注意を払って立ち回っていたとしても。

 騎兵に先導され、石畳で舗装された城下を進んでいく。住民たちの表情は明るい。領主一族のやり方はどうであれ、豊かな地ではあるようだ。

 圧政を敷いている様子もない。


(そう言えば、ステルビアに来るのって初めてだ。リストニアとは少し雰囲気が違うけど、とても綺麗な街。……領主はアレだけど)


 ひょっとすると領民や身内には甘いタイプなのだろうか、と考えたものの、腐死の魔導師の一件で犠牲になった兵士の亡骸についての確認などは結局一度もなかったことを思い出した。

 馬車を先導する騎兵の鎧も豪華で、白馬の鞍には絹の飾りがついている。

 周囲を見ても、建物はどれも新しく、通りには装飾品や高級な衣装店が立ち並び、賑わいがあった。


(でも、なんだろう……。何か変だな。すごく綺麗な街だとは思うんだけど)


 妙な引っ掛かりを覚えるが、すぐには違和感の正体がわからない。

 首を捻りつつ観察していたアルベルトは、あることに気がついた。


(子どもやお年寄りが全然いないんだ。こんなに賑やかな街なのに)


 リストニアなら、これだけ大きな通りであれば、様々な年齢の人々を見ることができる。

 この通りにも、一人くらいはいても良さそうなものなのだが。


(生活品を扱ってる店もないな。……前世でいうところの、ハイブランドエリアみたいな通りなのかも)


 そう思うと、それはそれでステルビア城下らしいとも感じた。


 通りを進むと、白く輝く城壁が見えてきた。周囲は堀で囲まれており、水が流れている。城門の前には、大きな跳ね橋がかかっていた。

 通常なら一度馬を止め荷物などを細かく調べられるが、王家の紋章付きの馬車は当然その限りではない。

 そのまま城壁をくぐり、中へと入っていく。

 広場を抜けてしばらく進むと、城の入り口が見えてきた。

 さすがに第一王子の訪問とあって、一家揃っての出迎えのようだ。

 城の前には、当主のグリズリとその妻ネイシャ、そして娘のグローリアが待っていた。


次回第四話は8月28日17時更新です。

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