第一話 ステルビアへ
王家の紋章を刻んだ馬車が、隊列を組んで冬のリストニアの街道を進んでいく。
四頭立ての馬車が一台と、二頭立ての荷馬車が一台。その前後を挟む形で騎乗している近衛兵が二十五名。
そして最後尾には、青毛の馬に乗った黒い騎士と、その腕に抱かれてキョロキョロと辺りを見ている小さな虎。
三名の御者と四頭立ての馬車に乗る貴人を合わせて、総勢三十名と一頭での移動だった。
太陽が昼を示す高さまで登った辺りで、先頭にいた近衛兵が合図を出した。
昼食を兼ねた、休憩の時間だ。街道の脇にある整地されたスペースに馬車を誘導し馬を停めると、周囲を見張りの兵で囲む。
こうした馬や人を休ませるための場所は、リストニアに限らず、ある程度インフラが整っている街道には必ず存在していた。中には井戸を掘り、水が確保できる場合もある。ここもそうした場所のようだった。
「殿下、お食事はいかがなさいますか?」
馬車の扉をノックした近衛隊長が、中へと声をかける。
するとすぐに扉が開いて、「外で食べるとしよう」と笑顔のクリストフが降りてきた。
青い瞳が動いて、子虎を地面に降ろしている騎士を見る。それからゆっくりと近衛隊へと、視線を移した。
視界に映っているのは、リストニア側から「近衛兵として同行させてほしい」と用意された、特にこれといった特徴のない顔立ちの男だ。兵の中には「近衛兵の服を?」と疑問に思う者もいたが反対する様子もなく、予備の分を渡して隊に加えていた。それだけリストニアに対する信頼が厚いとも言える。
表情は乏しいもののそれなりに馴染んでいるらしく、近くの近衛兵と二言三言交わした後、配給担当からパンと林檎を受け取っていた。
「第一王子殿下、お食事をどうぞ」
突然気配もなく声をかけられ、クリストフは反射的に振り返った。
そこにいた人物に、僅かに目を丸くする。
だがそれも一瞬で、第一王子としての朗らかな笑みとは違う、どこか野生的な笑みを口元に浮かべた。
「剣聖に配膳をさせるなど、リストニア騎士団の者たちに知られたら叱られてしまうな」
銀食器を乗せた、銀のトレイを受け取る。メニューはパンやハム、チーズ、サラダ、葡萄など。近衛兵たちよりは豪華な昼食になっている。もちろん、クリストフが普段口にしている食事に比べると、質素すぎるほどだが。
「第一王子殿下はファンケンラートにおいて、最も高貴な血筋のお方。伯爵位の私が配膳の機会をいただけるなど、望外の喜びです」
「……もう少し、演技を学んだ方が良い。目が全く喜んでいないぞ?」
「失礼をいたしました。——……ですが」
深く頭を下げた騎士がクリストフを見た後、近衛兵の中にいる、先程クリストフが見ていた男に視線を向けた。
「第一王子殿下の視線は、臣下の目を引きます。特定の者を視界に収め続けると、不審に思う者も出て参りましょう。……この進言のために配膳を利用しましたこと、お詫び申し上げます」
「……いや。忠告、礼を言う」
クリストフの言葉に、再び頭を下げたヴォルフガングが立ち去っていく。その後ろを、林檎を咥えた子虎が追っていった。
クリストフは黒い騎士の隙のない背中から視線を逸らし、部下が用意した小さなテーブルへと向かった。
リストニアから、ステルビアの城がある街までは、冬の陽の短さを考えて三日の旅程を予定している。
「馬と兵の休憩は、充分に取るように」
「かしこまりました」
隊を率いる近衛隊長が、食事を始めたクリストフの後ろに立つ。
クリストフはもう先程の近衛服を着たリストニアの男に目を向けることはなく、フォークとナイフでハムを切り分けた。
(——……なんかクリストフから視線を感じまくってたんだけど、幻影魔法解けたりしてない?大丈夫?)
アルベルトは目の前のパンと林檎を黙々と食べながら、ようやく背中に感じなくなった視線にホッと胸を撫で下ろしていた。
服装は、ファンケンラート王家直轄の近衛隊の兵服。そして顔は——、グシュタールの王宮で見かけてしばらく幻影魔法で借りていた、あの兵士のものである。
これも、昨夜ステルビアへ発つ人員を決めた際に考えた作戦の一つだった。
アルベルトが近衛兵に扮していると知るのはクリストフと、ヴォルフガング、そしてカルナヴァスの三人のみである。
(ごめんね、グシュタールの兵士さん。ステルビア側が絶対に知らない顔って条件で考えた時に、ちょうど良くって……)
今どこで何をしているのかはわからないが、とりあえず心の中で謝っておく。
タングリストの話では、レヴィアタン復活時に逃げずに警戒体制を取っていた者たちは全員改めて召し抱えたとのことなので、彼がその中の一人であれば、グシュタールで会う機会もあるかもしれない。
顔を変え馬を変えてリストニア城を出てから、数時間。今のところ、アルベルトの幻影魔法に気付いた者はいないようだ。
だが何故かクリストフが見ていたので、念のため至近距離で覗き込まれても大丈夫なように細部まで幻影を作り込んでおくことにした。
簡単な食事を終えて、馬の様子を見に向かう。
アルベルトが普段から利用している愛馬ではなく、騎士団から借りた葦毛のものだ。厩舎から連れていく際に、愛馬が「えっ……?そっちを?」と言いたげな顔で見ていたことを思い出し、微妙に良心が痛んだ。
「良い馬だな。どこのものだ?」
馬に水を与えていると、近衛兵の一人に話しかけられた。食事を受け取る前にも「お疲れ」と声をかけてくれた、若い兵だ。
「この馬は確か、母がリストニアの出で、父が東部のモナガルの出だと聞いているよ」
アルベルトも気さくに答えた。声は変えていないが、これだけ顔が違えば「似ている」と感じられたとしても、本人と結びつけられることはない。
「モナガルか。騎馬兵が多い侯爵領だな」
「物心つく頃には全員が馬に乗れるようになっている、なんて噂もあるほどの名馬の産地だ」
モナガルは、リストニアの遥か東、ファンケンラートの王都を挟んで反対側にある侯爵領だ。
騎馬戦に秀でており、ファンケンラートでは珍しく当主は代々女性が務めている。
現当主の名は、ナタリア・モナガル。
アルベルトとアレクシアの母の学友で、親友だった人物である。
「胴回りも首の太さも、俺の好みだ。機会があれば、乗らせてくれ」
出発までしっかり休めよ、と言い残して、兵が自分の馬の元へと戻っていく。
アルベルトは水を飲み終えた馬を撫でてから、周囲を見回した。
食事を終えたクリストフが、近衛隊長から報告を受けている。
少し離れた場所では、ヴォルフガングがカルナヴァスを愛馬に乗せてやっていた。
(……すっかり仲良くなって。親子みたいで可愛いなぁ)
境遇を知ったというのもあるだろうが、意思の疎通ができるようになったことも大きいのだろう。
意外なことに、ヴォルフガングとカルナヴァスはリストニアに着くまでの相性の悪さから一転、仲良くなっていた。
(ヴォルフガング様も、子どもの頃に家族を奪われた人だもんね……)
二人は年齢的には近いはずだが、ヴォルフガングが兄を通り越して父のように接している節がある。馬の背に乗せてバランスを取ってやっているところなどは、まさに休日の父子の姿のようだ。
(休日でもないし、父と子でもないし、それ以前に片方は虎の姿なんだけど)
何もかも違うのに、なぜかそう見える。
不思議な現象だった。
なお今回、カルナヴァスを小さな虎の姿で同行させたのは、万が一、転移術を使用する状況になったとしても、それがカルナヴァスによるものだと周囲に気付かれないようにするためだ。念のため、異国の動物という設定を用意している。
カルナヴァスが持つ転移術は、言うまでもなく貴重なものだ。原作の知識を持つアルベルトすら、知らなかった。原作以外のオリジナルで追加された設定だったりするのだろうか。
だが思い返してみると、呪の末裔の章の終盤に、タイミングよくカルナヴァスがアルベルトを助けに来るシーンが存在していたはずだ。
読者たちは「やっぱり味方になったー!」と盛り上がっていたが、この時すでに転移術を使用していたのかもしれない。そうして追々、あの時はこうだった、と話を展開していく予定だったとすれば、辻褄は合う。
とは言え、どちらにしても、この世界のカルナヴァスが変化魔法と転移術を使用できる稀有な人物であることは確かだった。
そしてその二つの力には、それぞれ制約があることも。
(変化魔法はアルベルトの幻影魔法と同じく、微量だけど常時魔力消費型。だから魔力量が一定以下になると、大きな虎の姿を保てなくなる)
アルベルトが攫われた夜、夜のリストニア城の庭で倒れていたカルナヴァスの状態が、まさにそれだった。
リストニア城下の養育施設にて、施設長が屋根の修繕のために立ち入り禁止にしていると言っていた、例の別棟。あれをカルナヴァスは、リストニア周辺の拠点として使用するようにと言われていた。
誰にも姿を見られないように転移し、体の限界がきたら、ベッドも毛布も何もない床の上に丸くなって眠る。
誰も彼を気にかけない。
ただ、利用するだけ。
良い獲物を見つけなければ、定期的に首輪による罰を受けていた。もがき苦しんだ彼は、首を掻き毟った。
その抜け落ちた毛を偶然拾ったのが、アルベルトだったというわけである。
リストニアに潜伏しながら荷を運搬していたカルナヴァスは、ある日一つの命令を下された。
それは、リストニア城から備品の運搬に来ていた兄弟の弟の方を見つけ出し、連れてくるというものだった。
命令を出したのは、あの施設長だった。庭で風を受けてフードが外れたアルベルトを見ていたのだろう。
そして容姿を見て、グシュタールに運ぶことを決めた。
(アレクシアちゃんが聞き出してくれたカルナヴァスの証言によって、施設長はリストニア城下の留置牢に移送された。本格的な事情聴取は、これからだと聞いてるけど、黒なのは間違いない)
命令を受けたカルナヴァスは、リストニア中を転移しながら少年姿のアルベルトを探し続けた。
転移術の制約は、大きく分けて二つ。
——目視できる場所、もしくは一度行った場所であること。
そして運べるのは術者以外に一人までということ。
場所に関しては、距離によって消費魔力量が変化する。ただし、海を隔てた場所は移動できない。
運べる人間は、大きさに関係なく、一度に一人だ。こちらの魔力消費は、単独で移動するよりもかなり多くなる。
(……転移で移動してたのなら、警備兵が気付かなくても仕方がない。カルナヴァスは魔力が枯渇する寸前まで転移術を使って、……ついに限界がきた)
拠点以外で動かなくなったカルナヴァスに、首輪から強い罰が与えられた。成獣の大きさを保てなくなり、小さな虎の姿で血を滴らせながら、彼は人目につかない場所までなんとか逃げた。
そして——。
(倒れているカルナヴァスを、私が見つけた)
魔導師であり、呪術使いでもあるカルナヴァスには、特性として『他者の力を取り込める』能力があった。
アルベルトの魔力を取り込んだカルナヴァスは、その髪色と瞳の色を見て「この人間を子どもに変えて連れて行けば、苦しみから解放される」と考え変化魔法をかけた。
(それがあの時、私が姿を子どもに変えられて連れ去られた理由……。カルナヴァスは私を連れ去った後で、傷が手当てされていることに気付いた。彼は、父親以外で初めて自分を気にかけてくれた人間に出会った)
「出発準備ー!」
思考に沈むアルベルトの耳に、近衛隊長の声が届いた。
気持ちを切り替えて、自身の馬に乗る。
隊列を組み、クリストフを乗せた馬車を囲む形で一団が動き出す。
アルベルトは前後二つに分かれた近衛兵の、前列の最後に付いている。クリストフの馬車の前だ。
近衛兵たちは知らされていないが、防御壁を張れるアルベルトをここに配置することで、クリストフの守りをより完璧にしている。
隊列の最後尾にはヴォルフガングがいて、その腕の中には転移術を使えるカルナヴァスがいる。
リュシアンが「世界一安全な場所だ」と言っていたが、確かに、とアルベルトは思った。




