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序話① 女神の微睡みの朝

 長く続く、リストニアの冬。

 冷たい秋雨の時期が終わると同時に吹き始める凍てつく風が、土を、空気を凍らせていく。葉を落とした木々は眠りにつき、多くの鳥たちは南へと渡り姿を消していた。

 だがそんな極寒の季節の中に、時折、まるでうっかり春が目を覚ましたかのような日の訪れがあった。

 人々はそれを『女神の微睡み』と呼び、厚い防寒具をいつもより少し薄くして、今のうちにと風で傷んだ屋根の修理や外壁の修繕を行うのが恒例行事となっていた。

 アルベルトがグシュタールからリストニアへと帰還した翌日も、そんな風に珍しく穏やかな日であった。





 胸元に感じる小さな温もりに、アルベルトはゆっくりと目を覚ました。

 まだ夜は明けきっていないらしく、部屋は薄青い光に包まれている。夜勤めの者も多いため、リストニア城自体は完全に眠ることはない。それでも、この時間は警備兵の巡回もひと段落し、一日の中で最も静かになる時間帯だった。

 いまだ眠気の残るぼんやりとした視界に、赤い毛並みが見える。

 そこには、アルベルトにしがみつき鼻をスピスピと膨らませながら眠る、子虎の姿があった。


(……この子は長い間、誰にも甘えられずに生きてきたんだろうな)


 優しく撫でてから、起こさないようにそっとシーツから抜け出し、ベッドから降りる。途中で子虎が目を閉じたまま小さく鳴いたが、シーツ越しにお腹をポンポンと撫でると、すぐにまた寝息を立て始めた。


 呪の末裔の一人、カルナヴァス。

 原作小説では、見た目の派手さとは裏腹に、底抜けに明るい素直な性格の若者として描写されていた。

 だがこの世界のカルナヴァスは、見た目の年齢から考えると内面がかなり幼いように感じられた。それが境遇から作られたものであることは想像に難くないが、それゆえに今まで過ごさざるを得なかった時間を思うと胸が締め付けられる。苦しみの中にあった子どもが、時間だけ重ねてきたような。そんな、理不尽な状況に対する怒りだ。

 昨日は湯浴みをしてサイズの合う衣服を身に付けてから、夕食までの時間をアレクシアやレナードとともに過ごしていたようだ。その時に、やはり名前も原作通りカルナヴァスであると判明した。アルベルトは元々知っていたからだが、カルナヴァスから見ると「本当の自分の名前に似た名前を付けてくれた人」として映ったらしく、孤独に生きていた中でそれはとても胸を打つものであったらしい。

 そのせいか、アレクシア曰く、「わたくしがお兄様の妹だと伝えると、すぐに心を開いてくれましたの」とのこと。そして、「お兄様はしなければならないことが、たくさんおありでしょうから」と、『話せるところだけで良い』を条件にカルナヴァスから色々と話を聞いてくれていた。

 今年で十二歳になるとは言え、本当に優秀な妹だと感心してしまう。ひょっとして彼女の中には、アルベルトよりも年上な誰かがいるのだろうかと時折考えてしまうほどだ。


 頭の中で情報を整理しながら顔を洗い、身だしなみを整える。

 余談ではあるが、アルベルトは髭は生えない体質だ。サイネケンはフサフサ生えており、副団長も綺麗に髭を整えている。魔導師大隊長などは、常に剃り忘れて無精髭状態であるので、ファンタジーだから生えないというわけではないのだろう。

 以前ヴォルフガングに生えるか聞いてみたところ、「生えます」と言われ、ちょっと衝撃を受けたアルベルトであった。


 夜着を脱ぎ、騎士服に袖を通す。

 今日からは、クリストフとレナードの護衛も兼ねることになる。特にクリストフは、この後出立するステルビア視察において、側で護衛をする必要があった。


(うぅ……、クリストフと顔を合わせづらいなぁ……)


 昨日のバルコニーでの会話が思い出される。


(特に好かれることをした覚えはないんだけど。これも主人公補正なんだとしたら、申し訳ない……)


 クリストフは、大国の後継者として相応しい人格と教養を兼ね備えた男だ。昨日のバルコニーでの行為のような態度は、少なくとも今回の一件が解決するまでは見せることはないだろう。そうした点から考えれば、アルベルトとしては接し方を変える必要もないのだが。

 前世との文化的な違いのせいか、「愛している」という言葉に、どうしても気恥ずかしさのようなものを感じてしまう。


(ヴォルフガング様は『お慕いしております』だったから、前世でも聞き慣れない古風な言葉すぎたのと、なんかもうアレは、ビックリして頭真っ白になったっていうか……。お、思い出したら恥ずかしくなってきた。一旦忘れよう……!)


 ぶんぶんと頭を振って、黒い騎士の姿を思考から追い出した。

 廊下に出ると、微かに生活の音が聞こえてきた。静かな時間帯ではあるが、厨房は夜勤めの者たちのために常に火を入れている。この時間は、スープの仕込みをしている頃だろう。

 鍛錬場で皆で雪合戦をした記憶が、随分昔のように思い出された。立て続けに「それどころではない」事件が起きすぎて、アレクシアに王都での祝賀会の話も聞けていない。

 アルベルトとしては、レナードのエスコートがちゃんと完璧だったのかを、彼女の口から直接聞きたいところだった。可愛い妹が少しでも嫌な思いをしていたら許さんぞ、という気持ちである。


「——あれ?アルベルト、ちょうど良かった。君の部屋に行くところだったんだよ」

 角を曲がったところで、目の下にやや隈を拵えながらも笑顔で手を上げるリュシアンと会った。

 顔を洗ったばかりなのか、前髪が少し濡れており、眼鏡もしていない。

 アルベルトも笑顔で返した。

「おはよう、リュシアン。私も君の部屋に行くところだったんだ。写し鏡の魔道具の件でね」

「僕もその件だ。ちょうど良かった。急拵えだけど、間に合ったよ。部屋に置いてあるから、取りに来て」

 出会って早々に、リュシアンがくるりと元来た道を戻り始める。その背中を、呼び止めた。

 振り返り首を傾げる友人に、「失礼」と声をかけてから、アルベルトよりも低い位置にある目元に触れる。

「先日、カルナヴァスに肉体強化の魔法をかける必要があって。そこで少し、戦闘以外での使い方のコツを掴んだんだ。治癒魔法のようにはいかないが、君の体力に働きかけて疲れを取ることができる」

 目の下の隈をそっとなぞってから、指を離した。

「徹夜してくれたんだろう?……君の気持ちは嬉しいが……、——リュシアン?」

 アルベルトの前には、元から丸い目を更に丸くしたリュシアンが口まで丸く開けて立っていた。

 何度かパクパクと口を開閉させてから、「はぁ〜〜〜」と長い溜息をついた。

「アルベルト……。君さぁ、もうちょっと自分がどういう人間か理解した方がいいよ……」

「えっ?」

「僕だから、ビックリした!くらいですむけどさ。君に少しでもよこしまな気持ちを持ってる人だったら、大変なことになりかねないよ?」

「……大変なこと」

「そう。朝だから、具体的には言わない」

 夜ならいいのか、とアルベルトは一瞬突っ込みそうになったが、真面目な顔をしているリュシアンに怒られそうなのでやめた。

「君に悪気がないのは百も承知だし、それが君の良いところではあるんだけどね。必要だと思ったら、どんな際どい選択でも簡単に取りそうだからなぁ、君は」

「そ、そんなことは……」


(それはないって!原作のアルベルトみたいな無自覚攻略キャラじゃないんだから)


 否定すると、リュシアンは「ふ〜ん」とアルベルトの頭の先から爪先までをゆっくりと眺めてから、クリストフが滞在する部屋がある方角を指差した。

「昨日、殿下と何かあったでしょ?」

「——……!」


(な、何でバレた!?)


「今、心の中で『何でわかった?』って言ったな?そんな顔してるぞ。そりゃ、わかるさ。僕は分析と解析のプロだよ?ちなみに、剣聖の肩書きをお持ちの某騎士も、何か察してるみたいだから」


(な、なぬーー!!)


 もはや言葉もないとは、このことだ。サイネケンに口止めをした意味がなくなってしまった。

 リュシアンの能力に改めて驚くが、同時にその天才的な力をこんなことに発揮して良いのかと疑問にも思った。

「その話も、聞かせてくれるよね?とりあえず僕の部屋に行こう。そのために、こんな時間に君を訪ねたんだ」

 ガシッと腕を掴まれ、そのまま引っ張られる。たとえアルベルトの方が上背もあり腕力があったとしても、この手は振り払えるものではない。

 親友に連行され、アルベルトはおとなしく彼の後について歩いた。






「先に、写し鏡の魔道具の追加分を渡しておくよ。かなり急拵えだから、他の物みたいに映像は投影されないけど」

 リュシアンが滞在している部屋に入って早々、アルベルトは物が積まれた机の上から抜き出された手のひらサイズの石板を受け取った。

「ありがとう。無理をさせてすまない」

「そういうの、言いっこなし。僕が好きでやってることだ」

 リュシアンが用意していたのは、四つ目となる写し鏡の魔道具だ。同じ魔道具間での会話を可能とするという、この世界では異例の機能を持っている。グシュタールから帰国する際に、アルベルトがエルフ王グウィンに相談して譲ってもらった特殊な魔鉱石を使用していた。

 肉体を失ったエルフたちは、魔鉱石を依代として居城となる鉱山に存在を固定している。その貴重な石を譲ってもらうのは心苦しかったが、グウィンは気にしていないようだった。むしろ「いくつ欲しいんだ?」と聞かれて、「一つでいいです……!」とアルベルトが慌てて断ったほどだ。

 そうした内心が伝わっていたのか、グウィンは柔らかく笑うと「交換条件として、今度遊びに来なさい」とアルベルトに提案をした。その心遣いと優しさにアルベルトも二つ返事で近いうちの訪問を約束をしたという経緯がある。

「これで、ステルビア視察組とダルド調査組、そしてリストニア城待機組全員の連携が取りやすくなったかな」

「城には王家が調査している分の情報も回ってくるから、君の仕事量はかなりのものになると思うが……」

「望むところだね」

 まぁ掛けなよ、と勧められて、乱雑な状態になっている机に備え付けられた三つの椅子のうちの一つに腰を下ろした。

「昨日の夕食後の話し合い、僕は魔道具の製作があったから自分のポジションだけ聞いて部屋に戻ったけど、他はどういう感じなんだい?」

 リュシアンの問いは、昨夜行われた現時点での情報の確認と翌日からの行動を決める話し合いについてのものだった。


 ステルビア領内の運河を利用するダルド子爵家の商船から、複数の人間が『商品』として見つかった件だ。リストニアからグシュタールへと運ばれた七人の子どもや、カルナヴァスによって攫われたアルベルトについても、ステルビア公爵家ならびにダルド子爵家が関与している可能性は多分にある。だが輸送に使用された船はレヴィアタンが現れた際に沈められたのか、見つかっていない。

 そこでひとまず、直近でダルド子爵家の船から見つかった者たちから関連を辿っているところだった。

 なお保護された者たちは、王家預かりとなり現在ステルビアにて健康状態を確認中となっている。 


 ステルビア家は、自領内で発見された『荷(人)』については知らぬ存ぜぬを通している。ダルド子爵家も同様だ。

 むしろ「運河まで運搬するための陸路で、リストニアとの境界線に差し掛かった時に、野盗に襲われていた。その際に商隊が乗っ取られた可能性があるが、船員たちはすでに行方がわからない」と報告までしてきて、アルベルトはさすがに呆れて言葉もなかった。隣で聞いていたアレクシアは、「そんなバレバレの嘘が通じると思ってますの!?」と怒りを露にしていたが。


「ダルド子爵家へは、サイネケンに向かってもらう予定だ。あの人なら万が一、大魔導師カラトワと敵対することになっても対応できる」

 昨夜行われた今後の調査についての話し合いで、ダルド子爵家へはサイネケンとリストニア騎士団副団長の二名で向かうことが決定した。

 子爵家の本邸は、広大なステルビア領を流れる運河の下流にある小さな町に構えられている。

「副団長さんは、まぁ、そういう職業の人だからわかるけど。大魔導師様の体力もすごいね。グシュタールから戻ってすぐに馬で発つなんて」

「カラトワの力がどれほどのものかわからない以上、他の魔導師では不安が残る。私かサイネケンかの消去法だ。……本人は何故か生き生きとしていたが」

「あ〜、そういえば昨日チラッと話をした時に言ってたよ。魔導を探究し研鑽し続けてきた甲斐があった、今がまさに人生の黄金期だって」

「……そ、そうなのか」

 サイネケンの視点から見れば、リストニアに来て以降トラブルしか起きていない。アルベルトとしては、明らかに働かせすぎだと逃げられてもおかしくはないレベルだと感じているのだが。それを黄金期とは。

 相変わらず、思考が読みにくい師匠である。

 だが本人が喜んでいるのなら甘えておいて、一件が解決したらゆっくり休みを取ってもらうとしよう。

「それで?大魔導師様と副団長さんがダルド子爵家担当ってことは、君と剣聖は第一王子殿下とともにステルビアへ?」

「その予定だ。クリストフ殿下が仰るには、証拠隠滅をするだけの時間は与えたから、身の潔白を証明するためにも盛大に歓迎してくれるだろうと」

「う〜ん。その辺り、僕が駆け引きが苦手だからかもしれないけど……。よくわからないなぁ」

 アルベルトの返答に、リュシアンが腕を組んで首を傾げた。

「ステルビアの運河を使って運ばれていた人たちを保護した段階で、すぐに調査には入れなかったの?ステルビアの方は難しいかもしれないけど、ダルド子爵家ならできたんじゃない?」

 友人の疑問については、アルベルトも理解できた。事件が発覚した時にダルド家に踏み込んでおけば、証拠を押さえられた可能性はある。

 だがそれは、同時に大きなリスクを伴うものだった。

「リュシアン、君の疑問は正しい。ただ残念ながら、それを実行した場合避けては通れない問題があったんだ」

「問題?」

「保護した人たちの安全だよ」

 狭い場所に押し込められていたせいか健康状態が良いとは言えなかった彼らは、いまだステルビア領内にいる。つまり、ステルビアの手の中だ。もしダルド家に無理に調査に入っていれば、証拠の整合性を取るために必要な彼らを、ステルビアは念の為にと事故を装ってでも口封じに動いていただろう。

 しかしここであえてダルド子爵家については触れずに、運河の通行を止めたクリストフが全ての船の検査を命じた上で、「自分が保護された者たちを迎えに行き、視察も行う」と言えばどうなるか。

 そうアルベルトが問いかけると、リュシアンが顎に手を当て考えてから口を開いた。

「第一王子殿下が自ら迎えに行くと言ったのに全員始末しちゃったら、周りからの印象としては『せっかくの証人を全員死なせる無能&さすがにステルビア怪しくない?』ってなるから、殺せなくなるかな」

「そういうことだ。それに今は他の船も調べるという名目で、全ての荷を確認している。……ダルド家以外の船からは『人』は見つかっていないようだが。ステルビアは、それを見て王家がどこまで把握しているのか知りたいと考えるだろう。そしてそのためには、クリストフ殿下のステルビア領入りを表面上は歓迎しなければならない」

 ステルビアから見れば、今回の一件はまさに寝耳に水だ。いつものように人を運搬していたら、突然王家から運河の使用停止が入り、船を調査された。

 情報の漏れ口を探したいと、考えているはずだ。

 さすがに子どもに姿を変えたアルベルトを攫っていたことが原因など、想像の埒外である。

「王族の移動だから、準備にも時間もかかる。自分の部下とダルド家に指示して証拠を消すための時間は、充分に確保できる。……となると、保護された人たちを消すリスクをわざわざ背負う必要はないってことかぁ」

 なるほどねぇ、と頷いてからリュシアンが「でも」と続けた。

「それって、結構苦渋の決断だったんじゃない?早期解決を見送ったってことでしょ?輸送済みの人たちの行方に関する証拠とか、消されるわけだし。グシュタール以外に運ばれてたら、見つけられなくなるってわかってるんだよね」

「……それはクリストフ殿下も理解しておられた。その上で、目の前の国民を救う方を選び、ステルビアの懐に自ら入る道を選ばれた」

 自身ならどうしただろう、とアルベルトは考える。リストニアに帰領した時にはクリストフはそれを実行した後で、昨日の話の中で聞かされただけだ。

 保護された十二名を優先すれば、今後足取りを追えなくなる者が出てくる可能性がある。証拠を優先すれば、十二名の命が危険に晒される。


(その判断を、クリストフはすぐに下した。それは、彼の王族としての強さだ)


「リュシアン、君ならどちらを選ぶ?」

「難しいね……。僕ならどちらも切り捨てられなくて悩んで時間を無駄にして、結局どっちも失くしそうで。そういうところ本当すごいよ、あの方は」

「……同感だ。だからこそ、彼には私とヴォルフガングが同行する」

 その言葉に、「世界一安全な場所だ」とリュシアンが笑った。

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