第十五話 カルナヴァス
リストニア城へは、予定通りの行程で昼過ぎに到着できた。
エルフの船は、アルベルトたちを岸に上げた後、光の粒となって消えていった。元々出現した時も同じように光の中から出てきて、ステルビアの運河に浮かんだのだという。それが神代の魔法だと言われれば、納得するしかない。
徒歩で山を越え、そこからは馬で移動した。凍てつくような風は吹いていたが、雪がないおかげで楽に進むことができた。もっともそれは鍛えられている彼らだからこその感覚で、通常は今の時期に山を越えるのは自殺行為だと言われている。
アルベルトの不在は城の者にしか知らされておらず、道中会った領民たちはいつもの遠征と思っていたようだ。
城下の大通りを抜け、城へと入る。正門を抜けた先の広場では、城中の者たちがアルベルトの帰還を待っていた。
先頭にはアレクシアとクリストフ、その少し後ろにレナードとリュシアンがいる。
「お兄様っ!」
今にも泣き出しそうな顔で駆けてくるアレクシアに、アルベルトは馬から降りると飛び込んできた身体を受け止めた。
「お兄様!ご無事で……!」
「心配をかけたね、アレクシア」
しがみついてくる妹を抱き上げ、あやすように背中を撫でる。写し鏡の魔道具を通じて顔を見せてはいたが、やはり不安だったのだろう。いくら貴族としての教育を受け、侯爵代理を務めることがあったとしても、まだ十一歳だ。すまなかった、と謝ると、アルベルトの胸に顔を埋めていたアレクシアが小さく首を横に振った。
妹を抱いたまま、アルベルトは二人の王子へと頭を下げた。
「クリストフ殿下、レナード殿下。ご無沙汰しております。お迎えいただく形となり、誠に申し訳ございません」
「気にしないでくれ、アル。出迎えたいと、こちらから頼んだのだ」
クリストフの青い目が、真っ直ぐにアルベルトを見つめている。
(おぉ……相変わらずの美丈夫っぷり……。謎の色気みたいなのが増して見えるのは、気のせいかな)
見る者が見れば、アルベルトが感じた『謎の色気』が恋情からくるものだとわかるのだが。あいにくそれを向けられている当人は王都での事件後のクリストフの感情を一過性のストックホルム症候群的なものであろうと考えていたため、いまだにクリストフの熱が冷めていないなどとは夢にも思っていなかった。
「お心遣い、感謝申し上げます。この度の件に関しましても、王家には多大なご配慮をいただきました」
「……いや、当然のことだ。それについては、後でゆっくり話そう」
甘さを含んでいたクリストフの眼差しが、将来国を背負う者としての鋭さを帯びる。
アルベルトは抱いていたアレクシアを優しく降ろすと、その白く柔らかな頬を伝う雫をそっと指で拭った。
背後では到着した騎士たちが馬を降り、馬丁に轡を預けている。
前髪をちょいちょいと手櫛で直したアレクシアが、照れくさそうにアルベルトを見上げた。
「おかえりなさいませ、お兄様。リュシアンお兄様から、活躍を聞きましたわ。また改めて、皆にもお話しくださいませ」
「ただいま、アレクシア。活躍と言えるほどのものはないが……、グシュタールでできた友人の話をしよう」
「まぁ、さすがお兄様!楽しみです!」
(あ〜、アレクシアちゃん可愛い〜癒される〜)
輝く笑顔の美少女の髪を撫で、レナードへと視線を向けた。
「レナード殿下、背が伸びましたね」
「ほんの少しね。兄上くらいになるのが目標なんだ」
可愛らしい目標に、アルベルトの口元に笑みが浮かぶ。すると何故かレナードが「オウッフ」と咽せ、アレクシアが「慣れてないから……」と呟きながら側に行き背中を摩り始めた。
(な、なんだろう……熟年夫婦を見てるみたい……)
婚約して、まだ一年も経っていないというのに。二人から漂う長年連れ添った夫婦のような雰囲気に、アルベルトは「婚約ってすごいな」と的外れな感想を抱いていた。
「アルベルト。例の赤い獣というのは、どこだい?」
身分的に遠慮していたのだろうリュシアンが、王子たちとの会話が終わったのを見て声をかけてくる。アルベルトは後ろを振り返り、「カル」と呼びかけた。
途中までアルベルトが抱いて馬に乗せていたのだが、リストニア城下に到着した辺りでサイネケンに預かってもらっていたのである。最初はヴォルフガングに預けようとしたのだが、これまた前足で突っぱねられて無理だった。
どうにもお互い相性がよくないらしい。
アルベルトの声に、「グァウ」と鳴きながら子虎がやってきた。抱き上げて、リュシアンに見せる。
「この子だ。今は幼獣だが、成獣にもなれる。首に嵌められてる隷属の魔道具が、外れなくて……」
「なるほど。もっとよく見せて」
近くまできたリュシアンが、首輪に触れながら虎の顔を覗き込む。
「不思議な姿の獣だなぁ。初めて見た。カルって名前は誰がつけたの?」
「リストニアに連れて帰ろうと決めた時に、私がつけたんだ」
「ふんふん。名前付けによって、バグっちゃったのかな」
耳の中を見たり、前足を裏返して肉球を見たり。
「あ、雄だ。袋が結構デカい。痛っ!蹴られた!」
「……リュシアン。言い忘れていたが、この子は人の言葉がわかるから、変なことは言わないように」
「それ早く言ってよ!」
後ろ足で額を蹴られたリュシアンが、赤くなった皮膚を摩りながらアルベルトを見た。
「首輪から三つの力を感じるね。一つは残滓みたいにこびりついた力。多分、命ごと魔力を吸い上げられて死んだグシュタール王の力だ。それから優しくて温かい力。これは君の魔力だね。名前を付けた時に流れ込んだんだと思う。最後に、いや〜な感じがする力。……すっごいヤなこと言っていい?」
前置きをするリュシアンに、アルベルトは無言で頷いた。
「この最後に感じた力。性格悪いな〜ってくらい複雑に絡み合ってわかりづらくしてるけど、グシュタール前王の死がトリガーになってたみたいだよ」
「……前王の死がトリガー?」
どういう意味なのかと聞き返すと、「つまり」とリュシアンが虎の首輪を撫でた。
「前王が死んでも虎が自由にならないように、自動で仕掛けが発動して虎も一緒に死ぬようになってた、てこと。幸い、君の魔力が止めてるみたいだけど」
「——……」
それは、と。アルベルトは言葉にはせず、心の中だけで呟いた。
それはつまり、アルベルトがあの時名前を付けていなければ、前王が死んだ時点で虎も道連れにされていたということなのだろうか。
「……誰が、そんな仕掛けを。術者のオーズは死んだはずなのに……」
「そこまでは僕にはわからない。大魔導師様、わかりますか?」
リュシアンの視線が、アルベルトの後方にいたサイネケンへと向けられた。
軽く髭を撫でた老魔導師が、僅かに口角を下げる。
「辿れぬよう、何重にもでたらめな術をかけて痕跡を攪拌しておる。生半可な相手ではないだろうな。……何より、魔導師でもない」
「僕と同じ意見ですね……。でもだからこそ、助けられます。僕らには、アルベルトがいますから」
リュシアンの目が、再びアルベルトを見た。
「この首輪に解呪の魔法をかけてみて。ただし僕が合図した後に」
「……わかった」
「念のため、アレクシアちゃんと殿下たちは……、アレクシアちゃん?」
リュシアンの疑問の声に、アルベルトも視線をやった。
アレクシアとレナードが身を寄せ合って、何故か二人とも同じような表情をしてこちらを見ていた。そしてアルベルトとリュシアンの視線に気付き、これまた同じタイミングで首を横に振る。
「は、初めて見る動物でしたので……!」
「そ、そう!びっくりしてしまって……!あ、危ないから下がろうか、アレクシア嬢」
レナードのエスコートで、アレクシアが騎士の後ろに下がる。
アルベルトはリュシアンと顔を見合わせて首を傾げたものの、とりあえず虎を助けることを優先した。
「え〜と。じゃあまず、僕が補助の術をかけるから、合図と同時に解呪よろしく」
リュシアンの口から、詠唱が紡がれる。
ウィーバー家は、魔力量に限れば強い家系ではない。だが学者を多く輩出している、古い血筋だ。
(原作小説だとアルベルトやヴォルフガング様の強さの前に霞みがちだけど、彼も天才キャラなんだよね)
努力の方向性が違うとは言え、今のアルベルトではリュシアンが唱えている補助魔法を同じように構築することはできない。
「——アルベルト、解呪して」
合図を受けて、アルベルトも虎を抱いたまま詠唱を開始した。
創世の女神から授かった力が、虎の身体を包み込む。
(カル、今自由にしてあげるからね)
「……女神エルシオラの名において、この呪いを解き放て」
眩い光が迸る。
虎の首輪から剥がれた最初の一欠片が、地面に落ちた。
そこからさらに首輪全体が、砂のように崩れていく。
(あれ?そういえばこの子、本当は成獣なんじゃ……)
ずしりと、腕に重みがかかった。みるみるうちに、抱いていた虎が大きくなっていく。
(や、やっぱり!おっも!ひっくり返るー!)
バランスを崩しかけた瞬間、誰かに背中を支えられた。
……いや。
強く、抱きしめられていた。
顔を上げたアルベルトの頬に、ぱたぱたと雫が落ちてくる。
褐色の肌。
短く刈られた赤い髪。
黒い瞳。
「——……ごめん、ッ……ごめんなさ……」
顔をくしゃくしゃにして泣きながら、謝罪だけを繰り返す青年。
その姿に、見覚えがあった。
(カルナ……ヴァス……!?)
原作小説に登場した、呪の末裔側の人物。
呪の末裔である父と魔導師の母を持ち、自身は呪術と魔法の両方を使うことができる。
始めはアルベルトたちの敵として登場するが最終的には味方となり、『見た目と違う子犬系の中身』が人気のキャラクターだった。
(なん、で……?虎になれる設定なんて、原作には……)
まさか、という思いで口を開く。
「カ、カル……、君なのか?」
問いかけると何度も頷かれた。黒檀のような瞳が、アルベルトを映している。
「アルベルトは、オレを助けてくれたのに……、っ、オレは……!」
連れ去ったことを言っているのだろうか。確かに、リストニア城に侵入してアルベルトを攫ったのは彼かもしれないが。それは本人が望んだわけではなく、隷属の魔道具によって無理やりに従わされていたからだとアルベルトも充分理解している。
(……タングリストさんは『随分前からいた』って言ってたけど、いったいいつから従わされていたんだろう。原作では、見た目の割に子どもっぽくて素直なところが人気だった。でも、ひょっとしたらそれは……)
外見だけなら、アルベルトよりもいくらか年上に見える。だが中身は子どものまま、情緒を育てることもできずに王の命令を聞き続けていたのかもしれない。
何度も逆らって、逆らえなくなるまで、痛めつけられて。
『最初は抵抗していたらしいが、繰り返し罰を与えられ、ついには言いなりになった』
タングリストが教えてくれた、虎についての話が頭をよぎる。
それを思い出した時、アルベルトが取った行動は、自分を抱く一回り大きな赤髪の青年の頭を抱えるように抱きしめ返すことだった。
「……君のおかげで、私は輸送船の中で安全に過ごせたし、タングリスト殿たちも守ることができた」
「オ、オレは……、アルベルトをっ……悪い奴らに渡すために……っ」
「君が攫ってくれたから、他の子どもたちを助けられた。グシュタールも、きっと良い国に変わっていく。みんな、君のおかげだ」
「違うっ……、オレは、他にも悪いことをたくさん……!」
アルベルトに出会うまでは、繰り返し王へ荷を運んでいたことは想像できる。そしてその結果、グシュタールへと連行された者たちがどうなるのかを見てきたはずだ。虎としてではなく、人として。
それは確かに、カルナヴァスの罪だろう。逆らえば死の制裁を受けるのだとわかっていたからこそ、彼は荷を運び続けた。その罪は、決して消えるものではなく、簡単に償えるものでもない。
だが同時に、これほどの優しさを持ちながらあの王の側で生きていくのは、どれほどの苦痛を伴う生だったことか。
顔を見せて、と声をかける。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっているカルナヴァスの頬に、手を添えた。
「……今まで辛かっただろう。助けが遅くなって、すまなかった」
「ア、アル、ベルト……」
「もう大丈夫だ。ここには君を苦しめる者はいない。私が、君を守る」
「う、あ、………、っ」
しゃくり上げて泣く青年を、アルベルトはもう一度しっかりと抱きしめた。




