第十三話 戦い済んで
報告を終えた副団長や大隊長と入れ替わるようにして、サイネケンがやってきた。
「クリストフ殿下からの伝言です」
そう前置きをしてから、内容を口にする。
それは、今回の件に限り、他国との交渉に関する決定権をアルベルトに一任するというものだった。しかもこの決定は、クリストフの独断ではなく、ファンケンラート王の勅命である旨の書面も持参しているという。
「剣聖が閣下に施した、居場所がわかる術。その軌跡が……、ステルビア領の運河から海へと続いておりましてな。王家としてはそちらの調査を優先すべく、外交を閣下に預けた形となります」
ステルビア領を通る運河。
正直、その可能性を考えなかったかと聞かれれば嘘になる。リストニアから海へと出るルートが、山を越えるか運河を下るかの二択であると考えていた時から。
「……グシュタールへ連れ去られた者の中には、犠牲になった者たちも大勢いる。……それにステルビアが、加担していたと?」
「可能性の話です。荷の中身を知らずに通していたのなら——……、賄賂を受け取っていたとしても無理ですな。船の積荷の検査は、法で定められておりますゆえ」
淡々と告げるサイネケンに、アルベルトは自身の心が冷たい刃を帯びていくのを感じていた。
(まだそうと決まったわけじゃない。だけど、もし本当にグシュタールへの航路を繋いでいたのがステルビア家だったとしたら……)
「……閣下、気配をお抑えください。あなたの力は戦いを知らぬ者たちには、強すぎます」
「っ……、すまない」
アルベルトは、緩く頭を振った。ここで考えても、深みにはまるだけだ。それよりも、今は他にしなければならないことがあった。
「その件はリストニアに戻ってからにしよう。陛下には、私も調査に加わるとお伝えしてくれ」
「そう仰られるだろうと、すでにクリストフ殿下とレナード殿下が、姫君の案内でリストニアへと向かっておられます。我々が戻る頃は、到着されているでしょう」
「……そうか、わかった」
この話は、一旦ここまでだ。
アルベルトは、話が終わるまで待ってくれているのだろう、子虎を抱いたままのタングリストと、少年たちへと視線をやった。
先に、鞘を預けたあの少年の元へと向かう。
「ありがとう。すまない、重かっただろう?」
「ぁ、……い、いえ……」
言葉を詰まらせながら鞘を差し出してくれた少年にもう一度礼を言ってから、剣を鞘にしまう。控えていたヴォルフガングが、それを「お預かりいたします」と受け取った。
アルベルトの手が空いたタイミングで子虎が身を乗り出してきたので、抱き上げる。ふと、首輪がそのままであることに気が付いた。少年たちを拘束していた隷属の魔道具は消えたというのに、なぜ同じように自由になっていないのだろうか。
(何か他に原因がある……?後でお爺ちゃんに聞いてみよう)
幸い腕の中の虎は、特に痛みなどもないらしくご機嫌な様子で喉を鳴らしている。アルベルトの視線が、タングリストへと向けられた。
「タングリスト殿、あなたも皆も、お怪我はありませんか?」
「あ、あぁ。おかげで皆無事だ。……感謝する、リストニア侯」
ぎこちなく答えるタングリストに、アルベルトは困ったように首を少し傾げる。
「今までのように、アルベルトとお呼びください。黙っていた私をお許しいただけるのであれば」
「いや、名乗らなくていい、と言ったのは私だ。——……ではアルベルト、すまないが今から少しの間『見なかった』ことにしてくれるか?」
「……?え、えぇ……」
突然不思議なことを言われ戸惑いつつも、頷く。アルベルトの返事を聞いたタングリストが、近くにいたゾネイアや少年たちへと振り返り、ぴょーんと跳ねた。
「ほ、本物だ!!本物のアルベルト・リストニアだぞ!!」
(——え゛っ……?)
「見たか!?あの戦い!あの魔法!!わ、私は、ファンケンラートから『リストニア侯爵と腐死の魔導師の戦い』の本を取り寄せるくらい熱狂的なファンなんだ!!」
(なっ…?……えぇっ!?ていうか、何その本!?)
さすがにゾネイアも少年たちも驚いている。
目を丸くするアルベルトの前で一頻り騒いだタングリストが、ふう、と深呼吸をした。
「すまなかった。君が治める地の問題の深刻さや、背負うものの大きさを思えば、私の浮ついた心は非難されて然るべきものだ。それでも……、アルベルト・リストニアは、救いたくても救えぬ力なき私の憧れだったものでね」
「タングリスト殿……」
タングリストが抱える『救えぬ痛み』は、アルベルトもよく知るものだ。戦う場所は違っても、彼も同じものを守ろうとしている。
アルベルトは腕の中にいた子虎をヴォルフガングに預けようとし、……何故か子虎がしがみついて嫌がったのでサイネケンへと手渡す。
それから右手を左胸に当て、タングリストへと頭を下げた。
「タングリスト・フォス・グシュタール王弟殿下へ。ファンケンラート王国アルベルト・リストニアがご進言申し上げる」
改まった物言いに、タングリストがやや驚きつつも「進言を許そう」と返す。
「……この度の一件。全てが明るみに出れば、グシュタールは国の形を保つことさえ困難となりましょう。行方不明者の捜索、調査、国家規模での賠償。それは殿下の代では収まらず、今後何代にも渡ってグシュタールを苦しめ、いつかの未来にあなたは『グシュタールを崩壊させた王』と呼ばれるかもしれません」
グシュタール以外の国から見た時に一番手っ取り早い解決策は、国を解体し王家を途絶えさせることだ。そして土地を分割し、被害を受けた国へ賠償代わりに分配する。
(でもそれは、国同士の都合。そこに住んでいる人たちのことは考えられていない)
「今後の人生全てを、ご自身が命懸けで変えようとしておられた制度の『当事者』として断罪され、償うことになります。国内外、少なくない数の者があなたを憎むでしょう。……その覚悟は、おありですか?」
真っ直ぐに、アルベルトはタングリストを見つめた。
そしてまた、タングリストも同じように。
「……答えよう、アルベルト・リストニアよ。タングリスト・フォス・グシュタールの名において、私は私の生涯をかけてグシュタールと、そしてグシュタールが苦しめた者たちのために生きると誓う。いかなる誹りも、怒りも、怨嗟も、全て私が受けとめる」
「——お言葉、確かに頂戴いたしました」
アルベルトはもう一度頭を下げ、ふ、と目元を和らげた。
「では、ファンケンラート王国外交代理として、お答え申し上げます。……私には妹がいるのですが、美味しいものを食べるのが好きな子でして。グシュタールの海の幸や、スパイスなどの交易権をいただけるとありがたく」
「アルベルト……」
「それと、もう一つ。私の友人に魔道具作りの名人がいます。生活用具の開発に、人手が足りないと言っていました。あなたの人選でお貸しいただけましたら、留学の費用はこちらで負担いたしましょう」
ふらり、とタングリストがよろめいた。その身体を、後ろにいたゾネイアが支える。
晩餐会へ出席するための馬車の中で、タングリストは理想について、こう語っていた。
まずは産業だ。
我が国の特産を活かし、健全な交易を復活させる。利益をインフラへと回し、国民の生活レベルを底上げする。
同時に教育にも力を入れたい。識字率を上げ、皆が将来の道を選べるようにしたいのだ。
今のままでは、夢物語だと笑われるだろう。
けれど、私は叶えてみせるよ、アルベルト。
「……わ、我が国に、未来があるのか……?」
呟くように問う王弟、いや新しい王に、アルベルトは優しく微笑んだ。
「あなたが未来を作るのです、陛下」
その後、グシュタール内で行われた調査で、いくつかの事実が判明した。
一つ目。王の太鼓持ちと呼ばれていた貴族たちが全員、干からびた状態の遺体で発見された。いずれも晩餐会に出席していた者たちだ。おそらく王の側近だった痩せた男同様に、呪術の契約に関係していたのだろう。彼らはレヴィアタンを蘇らせるだけの魔力を支払いきれず、その命ごと奪われたのだ。
二つ目。レヴィアタンの出現に、王宮から金目のものを持って逃げ出した兵士たちが多くいた。これに対してタングリストは「逆にわかりやすくて助かった」と、武装して残っていた兵たちに王の死と今後の方針を伝え、引き続き仕えるかどうかを選ばせた。結果、残っていた兵士たちは、そのままタングリストに仕えることとなった。
三つ目。闘技場横の塔に監禁されていた奴隷たちは、半数が売られた元囚人や借金奴隷で、もう半数が近隣から攫われてきた者たちだった。ご丁寧に『出荷』リストが残されていたため、それを元に売られてしまった者たちを遡り追跡をしていくことになる。
王となったタングリストは今後、被害を受けた国から罵倒されながらも直接出向き、解決に向けての話し合いを続けていかなければならない。
——なおアルベルトが塔の屋上に置いてきた兵士は、無事に降ろされた後、さっさと逃げ出したとのことだ。
「……我らができることは、ここまでですな。あとは彼らの問題です」
エルフの船の甲板から港を見下ろしていたアルベルトの後ろに、海の様子を見ていたサイネケンが降り立った。
レヴィアタンを討伐してから、七日目の朝。
海面に浮かんでいた瓦礫がようやく片付き、船が出られるようになった。
「正直、この国が立ち直るのは厳しいかと。清い流れよりも、濁った水を好む魚もおります。彼らは新しい王を歓迎しないでしょう。疲弊した国民も、変化に対応できるかと聞かれると……」
師の冷たい言い方に、アルベルトは思わず振り返る。
「呪いの代償により、多くの貴族が死んだと聞きました。ですがそれを知らぬ者は、現王が兄を殺し貴族たちを粛清したと考えるでしょう。そんな国を信用したいとは、誰も思いませぬ」
「……理想は、理想のままであると?」
「力なき理想は、ただの絵空ごと。今のグシュタールに、その力はありません」
長く生きた大魔導師の言葉には、真実の重みがあった。ひょっとすると、過去に似た道を辿った地を見たことがあるのかもしれない。
だが、アルベルトは師の言葉に緩く首を振った。
「あなたの言い分も、もっともだ。……しかし私は、近い将来この国に新しい力が芽生えると信じているよ」
視線の先にあるのは、こちらに向かって波止場を駆けてくる子どもの姿だ。
リストニアの施設にいた、あの少年だった。その後ろからは、タングリストとゾネイアが付いてきている。
「おや、早朝ゆえ見送りは必要ないとお伝えになられていたのでは?」
「無理をして来てくれたのだろう。タングリスト殿は、少し私と似ている」
とん、と甲板を蹴り波止場へと降りる。船からはかなりの高さがあるが、アルベルトにとっては、危険なものではない。
風魔法を使って着地すると、「今の見たか、ゾネイア!テオ!」とタングリストに興奮されてしまった。テオ、というのは、少年の名前だ。はしゃぐタングリストへと振り返った少年が、「落ち着いてください、陛下」と親しげに、だがしっかりと窘めている。数日で、随分と馴染んだようだ。
アルベルトの脳裏には、五日前の少年の言葉が浮かんでいた。
『僕らは、ここに残ります』
リストニアへ帰るために、出航準備を進めていた午後のことだった。
王宮にいたヴェールを被った少年がアルベルトであったことを伝えた上で、連れ去られていた子どもたちに今回の事件についての説明をしていた。身元の確認をしたところ、どうやら皆場所は違えど同じような施設にいたらしく、突然連れ去られたと証言してくれた。
そこでさらに詳細を聞き、今後についての話をしていた時に、少年の方からそう告げてきたのだ。
彼が攫われたのは、リーサロという町に住む商人夫婦に引き取られてしばらくしてからだと言う。ある日使いを頼まれ家を出た先で、見知らぬ男たちに脅されて馬車に詰め込まれた。その時彼が歩いていたのは、『必ず通るように』と夫妻に言われていた道だった。
『リストニアを捨てた罰が当たったのかもしれません』
そんなことはない、と被せるように言うアルベルトに少年は「いいえ」と首を振った。
『六年前の災厄で一人だけ生き残ってしまったことを、ずっと恨んでいました。先代の侯爵様や騎士団、魔導師の方たちがあの時命を賭けて戦ってくださったから、生き延びることができたのに。僕は自分の孤独を、戦って死んだ人たちのせいにしていたんです』
少年が悪いわけではない。
スタンピードが起きた時、彼はまだ六歳だった。幼い子どもが家族を喪った怒りや悲しみを何かにぶつけるのは、自然なことだ。そしてその何かとは、当時、間に合わなかった『助け』だった。
『リストニアから、魔物から逃げれば、僕の人生は良くなると。そう信じていました。……恐ろしいのは、魔物だけじゃなかったのに』
同じテーブルについていた子どもたちが攫われた時のことを思い出したのか、肩を小さく震わせ俯く。幾人かは、鼻を啜りながら泣いていた。
彼らの背を撫で慰めながら、少年が続ける。
『でもだからこそ、皆で話し合って決めたんです。最後まで僕らの盾になって守ろうとしてくださった、タングリスト様の元に残ろうって』
タングリストは少年たちの意見を聞き、最初は「裕福な生活をさせてやれないから、ファンケンラートに戻るように」と断ったのだという。しかし彼らの意思は固く、「いいじゃないですか。アタシも弟子が欲しかったんです」と笑うゾネイアの後押しもあり、最終的には希望通りグシュタールに残ることになった。
タイを結び、貴族の服を着た少年がアルベルトへと頭を下げる。座学が得意な彼は、これから政治について学んでいくのだという。新しい産業を確立し、この国を豊かにしたいと言っていた。
「その服、よく似合っているよ」
「ありがとうございます、侯爵様。お金がないからお断りしたのに、陛下が皆の分も併せて、あつらえてくださったのです」
「お金がない、は余計だぞ、テオ」
追いついたタングリストが、小言を言う。
「あるんですか?」
「ない。兄上と太鼓持ちたちが溜め込んでいた財宝で、当面の賠償はなんとかなりそうだが……。あとはひっくり返しても小銭くらいしか出ないな」
「今朝のパン、固かったですもんね」
「小麦の輸入を急がねば」
なかなか良いコンビのようだ。
小麦を欲していると聞き、アルベルトも話に加わった。
「リストニアから、お回しできる分があります。早急に手配いたしましょう」
「すまない、助かる」
実際のところ、グシュタールの一次産業はリストニアと上手く噛み合っていた。リストニアでは穀物が豊富に穫れるが、気候の関係でスパイスなどの特定の植物が育ちにくい。また周囲に海がないため、魚や塩の価格が上がりがちである。一方でグシュタールは普段から気軽に料理に使えるほどスパイスが育ちやすく、海洋資源も豊富だった。
「このまま発つのだろう?エルフの船ならファンケンラートまで半日だと聞いたぞ」
「そこからリストニアまでは、まだ少しかかりますが」
副団長に聞いた話では、行きは『勅命』を盾にステルビアの運河を通ってきたのだという。だがさすがに帰りまで利用する気にはなれず、リストニアへの直通ルートとなる山越えを選ぶつもりだった。
「君には、本当に世話になった。ファンケンラートの英雄は、我が国の英雄でもある」
「あなたがいたからこそですよ、陛下」
タングリストから差し出された手を、固く握る。
「今はまだお互いに忙しいが、いつかまたこの国に来て、君の武勇伝を聞かせてくれ」
「……武勇伝と言えるほどのものは……」
「古代の魔物を討伐した武人の謙遜など、信用しないぞ。……そうだな、例えば今までで一番強かった相手などは?」
(一番強かった相手かぁ……。それはまぁ、やっぱり腐死の魔導師——……、……あれ?)
不意に。
アルベルトの視界に、白昼夢のように見慣れぬ光景が広がった。
暗く、闇に閉じ込められたような、場所だ。
よく見ると、それはリストニアの城の中だった。
誰かの足音が聞こえる。
駄目だ。
それを。
知っては、いけない。
「アルベルト?」
「——……」
がらり、と世界が切り替わり、波止場の景色が戻ってくる。
「……そう、ですね。やはり腐死の魔導師かと。あの存在とは、いずれ決着をつけなければならないでしょう」
「おぉ……かの大災厄か。……予想はしていたが」
実際に伝説級の名前を出されると反応に困るな、と驚くタングリストに、アルベルトは先程の白昼夢を頭から振り払い小さく笑った。
「とは言え私の一人の力では、あの存在には到底及びません。側近である二人と、共に戦ってくれた者たちがいたからこその成果です」
「側近……。剣聖と大魔導師か。君もそうだが、あの二人も大概だったな。片方は海竜の首を切り飛ばしながら海の上を走ってたし、もう片方は空の上から辺り一帯を火の海にしてたし。と言うか、今そこに真っ直ぐ降ってきたのに、着地音がしなかったぞ。足の筋力どうなってるんだ?」
ヴォルフガングのことだ。迎えに来たらしい。振り返ると、いつものように無表情の黒い騎士が立っていた。
「お話し中、失礼いたします。出立の時間が迫っておりますので、閣下をお迎えにあがりました」
ファンケンラートまでの海路が半日だとしても、そこから先は山越えを含むルートとなる。出発を早朝にしたのは、日暮れ前に山の麓まで到着しておくためだ。
「わかった。……陛下、それではまた。ゾネイア殿も、テオも元気で」
「あぁ、また会おう」
「肉体強化の伝授、感謝するよ」
「お元気で、侯爵様」
それぞれが別れを告げて。
そうだ、とタングリストがぽんと手を打った。
「アルベルト、最後に一つ」
「なんでしょうか?」
聞きそびれたことでもあったのかと、首を傾げる。
タングリストの目がアルベルトを見て、それから後ろに立つ騎士に移った。
「君に婚約者がいるかと聞いた時に、顔を赤くしていただろう?——彼か?」
「……えっ?」
「いや、ほら。レヴィアタンを討伐した後、何かイチャついてたしな。もし婚約者だとしたら、事情があったとはいえ晩餐会で君を膝に乗せてしまったことを話して、詫びねばと思っていた」
「…………膝に」
ぽつりと呟いたヴォルフガングに、「そうなのだ」とタングリストが答える。
「すまなかった、婚約者殿。あの時は、あれしか方法がなくてな。詳しくはアルベルトから聞いてくれ」
「ちょっ……!ヴォルフガングは、婚約者というわけでは……!」
「わかりました。教えてくださり、感謝申し上げます。……ですが、謝罪は不要です」
掬い上げられるように、アルベルトの身体が浮いた。
いかなる事態にも咄嗟に対応できるだけの訓練は積んできたはずなのに、いつ抱き上げられたのかさえ気付けなかった。
騎士の腕の中で横抱きにされたアルベルトを見て、ゾネイアが口笛を吹く。
「今の動き、全っ然見えなかった。いつか手合わせ願いたいね、剣聖殿」
「私も異国の剣術に興味があります。次回お会いした時にでも」
それでは、と頭を下げたヴォルフガングが地を蹴った。
風に舞い上がる木の葉よりも軽い動きで、船の壁面にある小さな凹凸を足場に甲板へと着地する。
同時に、ゆっくりと船が旋回を始めた。
アルベルトの前世ではキャラベルと呼ばれていた帆船と似た形の、穂先の短い船が、音もなく進み始める。
甲板に、サイネケンの姿はなかった。どうやら先に船内に入ったらしい。
ヴォルフガングの腕の中から丁寧に降ろされる。抱き上げる必要があったのか、疑問に思わないでもない。だが、目の前の騎士が「当然のことです」と言わんばかりの顔をしていたため、結局アルベルトも何も言わずに甲板から船尾へとまわった。
三人が手を振っているのが見える。もう声は聞こえない。
彼らに向かって、大きく手を振り返した。
(タングリストさん、ゾネイアさん、テオくん!必ず会いに来るよ!またねー!!)
淡く輝く船の周囲に、光の幕が降りてくる。髪を巻き上げていた風がぴたりと止んだ。
静かな世界で、景色だけが凄まじい速さで流れていく。
エルフの力による結界だ。
スピードもさることながら、この結界が海の魔物を寄せ付けないことで安全な航路を作り出している。
海の上を滑るように走る、神代の船。
それはまるで、青い世界に描かれた光の尾のようであった。
遠い後の世で。
グシュタールの歴史書には、転換期と呼ばれる時代が記されることになる。
そこには、復活した古の魔物からグシュタールを守った、大国ファンケンラートの英雄の名と。
稀代の賢王タングリスト・フォス・グシュタールを生涯に渡り支え続けた騎士ゾネイア、そしてその弟子であり、後に『三文官』、『四騎士』と呼ばれた七人の名が記されていた。




