第十二話 アルベルト・リストニア
視点がアルベルトへ戻ります。
防御壁に弾かれた眷属たちが地面に落ちていく。再び飛び上がる隙を与えず、極炎を放ち焼き払った。
驚いた顔をしたゾネイアが、こちらを見る。
「アルベルト!」
タングリストの叫ぶような呼び声に「遅くなりました」と答えたアルベルトは、子虎を彼に手渡すとゾネイアの隣に並んだ。
「状況を教えてください」
「船着場に着いたら、王が子どもたちを連れてきて手にかけようとしていたところだった。幸いそれは阻止できたが、その後王と奴の腰巾着が急に干からびていってな。アタシたちの目の前でミイラになって死んだと思ったら、子どもたちの首の縄が腐って落ちて、それから海の底からアイツが出てきた」
つまり、古代の魔物を復活させようとしたが杖に溜めていた力が足りず、自身と側近の生命力を代償として吸い上げられたらしい。少年たちの魔道具が消滅したのは、使用者が死んだからか。
「王の死体を確認したいなら、海を見るといい。多分、まだ浮かんでる」
「いえ、大丈夫です。グシュタール王の死は、呪具を使った代償でしょう。それを回避する術を知っていたオーズを、彼は殺してしまった。だから、杖の力を使い切ってなお足りない分を、直接支払う羽目になったのです」
アルベルトの視線がレヴィアタンへと向けられる。眷属を焼かれた魔物は、こちらを警戒していた。
「あの魔物についての文献を、王の私室で見つけました。グシュタールにかつて存在した古代文明が戦争に利用していた、海の魔物だそうです。……名は、レヴィアタン」
「……!知っているぞ!古い歴史書に出てくる怪物だ。……あれが」
レヴィアタン、と。背後にいるタングリストが、声を震わせながらその名を口にした。
「とにかく、ここにいても危険が増すだけです。一度退きましょう。怪我人はいませんか?」
「あ、あぁ……。だが逃げるにしても、どうやって」
「——……侯爵様……?」
タングリストの後ろから、小さな呟きが聞こえた。リストニアの養育施設にいた、あの少年のものだ。
だがそれはすぐに、巨大な魔物から再び上がった召喚の声にかき消された。
先程の数倍の黒い円が空中に並ぶ様は、逃げる人々の足を恐怖で止めるのに充分な光景だった。
円の中に、一際大きなものがある。飛魚型の眷属とともに、中型の帆船大の海竜が顔を出す。
(数が多すぎる……!タングリストさんたちは守れても、他の人が……!)
それでも、背後の者たちを守らないわけにはいかない。アルベルトがどれほど強力な魔法を使えたとしても、身体は一つしかないのだから。
(みんながいてくれれば……)
願っても、リストニアは海を隔てて遥か遠く。船で五日かかる距離にある。
ならば、無理を承知でやるしかない。
眼前の敵を見据えたアルベルトは、だがそこで見覚えのある強大な魔力を感じ、思わず目を瞬かせた。
レヴィアタンの召喚術が完成する。
一斉に飛び出してきた眷属たちが、突如現れた巨大な炎の竜巻に飲み込まれた。
(……『煉獄』……!?)
火炎魔法の最上位だ。いったいどこからかと確認する前に、動くものが見えた。
海の上を、黒い影が駆けてくる。よく見ると、焼け落ちた眷属たちを足場にして、それらが沈む前に飛び移って移動しているようだった。
黒い影は、騎士の姿をしていた。
生き残っていた海竜が騎士に狙いを定め、氷のブレスを吐き出す。
だが難なくそれを避けると、手にした剣を鋭く振った。
海竜の首が、水面へと落ちていく。
アルベルトは抑えきれない感情のままに、その名を呼んだ。
「——ヴォルフガング!」
海竜の身体を最後の足場にして、騎士が陸地に降り立つ。
汗一つかかず、息一つ乱さず。アルベルトの前までやって来ると、片膝をつき胸に手を当てて深く頭を下げた。
「お待たせいたしました、アルベルト様」
立ち上がり、「剣をお持ちしました」とアルベルトがいつも使用している剣を鞘のまま差し出してくる。
聞きたいことが多くありすぎたが、とりあえず先に剣を受け取った。
「……剣聖よ。お主の身体能力は、どうなっておるのだ」
頭上から、声が降ってくる。
頼れる師が呆れた顔をして、空からこちらを見下ろしていた。
「サイネケン!」
アルベルトの声に、ローブを纏った大魔導師がふわりと降り立つ。
「待たせましたな、閣下。大魔導師サイネケン、参上いたしました」
サイネケンの名乗りと同時に、遠くからアルベルトを呼ぶ声が聞こえてきた。「閣下〜!」と、微妙に間延びした声だ。
海の上に、誇張なく光り輝く船が浮かんでいた。
「あれは……」
「風のように海を走る、エルフの船です。グウィン陛下が用意してくださいましてな。五日かかる海路を半日かからず渡ることができました。人の身で神代の船に乗れる日が来るとは、いやはや……」
感慨深げに、サイネケンが髭を撫でる。
よく見ると輝く船の甲板には、大勢の人がいた。その先頭に大隊長と副団長が立っている。二人ともこちらに向けて手を大きく振っていた。
「雪合戦の次は、かくれんぼですか〜!」
「両翼の極寒の殺気に耐え続けた我々に、手当くださいよ〜!」
(何言ってんの、二人とも……)
状況にそぐわない呑気な言葉が、アルベルトをホッとさせる。
サイネケンが「さて」と杖を持ち、前に出たヴォルフガングが剣を構えた。
「閣下、ご命令を」
一ヶ月近く聞いていなかった声。見ていなかった背中。
アルベルトは剣を抜くと振り返り、鞘をあの少年へと手渡した。
「こ、侯爵様」
「すまない、預かっていてくれないか?」
それから、口を開けたまま固まっているゾネイアを見る。
「ゾネイア殿、ここの守りをお任せしても良いでしょうか?」
「…………」
「ゾネイア殿?」
「……っ、……あ、あぁ、承知した、しました」
「ありがとうございます。防御壁は張っていきますので。——サイネケン」
「お任せを」
キン、と音がして、少年たちとタングリスト、そしてゾネイアを包むように防御壁が張り巡られる。
ゾネイアの反応が鈍いのが気になったが、彼女の腕なら万が一防御壁を抜けてくるものがいても対処できるだろう。
召喚した眷属たちを二度も全滅させられたレヴィアタンは、怒りを感じているように見えた。激しく触手を動かしながら、せわしなく声を上げている。
本来いるはずのない、古代文明の遺産。
この時代の者の身勝手な思いから、復活させられたのだとしても。
(もう一度、眠らせる)
息を吸い、吐く。
「リストニア騎士団!並びに魔導師大隊!戦闘準備!——これより、レヴィアタンを討伐する!」
その声に、近くの二人と、そして船の上から同時に「御意!」と応えが返った。
「魔導師は船上と陸地に分かれて攻撃!騎士たちは陸に降りて、人々の避難誘導を急げ!」
アルベルトの指示に、騎士団と魔導師大隊が一斉に動き始める。
小手調べとばかりに氷結魔法をサイネケンが放つ。だが数十の氷の矢は、魔物に届く前に左右の触手により弾き落とされた。
それを確認したサイネケンが、目を細める。
「……レヴィアタン。古の文明が使役していたという魔物ですな」
「知っているのか?」
「若い頃に、旅先で耳にした記憶があります。核を壊さない限り、両脇の触手は再生可能と聞きました」
サイネケンの若い頃。百年くらい前だろうかと、ちらりと考える。
「腐死竜と同じタイプか」
「あれよりは、まだ可愛げがありましょう。近くに力の供給源となる、腐死の魔導師がいる様子もない。閣下は、あやつから相当な恨みを買っておいでですからな」
「……嫌なことを思い出させないでくれ」
(アルベルト絶対殺すマンになってたもんね。できれば二度と遭いませんように〜!)
などと軽口を言い合っている場合ではない。
「だがいくら再生できたとしても、時間は必要だ。タイミングを合わせて、ヴォルフガングと二人で同時に触手を落とすことはできるか?」
話している間に、レヴィアタンが三度目の召喚でさらに多くの眷属を呼ぶ。ヴォルフガングの剣が閃き、無数の陣が吹き飛ぶ。「召喚を物理的に止めるって、なんじゃそりゃ」と呟いたサイネケンが咳払いをしてから、逆に問いかけてきた。
「策をお聞きしても?」
アルベルトも「剣で召喚陣を……」と思ってはいたのだが、顔には出さない。
「完全詠唱の紫天の鎖なら、あの魔物も拘束できるだろう。だが触手に邪魔をされたら意味がない。私の詠唱に合わせて、触手を排除してもらいたい。本体は私がなんとかする」
「かしこまりました」
頭を下げたサイネケンが、前へと歩み出る。その周囲に、炎でできた騎士たちが降り立つ。
炎の剣が、眷属を容易く切り裂いた。
海上から飛び立とうとした海竜が、ヴォルフガングの剣によって翼を落とされそのまま首を斬られる。
魔導師たちは魔法で確実に眷属の数を減らし、陸地に降りた騎士たちは剣を振るい、逃げ惑う人々を守りながら誘導していく。
それらを見ながら、詠唱を開始した。
(物語上の古代文明って、オーパーツとかオーバーテクノロジーが存在してるのが定番だけど……。あの魔物を利用してたなんて、どんな技術だったんだろう)
海上での巨大な姿を見る限り、とてもではないが人が制御できる類のものとは思えない。
(……だから、滅びたのかな)
周辺諸国を支配下に置きながらも、結局は歴史書に名を残すことさえなく。魔物の存在を残しただけの、かつての文明。
——力というものは、一度手に入れてしまうと放棄が難しい。
階段を一つずつ上がるように、また別の新しい力が欲しいと願うようになってしまう。
(でもそれは、私も同じ。主人公が持つ才能や能力を利用して、もっと強くなりたいと思っている。……力を向ける先が違うだけだ)
もし仮に、と考える。
もしもアルベルトの力が、人々を守るためではなく。
殺めるために使われたとしたら、と。
(……大丈夫。私はそんなことしないし、原作のアルベルトだって絶対にしない……!)
共に戦う仲間たち、リストニアを、アルベルトを守るために倒れた者たち。
彼らの想いを裏切る道を、選ぶはずがない。
滔々と紡がれていた詠唱が完成する。
代々受け継がれる、血族魔法。
拘束の鎖。
「鎮め、捕え、リストニアの名において、天より穿て」
空に、亀裂のような光が走る。
海を割る衝撃波を生むヴォルフガングの剣が、周囲の眷属を巻き込みながら振り下ろされる。
サイネケンが炎の騎士と共に巨大な火柱となり、熱風を噴き上げる。
斬り飛ばされ、焼き消され。
レヴィアタンの触手が同時に海上から消えた。
アルベルトが、力ある言葉を発動させる。
「——『紫天の鎖』ッ!」
魔力が大きく削られる感覚。
太く厚い鎖が雨のように、矢のように、空から真っ直ぐレヴィアタンへと降り注ぐ。
それは肉を貫通し、海底まで到達する楔となった。
剣を構え、刃に手を重ねる。唱えるのは、エルフの王グウィンから授かった、神代の魔法の一つ。
「……付与せよ、『虚空』」
さらに、魔力が削られる。完全詠唱の紫天の鎖よりも多く。
剣に、消滅魔法の力が宿る。
そのまま、海に向かって駆け出した。
(略式の詠唱でこれって……。グウィンさんの魔力って、どうなってるの……!?)
想像以上の魔力消費に驚きながら、風魔法を使い海に浮かぶ魔物や船の破片を足場にして駆ける。
触手を失い拘束されたレヴィアタンが、激しく暴れながら闇雲に召喚陣を描く。だが生み出された側から、次々と討ち取られていった。
走るアルベルトの前に、道ができる。
前方から襲い来る海竜が、その口を大きく開けたまま絶命し沈んでいく。黒き騎士が、剣を振り血を払い、また別の魔物へと向かっていく。
(私は風魔法使って走ってるけど、なんでずっと海の上で戦えてるのかな!?あの剣聖様は!)
ひょっとしてリストニアで最も人間離れしているのは、あの騎士なのではないかと本気で考えてしまう。
その剣筋は鋭く、重く。アルベルトの道を阻むものが何一つないように、全ての敵を切り伏せていた。
「……ヴォルフガング!足場!」
一言あれば通じると、信じている。
踏み出した一歩、その下に風魔法による飛沫が上がった。
高く跳び上がったアルベルトの視界に、魔物を踏み台にして同じく跳んだヴォルフガングが映る。剣を鞘に収めこちらを向いて少し腰を落とし、「ここにどうぞ」と言わんばかりに両手のひらを重ねて待っている。
(手!?いや、肩とかで良かったんだけど!)
しかし今更軌道修正はできない。
ブーツの底が騎士の手のひらを踏む。
(ごめんね、ヴォルフガング様!!)
風魔法に加えてヴォルフガングの力も上乗せして、さらに高く跳ぶ。レヴィアタンよりも高く。
消滅魔法を纏った剣が、淡い紫色の軌跡を描く。
天からの雷の如く、アルベルトの一撃が巨大なレヴィアタンを真っ直ぐ縦に両断した。
割れたレヴィアタンの口から、「……ギ……」と最期の声が零れ落ちる。
そのまま後ろに大きく傾き。
倒れる前に、消滅魔法により体内の核ごと溶けるように消えていった。
わっ!と。
エルフの船の上と、陸地から歓声が上がった。
(腐死の魔導師レベルの強さじゃなくて、よかった……)
人々を襲っていた眷属たちが、音もなく崩れていく。
安堵の息をついたアルベルトだったが、ふとそこで自身が落下していることに気が付いた。
このままだと海に落ちてしまうが、仕方がないかと早々に諦める。あとで船に回収してもらえばいいだろう。
だがそんなふうに呑気に構えていたアルベルトを、空中で受け止めた者がいた。
「……ヴォルフガング」
主を横抱きに抱えたまま、無言の騎士が海に浮かぶ船の残骸の上を通り陸地へと向かう。
タングリストたちの姿が見える。
波止場に到着し、そっと下ろされたアルベルトは、礼を言うために騎士へと振り返った。
「ありがとう、——……!?」
腕に閉じ込めるようにして、抱きしめられる。
「……ヴォルフガング?」
声をかけても返事はない。顔をアルベルトの肩に埋めて、じっとしている。
「閣下、ほんっと〜に、団長を置いていくのだけは勘弁してください。怖すぎるんで」
背後から副団長の声がした。
「しかも今回、大魔導師殿もセットでしたからね。一回、二人の本気の殺気に晒されてみてくださいよ。我々の気持ちがわかりますから」
その隣にいるのか、大隊長の声も聞こえた。やれやれ、と二人揃ってぼやいてから、真面目な口調へと切り替わる。
「リストニア騎士団、負傷者三名。避難者に多数の負傷を確認。いずれも軽から中程度の傷。同行している治療師五名が手当にあたっています」
「リストニア魔導師大隊、負傷者無し。船への被害もないとのことです。……そっちの三人、避難者を庇ったのか?」
「ここで言うなよ、お前。……お気になさらず、閣下。擦りむいた程度です。特にロイド。昆布で滑って転んでました」
「あいつ……実力はあるのに、いつも詰めが甘いんだよな」
アルベルトがヴォルフガングの腕に捕まったままだというのに、副団長も大隊長も気にせず報告してくる。
「わかった。ご苦労だった、二人とも」
とりあえずアルベルトも返事をして、それから目の前の騎士の背中をぽんぽんと叩き、力を緩めてもらえるよう意思表示をした。
ゆっくりと顔を起こし腕を離したヴォルフガングが、一歩下がった位置で「失礼いたしました」と頭を下げる。
(まぁ、アレクシアちゃんの護衛を頼んだのも私だし、いきなり行方不明になったのも私だからね。……不安にさせた自覚はあります)
「心配をかけた」
手を伸ばし、少し高い位置にある騎士の髪を撫でる。
そこでようやくアルベルトは、安堵したように微笑むヴォルフガングを見ることができたのだった。




