第八話 解呪
タングリストの驚きは、彼が言葉を発することができずにいる様子からも明らかだった。
だが、一から説明している時間はない。白いシーツを身体に巻き付けただけのアルベルトは、名前を告げながら抱いていた小さな虎を差し出した。
「どうか、手当てを!」
そこからのタングリストの行動は早かった。
すぐに部屋を用意し、血で汚れるのも構わず清潔なベッドに虎を寝かせた。それから湯を沸かし、深夜にも関わらず外傷用の薬を手配した。小さな虎の傷は浅いものではなく、洗浄にも時間がかかった。
最も目を引いたのは、傷とその周辺の皮膚の色だ。出血量から考えても真新しいはずなのに、黒く崩れかけている。強い腐臭がした。
「呪いによる傷です」
短く答えたアルベルトが、傷口に手のひらを当てる。
清廉な光が、部屋に満ちた。
網膜を焼く眩さに、タングリストは目を閉じる。
やがて、ゆっくりと光が消えていく。再び瞼を開けた時には、今にも腐り落ちそうだった虎の皮膚が、ただの傷に戻っていた。
「なっ……」
これが魔法か、と。タングリストが、誰ともなく呟く。彼の後ろにいたゾネイアも、ポカンと口を開けていた。
「タングリスト殿、ありがとうございました。浅い傷ではありませんが、この子の身体が肉体強化の魔法も受け入れてくれたので、ひとまず危機は脱したようです」
「肉体強化の、魔法……」
「あまりないことですが、おそらくこの子の属性がそうした『力のやり取り』を可能とするものなのでしょう」
アルベルトから説明を受けはしたものの、わかるはずもなく、タングリストは「そ、そうか」とだけ返す。
いつの間にか、時計の針は明け方を指していた。
「アルベルト、君に何があったのかは後で聞こう。まずは血を落として、着替えてくると良い。私が以前着ていた服なら寸法も合うはずだ」
「ありがとうございます。ですが、その前にもう一つだけ。やらなければならないことが、あります」
眠る虎を撫でたアルベルトが、タングリストに向き直る。
「このような格好で申し訳ないのですが、あなたの解呪も行います。詠唱……長い呪文を必要としますので、こちらにかけて、楽にしてください」
「おぉ……っ!」
感嘆したように声を上げたのは、ゾネイアだった。
椅子に腰を下ろしたタングリストの前に、アルベルトが跪く。ゾネイアが両手を胸の前で組み、祈るようにして見つめていた。
深く息を吸ったアルベルトが、魔力を織りながら力ある言葉を紡いでいく。淡く光る魔法陣がいくつも浮かび、溶け合い、新たな光となる。
「——女神エルシオラよ。この呪いを解き放て」
光が、タングリストの身体を包み込んだ。
膨らんでいた身体が、少しずつ縮んでいく。
「で、殿下……!」
ゾネイアの声に、涙が混ざる。
やがて、光が収まり。
椅子には、グシュタール王よりも柔和な顔立ちをした男が、服をダブつかせながら座っていた。
「か、身体が……軽い……。呼吸も楽だ……」
「殿下ぁ〜!!!」
「うわぁ!」
感極まったゾネイアが、タングリストを椅子ごと抱きしめる。
「ま、待て、ゾネイア!ズボンが落ちる!」
「わあぁぁぁッ!殿下、殿下〜〜!!」
「……聞いてないな」
筋肉の塊のようなゾネイアに抱きつかれながら、随分とほっそりしたタングリストがアルベルトへ微笑みを向けた。
「感謝する。君は私の命の恩人だ」
「先に救っていただいたのは、私の方です」
お互いに笑みを交わし、窓から見える薄明るい空を見た。
湯浴みを済ませたアルベルトは、タングリストの服を借りて身支度を整えていた。
サイネケンの魔法に巻き込まれた時も思ったことだが、たった数日とは言え本来の身体に戻った時の動きやすさに驚く。普段から無意識に強化や防御、探知の魔法を使用しているからだろう。
鏡に映る自身を見る。グシュタール王が「汚い」と言った傷跡が多く残る身体だ。
(私だって……こんなに傷だらけにしちゃって、原作のアルベルトに申し訳ないと思ってるよ……)
聖都に住む聖女の治癒魔法なら、あるいは消せるかもしれない。だがそれは今までの戦いを否定することに他ならないのではないか、と。そう考えてしまう。犠牲になった騎士や魔導師、治療師、兵士たち。彼らは皆、今もアルベルトの中にいるのだから。
(一発くらい殴り返してやればよかったな、あの馬鹿王)
鏡から目を逸らし、タングリストに借りたシャツを手に取る。
アルベルトの方が身長が高いため丈が足りていないが、ズボンの裾はブーツの中に入れることで解決し、シャツは肘と手首の中間辺りまで折り返した。
ジャケットの代わりにベストを着て、クロスタイを付けてから、部屋を出る。
「お待たせしました」
いつも食事をしている小さな部屋の扉を開ける。中にはすでにタングリストとゾネイアがいて、アルベルトを見ると二人とも笑顔になった。
「本来の君も、実に麗しいな。現実かどうか疑わしいほどだ」
「正直アタシは、シーツを巻き付けて殿下を解呪しているアルベルト殿を見た時、女神エルシオラが降りてきたかと思いましたね」
「わかるぞ」
二人で楽しく盛り上がっている。リュシアンのように冗談の一環として褒められると軽く返せるが、この場合何と返すと良いのか難しい。
結局笑ってごまかし、「手伝います」とベーコンを焼くゾネイアの隣で、パンとナイフを手に取った。
襲撃を受けた関係で、念のため今日は料理人と庭師には休みを取らせているのだという。
「これほどに体調の良い朝は久しぶりだ。改めて礼を言わせてくれ」
水差しに入ったレモン水を、タングリストがグラスに注ぐ。
「あなたの想いに応えただけのことです。グシュタール王が同じ目に遭っていたとしても、私はきっと助けないでしょうから」
実際に目の前で苦しんでいたらどうするかは実際その時になってみないとわからないが、現時点では助けたいという気持ちはゼロだ。そこまで善人にはなれない。
少し硬くなったパンを三等分して皿に乗せると、その横に芳ばしく焼き上げられたベーコンが添えられた。パラパラと胡椒に似たスパイスが振られる。昨日のシチューにも入っていたが、この国では様々なスパイスを料理に使うようだ。
「話は食事をしながらで。アルベルト、何があったのか聞かせてくれ」
パンにベーコンを乗せてかぶりつくタングリストに「ええ」と頷くと、野盗に扮した王の手先に捕えられてからの出来事を二人に話した。
「グシュタール王が口にしていた『アレ』というのが、何を指しているのかは不明ですが……。あまり良い意味には聞こえませんでした」
「オーズなる者が作ったという『ゲート』に関係している可能性はありそうだな」
「第三船着場と言えば、我が国の港湾で最も船の出入りが多い船着場です。そこに何かを運び込むという意味でしょうか」
王宮に連行されてから、自身の身体が元に戻るまで。アルベルトはできるだけ詳細に、王の会話の内容を伝えたのだが。
その結果、三人ともが同じ疑問を抱くこととなった。
「兄上が言う『準備』というのも気になる……。とりあえず船着場に行ってみるか?」
「殿下、先にそのオーズとやらを捕まえるのはいかがです?」
「顔も知らない状態では難しいな。王宮に行けば手がかりを見つけられるかもしれないが、元の体型に戻った私を見られるのは危険だ」
タングリストは、昨日の今日で体型が大きく変わっている。それが解呪魔法の効果だとはわからずとも、原因を知る者が見れば彼に何があったのかは想像できるだろう。
最悪、そのまま拘束されてしまうかもしれない。
(……となると、やっぱり別行動がベストかな)
「二手に別れましょう。私は王宮で情報を集めますので、お二人は船着場の方をお願いします」
アルベルトの提案に、二人が驚いた顔をした。
「アルベルト、だがしかし……」
「今の私なら、どうとでもなります。それに、あの子どもたちがどこに捕らわれているのかを、知っておきたいのです」
本音を言えば、すぐにでも王宮へ向かい、あの場にいた少年たちを助け出したい。だが今それを実行しても匿う場所はなく、脱走に気付いた王により港や街道は封鎖され、逃げ場を失ってしまうだろう。
「手がかりを得たら、私もすぐに船着場に向かいます」
「……わかった。だが王宮には兵士も多い。潜入がバレれば大事になるぞ」
「必要があれば、これを使います。時間稼ぎくらいにはなるでしょう」
何もない空間に向かって、軽く腕を振る。するとそこに、表情のない王が降って湧いたように現れた。
タングリストが、驚愕にガタリと椅子を揺らす。
「幻影魔法です。至近距離で見られると、作りが甘いと思いますが」
「い、いや……充分だろう……。魔法というのは、本当に何でもありなのだな……」
幻影魔法はリストニア家の血族魔法であるので、一般的な魔法とはまた違うのかもしれないが。その辺りを話し始めると長くなるため、「色々ありますね」とだけ返した。
「王宮へはどうやって行く?馬は目立つし、走れば目立つぞ」
「可能な限り、高い屋根の上を行くつもりでいます」
「落ちたら危な……、大丈夫なのだろうな、君なら」
「数十メートルからの落下となると、さすがに風魔法を使わないと危険ですが。屋根くらいの高さでしたら、問題ありません」
アルベルトの返答に、タングリストが感嘆の息をついた。
「……すごいな。ファンケンラートの者たちは皆、君のように魔法を使えるのか?」
「個人差はあります。ただ魔法は使えなくても魔力はありますので、肉体強化や防御などに転用している者もいます。私の側近の騎士もそうですね」
「……!アルベルト殿!その肉体強化とやらは、アタシも使うことは可能か!?」
ゾネイアが興奮した面持ちで身を乗り出してくる。アルベルトは少し仰け反りながら、首を縦に振った。
「魔力が少しでもあれば、可能です。今度、お教えしましょう」
「ぜひっ!頼むっ!」
両手を握られ、ブンブンと振られる。それを見て「私も習おうかな」と笑いながら呟いたタングリストが、「さて」と表情を切り替えた。
「では、行動を開始しよう。私とゾネイアは、ここから真っ直ぐ東にある第三船着場へ向かう。君は王宮で、できるだけ多くの情報を集めてくれ」




